――セレステ。その名前は、僕が名付けたんだ。

 きっと君は奇妙だと思っているだろう、僕の年齢について。この話の始まりは、僕が吸血鬼だということだ。

 吸血鬼は歳を取らない。人間の血を吸えば、そして太陽の光に当たらなければ、非常に長い期間を生き続けることができる。

 その代わりに、代償もある。吸血鬼になった者は子は成せない。血を与え、吸血鬼になった人間を新たな一族の者として、その血脈を長らえさせていく。


 その昔には、吸血鬼の血族は多くいた。その長い寿命と、常人には達し得ない知識と技で、人間の上に立つ存在として奢り、自らの存在を隠そうともしなかった。

 だが、そんな者たちは皆人間に滅ぼされ、その血脈は絶えた。僕が現代でも生きているのは、吸血鬼であることを隠すように教えられてきたからだ。

 僕が生まれたのは一六〇〇年、エリザベス一世の御代だ。生まれた時には人間で、捨て子だった。僕の『師匠』は、人間の世界では医者に身を窶し、瀉血で人々を治療し、そしてその血を貰いながら生きていた。また孤児を手元に引き取り、彼らが吸血鬼の血に耐えられるか見極めてから、その血を与えて仲間とする。彼は大きな力を持っていたが、争いを嫌い、人間との共存を望んでいたんだ。この屋敷に来るまで、またこの部屋に案内されるまでに、僕の召使たちを見ただろう? あれは、彼に教わった術で僕が作り出した人形だ。

 

「血を与える者には気をつけなければならない」

 彼は言っていた。

「大人になったものに血を与えても何もならない。子供でもその血が効くとは限らない。また血によってその体が変質するうち、その変化に耐えられずに死んでしまう者もいる」


 だから、僕もそうやって生きてきた。時代が変わり、もう瀉血療法を信じる者はいないから、その稼業は困難になってきていたが。

 今はって? 止めたよ、医者は。もう、この血族を長らえさせることもないからだ。

 僕の一族は僕の代で終わる。これでお仕舞いにするんだ。


 そうだった、セレステとの関係だったね。

 まだ僕が人々の間で、医者を続けていた頃の話だ。

 僕はなかなか見つけられなかった、吸血鬼の適合者を。吸血鬼が子孫を残せないとしても、吸血鬼の適性は遺伝するものだった。時代が下るうちに吸血鬼の血に適合する遺伝子を持つ人間は減っていき、もはや絶滅に近い状態だった。


 そんな時に僕は出会った、僕のセレステに。

 彼女は五歳で、痩せっぽちで、目だけがぎょろぎょろと大きい、そんな子供だった。そして、その目で僕を見上げていた。

 僕が目を奪われたのも、その目だ。明るい青の色。まるで、晴れた日の青空のようだった。

 僕の目を見てくれるかい? この紅色を。元々の色は違っていた。吸血鬼になることの代償がこの目、それから肌と髪の色だ。このために、僕は日の光には灼かれてしまう。だから僕にとって、空の青い色は遥か昔の記憶、三百三十年前に見た青空の色しかない。


 それで、僕は彼女をセレステと名付けた。天上の青を意味する名前だ。人間にとって子孫を残すことが使命であるように、吸血鬼にとっては後継者を残すことが使命だ。だから僕は、彼女をその後継者に選んだ。そのはずだった。


 君たちは信じているかもしれない、吸血鬼は神に関することを恐れ、教会や祝祭には決して近づかないと。だが、そうだとしたら遥か昔に駆逐されきっていただろう。特に、祝祭前のマーケット、薄暗い冬の曇り空の下で開かれる市は、僕が外出するにはちょうどよかった。

 だから、この指輪はそんな時に買ったんだ。僕が彼女に。フクロウのモチーフは彼女が選んだ。昼間の外出を避け、夕方になってから出かける僕がフクロウのようだと、彼女はそう言った。

 だから、こんな安物の玩具の指輪でも、僕らにとっては大事な思い出だ。


 僕にはだが、時間がなかった。

 セレステに血を与えるなら、十二歳までに与えなければならない。その後は死亡率が急激に高まり、十四歳になるとほぼ絶望的だ。

 だけど、僕はずっと迷っていた。僕が調べた限りでは、セレステには吸血鬼の適性がある。だが、それは同時に、彼女が吸血鬼の血による身体の変質に耐え切れず死んでしまう可能性もあることを意味していた。

 それに、彼女が吸血鬼になったら、彼女の目はその青色を失ってしまう。それは、僕があの天上の青の記憶から再び遠ざかることを意味していた。


 そんな日々が続いていた、三月のある日のことだった。

 日が沈んでいたから、彼女はこのカーテンを開けていた。暗い灰色の中で、ところどころに血のように赤い雲が棚引く、そんな夕暮れだった。

 セレステはこの窓から、夕暮れを見ていた。

 その青い目、白い中に淡い血色の滲む、その柔らかな頬、その青白い首筋。

 僕は一歩、彼女に歩み寄った。


 その後のことを、僕はよく覚えていない。


 気が付くと、僕は彼女の首筋に噛み付いていた。そしてセレステは怯えた目で、僕の方を見返していた。その目の怯えた色。

 僕が彼女に付けた傷は、その咬傷だけだ。血を吸うことも、または自分の血を与えることもしなかった。

 だけど、僕は大事なものを失ったことに気がついた。

 彼女との信頼関係。穏やかな時間。僕が彼女に与えてやれる幸せ。

 そして気が付いた。人間が肉欲に駆られて短い生を激情と共に生きるように、吸血鬼もまた、その宿業を果たさんとする欲望は、激情的にその身を支配することに。

 今彼女を吸血鬼にする決断をしなかったとしても、僕はいつか、また同じことをするだろう。

 そしてそれは、次はきっと彼女を殺してしまう。彼女が生き延びたとしても、その青をその目から消してしまう。

 そして気がついた。僕は本当は、セレステが可愛い子や孫に囲まれて、幸せな生を全うすることを望んでいることに。そしてそれは、僕が彼女に与えてやれない生き方だということに。

 吸血鬼になって得られる長い生がなんだろう? 生きている時間が幸福でないのなら。


 だから、僕はセレステを手放した。養子縁組を解消して、信頼のおける知人の養子として、遠くで生活してもらうことにした。できる限り僕から遠ざかるように、規律の厳しい寄宿学校に入れてもらって、こちらには戻って来れないようにした。それから、僕はこの屋敷も閉じて、長いこと外国にいた。


 以上が僕の物語だ。

 僕はもう、血を吸うこともない。後継者を探すこともない。

 血を吸わなくなった吸血鬼は老いはしないが、次第に古び、罅割れていく。この身はやがて砂のように、灰のようになり、風にさらわれて消えるだろう。それでいい、そうであることを僕が選んだのだから。


 君の名前は? ——アマンダ。そうか。アマンダ。

 君は、よく似た目の色をしているね。セレステのあの青い目の色と。きっとセレステが君を寄越したのは、君の目の色のためだろう。だけど、僕の天上の青は、僕がそこに帰っていくことを望んだ空の色は、あのセレステの目の色だけだ。


(了)

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