終章 デスペナルティ

「うわあっ!」


 ――あちら側から戻って来た俺は、長いこと水の中にでもいたかのように酸素をむさぼった。目の前は真っ暗で、とにかく息が苦しい。酸素不足で死にそうだ。


 ぜえぜえと息を切らせていると、ヘッドギアの要領で装着されていたゴーグルが外される。暗闇が晴れた。


「は……」


 目の前に広がるのは白いドーム状の建物。俺はその最下層にいて、吹き抜けになった構造の上階からいくつもの視線が注がれている。


 俺はトイレを豪華にしたような見た目の、コックピットもどきの席に座っていた。手足はベルトで固定されており、全身にいくつもの管が付いている。


 強引に逃げ出せば管がブチブチと抜けて大出血ののちに死んでしまう気がした。悪の首領やら魔王やらがこういう悪そうな椅子に座っているイメージがあるが、肝心の俺はこの椅子が何かを理解していない上に動きを封じられている。


 目の前のガラスには、禿げた中年太りのオッサンが映っている。ああ、間違えようがない。息を切らせる俺と、同じリズムで肩を上下させている。


 ――これが俺の、現実の姿……。


 俺はホストなんかじゃない。イケメンであったことも、モテていた時期があったわけでもない。チビデブハゲの三冠王で女性とは無縁の人生をひた走り、そして……。


 ガラスに映る俺の姿――何度見ても、醜い。救いようがない。全てを持っている者が生まれてくるように、何一つ持っていない者も生まれてくる。当然のことなのに、それがいざ自分の身に起こるとなると受け入れるのは難しい。


 ノイズ――真っ白になった頭に響く。


 一時的に消されていた記憶が蘇ってくる。それとともに、一種の諦めに似た思いと、生への執着が同時に発生してくるから不思議だ。


「お疲れ様でした。最終試験は終わりました」


 白衣の男――知らぬ間にすぐ傍で立っていた。無機質な表情と黒ぶちの眼鏡。そのままマトリックスのエージェント・スミスに採用出来そうな冷血さ。


「終わった、というのは……?」


 本当はもう分かっているが、ダメ元で訊いてみる。


「ふむ」


 白衣の男は眼鏡を直し、「まだ記憶が復元されていませんか」と言った。本当は復元されている最中なんだろうが、当の俺がそれを拒んでいる。記憶にございません。思い出したくもないものは、ずっと忘れていたいのです。


 そんな俺をあざ笑うかのように、冷淡な口調で男が話を続ける。


「あなたは凶悪犯罪を起こしました。それは憶えておいでですか?」


「……はい」


 吹き抜け構造の上階から、いくつもの白い目が注がれているのが分かる。徐々に蘇る記憶。だが、思い出したくない。


「あなたの人生は負け犬そのものでした。勉強はそこそこ出来て、知名度のある会社には入ったものの、その容姿と心の醜さから全く異性に求められることもなく、初めての女性はお金で買いました」


 淡々とした口調。事実なだけに、俺の心を容赦なく抉る。


「そしてあなたは少女相手に買春をしたことが発覚し、勤め先の会社を解雇。執行猶予は付きましたが、本格的な社会復帰は難しく、正社員の道は早々に諦めました。そしてあなたは日雇いの仕事で糊口をしのいでいきます。生活費や遊行するお金に困ったあなたは、友人知人たちから金を借りて回り、開き直って夜の街で豪遊。借金は返済せず、ことごとく踏み倒していきました」


 吹き抜けの上階から注がれる白い目。まるで害虫でも見るような視線だった。やめろ。やめてくれ。俺をそんな目で見るな。


 無機質な眼鏡男は淡々と続ける。


「それからとある風俗嬢に入れあげ、知人や金融機関から借金を重ねて踏み倒し、彼女に恋人がいることが判明すると『裏切られた』と逆上して、恋人とともに鋭利な刃物で滅多刺しにして殺害」


 目の前の大画面に女性のバストショット写真が映り込む。おそらく免許証かパスポート用に撮影したものを流用したのだろう。


「マリアさん――憶えていますかね。あなたが未来を奪った女性が使っていた源氏名です」


「ああ、あああ……」


 思わず呻き声が漏れる。目の前の写真で、封をしていた記憶が一気に蘇る。


 画面に映る女性――その人物は、つい先ほどに死を見届けた織田真理だった。


 全てのピースが組み合わさり、最悪なパズルが完成する。


「……ようやく理解しましたか」


 眼鏡の男が感情を込めずに言う。感情のない目の奥には、かすかな軽蔑と落胆が感じられた。


 そうだ。俺は人殺しだ。俺は刺された人間なんかじゃない――刺した側の方だ。


 ――俺は、全てを思い出した。


 彼女の名は織田真理――俺の入れあげた風俗嬢。源氏名はマリアちゃんだった。


 彼女はどんな時も俺の支えになってくれて、どんなことがあっても俺のことを否定しなかった。チビデブハゲの三冠であった俺にも、彼女は優しく接してくれた。


 それは金銭が介在するからに他ならないのだが、俺には彼女の愛情が本物に見えた。俺はきっと他の客よりも一等特別なのだろう――そんな風に自意識をこじらせるほどに。


 当然のことだが、風俗は疑似恋愛だ。ごっこ遊びは時間が来たら終わらせないといけない。それを切り替えられない奴は沼に嵌まる。そして俺は、ものの見事に沼へと嵌まった。


 たかだか風俗嬢を相手にして俺がガチ恋するのに時間はかからなかった。マリアちゃんに入れあげた俺は、彼女を指名するためにあらゆる手を使って金を工面した。金は友人から借り、知人から借り、断られたら「人の命が懸かっている」と嘘をついた。


 いや、俺にとってマリアちゃんは命のようなものだった。だから命が懸かっているというのは、少しも嘘ではなかったのだ。少なくとも俺にとっては。


 そうして手に入れた金は全てマリアちゃんにつぎ込んだ。狂っていると言われようが、世間ではアイドルの推し活に全財産を投じる奴だっている。俺がそれに近いことをしたところで、何が悪いんだ。


 だが、そんなことをやっていればすぐに資金は枯渇する。


 金がなくなり、正攻法で彼女を抱けなくなった。結果として仕方なく彼女の後をつけることにした。こちらとしては会いたくて震えているだけなのに、彼女は俺に会いたくなくて震える。そして世間は俺のことをストーカーだと言う。奴らは何も知らない。俺はただ彼女のことが好きで、その愛を表現しただけだというのに。


 彼女は俺を恐れ、拒絶した。警察も呼ばれて、これ以上彼女に付きまとわないように言われた。次は逮捕すると。マリアちゃんにとって俺はNG客になった。たとえ金があったとしても俺が彼女を指名することは出来ない。俺が一線を越えたからだ。


 だが、その程度のことで俺の愛を止められるはずなどない。妨害が入ることでさらに燃え上がった俺は、ほとぼりが冷めた頃にまた彼女を尾行した。


 そして、あの忌まわしい日がやってきた。


 いつもの通りに彼女の部屋を張っていると、見知らぬ男がやって来た。男のくせに化粧なんかしていて、腐れバンドマンのような見た目だった。きっとホストなんだろう。


「童夢くん!」


 玄関で彼を迎えたマリアちゃんは嬉しそうだった。ホストは彼女の背中に手を回して、唇を重ねた。その時、俺の中で全ての点と線が結ばれた。


 そうか、そういうことか。俺の中で、何かが壊れていく。もう元に戻ることは出来ない。


 ――ふざけやがって。


 お前は「恋人はいない」とか言いながら、実際には腐れホストなんかに貢いでいやがったのか。


 燃え滾る憎しみが、腹の底で火力を増していくのを感じていた。


 童夢、童夢。運命を意味するその名前。これは何かの天啓に違いない。俺には汚らわしい者たちを裁く権利がある。


 裁きを、裁きをくれてやる。


 俺は隠し持っていた包丁を構えると、玄関でイチャつく二人のもとへと走っていった。


   ◆


「そう、そしてあなたは殺害容疑で有罪になりました」


 鋭利な刃物による殺害。すでに息絶えた被害者を何度も刺し続けた犯行には、強い怨みを感じさせた。きわめて身勝手な動機で、情状酌量の余地の見当たらない卑劣な犯行。


 ――よって、被告人を死刑に処する。


 無機質な声で、俺は人生の終わりを告げられた。


 さして動揺もしなかった。ああ、やはりそうなったかと、どこか他人事のように感じていた。


 だが、問題はその後だった。俺は日々、人生の終わりに怯える毎日を過ごした。


 ある意味では突然命を奪われるのはまだマシな方だ。訳の分からない内に全てが終わる。だが、死刑判決を受けた者は自分が殺されることを前もって知っており、その時がいつ来るのかと怯える日々を過ごす運命にある。


 独居房で看守の足音が通り過ぎるたびに、「今日にも俺は死ぬのか」と毎日怯えた。もういっそ早く終わらせてくれとも思った。


 同時に信じてもいなかった神に祈った。もう一度チャンスをくれるなら、俺は二度と同じあやまちは繰り返しませんと。


 そんなある日、奇妙な二人組がやって来た。政府機関の人間のようだった。話は司法取引ですらなく、ある計画のことだった。


 なんでもそいつらの所属する機関は更生不可能と思われる鬼畜を社会的に復帰出来るレベルの「人間」へと戻すべく、鬼畜更生プログラムを立案した上で実践に向けたデータを集めているとのことだった。


 それは世界的な権威を持つ精神科医のバックアップで作られたプログラムだった。プログラム実装の一環として、AIを駆使したシミュレーターが開発された。


 そこにはゲームさながらに被験者へと問題を与え続けて、それらをクリアさせるステップを通して、世間一般で求められている社会性やら人間性を回復させる目的があった。


 俺はそのテスト生としてプログラムに参加してみないかと打診を受けていた。言わば治験のようなものだ。


 もしプログラムで合格を獲得すれば、十三階段行きは免れる。だが失敗すれば――


 ――そして、俺は見事にゲームでバッドエンドを迎えた。


 俺は二度、真理ちゃんを殺したことになる。


「正直、あなたには失望しましたね」


 無機質な男が言う。初めて男が感情らしき感情を見せた。それは、落胆だった。


 思い出した。この男が独居房にまで実験の話を持って来たのだった。そして死にたくなかった俺は「もう一度チャンスをくれれば絶対に同じ罪は犯さない」と豪語した。


 ――だが、実際には同じ罪を二度犯した。


「当初に説明したように、あなたはこのシミュレーターのテスト生でした。あなたがテスト生としては人類史上初です。それもあり、こちらとしては手を尽くしたつもりでしたが……。やはり、救いがたい人というのはどこの世界でもいるようですね」


 沈黙――俺は何一つ反論出来なかった。


 死への恐怖はとうに通り越している。そこにあるのは自分自身への深い落胆だった。


 このイカれたプロジェクトも多くの善意の人によって立ち上げられたはずだ。そこではどのようなクズでも更生が出来て、生まれ変わった自分を手に入れる未来があったはずだったのだ。


 だが、俺はそれを他ならぬ自分の手で壊した。プログラムが失敗したということは、俺には予定通り死刑執行が成されるということだろう。


 無機質な男が何かを放し続けている。その声が俺に届くことはない。俺の中にあるのは、ただただ激しい自己嫌悪を死ぬことで消し去りたい衝動だけだった。


 ぼんやりとした世界へ向かって、俺は呟く。


「生まれ変わったら、もっとうまくやるさ」


 蚊の鳴くような声で吐いた負け惜しみは、誰の耳にも届くことがなかった。



   【了】

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闇堕ちメモリアル(カクヨム版) 月狂 四郎 @lunaticshiro

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