第8話 大根王子Ⅰ 八

 港に海賊が上陸してから数時間程が過ぎた。海沿いに並んでいる店の多くが占領されたが、住宅街の方まではまだ来ていない。カタリナは日が暮れて薄暗くなった街のなか、港の海沿いから民家の間を抜け、息を潜めながら石塀の松明を頼りに少しずつ住宅街の方へ逃げていた。

 詰所の仕事が思っていたより早く済んでしまったカタリナは、港の店で綺麗な貝殻でできた装飾品を手に取ったり眺めたりしてひとしきり楽しんだ後、アルベルトがいた食堂に合流しようと思っていた矢先に海賊の襲撃にあい、裏通りへ避難したのだった。

(ここまで来たのはいいけど門の海賊が邪魔で住宅街へ行けそうにないわ。どうしたらいいの?)

 民家の茂みから門を覗くと十人ほど武装した海賊がうろついている。気付かずに通り抜けるのは無理そうだ。どこかで休みたい気持ちもあり、カタリナは裏通りへ引き返した。

(アルベルトはまだ住宅街にいるのかしら? 私を探しに詰所の方に行ってしまった可能性もあるし早く合流しないと)

 カタリナは何か食べ物が無いか近くの家の窓から中を覗いた。住人はとっくに逃げてしまったらしい。中に滑り込むとキッチンにパンと水、果物が少しだけ残っていて、カタリナは悪いとは思いながらも頂くことにした。

 寝室の扉を開けるとすぐ目の前に男が一人立っていた。カタリナは突然のことに驚いて立ちすくんだ。どうやらキッチンであさった物音で気付かれたらしい。ここで勝手に寝ていた海賊だった。

 男に腕を掴まれ、カタリナはベッドの上に押し倒された。男がカタリナの上に馬乗りになると力が強くてまったく抵抗できない。カタリナは腕を頭上に挙げた形でベッドに縛られてしまった。海賊はカタリナの顔をなでながら満面の笑みを浮かべた。

「くぅー! いい女だな! ちょうど女が欲しかった所だ。ツイてるぜ!」

「最後に見るのが美女でツイてたな」

 突然海賊の後ろから声が聞こえ、その直後に海賊の胸から刃が生えた。カタリナを見たまま絶命した海賊は後ろにいた男に抱えられ、静かに床に横たえられた。黒いフードの男が海賊から剣を引き抜きそっとベッドに腰かけてカタリナを眺めた。

「本当だ。あんた美人だね」

「あ、あ」

 カタリナは驚きの連続で声が出ない。フードの男は口元に指を立てて静かにするよう促した。

「もう少し眺めていたい所だが俺にはやる事があってね。動くなよ」

 カタリナがうなずくと男は腰のナイフを抜きカタリナの腕の拘束を解いた。

「あ、ありがとうございます」

「あんたこんな所で何してる?」

「港から逃げてきて恋人を探しに住宅街に行きたいんですけど、門の海賊が邪魔で向こうに行けないんです」

 フードの男は少し顎をさすると何か思い付いたようだ。

「港から逃げて来たといったが、ひょっとしてあんた港に行く前に詰所の方に行かなかったか?」

 カタリナは驚いた。

「ど、どうして分かったんですか?」

「やはりそうか。少し前に詰所で恋人を探してるって奴に会ったんだ。炎の向こうだからよく見えなかったが茶髪の二十代くらいの緑色の服を着てる男だ。あんた行き違いになったんだな。野盗にあんたが連れて行かれたと思ったらしい。野盗を追いかけて街の北に行っちまったぞ」

「そんな……。アルベルト……」

 今度はフードの男が驚いた。

「アルベルトって、ひょっとしてアルベルト王子か? あんた王子の恋人なのか?」

「そ、そうですけど……あ」

 カタリナはハッとして男を見た。今のはまずかったかもしれない。王子の恋人と分かったら身代金狙いで誘拐する者もいるだろう。この男だってどう見てもカタギの者には見えない。カタリナが警戒したのが分かったのかフードの男はフードを外して少し微笑んだ。

「心配するな。俺はケチな誘拐なんかしない。王子と出会ったその日のうちにその恋人に出会ったから驚いただけだ。すごい偶然だろ。俺はアサヒ。民間の諜報機関で働いてる。情報屋って聞いたことあるだろ。そいつが扱う情報を集める役だよ。下っぱさ」

「そ、そうなの」

 カタリナは改めてアサヒの顔を見た。二十代後半だろうか。黒髪に黒い瞳。東洋人のようだ。この辺では珍しい顔だからフードで隠しているのだろう。

「よし、いいだろう。あんたが住宅街へ逃げるのを手伝おう。王都に住んでるんだろう?」

「ええ」

「ただし王子を追いかけて北に行くのはやめとけ。女一人では危険すぎる。さっきみたいになるのがオチだ。大人しく王都に帰るんだ。俺は北に行く用事がある。王子に会ったらあんたの事を伝えるよ。あんた名前は?」

「カタリナです」

「カタリナだな。よし。とりあえず今日はここで寝な。明日の夜明けに出発だ」

「え、ええでもその」

 カタリナはすぐそばの死体を見た。

「ああ。このオブジェはいらないか? じゃあ俺がもらっといてやるよ」

 アサヒは死体を引きずって出て行き、しばらくしてから扉を開けて顔を覗かせた。

「添い寝は必要かなお嬢さん?」

「けっこうよ」

 アサヒとカタリナはお互いに笑みをこぼした。

「ありがとうアサヒさん。本当に感謝してる」

「ま、気にすんな。俺としても王子に恩を売れるし悪くない話だ。じゃ、おやすみ」

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