想い人がVtuberを始めました

@k_sakuraba

想い人がVtuberを始めました

「お願い、付き合って欲しいの!」

 好きな女の子にそう言われて舞い上がらない女の子などこの世にいるのだろうか。春日井かすがい弥生やよいもご多分に漏れず心臓が跳ね上がってしまった女子高生のひとりだ。

 しかも場所は意中の相手の自室でふたりきり。放課後、大事な用事があるからと言われて寄ってみたらこの暁光である。しかし弥生は疑り深かった。そもそも自分はクラスでも爪弾き者で、学級一、いや学校一と言われてもおかしくない可愛らしさと明るい性格の桃瀬ひまりが、そして何より同性が告白をしてくるなんてあるはずがないと冷静に結論づけた。

「えーっと、何を手伝えばいい?」

 弥生とひまりは長い付き合いだ。幼稚園の頃から一緒で、その頃からヒエラルキーなど目に見えていたのにひまりはやたらと弥生を構った。引き立て役が必要なタイプでもなし、不思議な縁があったものだ。そしてそれは今日のためにあったのかもしれない。

「あのね、大声では言えないんだけど、サクラやって欲しいの」

「サクラ……花じゃないよね」

「あったりまえじゃん。だから嘘のお客さん演って欲しいんだ」

「嘘の……」

「わ、悪いことじゃないし、弥生に損はさせないよ! 要は、要はね」

 わたわたと両手を振り回したのち、ひまりは突然身を乗り出してテーブル越しに耳打ちでもするように口元に手を当てた。ふたりきりの自室、誰も聞いていないというのに。

「私、Vtuberやろうと思って」

「ぶ、ぶいっ! それって、あの、動くキャラクターになって男の人からお金もらうやつでしょ!?」

「あははっ、おっさんの考えじゃあるまいし! 顔隠して雑談したり歌ったりしておひねりもらうんだよ」

 おひねりという表現も大概古いのでは、と弥生は考えたが別に顔には出さなかった。それよりも好意を抱いている幼馴染が十七歳という身分で危険な仕事に手を出そうとしていることの方が深刻だった。

 けれどひまりも頑固だった。懇切丁寧に説明した。自分は元々そういうエンターテイメントで生計を立ててみたかった。そのための練習場所としてVtuberは最適だ。しかしこの業界はスタートダッシュが肝心で、あたかも常連がいてスーパーチャット、つまりおひねりを出してくれる人がいると錯覚させるのが常識の、はず。後半は尻すぼみだったが、大体はそんな説明だった。

「で、私は水曜日の夜九時に配信開始するから」

「最初に挨拶して、たまに数百円出せばいいんだね?」

「うん! お金は私が用意するプリペイドカードで……」

「いいよ、私が出す」

「そう?」

「うん」

「じゃあその分、同じ金額だけ購買奢ってあげる! 好きでしょ、購買の揚げパン」

 そんな風な約束から桃瀬ひまりのVtuber活動は始まった。


 ひまりのVtuber活動は学校生活と同じくらい順風満帆に進んでいった。

 彼女は本当に人を魅了する天才だ。上級生に可愛がられる立ち回りも、下級生から慕われるカリスマも、教師から感謝される学力や気遣いも持っていた。もちろん異性との噂も絶えたことがなく、特に真哉しんやという男子との交際が噂されていた。どちらも才色兼備でお似合いだと言われていた。真哉の方は少し女遊びに軽そうで、弥生からすると心配で心配で仕方なかったのだが、「付き合ってるの?」なんて聞く勇気も立場もなくて遠巻きに見ているだけだった。

 そう、いつだって弥生はひまりと真哉を遠巻きに見ているだけだった。

――えいふりるちゃん、こん。

 あいさつは「こん」と言え、とひまりから指示を受けていた。名前はひまりが四月生まれなことから取って、だそうだ。色々な漢字を考えたらしいが、「私春生まれだから桜っぽいこれにする」とのことで、珱ふりるに落ち着いた。そして三月生まれの弥生は、

『みつきさん、こんばんはー。ふりるでいいよー、いつもコメント、スパチャありがとねー』

――こんふりる〜

――今日何食べた?

――歌配信と聞いて

 どんなにたくさんのコメントがつけられるようになろうと弥生は最初にコメントを書き込むことに熱心だったし、ひまりは必ず最初に読んでくれた。そこには、どんなに彼女が有名になろうと約束は守りたい、そんないじらしい思いがある。

『今日歌にするんだけど要望ある? あ、校歌だけは勘弁ね。バレちゃうから』

――六大学かな

 弥生には分かりづらい話題がどんどん流れていく。それでも、アバターだろうと、画面越しだろうと、

「元気そうだなあ」

 学校でもめったに話せないひまりとのこの時間が、弥生は大好きだった。


 驚くべきことがふたつ起きた。ひとつ、ひまりが大企業に拾われて大物Vtuberになった。そしてひとつ、ふたりは同じ大学の同じ学部に通うことになった。

 ひまりは生まれから幼少を海外で過ごしたらしく、弥生が会った時、彼女は日本語より英語の方が堪能だった。それを差し引いても成績は明らかに弥生より格上だったし、ひまりが手酷い失敗でもしない限り、ふたりが同じ大学に行くことにはならないはずだ。

「上、目指さなかったの……?」

 ある日、偶然キャンパスを歩いていたら『スパチャ分奢られ忘れてるぞ、みつきちゃん』と急に肩を掴まれて耳元で囁かれた。Vtuberらしく声優紛いの仕事や音声グッズも出している彼女だけあって、囁き方が上手だ。買ったはいいけど怖くて聞いてないから知らないけれど。そうしてずるずると連れて来られたのが食堂というわけだ。しかも二階にある、ちょっと高い方の食堂。

「大学のこと?」

「うん」

「えーだって弥生が通ってるとこ行きたいじゃーん」

「えっ?」

「……なーんて。ほら、他学部に真哉がいるじゃん」

「ああ」

「てか弥生こそ真哉目当てじゃなかったの?」

「ま、まさか!」

 そうか、真哉くんか。納得するにはあまりに分かりやすい理由だった。異性を追うために学業を疎かにするのか、と言われても、彼女はさほど学業が関係ない進路を選んだ。寧ろ活動時間が取れる今の方がいいだろう。

「でも私たちも学科が違うだけで結構バラバラになるもんだね……」

 残念だな、と肩を落としながらサラダのミニトマトにフォークを刺した。プリプリの球体がぐずりと崩れる。大学に進学すればこの恋愛という荷物を下ろせると思っていた。けれどひまりが同じ大学にいる限り、いや、Vtuberの配信という形で追いかけられる限り、残るのは形の崩れていく酸味の強い片思いばかりだ。

「あ、そうだ。弥生のことも誘おうと思って。あのね」


 その日は学生たちにとって、ある種、最終日と言えた。大学入学から三年、順調に進んだ者たちはこれから就活に卒論と忙しくなり、会うことも叶わなくなる。そう思ったひまりが、自分の顔が効く範囲で高校時代の友人を呼んで全員奢りの飲み会を開いたのだ。そう、全員分をひまりが出す、大層太っ腹な飲み会だ。

 貸切にした店は混雑の極みを見せ、主役のひまりはビールジョッキ片手に挨拶回りをしている。いつもより派手な格好をしており、髪にウェーブをかけて、「ああ、嬉しいんだなあ」と長い付き合いで勝手に察した。それはきっと昔の仲間に会えることと、そして真哉に会えることで、もしかして彼女彼らは今夜いい加減吹かし続けたエンジンにアクセルを入れるのかもしれない。そう思うと、今日を境に直接会うことは本格的に不可能になる気がした。

 では弥生はと言うとお酒が苦手なのでカシオレをちょっとずつ飲み、ミニチュロスをつまみ、隅っこの方で過ごしていた。何となく購買の揚げパンを思い出した。

「どーお、楽しんでる?」

「ひまり」

「学校じゃあんまり会えなくなっちゃったからこうして会えると安心するよー」

 言いながらひまりは遠慮なく弥生の隣の誰も座ってない席に座った。

 ジョッキは減り具合から見て二杯目だ。

 ねえ、その発言、誰にでも言ってるの?

 一瞬、酔った頭がそんなことを思わせた。

「どしたん?」

「えっ、あの、何でもない、です」

 驚きと絶望が弥生自身を襲った。今、自分、何てことを考えた?

 そんな焦燥をよそにひまりは話しかけてくる。

「さっき真哉に聞かれちゃった。『何で弥生とつるんでんだ?』って。だから答えてやったの」

「あのさ」

「えっ、あ、何々ー?」

「真哉くんのこと!」

 言ってから慌てて口を閉じた。声が大きすぎただろうか。会場にいる全員に見られているような熱を頬に感じた。慌てて両膝の上にある拳を見つめた。

「真哉くんのこと、どう思ってるの?」

 遠く、何を言っているのか分からない言葉たちが重なって波のようにざわざわと砂場を荒らす。ふたりの間に流れた沈黙は決して綺麗な太陽と海ではない。月のない海のような冷たさと先の見えない暗さがあった。

 どれほど経ったろうか。三十秒ほどに感じたのは弥生の勝手な勘違いで、きっと本当は三秒もなかっただろう。

「あっと、これ。素直に言わなきゃ駄目なやつ?」

 ああ。

 弥生は顔を伏せたまま、爪で手のひらを痛めた。そうしたら別の場所の痛みが取れると信じて。

 困った声が全てを物語っていた。いつだって隠し事をしない子なのに、こんな風に隠すなんて、そうだ。そうに決まってる。

 どうして初めから一ミリだけでも期待を持っていたんだろう。性格も違う、見た目も全然で、学力は歴然、コミュニケーション能力は決定的で、そして同性で。同性ってだけでどれだけ確率が低くなるかなんて分かっていたはずなのに、彼女の優しさにあてられて。いや、人のせいにしちゃ駄目だ。これは全て自分のひとり相撲。

「ねえ幹事ー、人数が合わないんだけどー。ひとり4300円だよねー」

「え、嘘! 今行く! ごめんね、弥生。また次の配信で会おっ」

 最後だけ小声で付け足さないでよ。期待しちゃうから。それでもなお、まだ期待しちゃうから。


――こんふりる。

「お疲れ様のみんな、ご飯食べてるー?」

――こんふりる〜

――歌配信と聞いて

――ASMR配信と聞いて

――耳かきASMRと聞いて

――RTAと聞いて

 好き勝手に流れていくチャット欄。縦にスクロールされていく別画面にも慣れたもので、拾うべきコメントとそうでないコメントの区別もついてきた。それでもいつだって最初に来るのは最低金額の100円のスーパーチャットと愛想ひとつない挨拶だけれど。あれから五年経つのに弥生はパソコンという媒体に慣れてくれない。

 トリプルモニターのテーブルに肘をついてひまりはのんびりとした。

 何を話そうかな。そういえば今日、珍しく考えて来なかったなあ。だって。

『ひまり、お前、このあと暇?』

『え、ああ、真哉じゃん。久しぶり〜。てか暇じゃないし、だったとしてもあんたとだけはごめん〜』

『だよな。お前、ワンナイトって好きじゃなさそう』

『どんなに言い方を変えてみてもヤリチンには変わりないぞ、真哉くん』

『へいへい。でさ、ずっと気になってたんだけど』

『ん?』

『何で春日井も呼んでんの?』

『やよい?』

『に、睨むなよ。別に批判してんじゃねーよ。ただ、お前ら正反対なのに何でかなって』

『んー、真哉って道端にきれいなスミレが咲いてたらどうする?』

『インスタに上げる』

『私はね、誰にもむしられたくないから、じっと見つめる。毎日眺めるの。行きと帰りに、今日も大丈夫かなーって眺めるの』

『家に持って帰ればいいじゃんか』

『……だから真哉は本命ができないんだよ』

『ちぇっ』

 あんなこと言った日の次の配信日に。

『真哉くんのこと、どう思ってるの?』

『あっと、これ。素直に言わなきゃ駄目なやつ?』

 三十秒かけて答えを言っちゃった日の次の配信日に。

 まず浮かんだのが真哉への嫉妬心。それから今本音を言ったらどうなるかなっていう自暴自棄。それらを持ち前のコミュニケーション能力で包むのに三十秒かかった。あの、告白みたいなことをした次の配信日に。

 覚悟は、充填した。

「あ! じゃ、今日は恋愛話しちゃおっかなー」

――お、またつむじ芸か?

――変なこと言うなよー

 ひまりこと珱ふりるは以前好きな人がいることを公言し大荒れに荒れたことがある。結局その場で土下座してつむじを見せ続けるという芸当をしながら「好きな人がいるだけで付き合ってません。好きでいさせてください」と即謝罪したのが逆にウケて、大手の中でも珍しく恋愛話が許されているVtuberだ。

「こないだね、好きな人に再会できてさー。あ、やば。ガチ恋はみんなだよー」

 ねえ、聞いてる? 弥生。

――また適当言ってるよ

――いいぞ、もっとやれ

「昔からの友達で、ずっと好きなのね。その子との仲を邪魔する馬鹿なんかもいるんだけど、放っておいて。でね、その子は」

――いっそ相手が女だったら俺諦められる

――ごめんね。

――もしかして俺じゃね?

「私より背が低くて、運動神経良くなくて、あと勉強は普通かなー。それで」

 もう言っちゃうから、聞いてよ。高校二年生の頃から受験勉強の邪魔もしただろうに、週一で来てくれてさ。一回だって最初の挨拶を欠かさなかったあなたのことが、私は。

『私がVtuber始めた時に手伝ってくれて――え?』

 ひまりはチャット欄を見た。スパチャ金額に応じた派手な色でひとつのコメントが少し前に流れていった。4300円。そしてひと言だけ。

――ごめんね。

「え? 待って、駄目、ごめんなさい、私は」

――どした

――フールした?

――何ふりる

――フール現象か?

「あの、えっと……スパチャありがとうございました、みつきちゃん」

 この一瞬で何が起きたのかひまりには飲み込めなかった。私はフラれたの? 告白する前から「ごめんね。」と言われたの? 分からなかった。ただ脳みそ全体が痺れて、舌が硬直した。それでもふりるとしての活動を一秒たりとも止めるわけにはいかなかったし、そしてコメントなんてとうの昔に画面の下へ流れていったまま帰って来ない。

 ただ、今のひまりにも明確に分かることがひとつだけ。

 みつきちゃん。

 私はもうこの名前を呼ぶことはないんだと。

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