須田香織◆

 ああ、噂には聞いています。あなた、実話系週刊誌の記者さんですよね?


 あの人について色々聞いて回っているって、風の噂で聞きました。……風の噂は風の噂ですよ。誰がっていうほどでもない。


 ――それで、私は何を話せばいいんでしょうか?


 知っていること……ねえ。そんなに大したことは知りませんけどね。過去に彼と仕事をしたことがあるってだけで、まさか裏であんなことをやっているとは思いませんでしたし、もちろんそれを知っていたらそもそも関わらなかったと思います。


 彼にはお金を貸しましたね。そう、嫌々ですけどね。


 彼が逮捕された時には「派遣社員から無職になって」みたいな報道があったかと思いますけど、あの人って正社員だったこともあるんですよ。テレビで見た時にはすっかり変わり果てた姿になっていましたけど。


 まあ、イケメンとまではいきませんけど、どちらかと言えば有能な人だったと思います。部署が違ったのでそれほど詳しい仕事ぶりは知りませんでしたけど、会えば挨拶ぐらいはする仲でした。……いえ、男女の関係は全くありませんね。それは考えたこともないです。


 有名な大学を出たと聞いていましたので、頭は良かったんだと思います。実際に社内での評判も良かったと思います。


 彼ね、たしか入社時は童貞だったと思うんですよね。他の同期が言っていました。男子社員ですね。


 今でこそそういうことを言いふらしたらセクハラだのモラハラだのって大騒ぎになりますけど、私の時代ではまだそういう性体験のない人はからかいの対象だったというか、公然とバカにされる傾向はありましたね。記者さんもそういう時代にいた世代に入ると思うので分かるかと思いますけど。


 きっかけは知りませんけど、彼は何らかのちょっとした雑談から童貞バレしたんですよね。それで意地の悪い同期社員があちこちに言いふらして……。ええ、子供ですよね。でも、新卒の男性って基本みんなガキじゃないですか。おそらく同期では全員彼が童貞って知っていたんじゃないですかね。


 本人は表面上怒ってはいませんでしたけど、内心激しい憎しみを抱いていてもおかしくないですよね。そもそも童貞だって言いふらされること自体があり得ないし、それが原因で侮辱されるなんておかしいじゃないですか。それでも私達の世代ではそういった文化が存在していたわけです。時代ですよね。


 話は逸れましたけど、彼は気弱で温厚な人でもあったので、その辺がつけ入られやすかったところもあるんじゃないかと思うんです。


 ある日になって、彼を含めた複数の男子社員が逮捕されて新聞に載ってしまったんです。罪状は少女買春――平たく言えば、女子高生を買っちゃったのがバレたという内容だったと思います。


 この複数の男性っていうのが微妙なところなんですけど、とにかく彼は不名誉な犯罪で捕まり、起訴されたと聞いています。当然会社はクビになり、実刑はなかったにしても、前科が付いたせいで就職活動も難しくなったんじゃないですかね。想像ですけど。


 その後の流れは散々テレビでやっている流れと同じだと思いますよ。


 たしかに彼はそのずっと後で凶悪な犯罪を犯しましたけど、買春なんてやる人なのかなあ、というのが素直な感想です。あくまで一個人のものですけど。


 だって、彼を知っていたら「そんな度胸があるはずがない」って口々に言うと思いますよ。気が弱くて、小動物みたいな人だったんですから。そもそも童貞でしょ? なんで女子高生を買うなんてハードモードから始めるんですか? おかしいですよね?


 だから真相としては当時一緒に逮捕されたヤンチャな人たちに巻き込まれたんじゃないかな~と私は思っています。実際、釈放後に本人がそう言っていたらしいので。


 ただ、世間の人々は現場にいるわけではないので、死ぬほど激しいバッシングは彼にも注がれていきました。あの人たちってそもそも叩くことが目的じゃないですか。だからもう公式のサンドバッグみたいになっていましたね。


 昔はもっとネットの闇が深かったというか、ブロックしようにも抜け道を使ってずっと叩き続けるような人もいたので、遠くから話を聞いている方が滅入ってしまうほどすごいバッシングでしたよ。


 もしかしたら、それで彼はあんな風に生き方を変えたのかもしれませんけどね。


 それはそうとして、その買春事件からしばらくして、もう二度と会わないと思っていた彼が私のもとへ現れたんです。


 その時の彼は変わり果てていて……というか、単にみすぼらしくなっていましたね。あちこちが痛んだ服を着ていて、靴も汚いしデブで無精ヒゲ。ついでに頭もハゲかかっていました。何よりも目つきがヤバくなっていて、猛獣のように血走っているというか、見た瞬間に逃げ出したくなるような光を放っていました。


 彼はザ・キモいオッサンという見た目になっていましたので、最初に声をかけられた時は変態に目を付けられたと思って叫んでしまいました。


 そうしたら慌てて彼が自己紹介と説明をしはじめたので、それで思い出したんですね。……なんでしょうね。やっぱり同期時代にかわいそうな消え方をしていったのもあって、気にはなっていたんでしょうね。そうでもないと見た目が変わり果てて誰が誰だか分からないはずだし。


 いや、もう、見た目だけならただの変質者でしたよ。チブデブハゲの三冠だったし、あの感じだと輪をかけてモテなかったんじゃないかな。


 彼の用件はお金の無心でしたね。「どうしても助けないといけない人がいる」とか言って、50万円貸してくれって言うんです。


 いや、怪しいですよね。私もそう思いましたよ。よくあるじゃないですか。「何も言わないで100万貸してくれ」みたいなやつ。それで見事に相手が飛ぶパターン。それだと思いました。


 普通に考えたら断ると思うんですけど、なんか貸しちゃったんですよね。本当に何ででしょうね。自分でも分からないんです。


 それだけ彼が必死に見えたのもあっただろうし、彼が会社を去った時にどこか見捨てた感があったんでしょうね。そこを上手く突かれたか。後は何よりも彼の見た目が怖かっただけかもしれません。誰が見てもヤバそうなナリをしていたので。


 お金は予想通り返ってきませんでしたね。どうせ死ぬんだったら借金を返してから死ねよとは思いますけど、今は檻の中で話しかけることも出来ませんから。何よりも、もう関わりたくないんです。


 使途は……何なんでしょうね。「どうしても助けないといけない人がいる」とは言っていましたけど、実際には遊ぶお金かギャンブルに消えたんじゃないですかね。もしくはサラ金とか、闇金とか。


 いずれにしても公判ではそこまで触れていないんじゃないですかね。争点が違いますからね。控訴はしたんでしたっけ? あ……棄却された。そうですか。まあ、それも仕方ないかもしれませんね。


 でも、本当にやりきれないですよね。彼の話やら生い立ちはネットでいくらか調べてみたんですけど、こういう人たちって人生にやり直しがきかないというか……。


 アニメやら小説でタイムリープっていうんですかね? 自分があやまちを犯したところまで戻ってやり直す話。そういうのが人気あるって聞いたことはありますけど、気持ちは分かりますかね、


 こういう人って、人生をやり直したくなるだろうなって。私だって戻りたい瞬間なんていくらでもありますよ。でも、実際問題そうはいかないから全てを受け入れて生きていくしかない。それが人生ですよね。


 カイジみたいに人生逆転ゲームがあればねえ……って、彼の場合はその逆転ゲームですら負けるタイプなんでしょうけど、それだったらどうやって生きていったらいいんだよって思いますよね。


 あの人にももうちょっと運があればねえ……。お金は返って来ないですけど、なんだか不憫で仕方がないです。極刑だとは聞いていますけど、生まれ変わったらもう少しは幸せな人生を歩んでほしいですね。

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