第4章/玄き老将 第1話/守城戦と水攻め

   一


 ラビン准将は、声を絞り出して、再び問うた。

「将軍が考えた戦法、ですと? それはつまり、ウルクル城内にアル・シャルクの者がいると?」

「いやいや、それはない。この戦略を知っておる者は、今となっては皆無。偶然の一致じゃろうて。しかし机上の戦法を、まさかここまで完璧な形で実行する者がおるとはのう。そちらの方が驚きじゃ」


 この枯れた風情の老将軍の声に、微かな笑いが混じっているのをラビンは聞き取った。

 侮るべからざる敵の力量に、逆にふつふつと闘志が湧いてきているのだ。

 将軍は、生まれながらの武人であった。

 だがそれは、かたわらのラビン准将も同じである。


「いったい、奴は……あの傭兵隊長はいったいどこで、このような特殊な戦法を身につけたのでしょうか?」

「今までこの塹壕戦法は、実戦に使われたことはないはずじゃが。軍略の天才が参謀についておるのか、はたまた傭兵隊長自身が希有な天才なのか──興味がわくところじゃのう」

「将軍、それでは……」

 イクラース将軍の言葉に、ラビン准将は安堵の表情を浮かべた。

 己が考案した戦法ならば、その撃破方法も同時に、しかも周到に用意しておく。

 イクラース将軍とはそういう人間なのだ。


 ウルクルの城を見上げた将軍の眼には、自信が溢れていた。

「城から出て来たくないのなら、望みどおりに閉じこめておいてやるまでのこと……」

 将軍の言葉に、ラビン准将は自分の中に勝利への確信が膨らんでいくのを感じた。

 この信頼と安心感こそが、戦場で兵を動かす最大の武器なのだ。

 来たときと同じく、軽やかに馬を操り幕舎への帰途に着いた将軍の背に、ラビン准将は、頼もしさを感じていた。



   二


 イクラース将軍とラビン准将が、立っていた場所の、ちょうど反対側───。

 ウルクルの城門から、二つの人影と一頭のロバが出てきたのは、翌日のことであった。

 驢馬には白い長衣を纏った人物が騎乗している。

 それはウルクル巡幸中の、大神官ワディの従者であった。

 太陽神殿の旗を竿の上に高く掲げ、それが使者であることを示している。

 もう一人の影はアサド。


 アサドの時間稼ぎの案はあっさり了承され──いや、急な体調不良で大神官はしばらくウルクルに逗留する旨が、会議の途中に舞い込んできたのだ。

 それをアル・シャルク軍にも伝え、しばしの休戦を申し入れるのだ。

 ウルクルとアル・シャルクが交戦中に、使者に立つとは無謀にも見える。

 だが、太陽神殿はこの世界では篤く信仰されている上、あくまでも表向きは常に中立の立場をとる。

 そのため神官やその従者は、たとえ戦争のまっただ中でも害されることはめったにないのだ。


 使者はロバのトコトコとした歩みに身を任せ、アル・シャルク軍の野営する砂漠の中へ、向かって行った。

 それを護衛するのは、アサドとミアトら赤獅団。

 前後左右に、距離を置きつる展開し護衛している。

 城壁の上から見送っているサウド副官に、アサドとミアトは軽く手を振ると、


「ワディがしばらくいてくれるのは嬉しいけど、七日後にはお別れかぁ。次はどこで会えるかな?」

 ミアトが呟いた。

「金銀財宝が山ほどある所だろうな」とアサド。

「あ、やっぱ大将もそう思う? ほんとにな~んで、あ~んなにガメツイんだろうね、あのじーちゃんは」

 この時、軽口を叩きあいながら護衛する二人には、知る由もなかった。

 遥か東のアル・シャルク北方方面軍司令部の幕舎で、ウルクルを窮地を窮地に陥れる作戦が着々と立てられていることを……。



   三


「……水がないか」

 アサドの言葉に、ファラシャトは微かに頷いた。

 ウルクルは乾いていた。

 干攻め。

 長期戦を覚悟したアル・シャルク軍の戦法は、意外なものであった。

 しかし乾燥したこの地では、きわめて有効な戦法である。当然考えうる戦法ではあったが、建国以来の歴史が短く、当然守城戦など初体験のウルクルにとっては、全く予想もしなかった戦法であった。


 異変に最初に気づいたのは、井戸番の少年だった。

 井戸に投げ込んだ釣瓶が、いつもと違った高い音を出した時点では、少年もまだ何も気づいてはいなかった。

 だが釣瓶を引き上げた時に、その軽さに異変を知った。

 いつもの量の半分以下しか、釣瓶に水はなかったのだ。

 少年は何回も何回も井戸に釣瓶を降ろしたが、結局釣瓶に溜まる水は半分以下でしかなかった。

 最初、少年は事の重大さを自覚しなかった。そのため、井戸全体を管轄する役人への報告が大幅に遅れた。

 二刻後、役人が井戸の水位を確認したときは、ほとんど井戸の水は残っていなかったのだ。


 砂漠の中に人工的に造られた都市国家であるウルクルは、およそ210ガル(約6キロ)離れた地下水脈から、カレーズ(暗渠)を使って飲料水を得ていた。地下にトンネルを掘り、水を引いてくる方法である。

 乾燥の激しいこの地では、通常の用水路では大気への蒸発が激しく、充分な用水を得ることができない。

 ウルクルの数倍の規模の大都市ならば、大規模な運河を掘って飲料や潅漑のための用水を得ることも可能である。だがウルクル程度の大きさの都市の場合は、運河に比べて少ない費用と人員で必要充分な量の水を得られるカレーズの方が、効率的なのだ。

 しかも、腐敗しやすい河川の水や、塩分が多く飲料に適さないことが多い井戸の水と比べ、山脈近くの伏流水を水源とするカレーズの水は甘い水シーリーンと言われ、飲料水としては最適なのである。


 カレーズには、内部の点検と、中にたまった砂を掻き出すために、およそ2ガルごとに縦穴を掘ってある。カレーズは水の流れによる砂の剥離によって簡単に坑道が塞がってしまうため、1ガルごとに縦穴を掘ってカ内部の砂さらいをこまめに行わなくてはならない。

 ウルクルでは古代のナザフ朝のカレーズの遺構の一部を利用し、焼きレンガを使ったアーチ状の坑道を補強することによって、水を引いてきている。内部の土が剥離することがほとんどない堅牢強固なレンガの坑道は、砂取り用の縦穴はわずかに三つで充分であった。

 その縦穴も、上に《鳩の塔》と呼ばれる食用の鳩を繁殖させるための建物で偽装され、一見するとただの遺跡にしか見えない。

 しかしアル・シャルク軍はその偽装を確実に見破り、ウルクルの生命線であるカレーズの水を断つという戦法に出てきたのだ。



   四


「どうするんだ? アサド」

 いらついた口調でファラシャトがアサドに突っかかった。

 本来ならば、彼に発すべき質問ではない。

 一傭兵隊長にすぎないアサドには、この難問に返答する義務はないのだ。

 あるとすれば、ヴィリヤー軍師や、参謀達あるいはウルクルの大臣達であろう。


「カレーズを破壊された以上、方法は限られるな。野戦に討って出てアル・シャルク軍から鳩の塔を奪回するか?」

「それでは敵の思うつぼだろうが!」

 解りきったことを言うアサドにファラシャトの苛立ちがさらに高まり、声がトゲトゲしさを増す。

 アル・シャルク軍がこちらの体力の消耗を狙った持久戦に入った以上、その後の作戦も綿密に立てられているのは確実だ。敵軍に有利な野戦での総力戦は、絶対に避けねばならない。


「このまま渇して死を待つのか?」

「そういう選択肢もあったな」

 アサドの口元に笑みが浮かんだ。この男の思考には「生きる」しかないのだ。

 また、いつもと同じだ。

 この男にとっては、常に危機的状況など存在しないかのようである。

 見ようによっては、単なる莫迦。だが、彼のたぐい希な力量を知った者には、その口元に浮かぶ淡い笑みは、不気味な余裕にも比類ない頼もしさにも感じられる。


「ほほう、稀代の軍略家であられるアサド殿にも、こたびは荷が重うございましたかな?」

 ありありと皮肉を込めた口調で言いながら、ヴィリヤー軍師が現れた。

「思い浮かびませんな」

 軍師の皮肉を、しかしアサドはあっさりと肯定した。

 その返答に間合いをはずされたヴィリヤーは、一瞬言葉に詰まったが。

 ファラシャトに向き直ると、手にした羊皮紙の巻物を渡した。

「これは?」

「王宮の書庫から発見した古文書です。どうやら古代のナザフ朝の遺跡の記録らしいのですが」

 ヴィリヤー軍師が示した古地図のある印に、ファラシャトは息を呑んだ。


■第4章/玄き老将 第1話/守城戦と水攻め/終■

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