第2章/黒き軍団 第3話/山頂の偵察部隊

   一


「うむ、今頃は完勝しているであろうな。農民兵とは言え、赤獅団の面々が戦い方の手本を見せれば、ウルクルの正規軍でも、五分以上に戦えるはずじゃろうて」

「サウド副官が授けた、正規軍に負け癖をつける模擬戦の組み合わせ、ですか。農民兵と戦う頃には心も体も折れているでしょう。実にえげつない」


 心を折る。

 それは相手を叩きのめすことより重要である。

 ただ勝利しては、逆に恨みを買うこともある。

 ある種の絶望感や恐怖を、叩き込む必要がある。

「これで農民兵は、アサド殿への信頼感を持つ。信頼は力じゃ。1の力を2にも3にもする」


 副官の言葉に、ジャバーは不思議そうな顔をした。

「信頼感? それは自然に持つものではないですか?」

「既に、傭兵部隊の長を決める闘いで、恐怖を与えた。恐怖すなわち規律」

「それは、わかります。オレも最初、アサド団長と腕比べしたとき、顎の骨を割られ、奥歯が二本、砕けました。あんな恐ろしい思いをしたことは、過去の戦場でもなかった」

 自身の右顎を撫でながら、ジャバーは昔を思い出していた。

 彼もまた、アサドの軍門に降った男の一人なのであろう。

「しかし恐怖だけでは人は動かぬ。同時に信頼感がなければ、一軍の将たり得ぬ。この指揮官のいうことを信じていれば、戦いに勝てるという安心感、と言っても良いじゃろう。敬愛の心ともまた違う。緊張感のある主従関係とでも形容しようかのう」



   二


 サウド副官と、ジャバーは瀝青の丘に到達していた。

 丘というには、急峻である。

 まるで、小山のようなそれに登るには一苦労であったが。自分で歩いて確かめたいと、助けも借りず円錐形のそれを、サウド副官は登りきった。

 頂上に着くとサウド副官は、円筒形の筒を取り出した。

 それは手首ほどの太さに、尺骨ほどの長さがあり、両端に水晶を磨いて作ったガラスが張ってあった。

「うむ、思った以上に遠くまで見渡せるのう」

「その遠眼鏡、未だに原理がよくわかりませんが、便利ですね」


 砂漠の中の城塞都市であるウルクルは、周囲に山はなく。大河もなく。

 この瀝青の丘に登れば、かなり遠くまで見渡せる。

 いざ闘いとなれば、ウルクルは守城戦でなければ勝てないと、サウド副官は断言した。

 であるならば、この瀝青の丘はアル・シャルク軍にとって、極めて重要な場所となる。

 ウルクルへ近づく商隊や援軍など、すべてを見晴らせる。

 だが、ウルクルにはこの丘を抑えるために割ける兵力はない。

 開戦すれば、間違いなくアル・シャルク軍に占領される要衝。

 今のうちに、把握できる情報はすべて、把握しておきたいのだ。


「北からは小さめの商隊、山脈の頂きが近く見えるのう。西からは……太陽神殿の巡回使節か」

「こんな時に、わざわざ巡回ですか? 戦さも近いのに? よく来ましたね」

「戦さが近いからこそ、じゃろうな。たぶん、呼んだのはあの太守であろう」

 副官の言葉に、ジャバーは困惑気味の顔をした。

 太陽神を祀る神殿の、神官たちは各地を巡回する。

 神殿があり、神官が常駐している都市は少なく、各地の村落を神官が定期的に巡回し、教えを説き、信者の信仰を確かなものにする。

 神官が常駐する太陽神殿を持つ、城塞都市ウルクルであっても、高位の神官が巡回することが、数年に一度ある。

 だがアル・シャルク軍が近づく今、わざわざ呼び寄せる余裕はないはずである。ジャバーの疑問は、当然であった。


「わからぬか? 太陽神では政治的には中立が建前じゃが、和議には仲介することも多い」

「では太守は最初から、アル・シャルク軍との和議を目論んで?」

「巡回によって、各地の動向も知っている使節じゃぞ。莫大な寄進をすることで、旅の土産話として問わず語りに情報を語るのは、慣例でもある。アル・シャルク軍と交戦した他の都市の情報も、かなりある。ウルクル軍には、喉から手が出るほど、欲しかろう?」

「つまり……戦況を見た上での和議の依頼にしても、事前の情報収集にしても、使節を招くことはウルクルの利益になる──ってことですか?」

「そういうことじゃ………む? あの巡幸団の仰々しさは」

 サウド副官は、何かに気づいて遠眼鏡の焦点距離を、カチャカチャと調整し始めた。

 筒を前後にスライドし、長さを変えることで、より遠くを見ることもできる。



   三


「じゃが……それは諸刃の剣。巡回使節団は請われれば、アル・シャルク軍の陣屋にも、訪れるであろう」

「そしてウルクルの内情を、聞き出せるだけ聞き出す?」

「話術次第で、内情を考察する、かなりの材料が得られるであろう」

 アル・シャルクでも、太陽神は信仰されている。

 それゆえ、巡回使節をアル・シャルク軍が襲撃することはない。

 それは同時に、ウルクル軍がその進路を妨害することもできない。

 中立とは、そういうことである。

 両者から距離を置き関係を断つのではなく、両者と等距離でまじわる。

 世俗化しつつある神官と神殿の処世術である。


「しかし、上手くすればアル・シャルク軍と巡回使節が、すれ違う可能性だってありますね」

「いや、それはない。東から……アル・シャルク軍の先鋒隊が、近づいておる」

 四分の一回転したサウド副官が、東方の彼方を凝視して、ポツリと語った。

 先ほど気付いた異変は、これだったのだ。

「アル・シャルク軍が? それは、ちと早すぎませんか? いや、先発隊が既にこの瀝青の丘にいたんですから、本体が近づいてるのは当然なんですが。大部隊の移動速度としては、二日…いや、三日ほど早くないですか?」


 一般に、軍隊の行軍速度は一日に50パラサング。

 1パラサングは100キュビット。

 1キュビットは、人間の肘から指先までの長さである。

 万単位の大部隊なら、これでもかなり早い。

 補給部隊を先行させ、軍隊のみを動かすのなら、95パラサングも可能だが。

 アル・シャルク軍は補給部隊込みの、遠征軍である。

 事前に聞いていた行軍速度からすれば、まだ六日はかかるはずだったのに、遥かに早い行軍速度である。

 手前でいったん陣形を整え、人馬を休ませて、そこから先端を開くにしても、三日の内に戦いが始まるであろう。


「見てみよ」

 サウド副官から渡された遠眼鏡を受け取ると、ジャバーは地平線の彼方に目を向けた。

 礫砂漠の赤い大地の向こう、ポツンと一筋の砂塵が見える。

「あれは……アル・シャルク軍? 全容は解りませんが、ちと少ないような」

「うむ、的確な見立てじゃ。そちは儂の身に何かあれば、軍師としてアサド殿を支えねばならぬ身、この戦いで多くを学ばねばならぬ」



   四


「アル・シャルク軍の将軍なら、先陣の部隊を先行させ、先ずは迅速な攻撃でウルクル軍を打ち破り、本体到着前にあわよくば、決着を付ける気かもしれませぬな」

 遠眼鏡をサウド副官に返却しながら、ジャバーは己の見立てを口にした。

「そして西からは太陽神殿の巡回使節。これは秘策に使えるやも知れぬ」

 サウド副官の顔が、わずかにほころんだ。

「秘策?」

「それに、#あいつら__・__#が来たようだのう」

「疾風の部隊ですか? こちらも早かったですね」

「うむ、これで傭兵部隊の戦力は───」



 サウド副官が、何かをジャバーに語ろうとした瞬間、瀝青の丘の空気が、震えだした。

 地の底から響くような思い響きが、

 それは空気が震えているのではなく、大地が震えていたのだ。

 ───地震!

 それは、小刻みな振動で、瀝青の丘の小石や砂を、カタカタ震わせていた。

「備えよ! この後により大きな揺れが…」

 サウド副官がそう言って地に伏せた瞬間、足元からドンと突き上げるような衝撃が、ジャバーを襲った。


「うわっ…とぉ!」

 ジャバーの巨体が半キュビットも浮き上がり、足払いを食らったようにコテンと倒れた。

そのままズルズルと瀝青の丘の斜面を、転がり落ちる。

「慌てるでない、地震は長くても五呼吸もするうちに収まる。それよりも滑落に気をつけろ」

「解りました!」


 そう叫ぶジャバーだったが、激しい揺れに地鳴りが重なり、サウド副官の声もかき消えそうである。

 遠く北方にそびえる火山の近くなら、地震も珍しくはないが。

 平坦な礫砂漠の西方では、地震自体が珍しい。

 地に伏せたサウド副官とジャバーの周辺の砂が、まるで水が流れるように、麓に向けて流れ出した。

「い、いかん! 砂雪崩に…」

 巻き込まれるぞと続けようとしたサウド副官の声も、かき消された。


■ 第2章/黒き軍団 第3話/山頂の偵察部隊/終■

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