後編


 国の中央にある王城。その敷地に建てられた来賓用の建屋に、エゾラから来た面々は案内された。

 留守番が難しいハトはともかくとして、トキヤまで来ていることには驚いたが、これもいずれ村を継ぐための勉強なのかもしれない。


 身を清めてから王の御前へ向かったが、ハトはすべてに瞳を輝かせており、無邪気な振る舞いには皆が目を細めていた。非礼を詫びる村長に、大君おおきみは闊達に笑う。

 国を束ねる長はおおらかだ。カヤが五歳にして専属になったときも、優しく笑って頭を撫でてくれたことを憶えている。

 今日も、明日の儀式について話題にしたあと「不甲斐ない息子だが、今後もよろしく頼む」と苦笑していた。家族のことを語るとき、大君は父親の顔になる。


 そうして謁見の間から出たところでラウテルに声をかけられ、そのまま彼の部屋がある奥宮へ招かれた。

 城へ上がるといつもお邪魔するので、カヤにとっては違和感のない誘いだったが、トキヤはそうではなかったらしい。場所柄、いつもよりは丁寧な口調ではあったが、ラウテルに苦言を呈した。


「三つ葉の年齢で、軽々しいおこないは慎むべきでは?」

「カヤなら問題ないよ。皆、承知している。母も姉も、カヤの衣装を作って待っているんだ。式の前に合わせが必要だろう?」

「衣装合わせ?」

「カヤの衣もそうだけど、僕の祭服もある。カヤには僕の色に染まってもらわないとね」


 その言葉に息を呑む。カヤだけではなく、トキヤも同様だ。

 平静を装って、カヤはラウテルの言葉をゆっくりと正した。


「……ラウ、言い方を間違えてるわ。私が、ラウの色に、布を、染めるの」

「いいや、違わないよ。だって染色のとき、カヤの黒い瞳は僕の色に染まるんだから」


 ラウテルの言うことはたしかだ。エゾラの民は瞳に映した色を糸や布に移すが、その際、瞳は対象物の色に染まる。

 その現象からエゾラでは、恋い慕う相手と想いを交わし成就することを「君色に染まる」と称した。

 これは互いだけを瞳に映すことの表れで、エゾラ特有の言いまわしなのだが、村人ではないラウテルにその言葉をくちにされると面映ゆい。案の定、トキヤは怒りの声をあげる。しかしラウテルは笑っていなすだけだ。


「トキヤにはもう関係ないだろう? これは僕とカヤの問題だから」

「もう……だと?」

「言っておくけど、トキヤのほうがずっと有利だったはずだよ。時間も距離も、僕では超えられないものを持っていながら甘んじていたのはそっちだ」

「甘んじてたつもりは――」

「僕はもう引くつもりはない。勿論、カヤの気持ちをないがしろにする気はないけど」


 なにやら剣呑な雰囲気。決して仲が良いとはいえない二人だが、ここまで衝突しているのは初めて見た。カヤの足元ではハトが「おとこどうしのしょうぶだわ!」と瞳をキラキラさせており、情操教育に悪い。


「……わけわかんないよねえ」


 カヤがこっそりと足元に向かって同意を求めると、対してハトは眉をひそめて溜め息をついた。


「カヤちゃん、さすがににぶすぎ。わるいのはトキにいだけど、かわいそうになってきた」


 やっぱりわけがわからなかった。



    ◆◇◆



 トキヤの声を一方的にったかたちで、ラウテルはカヤの手を引いて奥へ向かった。ハトはどうしようかと振り返ると、にこやかに笑って手を振っている。兄の傍に付いているつもりらしい。

 トキヤは俯いてこちらを見ようともしていない。喧嘩らしきものは、ラウテルの勝ち、ということなのだろう、たぶん。

 前へ向き直ったカヤは、隣を歩きながら訊ねる。


「トキヤとなにか争ってたの?」

「うん、ずっと昔っからね。カヤは気づいてなかったんだろうけど」

「顔を合わせれば喧嘩ばっかりだったのは知ってるよ。ごめんね、トキヤが」

「あいつのことで、カヤが謝るな」


 途端、ラウテルが冷たく断じる。いつにない語気の強さに、カヤの胸も冷たくなった。

 怒らせたのだろうか。でもなにが駄目だったのか。

 わからなくて声が震える。


「だって、村のことだし、王家の方には失礼だし」

「それでも、僕よりトキヤのほうに近いみたいな言い方はしないでくれ。カヤは僕の専属だろ。それともトキヤのほうがいいの?」

「いいってなにが?」


 問いかけに立ち止まったラウテルがこちらを見て、目を見張った。伸びてきた手が顔の横をかすめたかと思えば、指が目尻に当てられる。


「ごめん。泣かせるつもりはなくて、言い方きつかったよね、ごめん」

「ううん、私が悪かったんだよね。ラウの気に障ることを言っちゃったんだって、わかってるの。気づいてなくてごめんなさい」

「違うんだよ、今のは完全に僕が悪くて、ただの嫉妬だから……」

「嫉妬? ラウが?」

「カヤは、僕よりトキヤのほうが気安いのかなって思うと」


 それは盛大な勘違いだ。顔を見れば嫌味ばかり、直接的に村の仕事に貢献しないカヤの染色に対して、「さっさとお役御免になれ」と言ってくるような奴に、好感なんて存在しない。

 専属染色師として村長とは連絡を密にせざるを得ないだけ。トキヤとの付き合いが多いのもそのせいだし、それを言えば、トキヤの姉妹であるヒバリとハトのほうが、よほど気安い仲だ。

 弁明するように言うと、ラウテルは苦く笑う。


「敵ながら、ちょっと同情したかな。まあ自業自得だけど」

「もう、なんなのよみんなして。なに言ってるのか説明してほしいんだけど」

「言いたくないな。言うにしたって、それはずっと先の未来かな」


 ようやくいつもの空気になったラウテルとふたたび歩きはじめ、けれど奥宮へは向かわず、別の方向へ足を向けた。どこへ行くのか訊ねても、着いてからのお楽しみだと返される。

 いくつかの扉をくぐり、何度も角を折れる。ここではぐれたら元の場所に戻れない気がして先導するラウテルの袖をつかんだところ、解かれて、すぐに手を取られた。

 大きくてあたたかい手のひらに緊張がゆるむ。彼の隣は、いつだってカヤに安らぎを与えてくれる。


 しばらく歩いたのち、先が開けた。周囲を建物に囲まれた四角い敷地だが、青空が見える開放的な庭である。

 敷石、苔むした岩、せせらぎ。

 あずま庭園と呼ばれる手法で造られた美しい庭だが、もっとも目を引くのは中央で咲く薄紅の樹木だろう。

 王家の庭にあると噂されるが、誰も本物を見たことがない。幻の木・万年桜だ。

 驚愕してラウテルを見上げると、微笑みが降ってくる。


「びっくりしてくれた?」

「……びっくりどころじゃないよ。こんな貴重な、部外者に勝手に見せていいものじゃないでしょ」

「許可は得てるよ。カヤを連れていくって、きちんと話はつけてる。部外者じゃないし、これを見た時点でもう巻き込まれたと思って」


 王家の至宝、決して枯れない幻の花。

 万能薬とも噂され、王家の者しか辿りつけない場所に隠されている。

 ゆえに、その場所は王族の嫁乞いの地で、望む女人へ桜を捧げて、生涯枯れぬ愛を誓うのだという。


 世間に流布する噂話。本当かどうかもわからないそれは、誰も見たことがないからこそ、女性のあいだでは浪漫として浸透している。市井でも、桜の下で告白するのが流行りだ。

 嘘か真か。

 惑うカヤの手を引いて、ラウテルは桜の下まで歩を進めた。見上げると、わずかな風で揺れる薄紅の合間から青が見える。


「綺麗……。この色を移せたら素敵ね」

「かつては、そんなこともあったらしいよ。城の宝物庫に残っている布は、色が褪せちゃってるけど」


 それはつまり、エゾラの民が王族の誰かと結ばれた過去があったということ。ラウテルが静かに語ったことを要約すると、そういうことになる。

 この国を興した王族。

 そして、それを常に支え続けたのがエゾラの民。

 移民が増え、国土も広がった。けれど、受け継がれる不思議なちからにより、交流は途切れなかった。

 どれほど国が大きくなっても変わらない。

 太古の昔から続くえにし



「文献を紐解くと、どうもうちのご先祖様は、相手に対して、この特別な桜色へ染めることを願ったらしいんだけど、僕は違う。カヤが染める色は、生涯僕の色だけがいい。ずっと僕を見て、僕に染まってよ、カヤ」


 エゾラの民にとっては、とてつもない殺し文句なのだが、はたしてラウテルに自覚はあるのだろうか。

 ぼんやりしているように見えて、意外と計算高い彼のこと。知っていて敢えて素知らぬ顔をしている可能性もある。

 だけど、結局どちらだっていいのだ。

 知っていようがいまいが、カヤの心は変わらない。


「私は五歳のころから、ラウしか見てないよ」

「うん、知ってる」

「知ってて言うんだ」

「だって、それとこれとは別だろう? 嫁乞いの言葉は大事だって、兄上たちも言ってたし。ここで失敗するとのちのち大変らしい。気合い入れて頑張ってこいって送り出されたよ」


 とんでもないことを聞いた。

 今のこれは、ラウテルの家族が知っていてお膳立てしたということなのか。


 ならば、さっき挨拶をした大君も、このあと息子が専属に対して嫁乞いをすることを知っていたということになる。

 あの「今後とも息子をよろしく」とは、そういう意味だった? カヤの両親にも大君が声をかけ、それに応じていたということは、両親にも話が通っているということで。知らぬは自分ばかりなり?


「カヤの明日の衣装は、お披露目の衣だからね。カヤに染めてもらった僕色の袍をお揃いで着るの、楽しみにしてる」

「……衣装合わせってそれのこと?」

「母上と姉上が張り切って刺繍したよ」


 四つ葉のお披露目とは言葉どおり、伴侶として皆に紹介することを意味する。

 王族の場合は、瞳の色に染めた揃いの袍を纏うとは聞いていたが、先日抱えて持ち帰ったあの布の行方がこれだとは、さすがに想定外すぎる。

 そして、婚礼衣装に出迎える側の親族が針を刺すのは、どうも王族も同じらしいと知る。

 けれどそれを実行した相手が相手だ。豪奢なんてものじゃない。


 大きく溜め息を落とす。

 三つ葉を機にいろいろなことが変化するとは思っていたけれど、こういう方向に変わるとは思っていなかった。


「私ね、三つ葉の式が専属として最後の仕事になると思ってたの」

「ある意味ではそうだよね。だってカヤは、王族の専属染色師じゃなくて、僕個人の専属になるわけだし。肩書が全然違う」

「やることは同じじゃないの?」

「専属と四つ葉を作った場合、色味が少し変わるらしいよ。優しい色だとか、発色が良くなったとか、ラメが入ったようになるとか、ひとによって違うけど」


 それはおそらく、見え方が変わるせいだ。

 瞳に映る愛しいひとは、想いを交わす前と後では違うはず。

 もしも今、カヤが彼の色を移せるのならば、これまでとはまったく違った色になると確信できる。

 ああ、そうなるとたしかに王族の専属としては落第だ。

 正しく瞳の色を移せないのならば、専属の名折れである。


「じゃあ、今のカヤが見る僕の色、試してみる?」


 差し出されたのは、ラウテルが纏っている白い羽織。

 まっすぐに向かってくる金茶色の瞳は、いつもより近い距離で見ると、光に透けて赤く輝く光彩があることに気づく。

 緊張からぎゅっと握りしめた羽織に広がったのは、金茶ではなく薄墨色。

 唇から熱が離れるまで、薄闇の色は絶えることなく生まれ、彼の胸元に、背中に、色を移す。

 それが意味する行為を推察した周囲の者たちから、あたたかい視線を向けられてカヤの頬が赤く染まるのは、すこし先のこと。




 第五王子殿下の三つ葉の儀。

 傍らには、同じ金茶色の祭服をまとった、黒髪の娘の姿があったという。

 娘の三つ葉を待って、ようやく四葉となった、のちのラデール藩主夫妻は、手足を泥に染めながらよく働き、民のために尽くした。

 より染色に特化した風土を作り出し、エゾラの布を大陸に広めたと歴史書に記されることになるのは、未来のおはなし。


 




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王子殿下の専属染色師 彩瀬あいり @ayase24

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