第3話 鏡な水曜日

 疲れが溜まって満身創痍で迎える昼休み。澤田が頭を掻きながら喫煙室に入ると、井達がスマートフォンの画面を見せつけて前髪を弄っていた。知り合いらしきアカウントとの『このブス』『テメェもな?』というやり取りの内容が丸見えだが、澤田が扉を開けたまま唖然と見ていることを不思議に思う井達である。


「なんすか?」

「いや、何やってんだお前?」

「前髪がブレるんですよねー。ほら、パソコン作業とはいえ資料を取るときにバッと振り向いたら前髪がサッて」


 スマートフォンを手放さず、その時の状況をジェスチャーで再現するが、せっかく整えた前髪がまた乱れる。井達は、またトーク画面を澤田に見せびらかしながら前髪を整える。


「よくわかんないけど、なんか喧嘩でもしたの?」


 澤田が定位置に移動すると、井達は「えっ?」と驚く。自分の心を読むとは恐ろしい人だと、次第に両肩を押さえて怖がる。


「まさか、ストーカーしてます?」

「人聞き悪いこと言うんじゃないよ。それだよ、そのトーク画面」


 澤田はまだ見せびらかしている画面を指差し、眉間にしわを寄せながら、お気に入りの紙煙草に火を付ける。

 井達はようやく画面を自分の面と合わせ、何事もなかったように文章を打ち始める。


「おい答えろよ」


 澤田は無視を貫こうとする井達に、煙草を手に持ちながら体が前のめりになる。


「やめてくださいよ、後輩のスマホ画面を覗き見するなんて、悪趣味ですよ」

「お前が自ら見せびらかしてんだろ、よく言えたもんだな」


 澤田はもう一度煙草を咥えると、ある日の通勤電車内で見た一幕を思い出す。井達のような若い女性がシートに座り、待ち受け画面にされた彼氏との加工されたツーショット写真を見せびらかしていた。まるで水戸黄門様の印籠を見せつけられているような堂々たる輝きを錯覚してしまったが、ただ自分の恋愛を自慢されているような気がした吊り革を握る澤田だった。


「別に、自慢したいとかないですから」

「今の時代に喧嘩自慢されても、おじさん困るわ」

「このケース、反射して鏡になるんですよ」

「ふーん、スマホのカメラ使ってやらないの? 自撮りがあるんだから、それでやればいいじゃん」

「鏡じゃないと整えにくいんですよ。自撮りカメラだと、どっちに分けたわかんなくて」


 井達は画面の電源を落としたことを確認し、乱れたままの前髪をスマホケースという名の鏡でまた整える。すると、落としたはずの電源が復帰し、喧嘩相手であろう人物から『煙草吸わんと、表出ろや』と通知が表示された。


「おい、またなんか来てるぞ」


 澤田は自分に喧嘩が売られたような気がしながら、煙草の火を灰皿で擦り消す。その指摘に、井達は画面を見て


「お先です」


 堪忍袋の緒が切れた井達は、溜息を吐きながら喫煙室を出る。その姿が見えなくなるまで目で追った澤田は、意味分かんねぇ、と呟いて喫煙室を出て階段に向かう。


「どの口が言ってんのよ、このクソ経理女!」

「あんたも汚い口でよくやってるね、営業依存症女」


 2階から3階につながる段中で井達が、見覚えのある自分の部署のヤンキー感漂うブラックロングヘアの後輩と言い合いをしていた。

 澤田は呆れた表情をしながら喫煙室に黙って引き返し、女の難しさと渾名の問題を考えながらもう一本吸った。

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