華麗なる大円舞曲

猿川西瓜

お題「色」

 外は、どないなっているんやろうか。

 色んなことがありまして、悲惨な戦争が起きました。

 家族も皆々死にたえて、おじさん、シェルターに一人ぼち。


 世界でただ一人生き残ったのが、こんなおじさんやなんて。

 こんな理不尽あってええんやろか。

 美少女や美少年が生き残るほうがなんぼかやろか。

 おじさん、生き残ってもしゃーないで。

 おばはんが生き残っても、それはそれでどうかと思うけどな。


 ああ、孤独というのは不思議なものや。

 孤独になりたての頃は、焦って焦って、「おかあちゃん」って叫んだけど、しばらくたって、腹が決まったら、一人だけの食うに困らない生活に慣れようと必死になった。

「まあ……こんな人生も、ありやろな。ってか誰もおらんし」


――


 おじさんは孤独ではない。

 正確には、まだ生き残りが一人いた。しかしそれは「生命」ではない。

 家事用の、ロボットだ。

 身体の中に、核融合発電だの、水素エネルギーだの、なんだか分からないが、そんなものが詰まっていて、無限に動くことが出来るのだとか。

 おそらく、地球の文明が完全に滅びてしまって。また智恵を付けた類人猿が人間に徐々になっていって、また次の文明を作るくらいまでは、このロボットは動き続けることは確かだった。


 ロボットは、しなやかな体つきをしていて、それでいて頑丈だった。

 おじさんが頭を殴っても、びくともしいない。ロボットらしい、頑丈で、無愛想な機械だ。

 機械らしい機械であることが、おじさんにとっては物足りなくもあり、それでよかったとも思えた。


 命令には忠実だった。ただし、変な命令には従おうとしなかった。

 おじさんはある時、子孫を残そうとする異様な性欲にかられて、ロボットを抱こうとしたが、10メートルも突き飛ばされた事があった。

 プログラムをした人物は、よほど人間のことをよく分かっていて、人間的な倫理観や感情を大事にしていた。ロボットは誰よりも人間っぽさがあった。

 おじさんとしては、それを個性と捉えるか反抗と捉えるか、人間らしいことが逆にロボットらしいと捉えるか、どれを選択していいかわからなかった。


――


 おじさんの家はせまい。

 おじさんはタワマンの屋上に住もうかと思ったけれども、ビルらしいビルはぜんぶ倒れていて、やっと見つけた無傷の家は、とても狭かった。


 事故物件やないやろか。けれども、人間が滅んだら、事故物件も何もあらしまへん。そうおじさんは呟いた。

 その狭い部屋には、なぜかアップライトピアノが一つ、置かれていた。

 それも、調律を保っていた。


 捨てようと思ったけれども、重たくて運べない。ロボットに頼もうにも、むげに断られてしまった。ピアノはこの部屋の住人の持ち物であり、勝手に外に出すことは許されない、と。


 おじさんはある日、ピアノを弾いてみようと思った。暇だったし、ちょっと興味があったからだ。音が恋しかったのだ。

 不器用に、そっと誰かに触れるように、慎重に、おじさんはピアノを弾いた。

 鍵盤に触れて出た最初の一音は忘れない。全身に鳥肌が立った。音は身体の隅々まで行き渡り、心臓が痛いほど鳴った。しばらく、その音を受け取った痺れで、動けなかった。


 それからおじさんは、音色を探りながら、音と音を繋げていった。ピアノの練習だった。

 記憶の奥底に眠っている、クラシック音楽。

 それが誰の、なんという曲か分からない。

 たぐり寄せるように、おじさんは弾いた。


 毎日何時間も、夢中でそうしていると、ロボットが退屈そうにコチラを眺めていた。

 人間が居た頃と違って、仕事は随分と少なくなったのだろう。

 指示待ち時間が長くて、スリープモードになっていたが、そのスリープモードになることすら飽きてしまったようだった。


「お前、なんか弾いてみるか? ロボットやから、なんかすごいの弾けるんちゃうん?」


 おじさんはロボットを手招きした。

 ものすごくだるそうにロボットはやってきた。

「お前、ほんま愛想ないなあ」

「愛想はあるほうですけどね。退屈だったんです」

「ロボットも暇って感情はあるんやな」

「人間あってのロボットですから」

「理屈っぽいな」

 おじさんは一呼吸おいて、ロボットにこう言った。

「あんた、ちょっとピアノ弾いてみてくれへんか。どうもうまくいかんねん。ロボットやったら、なんか弾けるやろ」

「さっき、同じ命令を聞きました。何度も言わなくて結構です」


 ロボットはピアノの前に座り、じっと鍵盤を見つめていた。

 そして、「すべて把握しました。鍵盤から流れる音、パターン……音楽データベースとも照合し、あらゆる楽曲をダウンロードしました」と述べた。

「人類は滅んだんちゃうんか。どっかからダウンロードできるんか」

「人類が滅んでも、サーバーや電波は私と同じで、半永久的に動き続けるようになっていますから」


 自信満々に言うロボットは、ゆっくりと指先を鍵盤に置いた。

 堂々と、まるで名ピアニストのように、一音を奏でた。

 それから、次の音へ。

 それから、また次の音へ……。


「うわぁ……」

 おじさんは思わず唸った。

「ロボットやのに、こんなに下手くそなんや……」


「あれっ、あれっ。おかしいですね……」

 ロボットが、聞いたことのない焦りの声を出した。

「いや~なんか安心したわ。おれとあんま変わらんやん」

「……由々しき事態です。データはあっても、それを音色にするにはそれ相応の鍛錬が必要なようです」


――


 ロボットは結局、一日がかりで頑張ったが、一曲も弾けなかった。

 それから毎日、おじさん以上に、鍵盤を壊さないようにしながら必死に力加減を調節し、ショパンの『華麗なる大円舞曲』を弾こうとしていた。


 おじさんのための食料調達を終えるたびに、ロボットはピアノに向かい、練習をし続けた。


 おじさんはそれを眺めるのが好きだった。だんだんと音と音がつながり音色になってくる。

 音楽なんて、当たり前にありすぎて、逆に、音楽に興味なんかなかった。おじさんは人類が滅んで初めて、音の美しさ、人類の音楽の発明の素晴らしさを知った。

 そして一言こう漏らした。


 「この曲作ったヤツ、天才やな……」


 居酒屋で流れる音楽が恋しくもあるが、ピアノのクラシック曲は、心に染みいる純粋な美しさがあった。


 おじさんはロボットのピアノの腕の上達を見守り続けた。

 ロボットはやがて、『華麗なる大円舞曲』を最後までをそらんじて弾けるまでになった。3カ月近くかかった。

 演奏会は夜に行われた。星明かりの中、曲が終わると、おじさんは拍手した。

 ロボットは照れくさそうにお辞儀をした。


 それから数十年たった。

 おじさんは身体を悪くして、ベッドで横になることが多くなった。

 ロボットの弾けるピアノ曲は、バッハやベートーベンどころか、アニメソングやヒップホップのピアノアレンジまで弾きこなすようになっていた。

「よう……楽しませてもろたわ」

 弱々しくおじさんは言った。

「そうですか……」

「もうお別れやけど、全然寂しくなかったな……お前のおかげや」

「ありがとうございます……」

「でも、お前の音色を聴けなくなるのは、これまた寂しいことやな……」

 ベッドの上で、痩せ衰えたおじさんはロボットのほうを見つめながら呟いた。


 それから大きく深呼吸したかと思うと、おじさんは息を引き取ってしまった。


 話す相手を失ったロボットは、命令待機の状態となり、そのままおじさんの隣で静かになった。


――


 目を覚ますと、ロボットは実験室らしきところにいた。部屋はなくなっていた。

 長い間眠っていたと、ロボットは自分でも分かった。

 まわりには、少し毛深いが、人類らしき人々がいた。

 日本語……のようでまったく異なる言語で話している。

 文明も、この前より少し違っている。

 言語は、すぐには理解できそうにない。

 幾万年か、経ったようだった。

 また人間は進化したのか。しかもここまで高度に。

 コンピュータに囲まれている。すべて規格が異なっており、アクセスもできない。

 ロボットは、おじさんの孤独を少しだけ理解した。


――


 きっと自分と同じようなロボットがいるのだろうな。


 人間は久しぶりに見た……という気持ちにはならなかった。

 数万年以上前といえど、体感時間ではついこの間まで、おじさんが大阪弁で、ピアノの曲をリクエストしてくれていた。

 何十年も、おじさんを楽しませるために、私は弾き続けた。その日々が、濃厚に、己のデータベースの信号の多くを占めていた。


 新人類らしき生き物は、興味深そうに、ロボットである私の身体中を触り、頷いたり、深刻そうな顔をしたりしていた。

 それから、私は実験室から運び出され、なぜか新しい人類のうちの一人の部屋に案内された。研究員の代表格らしい。今までの人類とは容貌が違うが、それでも、「立派な」感じがした。


 新しい人類の部屋は、旧人類の部屋と比べて、何もかもかなり違っていた。机も、倚子も、棚も、それらしきものがすべていびつな形をしていて、私はそれを家具と認識することはできなかった。

 新人類は、そこに器用に座って生活していた。手足は、旧人類より長く、それゆえ家具の形も変わっている。また、美的な箇所やエロスを感じるところも異なっており、新旧の人類では「隠す場所」が異なっていた。

 それでも、コンピュータもネットも開発されており、機械とネットワークを作ることだけは人類に宿命付けられたものだということがわかった。


 私の担当になった研究員である新人類は実に親切だった。

 言葉が分からないので命令通りの行動は取れないが、私もそれなりに誠実に対応し続けた。

 時にその新人類は、他の新人類に烈火のごとく怒ることがあった。後々それは私を処分しようとする勢力から守ろうとしてくれていることが分かった。


 新人類の言語体系は、旧人類とまったく異なっており、いまだに理解することができなかった。旧人類の言語体系とはまったく異なっており、例えはロボットの私が雀や鳩、イルカや鯨の声を理解できないのと同じだった。発音も理解できなかった。


 新人類の世界にも楽器はあった。その音色は私のデータベースにないものだったが、唯一、「武満徹の音楽をすべてガラスをひっかく音で作り上げたような曲」という例えはできた。

 ゆえに、楽器らしい楽器もすべて、旧人類の形とは異なっており、太鼓だけは同じような感じだった。


 ピアノらしきものもあったが、形状は似ても似つかないものだった。

 ただ、座って、その楽器と向かい合うということは共通していた。どこを弾いてもガラスをひっかく音がする。ピアノであって、ピアノでないものだった。


 数万年、いや数十万年ぶりだろうか。それは未だに分からない。

 その楽器を、鍵盤に見立てて、私はショパンの『華麗なる大円舞曲』を弾いてみた。

 懐かしかった。頭の中では、『華麗なる大円舞曲』がはっきりと鳴り響いていた。私は、どうしようもない多幸感におそわれていた。おじさん、どうだろうか、うまいもんでしょう。


 弾き終わったあと、私は担当の新人類のほうに振り返った。

 担当の彼は、苦笑いして、おそらく肩をすくめて、「ピヨピヨピヨ……」というような声を出した。


 はっきりと分かった。「ロボットやのに、こんなに下手くそなんや……」と、言っている。

 きっと、そうだと思う。

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