新年度初日、分掌未定。②

 児童の氏名シールは5セット。靴箱、ロッカー、雨具掛け、机、椅子。名前を確認しながら押していきます。取り敢えず、漢字表記を見て名前を読むことができるように。新しく務める学校で誰一人として顔も性格も分からないのですから、名前くらいは間違わないようにしなければ……。

 30人ちょっとの学級でしたから、5セット作れば捺印回数は150回以上。そこにサインペンで名簿番号を書き入れていくので、それなりに時間のかかる作業です。しかし、これを作り終えても校長先生方は引きこもったまま。出入り口前に伏せた桶のお立ち台を置いて踊ってみようか?そんな冗談の一つも言いたくなったけれど、そこは転勤初日。発言内容は慎重に選ばなければ。


 何にせよ、前年度からお勤めの先生方が和気藹々としていらっしゃることは安心材料でした。事前に共有されている大きな問題が存在するわけではないことを意味するからです。しかし、それでも時々聞こえてくる「まだかしらねぇ?」「職員室にいた方がいいんですかね?時間が読めないですね。」みたいな声には、ちょっとドキドキソワソワしてしまいます。


 学年の先生方と自己紹介を踏まえた雑談をしたり、学級についての引き継ぎ資料を確認したりしながら過ごし、午前中の勤務時間が後半戦に差し掛かった頃。校長室と職員室の岩戸が開き、管理職が出て来ました。

「先生方、お待たせしました。お席にお戻りください。」

 誰も離席していない職員室に、この日一緒に着任した若い教頭先生の落ち着いた声。続いて、校長先生が一枚の紙を掲げます。A3サイズ。全職員に目視で校務分掌を示すにはあまりにも小さい。ダンディ校長、真剣な表情で口を開きます。


「えー、校務分掌が気になってると思いますが、実のところ、細かいところはまだ決めてねぇんさ。そぃで、掲示板に分掌の表を貼っておくっけ、やりたいところにそれぞれで名前書いてもらえっかね。昼飯食べに行くぐれまでに。お願いします!」


……えっ? 決まってないの? これからみんなで決めるの? 新しいな!!


 流石に想定外。何らかの調整が必要とか、新任の教頭先生にも確認してもらってから発表くらいの展開ならば、まだあり得る範疇。決まってないってのは、少なくとも私は経験したことも聞いたこともなかった事態です。しかし、それは他の先生方も同じだったようで、みなさん何とも言えない表情で校長先生が掲示板に向かう姿を追っています。

「じゃ、たのんます。あんま固く考えねでいいすけ。気楽に書いて。」

 そう言い残すと、笑顔で軽やかに校長室へ消えていく校長先生。表情や声色は、どことなく楽しそう。ダンディ校長、見た目はダンディの化身だけど、中身は植木等方向なのか?

 ともあれ、責任者が楽しそうなんだから、これはこれで良いのだろう。そう思うことにしよう。そうでもしないと展開について行けない。


「では、そういうことなので、申し訳ありませんが各自のご希望を直接分掌表にお書きください。午後になったら、みなさんが書いてくださったものを確認し、分掌を決定します。」

 動揺する職員室の空気に飲まれることなく、淡々と締めくくる教頭先生。クール!とってもクール!ダンディ校長に続くクール教頭の登場。ある意味バランスが取れているのかもしれない。いや、バランスよく我々を導くコンビであってくれ。頼む。

 

 豆鉄砲を喰らった鳩の群れのようになっていた先生方も、少しずつ正気を取り戻し、驚きやら愚痴やらを語り始めます。本当に誰もこの事態を把握していなかったようです。

 斯くして、前代未聞?の、合議制校務分掌決定会議(もしくは早い者勝ちの校務分掌争奪戦)がスタートしたのでした。

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