色欲(いろよく)

睡田止企

色欲(いろよく)

 三大欲求がなければ、僕は日がな一日灰色の空だけを見つめて生きていただろう。

 しかし、欲求が僕を動かす。

 僕は自分の水飲欲すいいんよくを満たすために水を喉に流し込む。水が喉を通っていく心地の良い快感が僕を満たす。

 欲求というのは連鎖するものだ。一つを満たせば他の渇きが顔を出す。

 僕は職欲しょくよくを満たすためにカラーバーに向かった。


 カラーバーには、僕の他にもたくさんの従業員がいる。

 今日は既に四人の従業員が勤務している。客は五人。

 僕は客の方が人数が多いことに安堵する。稀に客の方が少なく、仕事がないことがあるのだ。仕事がなければ職欲は満たせない。

 接客を受けていない一人の元に僕は向かった。


「いらっしゃいませ。どのようなお色をお探しでしょうか」

「青にしようと思ってたんだがねぇ。今日は空が曇っとるからなぁ」

「でしたら赤はいかがでしょうか。花壇に薔薇を用意しておりますので」

「赤はねぇ。最近見たばかりだからなぁ」

「数値はいくつでした?」

「60」

「140までお上げできますよ」

「ほう。では、赤にしようか」

「かしこまりました」


 僕は客に合わせた色の調合を行う。

 調合を終えると客を花壇に案内する。花壇には無数の薔薇が咲いている。

 僕の目にはモノクロに。そして、客の目には綺麗な赤に見えている。

 客の反応を見るに薔薇はかなり綺麗な色で咲いているようだった。

 僕も今日は赤を選択することに決めた。


 その後、三人ほど接客して職欲を満たした僕は、三大欲求の最後の一つを満たすことにした。

 色欲いろよくは何で満たすか決まっている。

 今日、何度も客に勧めてきた赤い薔薇だ。

 僕は赤を調合して花壇に向かう。

 先ほどまでモノクロだった花壇には、赤い薔薇が咲き乱れている。

 その真っ赤な世界に、僕の色欲は満たされていく。


 いつまでも見ていられる光景だったが、視界の端に映る男がそれを邪魔した。

 なんと、その男は公共の場で水を飲み始めたのだ!

 こんな場所で水飲欲の解消を行うなんてどうかしている!

 しかも、その時に口の中が見えた。赤に調合された僕の視界には口の中の内臓じみたピンク色がテラテラと光っているのが見えた。

 僕は、思わず叫び出しそうになる自分を抑え、男が視界に入らないように空を見上げた。


 僕はしばらく空を見ていた。

 心を落ち着かせるために自分に言い聞かせる。

 職欲と色欲は人前で解消しているじゃないか。

 水飲欲だって人前で解消してもいいじゃないか。


 空は曇っている。今日は湿度が高い。

 僕の肌に空気中の水分が取り込まれていく。

 本来、水分とはこのように少しずつ慎ましやかに肌から吸収するものだ。それを、口から大量に摂取するなんて、どうかしている。

 欲求がある以上、水を飲むのは仕方ないが、やはり隠れてすべきだ。


 ぽつり、と雨粒が落ちてきた。

 そして、それは僕の口に当たった。

 僕はハッとして周囲を伺う。誰もいない。水飲欲を満たしていた男の姿もない。

 ぽつりぽつりと雨足が強くなる。

 僕はまた空を見上げた。

 恐る恐る口を開ける。

 口の中に雨水が入っていくのを待った。

 口の中に溜まった水を飲み込む。

 周囲を見回すと、禁忌を犯した僕を真っ赤な薔薇だけが見詰めていた。


 僕は、狂った欲求の解消をしていることを自覚しながら、もう一度、口を開け空に向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色欲(いろよく) 睡田止企 @suida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ