序之章/赤き砂塵 第5話/巻き毛のミアト

   一


 兵士達の間に動揺が走った。

 彼の表情は、あまりにも静かで、殺気のかけらも無い。

 たった今、人一人を殺した人間の顔ではない。

 歴戦の強者が持つ雰囲気を感じたのは、相手を妖魔と見誤った恐怖からの、勘違いだったのか?


 ……あの商隊に化けた間者の首をはねたのは、この赤い男ではないようだ──近衛隊の誰しもがそう考えた。

 赤い一団の他の者も、武器を持っていない。

 ということは従者の誰かが手を下した可能性も無い。


 最初こそ、その突然の出現に圧倒されもしたが、冷静に観察すればただの商隊のガキではないか。

 そう思うと近衛隊の面々の態度は、さきほど一瞬とはいえ恐怖を感じたが故に、今度はことさら見下した横柄なものとなった。

「ああん?」

「ウルクルへ何の用だ? おまえら商人には見えんが」

「小僧、そのような切れもせぬナマクラを背負って何処へ行く? それでは難儀じゃろうて。何ならわしの短剣を売ろうか?」

「それよりもその馬は何だ。驢馬を買う金もないか? そんなにでかくては、餌ばかり食って役にはたつまい」

 ウルクル兵の罵倒に、巻き毛の少年が激昂した。

「小僧じゃない、おいらミアトだよ! あんたのその眼はただの穴かよ? じいさん」


 兵達のからかいに少しも臆する様子もないどころか、小馬鹿にしたような巻き毛の子供──ミアトの物言いに、じいさん呼ばわりされた兵士がカチンときた。

「無礼な! おまえの名なんぞいておらんわ!」

「口の聞き方を知らんガキだな」

「俺達に喧嘩を売る気か? 農耕馬で相手になると思うのかよ!」

 兵達の言葉に辺境の田舎者に対する嘲りが溢れる。

 先ほどの恐怖の裏返しで、彼等は望んだのだ。

 赤い一団が、ウルクル軍の精鋭たる自分達に対する、畏怖の念に満ちた眼差しでおびえながら、突然現れた非礼を詫びるという反応を示す事を。

「なぁ~にが無礼だよ? ウルクルじゃ正規軍の皆様には、平身低頭しなくちゃなんねーのかよ!? 冗談じゃねぇぞ」

 予想外のミアトの言葉に、兵士達は気色ばんだ。



   二


 殺されたアル・シャルクの間者の事などもう、頭の隅に追いやられている。

 殺気立った兵達に、ミアトはさらに追い打ちをかけた。

「へ~んだ! さっきは俺らにびびって、ションベンちびりそうなツラぁしてたくせによう!」

 この言葉に兵達の表情が凍り付いた。


 怒りが渦巻き始める。

 ミアトは彼等が、一番触れられたくない所を突いたのだ。 

 だがこの少年、鈍いのかそれとも剛胆なのか、兵士達の中で首をもたげつつあるドス黒い感情に、まったく気づかぬかのように言い放ったのだ。

「だいたいあんたらの乗ってる、そりゃ何よ? ガラガラガラガラ、うるせえ音出してさ、そんで驢馬にも追いつけないんじゃ、戦さになんねえじゃん!」


 彼を囲んだ兵士達の間から、トロトロと殺意があふれ出しつつあった。

 こいつら、偶然通りかかったのではない。

 自分達ウルクル兵が、アル・シャルクの間者を取り逃がすところから、一部始終を見ていたのだ。

「ほう……ならばおまえ達の馬なら追いつけるのか? そんな農耕馬で」

 近衛隊の副将が、低い声でミアトに問いかけた。

 そう言いながら、背中の弓にそっと手を回す。

 ミアトの言葉を、明らかに挑発と受け取ったのだ。

「農耕馬? バぁカ言うな、こいつはれっきとした軍用だよ。あんたらの驢馬よりも何倍も速いし、力だって強いんだぜぇ」


 ミアトの啖呵に、今度は兵士達の間からドッと失笑が起こった。

 素人ならば、馬のその巨体に圧倒されもしよう。

 だが、幾多の戦場を駆けめぐってきた兵士達は、これほどの巨馬は実戦ではほとんど役には立たないことを、よく知っている。

 その体躯ゆえ、機動性に欠けるのだ。

 百年以上前の歩兵が主力の戦と違い、主戦力が戦車と歩兵による集団戦が、主体の今日いま、小回りの利かない巨馬など弓矢の標的以外の何者でもない。

 身体が大きいだけに、力は驢馬よりもあるだろうが、動きの鈍さがそれを帳消しにする。


 しかも、戦車を引かせるならともかく、馬の背に直接騎乗していては、長時間の戦闘など不可能だ。

 馬から振り落とされないよう、両脚で常に馬の腹を挟み込んでいなければ、すぐに落馬する。

 両脚で馬を挟みつつ、上半身は手綱をさばくなどと言う芸当は、生まれながらに馬と暮らし、乗馬の技術に長けた北方の遊牧民以外にはできない……というのがウルクルでの常識である。

 だが馬よりも小さな驢馬ならば、挟み込む力も少なくてすむ。

 騎乗するなら、驢馬に限る。



   三


「軍用だぁ? その馬、食料の運搬にでも使うのか」

「いんや、乗って闘うんだよ。オレらは傭兵さ」

 ミアトがすまして答える。

「おまえさんが傭兵? こりゃあいい!」

 先程よりもさらに大きな笑いが、兵士達の間から起こった。

 今度はあきらかな嘲笑だった。

「おまえみたいなガキが傭兵だぁ? 冗談もたいがいにしろ!」

 武器らしき物と言えば、大将と少年が名指した男が背にした、異様に巨大な長剣の他には、各々が手にした長さ8キュビットほどの杖だけ。

 しかも乗りこなしの難しい馬ときている。

 壮年の者達はともかく、ミアトやこの若い大将と呼ばれる男に、御せるはずもない。


 アル・シャルクとの戦をひかえたウルクルには、諸国から食いつめた傭兵どもが志願兵として続々と集まって来ている。

 だが、ほとんどが兵士としては、大した戦力にはなりはしない。

 まともな傭兵であれば必ず、勝つ方に付く。

 それが生き残るための当然の道であった。

 よほどの食いつめ者か凶状持ちならともかく、負けが見えているウルクル軍にわざわざ志願する者など、いない。

 負け戦のドサクサに紛れての、火事場泥棒でも企てているならともかく。

 傭兵が義のために動くはずもない。

 結果として、傭兵部隊など単なる員数合わせでしかなくなる。

 事実、ウルクルの傭兵部隊も、単なる犯罪者の逃げ場と化しているのが、実状であった。


 こんなガキを連れた傭兵部隊など、一日とて務まるまい──

 兵隊達の間から漏れた笑いは、そう言っていた。

 しかし部下達の嘲笑をよそに、ファラシャトは努めて冷静に答えた。

「確かに今、ウルクルは人手不足だ。農民を無理矢理徴兵していることを考えれば、志願兵を邪険にする理由もない」

 来る者は拒まず、だ。

「まあ、おまえ達が戦力になるとも思えぬが……いずれにしろアル・シャルクの一味である疑いが消えぬ内は、城郭内への武器の持ち込みは禁止だ。杖はともかくその長剣は没収する。今夜一晩は城の中の牢に泊まってもらおうか」

 ファラシャトはそう言って、右手を差し出した。

 その武器をよこせ…という意味だ。



   四


「さぁて……」

 赤い巨馬に騎した男が初めて、言葉を発した。

 容貌に似合わない、静かな、低い、サビを含んだ声である。

「俺達は、仕官するためにウルクルに来たんだ。牢獄に入るためじゃない。それにこの剣は亡父の唯一の形見でね。おいそれと他人に渡すわけにはいかない」

「べつに取り上げると言っている訳ではない。一時的に預かるだけだ、問題なければ二、三日中には返す」

 だが、彼はファラシャトの言葉が聞こえないかのように動かない。

 口元にはうっすらと笑みさえ浮かべている。

(私の言葉が理解できぬのか? こやつ、よほどの莫迦バカかそれとも……)

 呆れ顔で男を見ていたファラシャトは、彼の愛馬の前足の付け根が濡れているのに、ふと気づいた。


 巨馬の赤い毛並みに隠れ、すぐには分からなかったが、それはまぎれもなく……

「おまえの馬、前足についているそれは……」

 返り血、という言葉を彼女は飲み込んだ。

 やはり、こいつだったのか?

 商隊に擬した長を殺害したのは。

 ファラシャトは困惑した。

 わからない。

 この男、鈍いのか?

 それとも自分に絶対の自信があるのか?

 兵士達のからかいにも平然としていられるのは、そのどちらかでしかない。

 後者だとしたら、やはり商隊に化けた間者の長を殺したのは…。


 ファラシャトの心に確信にも似た戦慄が走り───

 同時にこの男に対する興味が湧いてきた。

 面白い。

「剣を渡せぬか?」

 バカか腕利きか? こいつの技量、ここで確かめてやろう!

「では……腕づくで戴くことにしようか!」 

 叫ぶと同時にファラシャトは、騎乗する驢馬に鞭を入れていた。


■序之章/赤き砂塵 第5話/巻き毛のミアト/終■

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