病んでる女子のお宅訪問

 本業が終わってスマホを見ると、梨乃ちゃんから大量のLINEメッセージが届いていた。終業後に何食わぬ顔でさっさと帰ったので、去り際に彼女とは話していない。おそらく帰り際に俺のメッセージに気付いてパニックになったというところだろう。


 メッセージでは「なんで?」「どうして?」と悲しい顔のスタンプがこれでもかと送られてきている。やはり梨乃ちゃんにとってショックが大きかったようだ。だが、ここまで来たら引き返すのも難しい。俺だってここに婚活で来ているわけではないのだから。


 現実的な問題で、俺としてもこれ以上真理ちゃんの問題にかかずらっている場合でもない。俺には本業で助けないといけない人が何人もいるし、顧客でもない彼女が原因で本業に支障をきたすようでは本末転倒だ。狩野も黙ってはいたが、プライベートで問題を引き起こしている俺については苦々しい思いを抱えていたに違いない。


 さて、これからどうしようか。


 これで本当に状況がこじれるようであれば、俺の方が職場を変えないといけないだろう。あいにく俺の経歴を考えると次の仕事がそう易々と見つかるとも思えないので、不本意ながらも極力今の仕事を続ける方でやっていきたい。実際に生き残るための努力はしてきたからな。


 そうなると真理ちゃんとは昼間の職場で一緒にいながら、完全に断絶した状態となることになる。仕事で必要となれば話さないといけないだろうが、コールセンターでそんな機会はない。会話をしようと思わなければ全くしないで済むのが俺の職場だ。だからこそオッサンがたくさんいるのだ。


 そういったわけで俺は金輪際真理ちゃんには関わらないことにした。彼女だって俺とは話したくも無いし関わりたくないのだから、双方の希望が一致することになる。誰も傷付く必要はないし、傷付く資格もない。もう勝手にやってくれ。俺は知らない。


 本業であれば女の子を見捨てるというのはあってはいけないことだが、別に彼女は顧客でもなければ救われることを望んでいる誰かでもない。そんな人を放置したところで問題などないはずだ。


 ……という滝のようにエンドレスで出てくる怨みつらみをそのままLINEのメッセージで送ってやろうかと思ったが、途中で自分のしようとしていることのヤバさに気が付いてやめた。何をやっているんだ、俺は……。時間差で激しい自己嫌悪に襲われる。


 しかし、それほどに真理ちゃんの喪失は堪えたようだ。当たり前か。初めて本気の恋愛が出来るかもしれないと思っていた矢先に谷底へと突き落とされた気分になったのだから、それも無理のないことだ。


 これが一般人の感覚で、恋愛で傷付くということなのか。この年でその痛みを知るとはな。皮肉なことだが、自分が何も理解していなかったことを思い知らされたようだ。


 少し冷静になったので、打ちかけたメッセージを全部消して、新しく打ち直す。そのまま彼女とLINEでやり取りした。


「色々と手を尽くしたけど、どうにもならなかった。これ以上やっても真理さんもつらいだろうし、俺も正直しんどいところがある」


「そうですか」


「うん、残念だけど」


「もう、真理ちゃんとは口もきかないんですか?」


「向こうが俺と話したいというのなら全然構わないけど、あそこまで嫌われたら俺もどうしていいのか分からない。俺は神ではないし、超能力者でもないからな。真理さんに何が起こったのか、彼女の口から聞かない限りは何も分からない」


「そうか。そうですよね……」


「悪いね。色々と協力してもらったのに」


「いえ、いいんです。ちょっと電話してもいいですか?」


 「OK」と書かれたプラカードを持つウサギのスタンプを送った。すぐにスマホが震える。一息ついてから出る。


「ああ、お疲れ」


「童夢さん、お疲れ様です。大丈夫ですか?」


「こっちは大丈夫だ。もう結論は出ているから、どちらかと言えばスッキリしているぐらい」


 嘘もいいところだが、動揺を知られるのは面白くない。こちらは梨乃ちゃんよりも遥かに年上なのだから、一緒になってギャーギャー騒いでいたらどうしようもない。


「なんだか、実感がないです。本当はもっと悲しいはずなのに、本当にこれで終わりだなんて信じられなくて」


「真理さんが機嫌を直してくれれば復活の可能性もあるだろうけどな。だけど、梨乃ちゃんも見ただろう。あれは修復不可能というか、どういうわけか親でも殺したかのように憎まれている。その理由が分からない。俺としてはその原因を知ろうと努力もしたし、何か落ち度があれば謝る気概もあった。だけど彼女はそれすらも拒否したんだ。もう俺に出来ることは何もないよ」


 言葉が滝のように流れ出る。自分で喋りながら、今まで相当なストレスを抱えていたんだなと気付いた。知っていたはずだが、知っていなかった。変な言い回しだが、自分のメンタルが本当にやられていると大概の人は自覚がないのだ。


 俺の長広舌に圧倒されたのか、話を聞いていた梨乃ちゃんはずっと黙っている。


「梨乃ちゃんには本当に申し訳ないことをした。俺たちのアホみたいな痴話ゲンカに巻き込んで、本当に嫌な思いをしたと思う。本当に悪かった」


 本人が目の前にいるわけじゃないのに、虚空に向かって頭を下げる。昔は一人しかいないのにケータイで話しながら頭を下げるサラリーマンを見て笑っていたが、今では彼の気持ちが分かる。


「そうですか。分かりました。そうなると、もうしょうがないですよね」


 梨乃ちゃんが気遣う口調で返事をする。それから彼女は続けた。


「童夢さん頑張ってましたもんね。こういう結論になったのはすごく残念ですけど、たしかにもうどうしようもない状況なのも分かる気がします」


「うん」


「でもね、憶えていますか? 彼女が自分の過去について語ってくれたこと……。その時、あたしは思ったんですよね。『この人は絶対にあたしが守らなくちゃ』って」


 スマホごしに鼻を啜る音が聞こえる。おそらく梨乃ちゃんは向こうで涙を堪えながら話しているのだろう。


「なんか、分かるんです。最初に自分よりも大人の男性が好きになっちゃって、勢いで結婚したはいいけど誰も自分の結婚なんか祝福していなくて、最後のよりどころになっていたはずの旦那さんにも裏切られて、捨てられて、子供に毎日『ごめんね』って言いながら暮らしている……。そんな姿を想像すると、あたし、もう耐えられなくて……!」


 梨乃ちゃんが涙声で訴える。真理ちゃんの同情すべき過去と無礼な振る舞い。それらが同時に浮かんで複雑な感情になる。俺は極めて微妙な心持ちでそれを聴いていた。


「だからあたしと真理ちゃんが同じ人を好きになった時も、真理ちゃんが幸せになってくれたらって、あたしは身を引いたんです。それなのに、それなのにこんなことになって……。なんで? なんでなの……?」


 梨乃ちゃんがしゃくりあげて泣く。嫌な時間だ。女の子を夢の時間へといざなうホストだったせいか、自分のせいで女性が泣いている場面に出会うと自身の無能ぶりを思い知らされたようで嫌になってくる。


「梨乃ちゃん、ごめんよ。俺も手は尽くしたんだけど、もうどうにもならなかった」


 精一杯の弁明。言い換えれば完全なる敗北宣言。スマホの向こう側で、梨乃ちゃんの泣いている声が聞こえる。何度経験しても嫌な時間だ。


 しばらくすると少しは落ち着いのか、梨乃ちゃんが再び口を開く。


「いいえ。童夢さんは悪くないです。童夢さんは、本当に一生懸命にやってくれていたと思います。でも、だからこそ……」


 涙声が一瞬止まる。次の言葉が分かるような気がして、息を止めた。


「だからこそ、あたしの好きな人が苦しんでいたり、自分以外の人を見ているって思った時、本当につらかったんです。一回余裕ぶって童夢さんをからかったりしましたけど、あれだって本音は心臓バクバクで、夜中にはこれで嫌われたらどうしようとか、心が押しつぶされそうなプレッシャーでいっぱいだった。それでも、もしかしたらワンチャンあるかもって思って……」


 そこまで言って、梨乃ちゃんはまた泣きはじめる。


 要約すると梨乃ちゃんは真理ちゃんと同様に俺のことが好きだったが真理ちゃんに悪いと思って身を引いた。だが俺たちが不仲になって自分の気持ちを踏みにじられた気分になったようだ。


 そうか。梨乃ちゃんも俺のことを。……いや、正直知ってはいたが、彼女の中でそこまで深刻な問題になっているとは思わなかった。


「そんな思いをさせて悪かった。これからはもう、そんな思いはしなくていいから」


「来てください」


「え?」


「あたしのことが本当に大切なら、家に来てください」


 スマホを耳に当てたまま、固まる。どうすればいいのか、考えを巡らせた。


 梨乃ちゃんは勇気を出して自分の想いを告白した。その想いに、こたえてあげるのが筋なのではないか。女としてどうこうではなく。


「分かった。どこに行けばいい?」


 梨乃ちゃんは少しだけ驚いたような声で「ありがとうございます」と言ってから続けた。相変わらず涙声だったのが、冷静に考えると滑稽だった。


「ぅぐ、ふぅ……これから住所を送るので、そこに来てください」


 通話が途切れる。間もなく住所らしき情報が届いた。幸いなことに千葉や埼玉ではなかった。今日中には帰れそうな場所だ。もっとも、終電が近いから朝帰りになりそうだが。


「それじゃあ待っていてくれ」


 それだけ打つと、最低限の荷物を持って梨乃ちゃんの家へと出かけた。


 まさかホストから足を洗った今、また女の子の家へ行くこととなるとはな。

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