最終章―完結編―

第36剣士少女に口付けするアサシン

(ここが……第15階層……?)


第15階層は、打って変わって初期階層と。

第1階層や第2階層と同じく、石畳と石壁とが広がる場所だった。


「とんでもねぇ量の魔力だ。……ここで大魔法スキル使ったら、普段よりも高威力なもんが出るだろうな」


「肺が焼けるような魔力だのぅ……。こりゃ、異常も起ころう」


……いや、同じなのは景観だけだ。

全身を鎧と革布とで覆っているこの身体が、ヒリつくような高密度の魔力が逆巻いていた。

極度に高い魔力は、人体にとっても有害だ。身体は不思議な高揚感に包まれてるのに、少しずつ内部から“喰われている”ような感覚がある。


「モンスターは……他にはいないみたいだね」


「玄室も一個だけ。……はっ。向こう側にはモンスターの大群! 魔王か邪神でもいるってか?」


「ともあれ、行くだけだ。……玄室の向こうで逆巻く魔力。なんとかせねばな」


滑稽なくらいに簡素な大扉で閉ざされていた玄室。

その大扉に手を触れて、師匠が立ち止まる。立ち止まって、こちらに振り返った。


「ねぇ、アルマ」


「何ですか、師匠! ……早く玄室に……!」


「答え、出た?」


「答え……?」


「人を斬らないことへの答え」


両頬に触れられて、そっと優しく撫でられた。


「聞かせて?」


有無を言わせない目。

……気圧されるままに、俺は話す。


「………人の命を奪うことは、俺やっぱり、その……嫌です。……死んじゃったら二度と戻りませんから。だから、人を殺さない“暗殺者”がいたって……いいんじゃないかなって」


「……よし。なら、その姿勢を貫くんだアルマ。これから先何があってもね。……いいじゃん、殺さない暗殺者。……いたっていいよ」


そんな。

……そんな言い方。

もう一生お別れするような言い方、しないでください師匠。

……勝って帰るんです、街に。

皆で帰るんです。


「師匠……?」


「これをアルマにあげる。……今からアルマ。君は一人前だ。……どうか、使い続けてほしいな。あっはは……大好きだよアルマ。……君の師匠でいられて幸せだった。凄くね。……もう一本は、いつか凄く強くなったら取りにおいで」


一振りの短剣。

〈溝鼠の黒牙Ⅱ〉の片割れを渡される。

呆けた頭で、理解が追いつかない。

そのまま手に握らされて。

……優しく。強く、師匠に抱き締められた。待ってください師匠。

……やめてください。これからお別れするみたいじゃないですか。


嫌だ。

俺は……俺はまだ師匠と一緒にいたい。


「……へっ。じゃあな、アルマ!

……3年間テメェのオモリしたけどよ。それなりに楽しかったぜ。

……まぁ、あれだな。テメェが俺のこと嫌いじゃなきゃ……偶にでいいから思い出してくれや。……ルディンっていうクソ野郎が居たなって」


「兄………貴?」


握り拳で軽く額を小突かれて。

広げた掌で、頭をワシャワシャと撫でられた。

……やめてくれよ、兄貴。

そんな風に優しくしないでくれよ。これじゃ、まるで。


「達者でな、アルマ! ……うむ、うむ! ははっ……ぐすっ……鼻が詰まって……しかたない!

……ふぅ……4年後に酒を飲むという約束……守れそうにないのは悲しいが……はははっ! 構わん! お前が達者でいられるのならな!」


ガルスのオジキに、背中をどんっ……と。激励するようにして叩かれた。約束を守れないってどういうことだよ。

約束したじゃないか、4年後に一緒に飲むって。


「待ってーーー!!」


「転移魔法スキル発動。……《次元跳躍Ⅳ》。……魔力量がおかしいからな。……物凄く酔うかもしれねぇけど我慢しろ」


「恨んでくれて構わん、アルマ。

……それでもやはり生きていて欲しい。……達者でな!!」


「じゃあね、アルマ」


身体が浮く。

全身が揺れて逆巻いて、俺の意識は。


「ーーーー!!」


ぷつりと……消えた。


○ーー現在ーー○


「そうして、情けなく生き残ったのがこの俺だ」


師匠たちが第15階層の玄室に入ってから、どれくらいの時間が経ってからなのかは……覚えていない。

けれど一つ確実なのは。


……師匠たちがロストしたこと。

それと引き換えに、ダンジョンを安定化させて『掃滅戦』を終わらせたことだ。


「笑ってくれていい。……憎んでくれていい。……その後、俺は。

……現実を受け止めきれずに。全てを投げ出した」


ギルドの街を離れて、国々を彷徨いながら放浪していた。

……バラム伯爵に挑むことも、糾弾することもせず。

師匠の跡を継いで、エリーニュス侯爵の政敵が。……裏で画策していた悪事を暴くことも放棄した。


結果はどうだ?

カイとノエルは家を追われ、バラムは伯爵の地位を得て王の信任を得た。


「俺が英雄……? 違う。俺は英雄なんかじゃない。生き残っただけのガキだ。

……人を殺す度胸もなく、師匠の仇を討つことも放棄して。……そのクセ、あの人の幻影を追いかけ続けて“アルザラット”を名乗っているだけのーーー」


ただ、アルマという名前を貰っただけの。……取るに足りないちっぽけなバカ野郎。それが、この俺。

アルマ・“アル・ザ・ラット”の正体だ。


「……幻滅したろう? すまない。……すまない、皆。……こんな奴が助けて……ははっ……あまつさえ師匠の真似事? ……反吐が出る……」


ダタラたちを育てて、どこか救われたような気がして。

師匠の真似で正義の味方を気取って……いや、鬱憤を晴らすために街の悪党を倒して回ってきた。

気がつけば英雄などと呼ばれ。

……その果ての無様な男が、この俺だ。


残り滓の成れの果てが、この俺なのだ。


「アルマさん」


カイが立ち上がる。

立ち上がって、俺の前に立つ。


「…………」


「…………」


頬を打ちたいなら、どうかそうしてくれ。俺を殴りたいなら、そうしてくれたっていい。

……君には、その資格も理由もある。


「あ、おい持ってくれカイのお嬢さん……!」


「お師様! ……止めては駄目です」


「ダ、ダタラ……だが……」


俺は目線を降ろして。

……加えられる痛みを待つ。


「ーーーアルマさん……!」


「………っ!? カイ……!?」


その筈だった。

俺は、彼女に打ち叩かれて然るべきだったのだ。……なのに、俺が受けたのは。


「どうしてだ……カイ……?」


いつか、師匠がくれたような。

……強く暖かい抱擁だった。

きつくきつく、俺を離さないというふうに……彼女が俺を抱きしめる。


「嫌いになんかなれません。……なんでアルマさんを責めなくちゃいけないんですか?」


泣いているのか、カイ……?

なんで……? どうしてだよ……?


俺にそんな価値なんかない。


「アルマ様っ……!」


「師匠……!」


「アルマさん……!」


皆に、俺は抱きしめられる。

泣きながら皆が、俺を離そうとしない。


「アタシ……はっ! アタシは師匠が大好きだっ! ……嫌いになんか、絶対になるもんか!」


「私も……大好きです……アルマさんがっ……ずっと……!」


「私だってぇっ……!! 私だってアルマ様がぁっ……ぐすっ……世界で一番……大好きですぅっ……!! 離しませんっ……!!」


俺はただ、固まっていた。

……片隅に感じた暖かさに、心を預けていいのか。俺には、分からない。


「アルマさん……これが私たち皆の。カイパーティの気持ちです。

……アルマさんに師事されて、私たちは感謝してます。……抱きしめて上げたくなるくらいに」


「俺は……」


いいのか。

……この心地よさと暖かさに、心を委ねても。


「………アルマさん」


「何だ?……カイ」


「よし……こうしましょう。さぁ立って」


「………?」


言われるがままに、俺は立ち上がった。


「素顔を見せてください」


「…………」


フード・ヘルムを脱ぐ。

脱いで、そのまま小脇に抱えた。

カイは……何をする気なんだ?


「剣士のカイとしては。……アルマさに師事されている、“ただの”カイとしては。……アルマさんを責めません。……だから」


「………?………っ!?」


頬に鈍痛がして、よろけた。

じんじんとした痛みが、唇の端に残る。


「カ、カイお姉様……!? な、何を……!?」


「私の目を見なさい! アルマ・アルザラット!!」


よろけた両脚に、力を込め直して立つ。目線を逸らさず、カイを見つめる。

……違う。

今、俺の眼の前にいるのはカイではない。


「ーーーリオン・エリーニュス侯爵が娘、カイ・“エリーニュス”として貴公に言う!!」


獅子のような気高い瞳をした……カイ・エリーニュス“侯爵”だ。

師匠から継いで俺が仕え、俺が守るべきであった方。


「師の遺した責務から逃げ出し、エリーニュス家の危機にあって馳せ参じることなく放浪したその愚行!! ……このカイ・エリーニュスが全て赦す!! ……先程の拳を持って、手打ちとす」


……俺が仕えるべき主君。

カイ・エリーニュス。


「傅け、私の溝鼠」


「………はっ!」


跪いて、頭を彼女の前で垂れる。

深く深く、最敬礼を以て傅いた。


「………この愚臣の数々の無礼と愚行……お許しください、閣下」


「赦そう。貴公に罪なしとする。……誓え。今一度、この私と皆の前で誓え」


右手の甲を差し出される。


「我が短剣となりて敵の腎を刺し通し。我が鞭となりて敵を罰し。

……我が傍にあって、剣また槍となりて我が敵を撃滅すること。

……ここに誓え。アルマ・アルザラット! ……私の……溝鼠」


カイの右手を指先でそっと引き寄せる。


「……誓います、カイ・エリーニュス侯爵閣下。……今日この日より、この身は永劫から……永劫の時に渡ってエリーニュス家のために」


引き寄せて、誓いの口づけを手の甲に。

……今度こそ。俺は逃げない。

胸を張って、師匠の名を借りる。


俺が愛した、師匠の名を!


「……大義である。これより先、貴公の命は我が物だ。貴公は永遠に渡って我がエリーニュス家の物となる。……最初の命令だ。“立って、歩け”。立ち止まるな」


「………御意」


7年間燻っていたものが。

今、少しずつ消え始めた気がする。

自分を……許せそうな気がするんだ。……やっと俺は、歩き出せる。


「……ふぅ……さて、アルマさん?」


「は……? 侯爵閣下……むぅっ……!?」


「慣れない貴族の真似事なんかやらせたんですから……」


立ち上がるとほぼ同時に、頬を挟まれてぐぃと引っ張られる。

なんだ? どうした?

……か、顔が……顔が潰れる……!?


「いなくなったりしたら嫌ですよ? ……誓い、破ったら永遠に祟りますし呪いますからね、ノエルと一緒に。……ふふふっ!」


「か、かならひゅ守ふゅ……ひゃから……は、はなひひぇくぇ」


「よろしい。……これからも末永く宜しくお願いしますね、アルマさん?」


音符が付きそうな、跳ねた声色でカイが言う。……何故だろう、満面の笑顔なのに悪寒がした。

何かこう……取り返しのつかない何か。


「お、お姉様………!」


「………ノエル?」


「私は2番で……我慢します……」


慎重な顔と声でピースサイン。

……違うか、2のサインか。


(に、2番………?)


なんだ、何の話だ。

街に着いてからの風呂の順番か……?


「あっ……! ぁ……わ、私は! 私は3番っ! ……こ、これは譲れませんっ………!!」


リリアまで……?

顔を真っ赤にして、勢いよく手を上げる。


「な、なんだ? 何だかよくわかんねぇけど……ならアタシ、4番っ!!」


君もかホノ……!?

というか、わからないなら上げるなよ!?

……さっきから何なんだ皆して。

2番だの3番だの。……風呂か?

風呂の順番なのか……?


「ほっほ……うむ、うむ! 良かったなアル坊」


「あっはは……アルマ兄さん……頑張って」


バラムの親父さんとダタラにポンッと……それぞれ肩を叩かれた。

良かったってなんだよ……?

頑張れって何が……!?


「雌獅子の喉元を撫でて鳴らてしまったのだ。……腹を括れぃアル坊。……しかしだ。……お前が進む切っ掛けとなったのは良かった」


「………よくわからんが……そうだな。……これで、少しは進めるさ。……ダタラ、お前たちにも申し訳なかったな。不出来な師匠だった」


「そんな! ……僕もアイツも、アルマ兄さんが師匠で良かったと思ってるよ。……これから先もね」


馬車が峠を越える。

……ギルドの街は、もう目の前だ。

そうして俺も。


自分の心の峠を。

……やっと越えられた。


(……決着をつけよう、バラム・ヴール)


ーーー立ち向かう時が、来たのだ。

7年前の復讐を。

貴様が掠め取った、エリーニュス家の領地も栄光も。……返してもらおうか。

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