最終話 色彩

 見渡す限りの晴天が広がっていた。東京で見る空とは違って、この景色を邪魔する高いビル群はない。清々しい青色だった。


 まつりの撤去作業はその翌日からはじまった。なにせたくさんの鉄棒があるものだから初日は地区の住民総出となり、道ばたで、川べりで、汗を流していた。

 長年使われて赤錆の目立つようになった鉄棒を、地区の人達は大事そうに抱えて軽トラックの荷台に積んでいった。


「なんであたしまでやらなきゃいけないのよ」

 堂川さんがボヤいた。

 そう言いながらも人一倍働いている。高校時代のものらしい水色のジャージ姿がやけに似合っていた。

「お前もまつりを楽しんだんだから、四の五の言わずにキビキビ動け

 オヤジさんが笑った。


「撤収まで手伝ってくれてありがとうね」と三木田さんは言った。「奥さんにまで来てもらって申し訳ない。病み上がり無理しないで」

「力仕事なら男たちがなんぼでもやるから」

 三木田さんと堂川さんは妻を気に入ってくれたようだ。

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」


 妻は、学生の時以来久々に着る赤革のジャケット。ブルージーンズ。髪はポニーテイル。

 手先の器用さを買われて、回収した鉄棒をビニール紐でまとめる役割を任されている。地区のお母さんたちと共同作業だ。


 一台の軽トラックが坂を登ってきた。

 運転席の男性が僕に視線を合わせ、手をふってきた。

 名前はたしか大海さんだったか。

「大海さんおそーい。なにしてたの? どうせ酒飲んで昼まで寝てたんだべ」

 堂川さんが辛口をきく。

「川村さん、犬つれてきたど」

 大海さんは言った。

「うそ? もう会えるの?」

 妻は声をふるわせた。


 大海さんが運んできた段ボールに子犬がおさまっていた。体を丸めて、すやすやと眠っている。

「かわいいー! 秋田犬の赤ちゃんじゃん!」と堂川さん。「店長の家で飼うの?」

「実はそうなんだ。ご厚意に甘えて、一匹譲ってもらうことにした」

 僕は言った。

「さ、奥さん、抱っこしてみな」

 大海さんが言った。


 妻はおそるおそるといった感じで両手をさしのべ、子犬の体を抱きとめると、その身によせた。

 子犬は、小指のくらいの小さな舌で、懸命に妻のくちもとをなめる。ふわふわの茶色の柔毛にこげ、その間からのぞく黒い両目が、きらきらと輝いていた。

「かわいいっ。天使みたい」

 妻の顔に笑顔が咲いた。


 それから妻はとまどいの表情を浮かべた。

 僕は妻に耳をよせた。

「この子を愛してもいいのかな。……この子のことを守れるかな」

「大丈夫。ヒロキだって見守ってくれている」

 妻は小さくうなずき、ひしっと子犬を抱きしめるのだった。


 ふと視線を感じた気がして、僕は川の向こう岸に視線を向けた。

 誰もいなかった。

 ヒロキ、来てくれたのか――僕は心でたずねた。

 何の返答もなかった。

 視線の先には、雄大な自然が広がるばかりだった。


 また、あの景色を見たい。

 あの万灯の色彩を。

 ヒロキとは来年そこでまた出会える、そんな気がしている。


 僕たちはこの土地で生きる。


 終わり

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万灯の色彩 馬村 ありん @arinning

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