5.「旅は始まったばかり」


 ……血を拭った手拭てぬぐいが彼女のそばに捨ててあった。仰向けに寝かされていたが、目は開いている。首を傾げて様子を見て、誰かと戦っていたのは把握していたらしい。


 頭部を怪我したらしく、話によればそれは応急処置で塞いで貰ったということだ。

 傷口周辺に痛みはあるが安静にしていれば我慢は出来る。耳はいいらしく、その後の会話は大体聞こえていたらしい。


 だから、得体のしれない魔術師が近寄って話しかけても彼女は驚かず、抵抗せずに治療を受け入れた。


*


「……どうだい? まだ痛みはあるかい?」


 異形の瞳を閉じたまま、ハインラインは彼女に尋ねる。


「いえ、御蔭様で軽快しました。一応、貴方にお礼は言うべきでしょうね。有り難うございました」


 上半身を起こしてから、まずは彼に礼を言った。

 魔術師の被った帽子のつばを少しだけ下げる。 


「どういたしまして。しかし、受け入れながらも懐疑的かいぎてきな君の姿勢は正しいと思う。念の為、街に帰った後は神官に癒しや浄化の奇跡を願うといい」


「……私に何か細工したのですか?」


「それでは契約違反になる、取引は成立しないよ。……俺は約束を破られない限り、約束を破ることはしない」


「だったら別に──」


「それでも、だ。分厚い山脈の向こう側じゃ大魔孔から生まれた魔物が混在種に統率されて人間相手にくにりを仕掛けてる。昔は人と人が、今は魔物と人間が……戦乱の最中さなか、昔もそうだったろうが個々ここじんではいヤツも悪いヤツもいる。十把一絡じっぱひとからげには出来ないだろう……だが、それでもだ。我々は互いに属性で区別しなきゃならない。ましてや、種族──成り立ちそのものが違えば、尚更な」


「貴方は一体何者なんですか?」

「難しいことを聞くね……」


 ハインラインは苦笑する。そして、続けた。


「しかし、いい質問だ……俺は今でこそ魔人という混在種だが、生前は誰の味方でもなく、それ故、常に誰かの敵だった。最終的には全てを敵に回してしまったが、その人生に後悔はない。そして、今世もその生き方を変えるつもりはない。人の味方でもなければ魔物の味方でもない。君の口から彼らに伝えておいてくれ、だからこそ俺は話の通じる男だとね」


 そう言って帽子のつばをさらに下げると、表情はもううかがえない。だが、彼の口許くちもとは小さく笑っていた。


 言いたいことを言って満足したのか、魔術師はここから去る。

 きびすを返して数歩歩いた後、その姿は一瞬で消えた。


 遠くからこちらに歩いてくる彼らに挨拶もなしに──




*




 ……あれから彼らはラフーロの王都へと取って返し、彼女の村と所縁ゆかりがあるという神殿へ馬車ごと引き渡すと空はすっかり茜色に染まっていた。急ぎ今夜の宿を取り、夕食を済ませてから公衆浴場で一日の汚れを落とすと、再び宿へ戻る。


 二人は二階に別々の部屋を借りていた。

 部屋の前まで来て、入室しようとしているキボウをローウィンが呼び止める。


「──旦那」

『……なんだ?』


「東へ行く。当初の目的からずに一貫しているのは分かるよ」


 ──ラフーロの東には、かつて小さな国があった。

 その名をスフリンク。大国に挟まれた小国で海に面した南部に王都を築いていた。


 だが、三年前のある日──突如として飛来した巨大なドラゴンに王都は一日と経たず、破壊され尽くしてしまったのである。


 竜が飛び去ったあと、逃げ延びていた人々が戻り、王都を再建しようとしたが……竜によって開かれてしまった魔孔は既に大魔孔に匹敵するほどの規模で大量の魔物がそこら中を闊歩かっぽしており、最早、常人では近付くことも叶わなかった。


 ──そして現在では浅く広く白砂が渦巻く魔孔の中心に、何時いつからかおかに上がった巨大な蛸の魔物がボスとして君臨しているのだという。


「旦那の目的が魔孔……大魔孔を潰すこと。それが使命だってのも分かる」

『それがどうした?』


「……だから、敢えて言うけど俺は時期尚早だと思う」


 聞き入れられるかはともかくとして、ローウィンは率直に提言した。

 キボウは部屋の扉を開けようとしていた手を離し、ローウィンに向き直って真意を探る。


『どういう意味だ?』

「目的がスフリンクの魔孔を潰す事なら、俺はまだ力不足だと思ってる」


『……俺が、か?』

「そうだよ。もしも、噂に聞くスフリンクの主がその通りなら俺たちにはあれを倒す決め手がない」


 まるで見てきたかのように、ローウィンは彼に語った。

 キボウは即答しなかった。逡巡したかのような沈黙の後──


『だから、今は見逃せと言うのか? 聞けない相談だな』


「確かに、旦那の力なら……無策で突っ込んで場当たり的に戦っても、もしかしたら勝っちまうかもしれない。けど、先を見据みすえた時にそんな戦い方しか出来ないんじゃいずれ壁にぶち当たって行き止まる。相手が強くなればなるほど一筋縄ではいかないはずだ。現に昼間の戦いだって、そうだ」


『……何が言いたい?』


「俺達には仲間が必要だ。神官か、魔法使いか。最低でも一人は。仲間に加えてからスフリンクの攻略にかかっても遅くないと俺は思う」


『だが、仲間のあてはあるか?』

「残念ながら。だけど、これからでも伝手つては作れるし、取っ掛かりはある」


『──昼間の話か?』


 ローウィンは頷いた。昼間、二人が助けた一団はラフーロの王都カッセルから東に進んだ旧スフリンク国との国境に近い村……デーツから来ていたという。


 デーツの村から王都に物資を輸送中、魔物に襲われたのだ。

 その後、即席の護衛として二人が同行し、神殿へ送り届けたという顛末てんまつだ。


 生き残った彼女は経過観察もあり、翌日まで神殿の世話になるという話になった。

 死体だった三人の若者もであり、日頃の行いが悪くなければ息を吹き返すだろう、と応対した神官は冗談交じりにべていた。


 ……そして、キボウの言う昼間の話とは「帰りの護衛も引き受けてくれないか?」という彼女からの申し出である。


「旦那。これは今から三年くらい前の話だ……スフリンクが王都のみならず、主要な街全てが竜の力によって壊滅し、路頭に迷った難民が東西の隣国に押しかけたんだ。スフリンクに近いくだんの村にも難民が大挙としてやってきて、しばらくもしないうちに慢性的な水不足になったそうだ。急激な人口増加に水が足りなくなったんだな」


『それが?』


「……そんな時、村に住んでいた少女が神から啓示を受けたそうだ。彼女は手始めに枯れてしまった古井戸に湧水ゆうすいの奇跡を願い、まずこれを甦らせた。しかる後、湧水や浄水の奇跡を方々ほうぼうで願って回り、ついには村の水事情を解決したんだと」


『その少女が村と所縁ゆかりのある神殿にいるという訳か……』


「ああ。だけど、それだけじゃない」

『……まだあるのか?』


 キボウの問いかけにローウィンはもう一度頷いて、話を続ける。


「スフリンクからやってきた難民の中に魔術師が一人いたのさ。エルナって名の元は貴族の令嬢で、昔に魔法留学をしていたらしい。王都陥落後に修行し直して、今じゃ結構な使い手なんだそうだ。彼女もその村を拠点にしている」


『それが……神官と魔法使い、か』


「気味が悪いように繋がっているが、運命と言うなら悪くない。そう思わないか?」

『物は言いようだな……』


「旦那には精霊の導きがあるんだろう? 無粋なこと言うなよ」


 ローウィンはそう言って笑いかけた。キボウも小さく笑って応じた。




*




 ──翌日。二人は街の神殿に出向いた。

 ローウィンが保留にしておいた回答を彼女らに告げるためだ。


 二人は用心棒の仕事を引き受け、対価として村への滞在と扶持ぶちを保障させる。 

 平和な時分であれば金のやり取りだけで済むが、時世柄、そうはいかないのが実に面倒であった。


 ……そして、二人を含めた一団は村へ既に移動中。

 その道中、二人は幌馬車の最後尾で向かい合うように座っていた。


「一日潰したが、結果的に馬車で楽々と移動だ。村にだって一日は早く着く」


 やや荒れた土の道を偶に揺られながら眺めている。

 後ろに座するのは何かあった時の為、すぐに飛び出して対処する為でもある。


『──ローウィン』

「……なんだい?」


 片膝を立てて座るキボウは鞘に納めた両手剣を肩に立てかけるように抱えていた。


『俺の剣でお前の言うとやらは、本気で斬れないと思うか?』


 彼の言う怪物とは王都スフリンクの魔孔に主として君臨する蛸の魔物に相違そういない。

 同一個体か知らないが、ローウィンにとっては因縁浅からぬ魔物である。人伝ひとづてに聞いた話と間近で見た記憶を合わせ、彼はキボウの問いかけに頷いた。


「何より旦那の使う剣が証拠だよ。実際に両手剣そいつで斬りつけて、大した傷をつけられなかった。父さんと旦那じゃ膂力りょりょくや技量に差異はあるけど、それでも人間業である以上、怪物ヤツにとっちゃ大差ないだろ?」


 ──それとも、他に何か切り札でもあるかい? ローウィンに逆に問いかけられ、キボウは押し黙った。


(切り札、か……)


 弱点を補う為に、もしくは自らが至らぬ点を補強する為に仲間をつのる。……正直、気乗りしない。しかし、仲間に頼る理由が「自らが強くなる為に教えをう」というのであれば、そこまで拒否感はなかった。


 キボウとローウィン、それぞれ考えは擦れ違いながらも馬車は順調に進んでいた。

 ラフーロ王国の東の村、デーツへ──




*****


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