タイムリミット・ヒロインデッド

裏道昇

タイムリミット・ヒロインデッド

「柏木有希と付き合えますように!」

 ぱんぱん、と小さな祠に両手を叩く。作法も何も知らなかったので、五回くらい頭を下げておいた。次にじいちゃんから言われた通り苺大福と甘酒を供える。それからなむなむともう一度祈った。

 告白を決意して挑んだ修学旅行。ずるずると最終日まで来てしまった。焦った俺は死んだじいちゃんが言っていた縁結びの祠を訪れたのだ。言われた通り、苺大福と甘酒を持って。

 元々信じてなどいなかったのだが、今日中に告白しなければと考えると、まさに藁にも縋る気持ちになっていた。

「よし!」

 強引に気持ちを落ち着かせてから、活を入れる。貴重な自由時間だ。有意義に使わなければ。祈るのをやめ、目を開ける。

 ――目の前では、淡い着物の少女が大福と酒を貪っていた。

「……」

「ふむ。手作り感はまったくないが、悪くない。コンビニのスイーツというのはいいものだな」

「俺のお供え物、が……」

「おかしなことを言う。お供え物になった時点でお前のものじゃないだろう」

 黒髪をぱっつんと切り揃えた少女はやけに整った顔を傾ける。

「お前のでもねえよ!」

 少女はさらに不思議そうな顔をしながら俺を見つめ、しかし何か喋るより先に残りの苺大福を甘酒でごくんと飲み干しやがった。

「いや、私のだろう」

「もう食い終わってるからなあ……!」

「いやいや、そうじゃない。私が縁結びの神だと言っているんだよ」

「は?」

 ぽかんと口が開いてしまう。言われてみれば、今時の子供らしくない格好だし、お供え物を勝手に食べる子供なんてそうそういるだろうか。

 その間に少女はごちそうさまでした、なんて行儀よく手を合わせてから続ける。

「まあ、信じなくてもいい。でもお供え物はもらったからね。ちゃんとお礼はしよう」

「何を言って――」

 俺の話を無視して、少女はまっすぐ俺の後ろを指さした。

「?」

 釣られて振り返る。祠は民家の間をすり抜けるような狭い石段をずっと上った先にあった。だからだろう。祠からは都会の街並みが一望できた。少女の指はその中でも一際目立つ、日本一の高さを誇るタワーへと向けられていた。

「三、二、一……ぼん」

 思わず、肩が跳ねた。少女の可愛らしい声に合わせて、タワーの一部が火を噴いたのだ。

「今、あそこで大きな事故が起きた」

「嘘、だろ」

「さて、これから大事な話をする。よく聞いておくように。桜田浩太君」

 俺は少女へと視線を戻す。もはや、この少女がただの子供だとは思えなかった。目の前で見ていた俺にとっては神様だと証明したようなものだ。


「――今から一時間後、君の大切な柏木有希ちゃんは死ぬ」


 神様が残酷なことを言った。

「彼女、今あのタワーの展望台にいるんだ」

「そん、な」

 言われてみれば、自由時間に見に行くと聞いた気がする。足元がぐらぐらと揺れているように思えた。

「これは運命だ。定まった未来だ。誰にも変えられない――ただ一人、知り得ないはずの未来を知った君を除いて」

「俺しか、助けられないって言うのか?」

「ああ、そうさ。これが苺大福のお礼。彼女が助かる可能性だ」

「一時間後……!」

 時計はちょうど午後四時。つまり、

「俺が、午後五時に助けないと」

「ああ、そうさ」

 もう一度、さらに火を噴くタワーと目の前の石段を見る。覚悟を決めるのは一瞬だった。

「そして、今度は甘酒のお礼だ。私の加護で、君はこれから三つの縁に恵まれるだろう」

 さあ、いってらっしゃい。

 その声を背に、俺は石段を転がるように駆け出した。

 三段飛ばしで石段を下りる。上るのに十分近くかかった階段を五分かからずに駆け下りる。立ち止まらずに地下鉄の入口がある大通りへと向かう。

「――まずは、タワーまで行かないと」

 それができなければ、助けることなんてできない。

 幸い、大通りからタワーまでは地下鉄で十五分もあれば着くはず――

「なんだこれ」

 ――大通りはパニックを起こした通行人で溢れ返っていた。タワーから逃げる人。タワーを近くで見ようとする野次馬。道路を埋め尽くす自動車は渋滞で、一メートルも動けていない。地下鉄の出入口は入ろうとする人と出ようとする人が罵声をぶつけあっていた。

「地下鉄じゃ間に合わない……!」

 あの混雑だと、運行してたとしても何時間待つことになるか。タクシーだってこの渋滞じゃ動けないだろう。

「走るしかないのか、ちくしょう!」

 概算で三十分だと思いながら、意を決して走り出す。

「く、そ」

 五分も経たない内に視界が歪みだした。元々、運動が得意な方ではないし、祠からここまで全力疾走だ。当然と言えば当然だった。

「ッ!」

 歩道の段差に躓き、ろくに受け身も取れないまま、転んでしまう。周囲から奇異の目が向けられる。

「痛え……でも」

 立ち上がらないと。

 足に力を入れ――

「何やってんだい、あんた!」

 ――唐突に声をかけられた。

「こっち来なさい!」

「ちょっと……!」

 そのまま強引に店――どこか懐かしいラーメン屋へと引きずりこまれた。

「まったく、そんなに事故現場が見たいのかい?」

 気が付くと、ラーメン屋のふっくらとしたおばちゃんから傷の手当を受けながら説教をされている。

「……」

「野次馬根性もいいけど、上向いて走ってたら転ぶに決まってるじゃないか」

「野次馬じゃ、ないです」

「? じゃあ、なんだってタワーに向かってたのさ」

「……タワーの最上階に好――知り合いがいて、助けに行きたいんです」

「本気かい! 救助隊も苦労してるってテレビで言ってるのに?」

 おばちゃんの言葉に、俺はしばらく黙ってから、

「ありがとうございました」

 暗い声でつぶやいた。手当が終わる前に立ち上がり、店を出ようとする。

 もう四時十分だ。急がないと。

「うちのラーメン屋ではね」

 しかし引き戸に手をかけたまま、固まってしまう。なぜか思い浮かんだのは、あの言葉。

 ――三つの縁に恵まれるだろう。

「出前もやっていてね。範囲内であれば一律500円の追加料金をもらうのよ」

「それって……」

「タワーは範囲内よ?」

 そう言っておばちゃんはにやりと笑った。俺は何を言われているのか、理解して。

「タワーまで、五分で出前お願いできますか――俺ごと」

 即座に500円玉をテーブルに叩きつけた。

「無茶言うわねぇ。言っとくけど、注文なしで出前なんて駄目だから。後日、必ず食べに来なさい」

 おばちゃんはそう言って、準備をするためか裏口へと歩いて行った。


「ちょっと、飛ばしすぎじゃないですか!?」

「バカ! 五分でタワーまで行くならこれでギリギリよ!」

 出前用のスクーターが車の脇をすり抜け、時に歩道を走り、しまいには反対車線すら暴走してゆく。大渋滞の中で。

「いやいや、さすがに捕まりますよ!」

「あっはっは。タワーが崩れそうだって時にスピード違反なんて取り締まるわけないじゃない! 絶対にしらを切ってやるわ」

「何言って……あ、ヘルメットは!? 俺ヘルメットしてないんですけど!?」

「大丈夫大丈夫。ヘルメットとか関係ないから」

「それくらいスピード出てるよなぁ! あんた本当は爆走したいだけじゃないのか!?」


「ありがとうございましたー!」

 俺は両手を大きく振りながら、絶対にラーメンを食べに行くと誓った。

 タワーの真下近くまでやってきた。エレベーターは固く閉ざされ、周囲は立入禁止のテープが張り巡っている。瓦礫が落ちたのか、少しだけ埃っぽい。

 上を見上げると、天辺は見えないほど高い。しかし、黒い煙が立ち上っているのは分かった。

「急がないと……」

 時間は四時二十分。できれば少しでも早く上へ行きたいところだが――俺は準備をしてから行くべきだと感じていた。柏木がこれから死ぬということは誰も柏木を助けることができないということだ。俺の体一つでは助けられない可能性は十分にある。俺が行くことの意味は少しでも大きい方がいい。

 周囲を見回す。野次馬だろうか、遠巻きに眺めるたくさんの人。最前列に位置取っているのは報道記者の集団。テープの内側で睨みを利かせる自衛隊らしき集団。

 ――持って行くべきものは何だ? 何があれば助けられる?

「あ、お金……」

 お金で買えるものなら買うべきだ。そう思って財布の中身を確認しようと……

「あれ!? 財布がない?」

 定位置であるジーンズの尻ポケットにはいつもの重みがなかった。スクーターから落とした、のか? 修学旅行だから、結構な額が入ってたのに。

 落ちてやしないかと、近くの地面を見回してしまう。もちろん、都合よく見つかるはずもない。溜息を吐いて、気を取り直す。時間がないんだ。

「ん?」

 みんながタワーを見上げる中、一人だけタワーから遠ざかっていく男性。軽薄そうなアロハシャツを着て、軽薄そうな歩き方をしている。だが、問題はそこじゃない。

 問題は、そいつのジーンズの尻ポケットから俺の財布が覗いていることだった。

 アロハ男はさり気なく狭い路地裏へと入っていく。後を追って、様子を窺った。

「へへへ……」

 俺の財布から現金だけを抜き出し、アロハ男が財布を捨てる。

「おい、へへへって笑う奴を初めて見たぞ」

「な、なんだよ。この財布は俺のだぞ!」

 今自分が投げ捨てた財布を指さす。中から俺の学生証が飛び出していた。

「いやいや! 無理があるだろうが! 写真見ろよ。誰が見ても俺だろ」

「こんな財布は知らないなぁ」

「とぼけるのが遅いんだよ!」

「黙秘します」

「さっきから変わり身が早すぎるだろ……まあいいや。その財布はやるよ」

 アロハ男が素早く財布を拾った。証拠を回収したのだろう。

「その代わり、頼みがある」

 途端に嫌そうな顔をするアロハ男。

「何なら後で追加の金を払ってもいい。頼む」

 俺は真剣に頭を下げた。盗まれた怒りは全く沸いていなかった。むしろ幸運に感謝していたんだ。

 その姿にアロハ男は不思議そうな顔をしてから、軽薄な雰囲気を纏って聞いてきた。

「何をしろって?」

「今から言うものを盗んできて欲しい」

 ただ、感謝していた。今、この盗みの天才に会えたことを。


 なぜなら――路地裏には無数の財布が散乱していたのだから。


 騒ぎが発生してから、十五分ほどしか経っていない。その間にこれだけの財布を盗んだのだろう。外見はチンピラだが、技術は化け物だ。


 さらに五分後、アロハ男は軽い足取りで戻ってきた。

「ほらよ」

 そのまま、頼んだものが入ったリュックを投げる。俺はそれを受け取って、礼を言った。

「ありがとう、助かった」

 簡単に盗めるものじゃないはずだが、驚きはあまりなかった。

「いいけど、お前。そんなものを用意するってことは……」

 俺は精一杯の虚勢で笑い、

「これからタワーを観光してくる」

 リュックを背負った。

「くくく、追加料金はちゃんと払えよ」

 アロハ男は心底楽しそうに返した。

「とは言ったが、入るのも大変なんだよなぁ……」

 俺はリュックを背負った状態で、路地の陰からタワーの入口を眺める。しっかりと二人の自衛隊員が塞いでいた。通してくれ、なんて言って通すはずもない。

「残り時間はちょうど半分……か」

 現在は午後四時三十分。残り三十分の間で柏木有希の下へ辿り着けなければ、彼女は死ぬ。今更になってその責任が俺を襲っていた。それでも急ぐしかないのだ。

「邪魔だ、じじい!」

 その時、叫び声が聞こえてきた。見れば若い男が爺さんを怒鳴りつけているようだった。

「何してるんですか!」

 咄嗟に声を上げて、爺さんを庇っていた。普段の俺では考えられないような行動だったが、自然と体を動かすことができていた。

 男は数秒間だけ俺を睨んでから、舌打ちと一緒に消えていく。

「……大丈夫ですか?」

 突き飛ばされたのだろう。地面に手をついたままの爺さんに、俺は声を掛ける。

「ああ、ありがとう。もうすっかり――っ!」

 突然、爺さんが目を見開いた。

「どうかしましたか?」

「驚いた。お前さん、桜田竜太郎という名前を知っているか?」

「え? 俺のじいちゃんの名前ですけど……」

 そう答えると、爺さんは楽しそうに笑みを浮かべ、やっぱりと言った。

「儂はお前さんのじいちゃんの古い友人だ」

「そうなんですか? でもどうして……」

「なに、お前さんが若いころの竜太郎そのままだったんでなぁ。竜太郎も近くに来ているのか?」

 俺がじいちゃんは大分前に亡くなっていることを伝えると、一瞬だけ寂しそうな目をしてから、

「ふん、根性なしが」

 爺さんは悔しそうにこぼした。

「で、お前さんはなんでこんなところにいるんだ?」

「修学旅行中だったんですが、ちょっと事情があって」

「事情、か。何か困っているなら手を貸すぞ。竜太郎の孫なら構わん」

「……実は」

 俺は爺さんに事情を説明することにした。もちろん、縁結びの神様は除いて。

「ふむ。それなら力になれるな。ついてこい」

 爺さんに連れてこられたのは、タワーの脇にある小さな建物だった。普段から出入りは管理していないらしく、騒ぎに乗じて簡単に入れた。そのまま三階へ上がると、窓のすぐ下にタワーの階段の踊り場が見えた。

「ここから下りれば、上まで行けるはずだ」

「ありがとうございます」

 俺は頭を下げると、窓から身を乗り出す。

「おお、また来なさい。今度は竜太郎の話を聞かせてくれ」

 窓から踊り場へと下りる。時計を見れば、午後四時四十分。急いで上れば間に合いそうだ――その瞬間。

「おい! 誰か階段にいるぞ!」

 下から怒声が響いてきた。見下ろすと、自衛隊員が騒いでいる。

「やべ、見つかった!」

 自衛隊員が慌てて階段を上ってくる。俺も急いで階段を駆け始める。

 少しずつ近づいてくる自衛隊員の足音にビビりながら、今日までの人生で一番の速さで階段を駆け上った。


「地元に、帰ったら、絶対、運動する」

 息の絶え絶えの状態ながらも、展望台の扉まで辿り着いたのは四時五十五分だった。残り時間は五分だ。すでに避難は完了しているらしく、今の展望台に自衛隊員の姿はなかった。最初に爆発したのはもっと上の方だったので、そちらの対応をしているのだろう。

 上ってくる自衛隊員に追いつかれるより前にと、扉を開いた。この中は安全ではない。今から五分後にここで彼女が死ぬはずなのだから。

「おーい、柏木?」

 誰の姿もない展望台を慎重に歩いて回る。四分の一ほど歩いて、異常に気が付いた。

「なんだよ、これ」

展望台の一部で火災が発生していた。鎮火漏れか、あるいは新しく燃え始めたのか。いずれにしても、彼女がいるとしたらこの先だ。

「ちくしょう」

 俺は意を決して、炎の中へと飛び込んだ。


「柏木! 柏木有希!」

 叫びながら、彼女の姿を探す。もしいるとしたら、自衛隊員が気付かなかった場所だ。物陰や狭い通路を重点的に調べていく。

 そして、四時五十九分。

 狭い通路の奥だった。スタッフオンリーと書かれた扉に隠される形で、彼女はいた。扉のおかげで火の手からも逃れられていたようだ。

「柏木、おい柏木!」

 小柄な体格に、肩まで掛かる程度の細い髪。こんな時でも可愛らしいと思える顔立ちの彼女は、呼吸をしていた。

「……ん、ぅ」

 俺の必死の呼びかけに反応し、ゆっくりと目を開けた。まだ意識は混濁しているようだが、

「桜田くん?」

 小さな声が聞こえて、俺は人生で一番ほっとした。

「よかった」

 何気なく時計を見る――午後五時だった。

 一瞬で耳が聞こえなくなるほどの大音量が響いた。目の前で展望台のガラスが砕け散るのが見えた。

 俺は頭の隅で「ああ、火災に耐え切れなかったのか」なんて冷静に思いながら、体は行動を開始していた。柏木の体を抱えるようにして守る。同時にしっかりと体を固定して『準備』した。

 直後。凄まじい風が吹き荒れて、俺たちは地上三百メートルへと投げ出された。

「うわあああああ」

 俺と彼女の絶叫が響く。ぐるぐると回転しながらも、事前に『準備』したおかげで、彼女とバラバラになることだけはなかった。

 やがて体が安定した頃、俺はリュックの中身を開いた。バサッと音が聞こえて、落下が緩やかになる。

アロハ男に盗んでもらったのは、自衛隊員のパラシュートだった。これがなかったら、間違いなくすでに死んでいただろう。

「何が起こったの? 扉が急に開いて、ぶつかった記憶はあるんだけど……」

 おそらくはそのまま気絶して今まで気づかれなかったのだろう。

「とりあえず、東京タワーが爆発した」

「なにそれ!」

 燃え盛るタワーを見て、柏木が声を上げた。目の前に広がる街並みは現実感がなくて、何やらヘリコプターがこちらへ向かっているのも見えた。

 俺はそれを苦笑しながら、切り出す。修学旅行中に言おうと決めていた言葉。昨日までは言えなかった言葉なのに、不安はなかった。

「あのさ、柏木。俺と――」

 俺には縁結びの神様がついているんだから。

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