【KAC20247】紫(ゆかり)を盗まん

野沢 響

紫(ゆかり)を盗まん

誰もが寝静まる刻限だというのに随分と外が騒がしい。

何度か寝返りを打ったあと桜姫おうひめは静かに起き上がった。

音のする方へ顔を向ければ人々の声に混じって慌ただしく駆ける足音も聞こえくる。

火災だろうか、それとも物の怪の類が悪さをしているのか。それともーー。

桜姫は少し迷った後、外を覗いてみた。

数十人が松明を手にして暗闇の中に浮かび上がっている。

その者たちの話し声を何とか聞こうと耳をそばだてるが会話はまるで聞き取れない。

ここからでは何が起こっているのか全く分からない。

夜が明けたら女中に話を聞いてみよう。

桜姫が寝床へ戻ろうとした時、かすかな物音と何かが動く気配を感じた。

側に置いてあった行燈を手に取りゆっくりとそちらへ向けてみる。

闇の中から姿を見せたのは一人の若い男。

桜姫は悲鳴を上げそうになるのを必死に抑えて目の前にいる男を凝視する。

この部屋の暗闇と同化するほど黒い衣服に身を包んでいる。その男の顔は反対に雪のように白い。

顔を覆っていても端正な顔立ちなのが見て取れる。

「今宵は随分と騒々しいですな。姫様は気にせずお休みになったらいい」

低く落ち着いた声でそう語りかける。

勝手に人の城内に入り込んでおいてまるで悪びれる様子もない。

桜姫はきっと男を見据えてから、

「ここで何をしているのです? この騒ぎは貴方が原因では?」

「これは驚いた。可憐な見た目とは違って肝の座った姫様だ。おっしゃる通り俺を捕まえようと必死なのさ」

「やはり……」

桜姫は音のする方へ横目をやる。

男は更に続けた。

「姫様、彩玄さいげんという名を聞いたことはないかい?」

「彩玄……」

名を呟いて思い出したのは最近都で噂になっている一人の盗人。

特定の色に定めを付けてその品物を盗んでいくという謎の多い賊である。

「以前は薄紫の品物が盗まれたと……」

「その通りさ。その前は紅。その前は青。最初は黄色や白なんかの色味の薄いものを盗んだ」

「何故そのようなことをするのです? 一体何のために?」

桜姫は困惑した色を滲ませる。

目の前にいる男の考えが理解出来ない。

「最初は価値の低い物を盗む。盗みやすいのというのが理由さ。価値が上がるほど厳重に管理されるからな。それに」

男は一旦言葉を切ったあと、更に続けた。

「どんな身分の者にも憧れる色というのがある。以前、盗んだ薄紫とかな」

「今度はどの色を盗むのです?」

桜姫のその声には少しの不安が滲む。

「姫様だって憧れているだろう。栄華を誇るその高貴な色に腕を通して見たいと思ったことが一度はおありだろう?」

表情は見えなくても男が笑みを浮かべているのが分かる。

「まさか!」

男が頷いて懐から出して見せたのは濃い紫色の着物だ。

貴族なら誰もが憧れる最高位に位置付けられている高貴な色。

「幼い頃から見ていたはずだ。お父上が身に纏っていた着物だよ」

「なりません! 返しなさい」

桜姫が取り上げようとしても男はひらりと彼女の手をすり抜ける。

「姫様、俺の名を覚えておくといい。さきほど口にした名を」

そう言うと外へ出るために背を向けた。

「お待ちなさい、彩玄!」

桜姫が言い終わる前に彩玄は足早に部屋を後にした。

部屋に残されたのは桜姫だだ一人。

外の方は一層騒がしくなっていた。

そこでふと桜姫は思い出す。

紫色にはもう一つ連想させるものがあることを。

「ああ、そういえば不安を思わせるのも紫色でしたね……」

ぼんやりと呟いた時、襖の向こうから女中の呼ぶ声が聞こえた。

                 (了)









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