終わりなき贖罪
梨乃ちゃんも知っての通り、俺のやっている仕事はホス狂いの女の子を救うものだ。これは俺たちが元ホストだったこともあるし、現場を知っているからこそより現実的で、女の子を手っ取り早く救う方法を知っているというのが根底にある。
だけど、少なくとも俺の動機はそれだけじゃない。
梨乃ちゃんは憶えているかな?
数年前のホストが刺された話。まあ、それがトレンドになってしまったのか、今では結構な数のホストが女性客の逆襲に遭って刺されているようだけど。
俺はそのさなかで女に刺されたホストの一人だ。
まあ同情することはない。刺されたという意味じゃ被害者だが、言い換えればそれだけ刺した女を追い詰めてしまったというだけの話だからな。
少なくとも俺たちの世代では売掛けというシステムがあった。平たく言えばツケだ。ツケでアホみたいに高い酒を頼ませて、後から大金を取り立てる。
このツケっていうのが怖くてね、もしツケを払わずに飛ぶ客がいると、その支払いは担当のホスト持ちになる。そうしないと回収なんて出来ないからな。
売掛けをやり過ぎて払えなくなり、客と一緒にホストも飛んだっていう話も聞いたことがある。そうでもしなきゃしばらくはずっとタダ働きの日々が続くからだ。
そんな風になりたくなければ売掛けをやらなければいいだけの話なんだが、そう簡単な話じゃない。芸能界と同じで、人気者のホストにはより多くの客が集まって来る。
反対にお茶を引いているようなホストは見向きもされず、場合によっては隣県の不良ばかりがいる街で最下層のホストとしてなんとか生きていく奴もいる。人気稼業だからこそ、その競争は一般社会よりも熾烈な面がある。当たり前の話だけどな。
だからこそホストは「太い」客を持とうとするわけだが、客だってATMではない。毎晩ホストで豪遊し続ければ資金だって底をつく。そこで出てくるのが売掛けというやつだ。
梨乃ちゃんは信じられないだろうが、歌舞伎町には信じられない金額をツケにしてでもホスト通いがやめられない人がいる。それが世間で言うホス狂いというやつだ。
当時の俺は40手前になっていて、若さも商品価値も落ちてきていた。昔のホストは顔がよくて喋りも巧ければどうにかなったところがあったが、最近だと歌ったり踊ったり、ヘタをすれば枕営業をこっそりとやる奴もいたりと、下手な芸能人より芸達者な奴が台頭している時代だ。そういう時代の流れで、俺が出来たのはせいぜい固定客から金を搾り取るぐらいだった。
俺は女のところに転がり込んで、性的な関係は持つが恋人ではないという、世間一般からすればおおよそ理解しがたい関係で女と繋がっていた。
女の方も喜んで俺を養い、金をくれた。女はカードローンで借金をはじめて、それが続かなくなるとサラ金、そして闇金へと行き着く。それでもやめることが出来ない。それだけ俺が依存させていたからだ。
女は風俗で働きはじめる。ホストに通うために体を売る。異常に見えるだろうが、こういったことは歌舞伎町では少しも不思議ではない。だから当時の俺も、同棲している女が風俗で勤務しだしても大して問題にしなかった。よくある話だからだ。
俺としては甘い言葉で惑わせて、時々寝てやればいいだけだった。それでものちの警察から事情聴取を受けた際には「肉体関係はあったし同棲もしていたが恋人ではなかった」と言い切った。
おそらく俺と同じことを言う奴も一定数いるだろう。そういう世界なんだ。だから法整備で俺たちの価値観を断罪したところで、それは全く意味を成さない。火星人に地球のルールを説いているようなものだからだ。
話は逸れたけど、同棲した女は次第に借金がかさみ、支払いが出来なくなっていった。風俗にパパ活、その他色々と怪しいバイトに手を染めたにも関わらず、闇金のアホみたいな金利のせいで借金はバカみたいに膨れ上がっていく。
本当にダメになった頃、女は俺に「助けてほしい」と言った。
だが、俺は彼女を見捨てた。冷たい言葉とともに。明日からこの家を出て行くとだけ残して。
家を出て少し歩くと、背中に何かがバンと当たった。最初は何が起こったのか分からなかった。ものすごく嫌な予感がして、振り向くと先ほど捨てた女がしがみついていた。
結局捨てられるのが嫌だったのかと思ったが、違った。彼女が離れると、血だらけの刃物があった。
「なんだ、ありゃ?」
腰に手を当てると、ぬるっとした感触がした。ビックリして見ると血がべっとりと付いていた。
――これは、俺の血なのか?
気付いたら倒れていた。情けない話だが、ダメージというよりは血を見て失神したようだった。
起きたら病院でね。体に色々とチューブが付いていた。目が覚めてから医者に説明を受けた。俺は鋭利な刃物で背中をグサっとやられたようだった。その傷は今でも生々しく残っている。
ただ、傷は内臓にまでは達していなかったようで、見た目ほどは大した怪我じゃなかったそうだ。現場では野次馬がすごかったらしいけどな。お陰でクズホストとしてあちこちに俺の写真が拡散されまくった。
悪どく金を巻き上げた結果、女に刺されたモブホスト。色んな意味で俺のキャリアは終わった。もう年だったのもあるけどな。
刺されたのにあちこちから罵詈雑言を浴びせられて、なんで俺はこんな目に遭っているんだろうって本気で思っていた。推しのホストを売掛けで応援するのなんて文化として当たり前だったし、それこそ嫌ならやめればいい。それなのに勝手に追い詰められたと思って刺してきた女がおかしいんだ――当時の俺は本気でそう思っていた。
だが、考えが明白に変わった瞬間があった。
俺を刺した女性は自身の犯した罪の重荷に耐えきれず、自ら命を絶った。
どれだけアホな俺でも、さすがに自分が何をしでかしたのかを理解した。そう、俺は被害者なんかじゃなくて、加害者だったんだと。
だからこそ世間のバッシングもすごかったし、誰一人として俺が被害者であることを認めようとしなかった。そんな根性の奴なんだから、今思えば刺されて当然だったよ。我ながらね。
あの時はとにかくパニックだった。精神科にかかったら何らかの病名を告げられていただろう。とにかく、俺は何をしてしまったんだという気持ちがひたすら大きかったのを憶えている。
それで誹謗中傷もやんだ頃に俺にも冷静さが戻ってきた。考えてみれば彼女を俺に依存するように仕向けたのは他ならぬ俺自身だったし、彼女はそれに応えようとしただけだったんだ。それに気が付いた時に、俺は本当に罪深いことをしてきたんだと気が付いた。だいぶ遅かったけどな。
それで反省はしたんだが生きていくのは大変でね。途方に暮れているところを狩野というホスト仲間に拾われたんだ。
俺の仕事も元々狩野が始めたもので、そこへ引っ張られた形だ。それだけで食えていた時代もあったけど、色々とあって難しくなった。だからといってハイやめますかともいかない。だから派遣で仕事を始めたんだよ。
やりたいことだけやって生きていければいいんだけどな。だけど、これは芸術家とか夢追い人にとっては宿命みたいな問題だ。いや、本業の方も好きとまではいかないな。強いて言えば……義務か。何らかの、自らに下した必須の課題みたいなものだな。
もちろんこれをやったところで自分の罪が贖えるとは思えない。だけど俺が地獄に堕とした女の子たちを逐一探して助けていくわけにもいかないからな。何人もが失踪したり、場合によってはこの世にいない。この世にはどうやっても取り返しのつかないことだってあるんだ。
だけど、だからといって開き直る話でもない。俺に出来ることは何か――そう考えた時に、狩野の立ち上げた慈善事業に乗ってみるのもいいんじゃないかと思ったんだ。今思えば、ずいぶんと軽はずみな行為だったと思う時もあるけどな。
だから俺が優しいなんていうのはまやかしだ。梨乃ちゃんは、自分を幸せにしてくれる男性を好きになるべきだ。だれかの業を背負うこともなく。
……そう、だから幸せになってくれ。自分のために。
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