序之章/赤き砂塵 第2話/商人の市場作法

   一


 長の言葉を無視して、ひとしきり積み荷をゴソゴソとひっくり返していたファラシャトの部下達だったが、壺の中にも葦の篭の中にも不審なものは見つけられなかった。

 絹に玉葱に丁字クローブ。絹の量は少ないが、それでもかなり良質のものである。独特の光沢が美しい。

「隊長、特に不審なものは……」

「わかった」

 部下が広げた荷を簡単にあらため終わって、ファラシャトはひとりうなずいた。


「いや、どうやらおまえ達の商隊では、ないらしい。確かにただの交易商人のようだ、手間をとらせて済まなかったな。もう行って良いぞ」

 疑いが晴れ、ほっとした表情が商隊に浮かんだ。

 ただし、長だけは当然と言わんばかりの顔をしている。

「お疑いが晴れたのならば、結構でございます。それでは……」

 言葉の端々に嫌味を含ませながらも、そう言って商隊がファラシャトの脇を通り抜けようとした時、突然彼女が長に問いかけた。

「しかし見事な絹だ、東方の品か? さぞ高価であろうな。これ位はするのか?」

 そう言って彼女は人差し指を一本立てて、長の前に差し出した。


 突然の問いに長は多少狼狽したが、彼女の声に先程の横柄な態度とは違った、少女らしい羨望を感じとるや、すぐさま接客用の笑みを満面にたたえて応えた。

「いえいえ、それほど高くもございません。その値の半分ほどで」

「ほんとうか? それは安いな!」

ファラシャトの顔に無邪気な笑みが広がる。

「戦が近いせいか、商隊もウルクルを敬遠して、なかなか上質の絹が手に入らぬのだ。済まぬが一反ほど売ってくれぬか? もちろん市価でかまわぬ」

 ファラシャトの言葉に商隊の長は苦笑した。

 男のような格好をして近衛隊長と名乗ってはいても、所詮は年頃の娘。

 音に聞こえた東方の絹を目にしては、職務も脇に置きたくなるというもの。


「どうぞ遠慮なさらずに。この浅葱色の品など、貴女あなた様に良くお似合いかと存じます」

 彼女の目と良く似た、淡い青色の絹は、確かにその白い肌に似合いそうであった。

「これで足りるか?」

 ファラシャトは懐から、金貨を一枚とりだすと商隊長に手渡した。

「十分でございます」

 ずしりとしたその感触に、本物の金貨と確信したのか、そう応えると長は腹に巻いた胴巻きの中から銀貨五枚を取り出してファラシャトに渡した。

「釣りでございます、お確かめを」

「銀貨五枚、間違いないな?」

「はい、間違いございませ……ぐげがっ?」

 長が返事をし終えない内に、ファラシャトの剣が彼の首筋に向かって抜き放たれていた。



   二


 とっさに受けとめた長の杖が、二つになって飛び───

 剣は長の肩口に深々とめり込んでいる。

 正確に首の頚動脈を狙った剣だったが、杖に阻まれた分だけ軌道が変わったのだ。

「な……何を!」

「いくら商人のふりをしても、最後の詰めが甘いな。交易商人の間では人差し指を一本立てたら、それは……」

 ファラシャトが二撃目を放つ。

 長は咄嗟に身体を右にひねり、ファラシャトの剣を肩から引き抜いた。

「うぐっ!」

「数字の6ということさ!」

 ファラシャトの追撃を紙一重でかわすと、長は短剣を左手で抜きはなった。

 刃先が正確にファラシャトの眉間を狙っている。

「ほう、さっきまでは商人の顔をしていたくせに、急に武人の顔になったな」

 先程、杖を構えたときはどこか、素人臭さの残る硬さがあったが、今は肩の力の抜けた自然な構えになっている。


「……なぜわかった?」

 油断なく長はファラシャトに鋭い視線を据えたまま尋ねた。

「ん? ああ、あれか。商人が競りをするときの指数字さ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ファラシャトは答える。

「おまえは私が人差し指を出したら、その半値だと言った。相場から言ったら金貨六枚では高すぎる。だったら値は銀貨六枚以外にない。その半分と言ったら銀貨三枚のはず。ところがきさまがよこした釣り銭は銀貨五枚だった」

 自分が受け取った金貨に目をやり、長は軽く舌打ちした。

「二十年も交易商人を続けてきたやつが、こんな初歩的な間違いを犯すはずがない。つまり、おまえは、偽者ってことだ」

 

 中原ちゅうげん…いやこの世界のほとんどの市場の競りでは、右手のみを使った指数字が使われている。

 親指を一本だけ立てればそれは一を表す。

 親指と人差し指を立てればそれが二だ。

 中指・薬指・小指を立てて、親指と人差し指で丸めて輪を作れば三。

 親指以外の指をすべて立てれば四。

 五は当然すべての指を立てる。

 六は人差し指を立てる。

 七は人差し指と中指。

 八は親指・人差し指・中指を立てるのだ。

 そして九は小指のみを立てる。


 競りでは時として、値段が急激に競り上がる。

 商人もそれにあわせて、仲買人に自分の競り値を、次々に伝えねばならない。

 桁が大きくなれば、指も激しく変化させることになる。

 早く、正確に、簡潔に。

 必然的にこのような指の動かし方が一番出しやすく、また誤認されにくい。

 いつ、誰が始めたわけでもなく、商人達の間で必然的に生まれ、広まったのだ。

 こんな指数字など商人にとっては基本中の基本、初歩の初歩。

 だが、原理を知らぬ門外漢には、意味不明。



   三

 

「うまく商人に化けたつもりだろうが、最後の詰めが甘かったな!」

 ファラシャトの手にした細みの剣がまっすぐに長に向かってはじけた。


 ───だが、長は手に残った杖を下から跳ね上げファラシャトの剣を右に払うと、驢馬ロバの背にあった素焼きの壺を投げつけた。

 壺自体は、商人が交易に使う本物である。

 子供が入れるくらいの大きさがあり、しかも重い。

 こんな物を投げつけられては、屈強な男たちでも簡単には打ち払えない。

 下手に剣で払えば、剣が欠けて刃こぼれをする。

 かといって非力な女の腕では、叩き落とせない。

 とっさにファラシャトは身をよじって壷をかわした。


 その脇を間髪入れず、長の乗った驢馬は疾走する。

 計算され尽くされた動きであった。

 長の方に意識を集中すれば、壺の直撃は免れない。

 悪くても顔か胸の骨を折る。

 壺の方に意識を集中すれば、長には逃げられる。


 近衛隊長と名乗ってはいてもおそらくこの小娘は実戦慣れしてはいない、とっさの判断力に欠けているはずだ。

 敵の予想外の行動に対して一瞬混乱し、必ず次の行動に迷いや躊躇が出る…それだけのことを一瞬で判断した長は迷わず壺をファラシャトに投げつけ、同時に彼女の方へと突進したのだ。

 戦場では、教科書通りには事は運ばない。

 実際、結果は長の読みどおりになった。

 ファラシャトと長の、実戦経験の差が出た。



   四


 長の動きにあわせるように、残りの商隊の七人は体勢の崩れたファラシャトの方へ一斉に切りかかった。

 ファラシャトの部下たちも、砂煙を挙げて彼女の前に廻りこむ。

 怒号と血飛沫が上がるより早く、手にした杖の切れ端で長は驢馬の尻に鞭を入れた。

 長の渾身の鞭に、屈強な若駒は疾走し。


 速い──

 長の予期せぬ動きにファラシャトは慌てた。

 自分の正面を突破されるとは!

 一団の長としては、これ以上の屈辱はない。

「逃がすな! 追え、追うのだ!」

 逃げる長の口元に皮肉な笑みが浮かんだ。

 彼の勇猛な部下達は、ただひたすら近衛隊の面々に組み付いている。


 ある者は戦車に、

 ある者はファラシャト自身に、

 馬に、

 手綱に、

 車輪に……


 殺されることを覚悟で。

 いや、わざと殺されてウルクルの近衛隊の戦車の前進を阻むためのモノ……死体となるために。


「邪魔だ! どけっ……どくんだぁ!」

 戦車の長柄にしがみつくアル・シャルクの兵に向かってファラシャトは怒声をぶつけ、剣を振りおろす。

 だが死体となっても、しがみついたその手は、長柄から離れない。

 もともと軍用馬だったのだろう、長の驢馬は一気の加速で、どんどん彼女の視界から遠ざかる。

「速い、速すぎる……」

 ファラシャトの必死の追跡にもかかわらず、その差はじりじりと開いていく。

「敵の内情を吐かせるには、格好の手合い。逃がすか!」 

 ───だが、ふいに彼女の心に疑念が浮かんだ。


 ………なにかおかしい………


■序之章/赤き砂塵 第2話/商人の市場作法/終■

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