七つの鉄槌 4

明日出木琴堂

第四打 理念無き政治

 1995年 初夏。 

大雨の深夜の神戸埠頭。


バチバチバチバチ。


キュッ。カシュ。カラカラカラカラ…。

トクトクトクトク。


キュッ。カシュ。カラカラカラカラ…。

トクトクトクトク。


 「田中のじいさん。悪く思うなよ。」

あんたが余計なことするから、こんなことになっちゃったんだよ。


大雨の中、傘も差さずにエンジンのかかった真っ黒な車の側に立っている恰幅の良いスーツ姿の中年男。

その男、ずぶ濡れになりながらも運転席のドアを開け、そこに座る老紳士に話しかけていた。しかし、老紳士は言葉を返すことはない。

「とりあえず、棺桶(メルセデス・ベンツ)だけは立派なの用意したからさ。別れの酒も奮発しといたからさ。化けて出ないでくれよ。」

そう言うと、ずぶ濡れの中年男は運転席のドアを閉め、助手席側から真っ黒な車に乗り込んだ。それと同時に、メルセデス・ベンツは濡れた路面にタイヤを滑らせながら急発進した。










 1967年。

親父の急逝から俺は、親父の地盤と看板と、とりあえず意志を引き継いで25歳という若さで神戸市市会議員の立候補者に抜擢されたのさ。

そして、親父の欠員から始まった補欠選挙で初当選したのさ。

この選挙の全てのお膳立ては、親父の右腕で公設秘書を務めていた田中太郎というおっさんがしてくれたんだよ。

若干25歳の青二才が初出馬、初当選できた快挙は、全て田中太郎というおっさんのおかげだったのさ。






 田中太郎…。

本当に、昔から口うるさいおっさんだったよ。

俺の親父は俺が物心ついた頃から政治家だったよ。

そんな家庭に育ったもんだからか、幼い頃より周りの大人達から口うるさく躾けられたもんだよ。

「お父さんは立派な人なんだから、恥をかかせないように…。」

「家名に泥を塗らないように勉強なさい…。」

「皆さんが私たち家族の一挙手一投足を見ているのだから変な事は絶対にしてはいけません…。」

「お父様に負けず劣らずの立派な人格者に成るのですよ。」

…等々、雁字搦がんじがらめもいいとこさ。耳にタコができるほど聞かされてきたよ。

田中のおっさんからも同じように、よくご指導いただいたもんだったよ。


 大東亜戦争終戦の少し前に生まれた俺は、戦後の日本の復興と時を同じくして小学校、中学校、高校の多感な時期を過ごしてきたのさ。

その多感な何も知らない少年期を、周囲の大人たちからの雁字搦がんじがらめな圧力に耐え忍んで過ごしてきたのさ。本当に何も面白くなかったよ。

しかし、俺が大学に入る頃になると日本の好況と共に俺を取り巻く環境も変っていったんだよ。

この期間が、後の俺の人格を形成した時期と言っても過言じゃないんだな。


 俺が形だけの私立の三流大学に通っていた頃は、日本経済は急激な成長期にあたり、皆が皆、単純に「豊かさ」を求め出していたんだよ。

映画では【無責任シリーズ】が大ヒット。特に【ニッポン無責任時代】は良かったよ。笑えたね。

映画の主題歌の【無責任一代男】の歌詞がまた、最高なんだよね。


《 おれは この世で一番、無責任と言われた男。

ガキの頃から調子よく、楽してもうけるスタイル。


学校に入ってからも、要領はクラスで一番。

月謝はいらない特待生、コネで就職かァ OK。


会社に入ってからは、上役に毎日ごますり。

ゴルフに小唄に碁の相手、なんとか課長になった。


いかした女を見れば、手当たり次第に口説き。

結婚の約束ァ口だけさ、もともとその気はない。


毎日会社に来ても、デスクにじっとしてるだけ。

いねむりしながらメクラバン、それでも社長になった。


人生で大事な事は、タイミングにC調に無責任。

とかくこの世は無責任、こつこつやる奴はごくろうさん。


ハイ!ごくろうさん。 》


 この映画を見て、俺の目から鱗が落ちたんだよ。

「楽して暮らせるのが一番だ。無責任で何が悪い。」って、真剣に思ったね。

好きなように好き勝手に生きる。本能の赴くまま、欲望の赴くままに…。

これこそが俺が理想とする生き様だと胸に刻み込んだよ。


 その後の日本は、東名名神高速道路が本州を貫き通し、東海道新幹線を開通させ、東京オリンピックを開催した。

本当に「イケイケどんどん。」って、感じだったな。

戦後の焼け野原から日本は信じられないほどの成長を迎えたんだよ。世界中が称賛したもんさ。

そんな湧き上がるムードの中、俺もクソ大学の卒業間近に「世界を知りたい。」って、親父に頼み込んでみたんだよ。

別に真剣に世界を知りたいわけじゃないさ。ただ、まだ働きたくなかっただけなんだよ。

「額に汗して…。」なんて、やってられないよ。

でも、理由がミエミエだから親父に一喝されると思ってたんだが、予想に反して「これからは世界に目をやらないかん。」って、俺をアメリカへ遊学させてくれたんだよ。

この時は本当にビックリしたね。思いつきでも、言ってみるもんだってさ。

《 人生で大事な事は、タイミングにC調に無責任。 》

本当に、その通りだったよ。

だからこそ俺は、親父の気が変わらないうちに大学卒業と同時にさっさと渡米したんよ。






 当時のアメリカは「反戦」「公民権運動」「カウンターカルチャー」の時代だったよ。

特に俺は、アメリカの若者から広がった既成文化への反発、それから生まれた「ロック」「ラブアンドピース」「ヒッピー」には心惹かれたものさ。

髪は伸ばし放題、髭も伸ばし放題、ヨレヨレのメリヤスシャツに青色のG・Iズボン。

当時の日本では考えられないスタイルが、アメリカでは普通にまかり通ってたんだよ。

毎日が目新しくて、毎日が楽し過ぎて、俺は日本に戻る気など更々持ち合わせてなかったな。けど、ビザの関係上1年に数度は日本へ戻らなきゃならない。

その時は、身なりを直して、好青年に扮して帰国するのさ。そして、親父にそれらしい話を持って、アメリカ遊学の報告に行く。

親父は、俺の遊学報告に満足すると、この先のアメリカでの遊学資金を出してくれるんだよ。だからこの時だけは、真面目を演じ切るのさ。

しかし、田中のおっさんだけは「欣也君、余り羽目を外さないように…。くれぐれも慎重に…。」って、俺の演技を見透かしたように忠告してくるんだよ。

本当にいけ好かないおっさんだよ。


 でも、日本を離れてしまえば、そこは、セックス・アルコール・ドラッグ・バイオレンス、…、何でも有りのアメリカでの日々。俺は全てに浸ったね。溺れたよ。どっぷり漬かったね。快楽だけの日々。最高だったね。

堅苦しい日本での生活からは想像もつかない自由な日常。若者パワーが大人の威厳を蹂躙する快感。どれもこれも刺激的だったよ。

そんな生活を3年ほど送っていたある日、日本へ帰国する最中に、その日本から電報を受け取ったんだよ。

「父危篤。早期に戻りたし。」

遊学の資金提供をしてくれている親父が倒れた。俺は何はともあれ、日本に向かったよ。





 あれやこれやで日本に着いた時には、親父の葬式は終わってたよ。あっけなかったね。

帰国早々、母親からは「お父さんの意思を受け継いで頂戴。」って、半ば強制的に俺の将来は決められちまったんだよ。


 俺は嫌々ながらも母親の希望通りに神戸市市会議員補欠選挙に立候補したのさ。

どこの馬の骨とも分からないアメリカをほっつき歩いていた25歳の若造に有権者たちは冷たかったよ。興味を持つことはなかったさ。

親父を熱心に支持してた後援会の人たちも俺の初出馬には消極的だったよ。

『はぁ…。恥ずかしいな。落選するだけだよ。』俺の諦めムードは満点だったね。

だけど、ずっと親父の公設秘書だった田中太郎のおっさんが動き出すと、風向きが一気に変ったんだよ。

 

 それまで街頭に立っても人っ子一人、寄って来ることも、立ち止まることもなかったのが、田中太郎のおっさんが動いてからは「若き後継者!福富欣也、来場!」の予告だけで大勢の有権者がその場で待っている有り様さ。

後援会の御大おんたい方も毎日のように選挙事務所に詰めて陣頭指揮を取ってくれていたよ。

俺は田中のおっさんに、命ぜられるままに動き、渡されるままに文章を読み、言われたように笑顔を返す。そんなことを続けていただけで、知らぬ間に神戸市市議会議員に初当選していたよ。本当に、嘘みたいな話さ。

それもこれもどうやったのか、それこそ「魔法でも使ったのか?」って、思うほどの鮮やかな田中太郎というおっさんの手腕の賜物だったのさ。






 田中太郎…。

本当、好きになれないおっさんだったよ。

俺が子供の頃から、田中太郎のおっさんに色々と口うるさく躾けられたもんだったよ。

政治家になっても、政治家としての姿勢や、政治家としての理念や、政治家としての交友関係や、…、何でもかんでも事細かく、ご指導ご鞭撻いただいたよ。


 俺の初出馬の頃の田中のおっさんは50半ばだったはずだけど、見た目はどう見ても30代。

「田中太郎」なんて地味な名前のくせして風貌は全然、地味じゃないんだよ。

俺より倍ほどの年齢のおっさんのくせして、身長は優に180センチを超えていて脚もスラーっと長かったのさ。

日本人離れした体格に日本人離れした細面長で堀の深い顔立ち。その顔で繰り出す人懐っこい笑顔。そして、駄目押しとばかりの、豊かな亜麻色の髪。

ストライプのスーツ姿が鼻につくほど似合ってて、後援会のおば様方からも人気があったよ。

性格も温厚で冷静沈着。田中のおっさんが声を荒げている姿なんて誰も見たことが無いと、きたもんだ。完璧過ぎだろ。


 それに引き換え、俺は根っからの典型的な日本人。

背は低い。鼻も低い。目はつり上がってて、髪は真っ黒。その上、脚はガニ股ときてる…。

田中のおっさんの横に並び立つと惨めなこと極まりなかったよ。

その上、俺を形作っている人生哲学は【無責任一代男】。

「ハイ。それまぁ~でぇ~よぉ~。」って、感じだよ。


 だからなのか、他の誰かから助言や忠告を受ける時よりも、田中のおっさんからの助言や忠告は素直に受け入れられなかったな。

しかし、この何もかも気に食わない田中のおっさんの的確な先見性と行動力は、見事に俺を「先生」って、呼ばれる人種にしてくれたんだよ。

当選確実になった際、母親は「路半ば、志し半ばで亡くなったお父さんの無念を晴らせたわぁ…。」って、人の目もはばかることなく大声で号泣していたよ。

後援会の御大おんたいの方々も自分のことように喜んで酒を酌み交わしていたさ。

そんな最中、田中のおっさんは俺に近づいてくると「福富先生、ご当選おめでとうございます。」って、俺に向かって深く頭を下げたんだよ。

『あの田中のおっさんが、完璧人間の田中のおっさんが、俺に頭を下げるだとぉ…。』

単純に、気持ち良かったよ。急に偉くなった気分がしたよ。


 『俺が先生でいる限り、どんな人間も皆、俺に頭を下げるんだ。』って、思ったよ。

何の才能も持ち合わせていないのに、選挙に勝ちさえすれば皆からたてまつられるんだよ。

何の努力をする必要も無く、選挙に勝ちさえすれば良いんだよ。

「勝てば官軍、負ければ賊軍。」とは、よく言ったものさ。

こんな楽で優越な生き方は無いよ。まさに映画の【無責任のシリーズ】の中の世界みたいだったのさ。

どう転んでもツイている。何をやっても上手くいく。ちゃらんぽらんに生きても思い通りになる。

「気楽な稼業ときたもんだ。」まさにこれだよ。

この時、心の底から理解したよ、俺の理想とする生き方を体現できる職業は【政治家】なんだって言うことを…。





 神戸市市会議員になって1年が過ぎ、2年が過ぎた。

はっきり言って政治なんかに興味の無い俺には、今、何が問題で、今、何をするべきなのかなんてどうでも良かったんだよ。ましてや若造でひよっこ市議になんて誰も何も期待なんてするわけないしさ。

毎日「先生」「先生」てなこと言われて、その気になって、優越感に浸ることだけでダラダラと時間だけを費やしてたよ。

本当、楽な仕事だよ。

「もっと真面目に取り組め!」なんて有権者たちから言われそうだが、分かっちゃいるけどやめられない。

「お父様の福富市議の市民に対する誠実な姿勢と、政治に対する崇高な理念を見習って下さい。」って、秘書として雇い続けている田中太郎のおっさんにも口酸っぱく言われているが『ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって、コノヤロー。』ってしか、思ってないさ。


 しかし、俺が市会議員3年目を迎えようという時に変な事件が起きたんだよ。





 「福富先生、東京の記者と名乗る方からお電話が入ってますが…。」有権者たちへの報告会に出向こうとした時だったのさ。かかってきた電話に応対した事務所スタッフから呼び止められたんだよ。

「記者?」東京から何なんだ?俺みたいな党の議席確保のためだけにいるような地方の市議に用は無いだろうよ…。

「いかがいたしましょうか?」

「では、こちらに回して下さい。」とりあえず、出てみるしかしょうがないようだな…。

「もしもし、突然のご連絡、失礼いたします。私、東京で記者をやっております木村と申します。」常識的な物言い、怪しい奴ではなさそうだな…。

「福富です。で、ご用件は?」

「福富先生の取材をさせていただきたく、お電話差し上げました。」声は…、30代半ばといったところかな…。

「取材ですか…。なぜ故?」

「”1970年代のニューフェイス”と言うテーマで、様々な分野の若い力たる方々にインタビューさせていただいておりまして…。」取材テーマもありふれてるな…。取材といえば、今なら大阪万博じゃないの…?

「それで、選ばれたと…?」

「はい。先日も芸能界代表として男性アイドルの椎ひめるさんをインタビューさせていただきました。」椎ひめる?誰だそれ?

「お話は理解いたしました。ただ、私は公人の立場ゆえに、一存では決めかねますが…。」

「党本部からは了承は得ております。」この男、かなりのヤリ手か…。

「そ、それは手回しの良いことで…。」

結局のところ、俺は否応なしに、取材を受ける日取りを決めさせられただけだったよ。





 取材依頼の電話から1週間後、俺はオリエンタルホテルの一室で木村記者の到着を待っていたんだよ。

コンコン。「福富先生。」ドアの向こうからスタッフが声をかけてきたのさ。

「来たのか?」

「いえ。後援者の方が面会できないかと…?」

『えぇ…?!こんなタイミングで…。』ドアの向こうのスタッフが困惑してるのが手に取るように分かるよ。


 しかし、約束があるとはいえ、後援者を無下むげに扱うこともできない。

そんなことしてつまらん悪評判でも立とうもんなら、俺の理想の生き方を失うことになりかねないからな…。『人の口に戸は立てられない。…かぁ。』

「余り時間は無いが、それでも宜しければ…。」って、伝えるなり、ゆっくりと部屋のドアが外に開いた。

「福富先生、初めまして。先日、福富先生の後援会の末席に加えていただきました船場美津彦と申します。お忙しいところお時間を頂戴し、誠にありがとうございます。ロビーで先生のお姿を拝見したもので…。つい、ご挨拶だけでもできないかと、お付きの方にご無理を申し上げた次第で…。」

男は部屋に入って来るなり、長々とした前口上を饒舌に述べたのさ。そして、喋り終わると深々と頭を下げたんだよ。俺は面食らったね。

「ええ…。福富欣也です。いつも応援ありがとうございます。」

入って来た男をまじまじと見てゾッとしたよ。男には違いない…。ただ、余りにも色白過ぎる。

年齢不詳…。若いようで、年を取っているようで…。

職業の見当もつかない…。全身真っ黒でジャケットの胸ポケットに真っ赤な薔薇を差していたんだよ。

『この人物は何をやっている人なんだ…。』

そんな不可思議でとらえどころの無い人間が、貼り付けたような笑顔で俺の前に立っているのさ…。

「ご無理を聞いていただき本当にありがとうございます。先生は、お時間が無いようですので直ぐに退散いたします。ただ、一つだけ…。」

「…。」早口で捲し立てられて、返事をするタイミングを失っちまったよ…。

「何かお困りの事がございましたらお気軽に私どもにご連絡ください。微力ではございますが悪いようにはいたしませんので…。」って、船場美津彦という人物は、落ち着いた声で静かではあるが、力強さを感じる言い方をすると、俺に名刺を差し出してきた。

その名刺を摘んでいる指は一見白魚のように細く、滑らかで、弱々しく見えたが、見えただけで、その指は鷲の爪のごとく、獲物を掴み取るような威圧感を感じたんだよ。

「ありが…。」

差し出された名刺を受け取って、感謝の言葉を返す前に、この男は一礼してこの場を辞したんだよ。嵐のような男だったさ。

俺は深く考える事無く、受け取った名刺をジャケットのポケットにねじ込んでいたよ。

不思議で不気味な人物だったよ。

『その筋の者には見えない…、ましてや、普通の気質かたぎではあるまいし…。本当に捉えどころのない…。』って、言う感じだったよ。

ただ、何故か、全くの初対面なのに、この男なら本当に困り事を解決してくれるように思えてしまったんだな。






 程なくして、変な面会者と入れ替わるように木村記者が到着したんだよ。

中肉中背の体つきに薄い灰色のスーツを纏い、肩から斜め掛けに茶色の合皮のカバンを掛けていた。豊かな黒髪をポマードできっちりと七三に分けた顔には銀縁の眼鏡。いわゆる、どこにでもいそうなサラリーマンというのが木村記者の第一印象だったのさ。

その風体はなぜか俺をホッとさせたよ。初対面の緊張感を解してくれたんだよ。

木村記者は、耳ざわり良い言葉を並べて俺を褒めちぎるのさ。俺にとっても悪い気分はしなかったよ。

木村記者はややこしい政治の話ではなく、どうでもいいような質問ばっかりを投げかけてくるのさ。

俺は褒められて、難しい話題が無かったせいか、上機嫌で口が軽くなってたみたいなんだな。

ペラペラと話さなくてもいいことまで口にしてたんだよ。

そんな中、木村記者は俺のアメリカ遊学の話を聞かせて欲しいと言ってきたのさ。

俺はアホだから、言わなくてもいい「若気の至り」ような話を吹聴しちまったんだよ。

その話を聞いた瞬間、木村記者は顔つきが変ったよ。いわゆる「したり顔」と、言うやつさ。

『…しまった。』って、思った時はあとの祭りだったね。

奴は俺のアメリカでの堕落した生活の話を聞いた途端、すくっと席を立ち「ではこれで…。」って、部屋を出て行こうとしたのさ。

「ちょっと待てよ。」

「何でしょう?」

「どういうつもりだ?」

「とても有意義なお話を聞けましたので、東京に戻り、取り急ぎ記事にしようかと…。」

「俺の話のどこに有意義な点があったんだよ。」

「現、市議のアメリカ遊学時代の違法行為や不良な品行はいいゴシップになりますから…。」

「俺をおとしめたのか?」

「あなただけではないですから。若くして成功した奴なんて糞くらえですからね。」

「どういうことだ?」

「若い成功者なんて、どうせ親の七光りか、枕営業か、ラッキーだけで成功しただけですから。世間の大人たちはそいつらに良い印象なんて持って無いですからね。」

「…。」この言葉には、俺も親の七光りのクチなんで、言い返せなかったよ。

「だからこそ、奴らの粗を探し出して暴露してやるんですよ。世間の大人はそんな四方山話よもやまばなしを待ってるんでね。」

「そ、そんなことされたら俺はどうなる…。」

「さあ…? 有権者たちから反感をかって次の選挙で落選するのか、アメリカでの違法行為の責任を取って議員を辞職することになるのか、党からクビを宣告されるのか、私の知ったこっちゃないですからね。」って、木村記者は捨て台詞を置いて部屋を出ていっちまったんだよ。

俺は膝から部屋の床に崩れ落ちたね。

『もうお終いだ…。』

せっかく手に入れた俺の理想の生き方をこんな騙し討ちみたいな方法で手放すことになりそうなことに憤りの感情しか湧かなかったよ。

『どうにかできないのか…。』

その時、思い出したんだよ。さっきジャケットのポケットにねじ込んだ紙片のことを…。

急に、思い出したんだよ。





 「福富先生。どうか、ご安心ください。」って、あの男は話を締めくくると直ぐに電話は切られた。

『藁をも掴む思いで電話したが…、これで大丈夫なのか…。なんとかなるのか…。』

半信半疑…、否、俺はあの男の言葉を半分も信用してはいなかったよ。死刑執行を待つ罪人のような気分で一日一日を送ってたよ。

しかし、俺の心配は杞憂に終わったのさ。

あの男に電話した3日後、俺を取材した記事はもう出ないことが分かったんだよ。

ただ、俺は、頼ってはいけない人間に頼ってしまったのかもしれないんだな…。





 神戸新聞。

【 逗子海岸に溺死体。死因はアルコール大量摂取からの溺死。 】

××月××日未明、犬の散歩中の近所の住人が砂浜に倒れている人影を発見。警察と消防が駆けつけるもその段階で一命は無く、争った形跡や外傷も無く、事故と判断される。遺留品より東京都在住でフリーライターの木村さんであることが判明…。


ただの地方紙に掲載された全国ニュース。その紙面の端の端。

この見逃されそうで、ありがちな事故の小さな記事。日常でごく普通に起こりうる水難事故の内容。

この記事を見た誰もが何とも思わないさ。余りにもありふれている事故だから…。

ただ、俺にとっては、異常で特殊で特別な事故であることには間違いないんだよ…。






 『あの男…、船場美津彦という男がやったのか…。いや、決めつけることはできない。確かにあの時、俺は船場美津彦という人間に電話したよ。あの時の俺は気が動転していたよ。焦っていたよ。誰かに相談したかっただけだよ。だから…、藁をも掴む思いで…。でも、亡き者にして欲しいなんて頼んでない。それなのに、あの男が木村記者を殺めたというのならば、それはあの男が勝手にやったこと…。それに、報道ではあくまでも事故…、事件じゃない。これは偶然さ…。ハハハ…。俺にとって都合の良過ぎる…、偶然さ…。ハハハ…。』

まさに、この時の俺の心境は《 そのうぅ~ち何とか、なぁ〜るだろうぅ〜。 》の歌詞通りだったよ。

とにかく、時と共にこの事は忘れさりたかったんだよ。


 何にしても、俺の日常は変わることはなかったね。俺の理想とする生き方の日々を変わらず送ってたよ。

そんな時間は、木村記者の事故を忘れ去るにはうってつけだったよ。

ところが世の中、そんなに甘くはない。「天災は忘れた頃にやって来る。」の諺通り、災いはやって来たのさ。

俺たち市会議員てのは、市民からの【陳情】てのをよく受けるんだよ。俺を支持し俺に一票投じてくれた市民たちが俺に苦情を言いに来るのさ。

やれドブが臭いだの、やれ野良犬が五月蝿うるさいだの、やれ道を直せだの、挙句の果てには夫の給料を上げるように会社に言ってくれだの、欲求不満を俺にぶつけに来るんだよ。

まぁ~「善処します。」って、返事さえしておけば、こちとら食っていけるんで、右から左へ聞き流してるだけなんだけどさ。

たた、稀に、それでは済まない陳情もあるんだよ。

今回の陳情がまさにそれさ。

その黒ずくめの青年は、不意に俺の前にやって来た。ある人の使いで手紙を持って来たと、言うんだよ。

その手紙の差出人は船場美津彦だったのさ。





 手紙にはこう書かれていたんだよ。

船場美津彦という人物は、新開地で風俗関係の仕事を営んでいるらしいんだよ。

時代が進むにつれて風俗業に対する風当たりが強くなっているそうなんだ。

市民団体からの圧力や警察からの取り締まりも厳しくなっているようで…。

だから、一時期は廃業も考えたらしい。しかし「この界隈の重工業に携わる労働者たちにとって、欲求のはけ口はなくてはならないものだ。」って、ことなんだよ。

その思いがあって事業の継続に注力したいと思うが、どうしても逆風の立場では思うように経営は難しいみたいなんだな。

それで「どうか福富先生のお力添えいただいて、私どもの不安を取り除いて頂けることを切に願います。」って、ことなんだな…。


 俺が手紙を読み終わった刹那、黒ずくめの青年は菓子折りを渡してきたんだよ。

そして「オーナーはご自由にお使いくださいと、申しておりました。」って言うと、黒ずくめの青年は部屋から出ていったのさ。

彼が去った後、菓子折りを開けてみると、そこには聖徳太子がぎっしりと詰まっていたんだよ。

俺はこの時、関わってはいけない人種に自ら関わってしまったことを痛感したのさ。

『とにかく、あの男の陳情を解決しないとな…。』






 俺は次の日から菓子折りに詰められていた聖徳太子を配りまくったよ。

とにかく、聖徳太子様のお力で、船場美津彦のやってる事業に融通をきかせてもらうことしか考えつかなかったんだよ。

市民団体の代表、衛生局の局長、神戸警察署の署長、そして同じ党の議員たち。

とにかく「労働者のためだから。」って、言って融通をきいてくれるよう頼み込んだんだよ。

そのかいあって、ここまで金を渡した人間たちは、喜んで俺の話を受理してくれたよ。

「条例を作って、保護すればいい。」とまで、協力的になってくれたんだよ。

聖徳太子様のお力は偉大だってことだな。


 俺の本能が、知らず知らずのうちに得体の知れない圧力を感じていたせいか、俺はこれまでになく各方面に働きかけていたんだな。

そんな最中、あの男の使いがまたやって来たんだよ。

また無理難題を言うのかと、身構えていたんだが「陣中見舞いです。」と言って、酒だけを置いて帰ったんだよ。

俺の頭の上にクェッションマークが点灯したよ。

『あの男のことだ。ただの陣中見舞いのはずが無い…。』

否が応でも無言の圧力を感じてしまう俺がいたよ…。


 しかし、こっからが本当の問題だったんだよ。それは、反対勢力の党の議員たちの抑え込みなんだな…。

どんだけ聖徳太子様で小煩こうるさい奴らを手懐けても、反対勢力の党が異議を申し立てれば、事はすんなりとまとまらなくなる。

風俗営業業者を条例で保護なんて夢のまた夢になっちまうのさ。

それに、下手に金でどうこうしようもんなら、それをネタに違法行為として告白されかねないからね。

『金では簡単になびかない…。』

普段、全く悩まない俺が珍しく悩んだね。


 そんな時に限って、田中のおっさんが口出ししてくるんだよ。

「福富議員、少々お話し、よろしいでしょうか?」

「何かな。」

「何やら良からぬ噂を耳にしまして…。」

「どんな噂かな。」

「福富議員が良からぬ輩の為に尽力されている、といったような噂でございます。」

「それは心外だな。」

「くれぐれも立ち回りには細心の注意をお払い下さい。」

「後援会の方がお困りだったので、いろんな場所に口をきいただけの事だが。」

「そうですか。問題無ければ良いのですが…。」

「何も問題無いよ。」

「お父様のご友人であられた〇〇党の〇〇議員も心配されておりましたよ。」

神戸市議会の〇〇党の重鎮の〇〇さんか…、懐かしい名前だな。

二人は政策も政党も違えど、確かに仲が良かったよ。

俺が子供の頃は、よくわが家で二人して酒を飲んでたもんだよ…。本当、二人は酒好きだったよな…。

『〇〇さんが俺の考えに賛成してくれたらなぁ…。…。…。…。そうだ!!』


 俺は閃いたね。

「田中さん、〇〇党の〇〇議員との会合の席を設けてくれないか?」

「どういう事でございますか?」

「いやなに、大先輩の〇〇議員から、今後の市政の事や、同じ政治家で仲の良かった親父の事なんかを聞いてみたくなったんだよ。」

「そう言う事でしたら…。」って、渋々返してきたが、田中太郎のおっさんは〇〇議員との会合の席を直にセッティングしてくれたんだよ。


 俺は親父と違って全くの下戸なんだよ。それなのにあの男の使いは「陣中見舞いだ。」って言って、俺が飲めない酒を持って来た…。

俺は『変だな。』って、直感的に感じたから、その酒を手付かずにしておいたんだよ。

案の定、その酒が役目を果たす時がやって来たのさ。

俺は〇〇党の〇〇議員への会合の際、その酒を持参したんだよ…。






 〇〇議員との会談はあっさり終わったよ。〇〇議員は俺の願いもあっさり聞き入れてくれたよ。ある面、肩透かしだったな。

〇〇議員への挨拶と共に持参した酒を持ち出したら、〇〇議員の顔が一気にほころんだんだよ。

「ご挨拶だけです。堅苦しい話ではございませんので、よかったら飲みながらでも…。」って、俺が言うと、すぐさまコップを用意して、アッという間に開栓して、グビグビ飲み出したのさ。

『俺の親父同様、酒好きだったけど…、このオヤジ、ここまで酒に目が無かったのか…。』

それなのに、コップ一杯呷あおっただけで直に上機嫌になりやがったんだよ。

『こんな弱かったっけ…。』

いつもは〇〇党の重鎮として苦虫を噛み潰したような顔をしてふんぞり返っているのに、俺の目の前のオヤジは単なる酔っ払いでしかなかったね。

俺はこのチャンスにそれとなく船場美津彦の陳情を話してみたんだよ。

〇〇議員は余りにも上機嫌で、俺の話を理解しているかどうか分からなかったけど、賛同はしてくれたんだよな。

「福富君。労働者にも、癒やしは必要だ。」って、何度も大声で言いながら酒をあおってたよ。

ただ、俺はこの賛同を、酒の上の話にはしたくなかったので「できれば、何か書面でも…。」って、へりくだりながら伺うと「よっしゃよっしゃ。」って、言いながら一筆、したため始めたんだよ。

本当、余りにも事がスムーズに進み過ぎて、狐につままれたような気分だったな。


 この俺の根回しが功を奏して、風俗営業に対する新しい条例が、全会一致でできたんだよ。

この条例は風俗業を営業をする側にとってかなり甘い条例にはなったんだが、利用者にもメリットのある条例になった事は間違いなかったんだよ。

これであの男への義理も果たせたと、思ったんだが、反面、腑に落ち無い部分も往々にあったんだよ。

それは陣中見舞いと称してあの男の使いが持って来た酒。

俺の後援会の者なら、俺が下戸なのは周知のこと。

もし、俺が〇〇党の〇〇議員にいずれ会う事を見越した上であの酒を持って来させたのならば、船場美津彦という人物は占い師か、予言者か、呪術師か、陰陽師か、何かなのか…。

あの男の雰囲気から考えると、オカルトチックなのもあながち間違ってないかもしれないな…。

『そう考えると…、あの酒…、何か念とか呪術とかでもかけられてたのか…。』

それだと、一目散に酒を飲んで、〇〇議員が急に上機嫌になったのも分かる気がするよ…。

いやいや。そんな都合の良い何か…、有るはずないよな。でも、あの男の事だ…。

「そんな便利なもの…、漫画や小説じゃあるまいし…。あれこれ考え過ぎだよ…。」

俺は、俺自身を嘲笑するしかなかったね。


 あれ依頼、〇〇党の〇〇議員から「あの酒が手に入ったら分けてもらえないか…。」って、催促の電話が来るようになったんだよ。

あの酒は元々、俺が用意した酒じゃないから、俺には手配しようがないんだよな。

そんなつまらないどうでもいいような悩みを抱えている時にも、タイミング良くあの男の使いがやって来る。それも、あの酒を携えて、菓子折りまで持って…。

まるで『鴨が葱を背負って来る。』の例え通りだよ。

「オーナーが、この度はありがとうございましたと、申しておりました。今後共、よろしくお願い申し上げます。」なんて、殊勝なことを述べてあの男の使いは颯爽と去って行くんだな。

使いが帰ると、俺はすぐさま菓子折りを開ける。中身は前回同様、聖徳太子がぎっしりさ。その金と酒を持ってすぐさま〇〇議員に会いに行ったよ。


 〇〇議員も2度目の面会で俺の軍門に下ることになったよ。

酒を見せただけで下唇によだれをためてたよ。まるでワン公だよ。

実質これで、神戸市市議会では俺に歯向かう者はいなくなったというわけさ。

たかだか三十路前の若手市議が、市議会を牛耳ってるなんて誰が想像できるよ。

この段階で、俺は俺の理想とする生き方を手に入れたも同然だったよ。

しかし、それは船場美津彦によってもたらされているだけなのさ。

そんな事は十も承知の上だよ。

俺は、船場美津彦という人物の手のひらの上で踊らされているだけなのさ。

ただ、俺は、それを理解した上で踊ってやってるんだよ。

そうしてれば、俺は俺の理想の生き方を続けられるのだから…。










 三十路前には神戸市議会の重要人物へと成り上がっていた俺は、船場美津彦という人物と一定の距離感を保ちながら持ちつ持たれずの関係を続けていたのさ。

そんな関係を10年ばかし続けていたある日、あの男の使いだと言う者が現れたんだよ。

しかしその使いは、今まであの男が寄越した人物とは全く異質なタイプの人間だったのさ。

「福富議員。お初にお目にかかります。▲▲と申します。訳あって、船場氏より事業を引き継ぐことになりました。今後共、よろしくお見知り置き下さい。」って、その男は言うんだよ。

「船場氏はどうなされたので…?」

「この事業からは手を引き、今後は株式投資に活路を見出すそうですよ。私には良くは分からないのですが…。」って、薄笑いを浮かべながら言うんだよ。

「そうですか…。」

「今後は、私共が、今までと変わらぬご支援をさせていただきます。船場氏の望みも同じでございます。」って、▲▲氏は言うんだよ。

「分かりました。今後とも応援、よろしくお願いします。」とは言ったが、挨拶に来た▲▲氏は、どう見ても気質かたぎじゃないんだな。

多分、✕✕組の人間…。

『船場美津彦というよく分からない人物の次は、ヤクザかよ…。毒を食らわば皿まで…、か…。』

なぜ、船場美津彦が事業から手を引いたのかは想像もつかないが…、あちら側では、既にそれなりの申し送りは済んでるみたいだったよ…。




 船場美津彦という人物が俺から手を引いても、俺の日常は全く変わることはなかったよ。相変わらず持ちつ持たれつの関係なんだよ。

都度つどに▲▲氏からは船場美津彦と同じ心付けが贈られてくるし、選挙でも熱心に票集めに走り回ってくれるし、困った事があれば相談に乗ってくれるし、俺にとっては至れり尽くせりなんだよね。

ただ、田中おっさんだけは「あの様な人物との関係はお止め願えれば…。」と再三再四にわたり苦言を受けたね。

「ただの後援者だよ。」って、俺はすっとぼけて突っぱねてはいたんだけど、田中のおっさんの言う事が最もなだけに、完全に否定するまでは言えなかったな…。











 1995年1月17日午前5時17分。

カタカタと小刻みに物の動く物音で目が覚めたんだよ。

次の瞬間…。

床から突き上げられるような衝撃と共に、俺はベッドから放り出されていたんだよ。

床の上に放り出された俺、そこでも、体を上下左右にもてあそばれるかのようにシェイクされたんだよ。

『な、な、何が起きた?!?!?!』状況がさっぱり分からなかったのさ。

体をその場にとどめることすらできないんだよ。立ち上がるなんて滅相もない。

床じゅうにこの部屋の中の数少ない調度品や装飾品が散乱してるみたいなんだよ。うずくまっているだけの俺に色々な物が当たってくるのさ。まるで大勢の子供に足蹴にされているようだったよ。

分厚い防音・防火窓をものともせず、外のけたたましいサイレンの音が伝わってくるのさ。とんでもないことが起きたようだよ。

『戦争か…。』

俺には戦争の経験なんてないんだけど、そんな風に思ってしまうほどの喧騒なんだよ。


 どれくらいこの激しい揺れが続いてたかは定かじゃないんだけど、激しい揺れは一瞬にして止まったんだよ。

この時初めて、今まで記憶に無いほどの心臓の鼓動の速さ感じたんだよ。真っ裸なのに体中を滴り落ちるほどの汗をかいていたんだよ。

『寝る前に風呂、入ったのにさ…。火曜日は朝から市議会なのによ…。』

今の状況と全く関係ない事を考えてしまうんだな。これが、現実逃避というやつなのかね…。


 部屋の明かりを付けようとしたんだけど、ベッド脇のサイドボードにあるランプ照明のスイッチをパチパチしても部屋は明るくならないんだよ。

目覚ましのデジタル表示もついてない。今が何時なのか時間すら分からない始末さ。

『…帰したのが深夜1時。それから風呂入って、一杯やって…。寝たのが深夜3時ぐらいか…。今は…。』って、昨夜の行動を思い出しながら、カーテンに目をやったんだよ。カーテンの隙間からチカチカと光が漏れていたのさ。

俺はゆっくりと体を起こし、勢いよくカーテンを引き開いたんだよ。

ひびの入った窓から見える外は明るかったんだよ…。

窓から見えた光景は、…、…、…、地獄だったのさ。






 次の日の昼過ぎには何が起きたか把握できたよ。

これは神戸市を直撃した大地震だったのさ。状況が分かるまでのたったの数時間、生きた心地はしなかったよ。

日が昇り視界を取り戻すと、そこはどこもかしこも爆撃を受けたような焼け野原だったよ。地獄絵図の世界さ。見たこともない光景が広がっていたよ。

あちこちから噴き出る炎、数え切れないほどの天に昇る煙。

地面から噴水のように噴き出す水。

道を塞ぐ折れた電柱。

人の身長ほどに潰れた二階建ての家々。

横倒しになったビル。

陥没した地面に落ちた無数の車。

高速道路を支える橋梁は折れ、地面に崩落した高速道路。

高架線路から飛び出した電車。

地面が液状化した人工島。

魚の死骸のように腹を見せ海水に浸る船。

肉親を助けようと素手で固い地面を掘る人間たち。

肉親を失い泣き叫ぶ子供たち。

救助をすることも無く、イラつかせるだけのたくさんのヘリコプターのエンジン音。

この震災で俺はこの年になるまで、見たことも、聞いたことも、嗅いだことも、味わったことも、触ったことも、感じたことも、どれもこれも無い経験をすることになったんだよ。


 被災地には、まだ大勢の人々が瓦礫の下敷きになっている。

市議在任三十年弱で現、神戸市議会議長の俺は、先頭に立ち、現状の可能な限りの情報を収集し、可能な限りの対応を関係各所に依頼したのさ。

どれもこれも人命に関わる事案ばかりだったよ。

とにかく迅速に対応するのさ。そうしないと手遅れになっちまう。

《人生で大事な事は、タイミングに…。》思わず懐かしい歌を口ずさんでいたよ。

やっぱし政治家ってのは、俺にとって【天職】だったよ。











 「さてと…。」

息の無い田中のじいさんの右足は重かったよ。そいつをどうにかこうにか持ち上げて、クリープ現象でトロトロ進んでいるメルセデス・ベンツのアクセルペダルに無造作に落とす…と、同時に俺は車外へ…。





 …の、はずだったんだよ。





 想定外だったよ。急発進の反動で助手席側のドアがバタンと音を立てて閉まっちまったんだよ。

本当、焦ったね。

埠頭の端っこまでは約100メートル程。

キュルキュルとタイヤを空転させながらスピードを上げて走り始めたメルセデス・ベンツから俺は、なんとしても飛び降りなくてはならんのだよ。

動き出したら直ぐに飛び降りれるように予め助手席側のドアは開けておいたのに、急発進の反動で閉まっちまうとは本当に計算外だったよ。

でも、まだ、埠頭の端までには距離がある。

車が海へ落下するまでにここから飛び出すのは、余裕のよっちゃんさ。

俺は慌てず助手席側のドアのノブを引く。カチャリと、ドアのロックが解除されたよ。

『さあ。1、2の、3…。』頭の中でカウントを唱え、勢いよく助手席側のドアに体当たりし、外へ飛び出そうとした…。


 『はあ?!』


 お、お、お、俺の右腰が…、掴まれたんだよ…。

強い力で…。体の動きを止められたんだよ…。いったい何が…?

俺の右腰には、何者かの左手がかかっていたんだよ…。

俺は恐る恐る右後ろを振り返ったのさ…。

田中のじいさんは…、何事もなかったかのように正面を向いたまま座っている…。

ただ、田中のじいさんの左手は…、指が食い込むほど俺の右腰を掴んでたんだよ…。


 「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ…。」

俺は自分でも聞いたことない奇声を発したよ。

この間も真っ黒なメルセデス・ベンツは猛スピードで岸壁へと向かっている…。

焦る俺。

俺には驚いている暇なんて無いのさ。

なんとしても右腰の手を引き払い、ここから飛び出さなくては、俺に明日が来なくなるんだよ。






 「お前は、生きていても仕方がない。」





 「?????? へっ?」幻聴か…?

無意識に目を見開いてしまう…。身の毛がよだつ…。

聞こてきたのは田中のじいさんの声だったんだよ。

でも、田中のじいさんは前を向いて座ったままだったんだよ。


 「迷わず成仏しろよぉぉぉぉぉ…。」

俺は田中のじいさんから顔を背け大声で拝み倒していたよ。

大雨でずぶ濡れのスーツから湯気が立つほど、ここから脱出するのに興奮状態だったのに、急に体の芯が凍りついたように寒いんだよ…。

震えが止まらないんだよ…。




 横目で前を見る。

瞬時にフロントガラスに膜を張る激しい雨。激しく左右に動くワイパー。

かき分けられた隙間からヘッドライトが荒れ狂う黒い水の塊を映し出す。

ああ、あと、もう少しで海に転落って瞬間だった、周りが急に動かなくなったんだよ。


 『停まったのか…?』

否、止まっちゃいない…。単純に、車のスピードが落ちたんじゃないんだよ。物凄くゆっくり全てのものは動いてはいるんだよ…。

『今なら…。』って思って、足でドアを蹴り開けることを試みたんだよ。何度も何度も蹴ったさ。

しかし、俺の足は普通の速度でドアを蹴っているのに、ドアの開く速度は、超スローモーションなんだよ。

全てのものがとてもゆっくりとしか動かない…。まるで、俺以外の周りの時間が止まったようなんだよ。

『どうなってんだよぉぉぉ…。一体全体よぉぉぉ…。』

狭い閉鎖空間での理解不能な出来事は、俺の頭のてっぺんから足の先まで、大量の汗をかかせてたよ。

顎の先に溜まった汗は、重力に引っ張られておのずと俺の皮膚から離れる。その瞬間、その水の玉は直ぐに滴ることなく空中浮遊してんだよ。

ここは、ニュートンの万有引力もへったくれも関係ない異常空間なんだよ。

『なんだよぉぉぉ…。なんなんだよぉぉぉ…。』






 「世の中のためにも、誰のためにもならない。」

「な、なんだよ、またぁぁぁ…。」

理解不能な狭小空間で、死んでるはずの田中のじいさんの声がまた喋り始めやがった…。悪い夢なら覚めてくれよ。

「そんな人間が存在できるほど、世の中は甘くない。」

「だ、か、ら、なんだよぉぉぉ…。」

「福富欣也、お前は海の藻屑となるのがお似合いだ。」

「い、嫌だ嫌だよぉぉぉ。」

「清廉潔白な政治家だった父とは雲泥の差。」

「…。」分かってるよぉぉぉ…。そんなことぉぉぉ…。

「いい加減、家名に泥を塗るようなことはやめろ。」

「わ、わ、分かった。分かった。そうするから…。」

「…と、何度も何度も口酸っぱく言ってきた。」

「な、な、直す。直します。改心しますから…。」

「今更、遅い…。」

「だ、だ、大丈夫。大丈夫。遅くない…。」何か分らんが怒らせちゃ駄目…。

俺は知らず知らずのうちに助手席で正座していたよ。


 「では、なぜ故、お前は私を手にかけた?」

「す、す、すまなかった。許してくれ…。」

「お前は、自己保身のために、殺人を犯した。」

「ち、違う。一時の…、気の迷いなんだ…。過ちなんだよ…。」

俺は正座したまま体を小さく丸めていたよ。


 「しっかりした計画を立てていた。」

「してないです。してないです。」

「お前は、私がしたためた告発文を盗み読んだ。」

「読んでないです。読んでないです。」

「告発文には、お前の今日に至るまでの悪事の数々が、書き綴られていた。」

「知らない。知らない。知らない。知らない。」

俺は体を小さく丸めたまま、顔を左右にブンブン振ったよ。大げさに。

もう死んでる田中のじいさんに必死に知らない事をアピールしてたよ。

その勢いで顔の汗が飛び散る。それもまた水玉になって空中で浮遊する。

顔を振る横目に映った水玉の美しいこと…。『きれいな。宇宙空間って、こんな感じなのか…。』

空中を浮遊する水玉の美しさに一瞬、我を忘れてたけど、今、俺がいるのは海に転落寸前の車の中…。


 「では、一つ一つ、教えてやる。」

「い、い、いや…。」そんなのいいよ。解放してくれよ。

「お前は、大学卒業後、直に働きたくないと言う理由で、海外への遊学を希望した。」

「ああ…。」そうだよ。そうだよ。

「遊学とは名ばかりで、アメリカでろくでもない生活を父の援助で送っていた。」

「…。」ぐうの音も出ないよ。

「遊学中、お前は問題を抱える。」

「…。」問題だらけだったから、どれを指して言っているのかよく分からないよ。

「それはガールフレンドの死。」

「…。」なぜ?それを知ってる?一瞬、心臓が痛くなったよ。

「死因はドラッグの過剰摂取。」

「…。」なぜ?知ってる?鼓動が速くなる。

「お前の遊学先でできた何人かのガールフレンド。その内の一人が妊娠した。」

「…。」どこまで知ってるんだよ。

「当時のアメリカは、宗教上の理由から人工中絶は認めていない。」

「…。」

「お前はそのガールフレンドのことなど何とも思っていなかった。単なる遊び相手。もしくは、性欲のはけ口。」

「…。」その…、通りだよ…。

「彼女は妊娠を機に、結婚を望んだ。」

「…。」

「お前にはそんな気は毛頭無い。」

「…。」

《 いかした女を見れば、手当たり次第に口説き。結婚の約束ァ口だけさ、もともとその気はない。 》って、こんな時なのに、《無責任一代男》の歌詞が頭に浮かんだよ。


 「ガールフレンドが妊娠して邪魔になった。」

「…。」

「だから、ドラッグのオーバードーズに見せかけて殺すことにした。」

「知らん。知らん。知らん。知らん。」丸まったまま、大声で叫んでたよ。肯定できるような話じゃない…。

「計画はごく簡単。旅行に行こうと誘い、旅先で薬物の過剰摂取の事故死に見せかけて殺す。」

「知らん。知らん。知らん。知らん。知らん。知らん。」丸まったまま、全否定しかできないよ。

「お前の思い描いた通り、旅先のモーテルでガールフレンドはドラッグのオーバードーズで死亡。」

「忘れた。忘れた。忘れた。忘れた。」丸めた体に力が入る…。

「その後の計画では、死んだ彼女を州外まで運んで遺棄。」

「…。」

「アメリカと言う国は合衆国。州によって法律も何もかも違う。事件に対する捜査協力も行われない。それを逆手に取るつもりでいた。」

「分からん。分からん。分からん。分からん。」

「しかし、生来の小心者のお前はガールフレンドの死体を見て急に恐怖心が芽生える。ガールフレンドの遺体をモーテルに放置し逃走。」

「知らんて…。」俺の性格を言い当てられて、なぜか体の力が抜けたのさ。

あの時の俺の恐さ、憶病さ、気の弱さが走馬燈のように思い出されたんだよ。

夕日が差し込む、蒸し暑いモーテルの小汚い狭い部屋…。口から泡を吹いて動かなくなった半裸のガールフレンド…。その骸が垂れ流す汚物の臭い…。そこで小便を垂らしながら立ち竦む俺…。間違いなく、異常空間だったさ…。

『同じ様な異常な経験してたよ…。』


 「翌日にはモーテルからの通報で州警察の捜査が開始。捜査から彼女がアジア系男性と一緒であったことが判明。」

「…。」少しパニック状態が治まった。

「隣りの州で乗り捨てられたレンタカーを発見。レンタカー会社に問い合わせ、借り主も特定。しかし、全くの別人。州警察は、周到に準備がなされていたと判断。」

「…。」狭い車中で取り調べを受けてるみたいだったよ。

「しかしこれ以降、アジア系男性の行方は不明。」

「…。」

「それはなぜか?お前は、父である福富議員に助けを求めたから。それも噓の話をでっち上げて。」

「…。」

「清廉潔白な政治家の福富議員も、こと、子供のことになると、その高潔な姿勢を崩してしまった。」

「…。」知るかよ。そんなこと。

「彼はお前の真っ赤な噓を信じた。お前が無実の罪で州警察に追われていると…。」

「…。」親父は初心だったからな…。

「だからこそ、彼は様々な方面に手を回し、息子を無事に帰国できるように計らった。」

「…。」

「彼は、偽造旅券、偽造身分証明書を用意し、お前を別人として帰国させることにした。」

「…。」

「チェックの厳しい空路は避け、船員として海路での帰国を画策。」

「…。」

「この後、犯罪と分かっている上で、犯罪行為に手を染めてしまった福富議員は極度の心労から倒れ、帰らぬ人に…。」

「…。」

「元々、高潔で潔白な人柄の福富議員。息子のためとは言え、自らが犯した違法行為の数々が許せなかった。自らの命をもって許しを請うた。」

「…。」そんなんだから、死んじまったんだよ。

小さく丸めていた体が解れる。異常な状態を受け入れ出していたんだよ。

変な空間だが、そこにいるのは俺と、死んではいるが、昔から知っている田中太郎のじいさんだけ。正常と異常の境が曖昧になってきたよ。


 「お前はこの訃報を帰国途中の海上で知る。お前が日本の地を踏んだ時には、葬儀も何もかも、終わっていた。」

「…。」

「この事で、お前は改心することもなく、更に駄目になる拍車がかかった。」

「…。」死んでも口うるさいな…。

《 一つとせ、人もうらやむ つき具合。やることなすこと 大当り。 》

また、古い歌の歌詞が頭の中でリフレインするんだよ。

「福富議員の死の間際、どうか欣也を頼むと言われた。だから、私は力を貸した。」

「…。」知るか…。

「しかし、残念ながら、私の力、及ばず。」

「そ、そうだ。そうだ。」田中のじいさんせいだよ。


 「福富未亡人たっての願いで、お前を市議にした。とても後悔している。」

「…。」今更、なんだよ。

「お前のミスからゴシップ記事が出そうなる。どうしても記事は出せない。何故なら、ゴシップ記事から、お前が遊学中に起こした殺人事件にまで話が及んでしまう可能性があるから。」

「…。」確かに、あれは乗せられてミスったよ。

「だから、その記者を他者に頼んで亡き者にした。」

「お、お、俺は何も頼んでいないぞ。」

「否。お前は悪魔に頼んだ。」

「な、な、な、何んだそれっ…。」船場美津彦は確かに悪魔っぽい風貌だけどさ…。

「記者の死以降、お前はあの悪魔の手足のように動いた。市政を食い物にした。全て保身のために…。」

「噓を言うな。」市議会で野次る時のように反論しちまったよ。

「あの悪魔の薄汚れた事業を優遇するために、悪魔から預かった現金をばら撒いた。それで、警察、役人、議員たちを手懐けた。」

「…。」

「次にあの悪魔とお前に対立しそうな人間を潰したした。」

「…。」

「アメリカでガールフレンドを殺めた時と同じ方法を使って。」

「証拠はあるのか!」市議会の尋問みたいな言い方になっちまったよ。

「お前は悪魔から希少な酒を手に入れた。」

「…。」

「その酒に、薬を混入しておいた。」

「…。」

「反対勢力である○○党の重鎮の○○議員は無類の酒好き。お前の手土産の希少な酒を見た瞬時に、欲望を抑えられなくなった。」

「…。」

「ただ、その酒には精神を壊す薬が混入されていた。」

「…。」

「知らずに酒を口にする○○議員。それは、お前の思う壷。」

「そんな都合の良い薬、あるはずない。」そうだ。そうだ。って、後押ししてくれる味方議員の声が聞こえるようだったよ。

「なぜ、今更、知らぬ存ぜぬを貫こうとする。薬はアメリカ軍人から分けてもらったはず。」

「…。」何でそんなことまで…。

「お前は用もないのに度々、六甲山に行く。」

「…。」探偵でも雇ってたのか…。

「六甲山の山頂には、日本人が立ち入れないアメリカ軍の施設が数年前まであった。」

「…。」

「そこは治外法権。そこに、日本で認められない物があったとしても、日本国は何もできない。」

「…。」

「あの当時、そのアメリカ軍の施設メンテナンス作業をお前の友がやっていた。」

「…。」

「そう。お前のガールフレンドを殺すためのドラッグを用意してくれたヒッピー仲間の無二の友が…。」

「…。」何でもかんでも調査済みってことのようだよ…。

「お前はアメリカ遊学時の過去を消すため日本に戻り市議に成った。奴も過去を精算するためにアメリカ軍に入隊しベトナム戦争に従軍した。」

「…。」

「お前もコイツも志があってそうしたわけではない。」

「…。」

「お前には、偶然にも私欲を全て満たせるのが、市議という仕事だった。」

「…。」

「奴は自身の快楽が満たせるのが、合法的に人を殺せる戦場だった。」

「…。」

「お前ら二人は似た者同士。」

「…。」

「しかし、お前の友はベトナム戦争で直ぐに怪我を負い、戦線を離脱。」

「…。」

「その後、与えられたのがアメリカ軍施設のメンテナンスの仕事。」

「…。」

「そして、偶然なのか、必然なのか、神戸で二人は再会。かつての悪童二人が揃ってしまった…。」

「お前の推測だろう。証拠でもあるのか。」俺は正座を解いて、助手席に座り直してたよ。いつものように、議場の椅子にふんぞり返って座るように…。

フロントガラスはべっとりと膜が張られたようになってて、先が見えない。

見えないことが俺の気持ちに余裕を生む。


 「この後に及んで、証拠など必要ない。お前はどうせ海の藻屑と消え去るのだから…。」

「…。」それは嫌だな。田中のじいさんだけが藻屑になればいいんだよ。

「お前は奴に人間の精神を壊せる薬を用意させる。そしてそれを酒に混ぜた。」

「…。」

「〇〇議員はお前の願い通りに精神を病み、議員を辞して最期を迎えた。」

「…。」

「お前と違って〇〇議員も、福富議員同様に立派な政治家だった。」

「余計なお世話だよ。」

「そして最悪なのは、この大地震でのお前の取った行動。」

「…。」

「お前は地震が発生した時、どこにいた?何をしてた?」

「出張先だよ。」

「否。お前は摩耶山にあるホテルにいた。出張は、噓。アリバイのための口実。」

「…。」

「金曜日の夜から月曜日の深夜まで、出張にかこつけて、そのホテルにヤクザの▲▲に用意させた女と一緒にいた。」

「俺の勝手だろ。」思い出しても楽しかったよ。

「公費で性欲の処理。良い御身分だな。」

「…。」ほっとけよ。

「お前は、妻すらもヤクザ者に用意させた…。」

「…。」

「結婚は、市議としての体裁を整えるためだけ。相手は誰でも良かった。」

「…。」

「だから、女を商売道具としている▲▲に頼んだ。」

「…。」

「東京から上物が入ったと聞いて、その女性と形だけの結婚。」

「…。」

「若く美しいかの女性は、東京でアイドルをしていた。スキャンダルからヤクザ者たちの罠にはまり、身を落とす。お前は、そんな弱り切った女性を物のように手に入れ、婚姻。本当に形だけの…。」

「どうでもいいだろう。」

「お前は女性を性欲のはけ口としか捉えていない。いつもヤクザ者たちに女性を用意させ、欲望だけを解消。」

「…。」

「遊学時代のガールフレンドたちもそんな風にしか思っていなかった。」

「…。」

「帰国後は、遊学時代のような面倒事はまっぴらだと思い、ヤクザ者を介した割り切った女性関係だけを続ける。本当に心の寂しい人間。」

「うるさい。」

「あの日も、日ごと女性をとっかえひっかえして性欲を満たしていた。」

「…。」余計なお世話だよ。

「そして嘘の出張最終日の早朝、大地震が発生。」

「…。」

「あの地震で、お前の奥方は倒壊した家の下敷きになっていた。」

「…。」

「お前は、奥方の心配することもなく、どうやって市庁舎に辿り着くか、しか考えてなかった。」

「…。」そりゃそうだろうよ。

「あの状況下で、一番安全、安心なのが市庁舎。一刻も早く辿り着きたい。全ては自分自身の安全、安心のため。」

「…。」当たり前だろうよ。

「市庁舎は堅牢に作られている。予備電源も備蓄させた飲み物、食べ物も、温かい布団もある。」

「…。」

「市議のお前はそれを熟知していた。市民の誰よりも知ってた。だから市庁舎へ急いだ。自分を生かすために。」

「…。」それの何が悪い。

「心底、自己中心的な人間だ。」

「勝手に決めるな。」

「市庁舎に辿り着いたお前は、被災地の状況把握や市民の安否を心配するふりをして情報を集めた。」

「…。」

「新開地は壊滅的な被害を受けた。助けを求めに市庁舎に来た▲▲やヤクザ者たち。そこでお前に会う。本当に、どんな場合でも、類は友を呼ぶものだな。誰よりも先に情報を得ていたお前は▲▲たちにこう告げた。」

「…。」

「銀行を襲え。と…。」

「言ってない。言ってない。」言ったけど…。

火事場泥棒甚はなはだしい…。」

「…。」

「昔からお前のことを見てきた私でも、この所業には呆れ果てた。」

「俺の何を見てきたっうんだよ。」

「全てを見ていた。」

「そんなはず無いだろうよ。」

「お前は、▲▲の配下の者たちに自警団や救助ボランティアと名乗らせた。」

「…。」

「そんなものは名ばかりで、倒壊した家屋から、金品を盗ませていた。」

「…。」

「被災者を助けることもなく。」

「…。」

「若い女性は拉致し、商売道具にした。」

「それは奴らが勝手にやったことだ。」

「ボロが出たな。」

「…。」口が滑ったよ…。

「そして、震災が一旦落ち着いた今日こんにち、奴等が集めた情報を元に、全壊・半壊家屋白羽の矢を立て、地上げを開始。」

「…。」

「家屋の修繕不可能な被災者に、わずかばかりの金をちらつかせ、立ち退きを迫る。」

「…。」ちゃんとした取引だろうよ。

「立ち退き料は、震災発生時に銀行や家屋から火事場泥棒した金品を充当。」

「…。」

「この混乱の最中、よく、これだけの悪行を瞬時に考えつく…。その才を少しでも市政に充てていれば…。」

「うるさい。うるさい。」偉そうに言うなよ。

「お前ずる賢さは、悪魔的。」

「…。」何も嬉しくないわ。

「誰もが、被災し荒れ果てた土地に価値など無いと、思うはず。」

「…。」それが普通だよ。

「しかし、お前は土地を買い漁る。」

「…。」世界?!不思議発見?!…、なんてな。

「その行為は、神戸は必ず復興するからと言う、期待や思い込みからではない。」

「…。」分かるかなぁ~。分かるかなぁ~。

「お前は勝敗の分からない賭けはしない。」

「…。」博打はせんよ。

「お前は知っていた。」

「…。」出るかぁ~、スーパーひとしくん人形。

「お前の遊学時代のヒッピー仲間で、アメリカ軍に在籍していた悪友が、今ではアメリカ国防総省勤務。」

「知らん。」危ない。危ない。

「知らない?そんなことはない。遊学時代のドラッグ仲間で、今でもお前に覚醒剤を横流ししてる悪友。」

「…。」何でもお見通し…、かよ。

「私をショック死させるためにスタンガンを用意してくれた昔のツレが…。」

「…。」

「国は違えど、悪は蔓延るもの。」

「…。」なに言ってんだよ。

「そいつがお前に教えた。」

「…。」ぼちぼち飽きてきたよ。

「近々、日本のどこかで大災害が起こる。その際、アメリカはいち早く救援を出し、いち早く被災地の測量を行う。」

「…。」体が冷えてきたよ。小便してえよ。

「そしてその後、日本の土地を安価で買い漁ると…。」

「…。」もういいだろうよ。

「アメリカは安価で手に入れた被災地を日本を含む世界中に売却する方針を出す。日本は国土を勝手に売られては困る。だから、日本はアメリカの言い値で土地を買い戻す。」

「…。」今、何時だ…。

「お前の悪友の話し通りの事が起きた。」

「…。」

「だから、お前はアメリカよりも早く、はした金で地上げし、アメリカの希望金額で売却。アメリカは喜んでお前の出す条件を飲む。アメリカにとってもいちいち持ち主と交渉すること無く、一括で土地が手に入るのだから。こんな便利なことはい…。」

「…。」

「お前は、日本の公僕でありながら、この国を売った。それで、利鞘を手に入れた。」

「…。」

「そして、お前は、お前の悪事の内部告白を計った私を手にかけた。」

「いやぁ…。それは…。」

「それも、事故に偽装までして。」

「ちょっとした冗談…。」

「流石にあきれ果てた。」

「…。」ヤバいよ。ヤバいよ。

「お前にお似合いの最後を用意しておいた。」

「…。」何だよ。何だよ。

「お前の理想とする最後…。」






 田中のじいさんの長い話が終わった瞬間、メルセデス・ベンツが猛スピードに戻りあわや海中へ…。

「キイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ…。」

前輪タイヤの半分残して、車は岸壁にはみ出して止まったんだよ。

ボンネットから白い煙が立ち上がってた。ゴムの焦げた臭い、ブレーキの焼けた熱、不安定に停車した車。

俺の体からは力という力が抜けていたよ。

倒れるように助手席のドアにもたれかかると、ドアは簡単に開いた…。

右腰が引っ張られる。

『田中のじいさん、しつけえぞ。』そう思いながら右後ろを見た。

田中のじいさんは変わらずずっと前を向いたまま、運転席に座っていたよ。

俺は右腰辺り視線を動かす…。

誰も掴んでない。誰の手もない。

そこにあったのは、ズボンのベルト通しに引っかかってる…、パーキングブレーキ。


「 ハハハ…。ハハハ…。ハハハ…。ハハハ…。」

俺は転がり落ちるように大雨の降りしきる車外へ出たんだよ。転げ落ちた埠頭のコンクリートが痛かった。その痛さが俺に正気を取り戻させたんだよ。

『た、た、助かった…。夢だったんだよ…。悪い夢だっただよ…。』


 大雨で濡れた埠頭に寝転がったまま、動けずにいた。生きてることを心の底から実感したよ。

『やっぱり俺は、どう転んでも上手くいく…。』

我ながら、俺の強運に感心したさ。

「さてと…、ちゃんと始末しないとな…。」俺は田中のじいさんの始末をつけようと、重い体を引きずるように起こ…。


 「プチッ。」


 俺の頭の中で何かが切れる音がした…。



 翌日の神戸新聞。

【 秘書を殺害か?!福富議員!! 】

田中太郎公設秘書の内部告発を阻止するために殺害か!!!


 昨日深夜。雨上がりの神戸埠頭に「人が倒れている。」との通報があり…。

駆け付けた警察官が埠頭で倒れている人物とその側の車の中で息を引き取っている人物を発見。

倒れていたのは神戸市市議会議長、福富欣也議員。年齢…。

車の中で亡くなっていたのは、福富欣也議員の公設秘書の田中太郎さん。年齢…。

田中太郎さんの胸部には火傷の痕があり、車のフロアには日本では見られないアメリカ軍のスタンガンが転がっており、スタンガンでのショック死と断定…。

スタンガンからは福富欣也議員の指紋が多数見つかっている模様…。

また、車内にはウイスキーの空き瓶が見つかっているおり、飲酒運転を偽装する目的に使われたと推察されている…。


 これら状況証拠から福富欣也議員を緊急逮捕…。

逮捕時は極度の精神錯乱状態で、福富議員の所持品からは覚醒剤も見つかっており、体内からも覚醒剤の成分も検出されている…。

その後の健康診断では、覚醒剤の影響からか、脳の一部に障害が見つかっており…。


 家宅捜索から被害者、田中太郎さんの福富欣也議員に対する内部告発文書が見つかっており、これが事件の動機と推測されて…。


 しかしながら、物的証拠も状況証拠も十分に有るが、事件当日の福富欣也議員の責任能力有無が今後の争点…。


 政治家の不祥事は珍しくはないが、長期に渡って市政に携わってきた、現、市議会議長の役職にある人物の起こした重大事件…。

それを解明する事ができない歯がゆさを残す後味の悪い事件…。


 福富欣也という政治家の無責任さを痛感させられる事件となった。







おわり






















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七つの鉄槌 4 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ