【KAC20247】黄昏時のあなた

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

黄昏時のあなた

「みゃーちゃん、まってまって!」


 公園の中で駆け回るみゃーちゃんを私は追いかける。

 やっと近づいたと思ったらまたすぐに遠くに行ってしまって、みゃーちゃんは足が速い。

 それでも私は楽しかった。私と一緒に遊んでくれるのは、みゃーちゃんだけだったから。

 幼稚園でも私はいつも一人ぼっち。でも寂しくない。だって公園にくれば、みゃーちゃんに会えるから。


「みずほー、そろそろ帰るわよ」


 公園の入り口からお母さんの声。もう家に帰らなくちゃ。


「みゃーちゃん、ばいばい!」


 大きく手を振って、私はみゃーちゃんに別れを告げた。

 お母さんのところに駆け寄ると、お母さんが屈んだ。


「またみゃーちゃんと遊んでたの?」

「うん! いつもたくさんあそんでくれるの!」

「……そう」


 お母さんは困ったように笑って、私の頭を撫でた。



 ある日お母さんに病院に連れて行かれた。

 私はどこも痛くないし、お熱もない。そう言ったけど、ちょっとした健康診断みたいなものだから、と言われた。

 お医者さんからいくつか質問されて、よくわからない検査をして、私は隣の部屋で遊んでおいでと言われた。

 壁の向こうから、うっすらお母さんと先生の声が聞こえる。


「――イマジナリーフレンドという――」

「――統合失調症では――」

「――幻覚はいつから――」


 なんだろう。難しくてよくわからない。

 みゃーちゃんが一緒に遊んでくれたらいいのになぁ。

 みゃーちゃんはあの公園にしかいないから。


「みずほ、帰ろっか」


 暫くして、お母さんが迎えにきた。私は駆け寄って、お母さんと手を繋いだ。

 病院からの帰り道、お母さんは優しく笑って私に言った。


「みずほ、暫くあの病院に通おうと思うの。いいかな?」

「どうして? わたし、どこかわるいの?」

「悪い、ってことじゃないんだけどね。みずほがこの先、もっとお友達ができるように。先生と、お母さんと、一緒にがんばろっか」

「おともだちなら、みゃーちゃんがいるよ?」


 そう言うと、お母さんは悲しそうな顔をして、私をぎゅっと抱き締めた。


「そうだね。でも、みゃーちゃんだけじゃ、寂しいでしょ?」

「さびしくないよ」

「……これから、きっと、困ることがあるから。お願い」

「……わかった」


 お願い、と言ったお母さんが泣きそうだったから。

 私はとりあえず、いい子のフリをして頷いた。


 

 それから私は病院に通うことになった。

 お薬を飲んだり、先生と一緒に色んなことをしたりした。

 公園に行く回数が減って、お母さんにみゃーちゃんと遊びたいと頼んでも、ダメと言われることが増えた。

 どうしてって思いながら、勝手に公園に行ったこともあった。すごく怒られた。

 そんな風にして、暫くみゃーちゃんと会えない日が続いて。

 幼稚園がお休みになったくらいに、お母さんが久しぶりに公園で遊んでいいと言ってくれた。

 私は走った。久しぶりにみゃーちゃんに会える!

 わくわくして、心臓がどきどきした。まずなんて言おう。会えなくてごめんね? 久しぶりで嬉しい? それから何をしよう。

 みゃーちゃん、みゃーちゃん。


「みゃーちゃん!」


 大声で叫びながら公園に飛び込むと、中には他の子たちの姿。

 きょろきょろと公園の中を見回すけど、どこにもみゃーちゃんの姿がない。


「みゃーちゃん……?」


 心細くなって、あっちこっち歩き回る。

 いない。どこにも、みゃーちゃんがいない。

 泣き出した私に、公園まで連れてきてくれたお母さんが駆け寄ってきた。


「おかあさあん……!」


 お母さんにしがみついて泣きじゃくる。

 わんわん泣いて、みゃーちゃんがいないことを必死に訴えた。

 お母さんは頭を撫でて慰めてくれたけど、なんだかほっとしているようにも見えた。


 それからも何度か公園に行ったけど、みゃーちゃんには会えなかった。

 お母さんは「引っ越しちゃったのかもね」と言っていた。

 そうだとしたら、一言くらい言ってくれても良かったのに。

 ううん、私が暫く公園に行かなかったから。だから言えなかったんだ。

 私はずっと暗い気持ちだった。


 

 みゃーちゃんに会えないまま、私は幼稚園を卒園して、小学校に入学した。

 小学校には同じ幼稚園の子はほとんどいなくて、私はクラスメイトと普通に仲良くなることができた。

 放課後は友達と遊んでくる私に、お母さんはにこにこしていた。

 今日も私は、友達と一緒に家に帰る途中だった。


「みずほちゃん、ほら早く早く!」

「ま、まって、よ~……!」


 たくさんのランドセルを背負って、私は友達を追いかける。

 友達は私より遠くのところで、くすくすと笑っている。


「みずほちゃんおそいよ~!」

「だって、おもくって」

「みずほちゃんがじゃんけん負けたからだよ」


 笑いながら言う友達は、みんな手ぶら。じゃんけんに負けた人が全員分の荷物を運ぶルールだから。

 でもなんでだろう、じゃんけんは、ずっと私の負け。何回やり直しても、ずうっと私の負け。

 私、そんなにじゃんけん弱かったかな。


「あっ!」


 荷物が重くて、私は途中で転んでしまった。

 それを見て友達が声を上げて笑った。


「みずほちゃんとろ~い!」

「あーあ、あたしのランドセル傷ついちゃったぁ」


 私は慌てて立ち上がって、友達の分のランドセルを手ではらった。


「ご、ごめんね。よごれちゃって」

「いいよぉ。でも、として、明日から一週間はみずほちゃんが荷物持ちね」

「え? で、でも」

「だってランドセル落としたのみずほちゃんのせいだよ。わるいことしたらがなくっちゃ」


 ねー、と友達は笑い合う。そっか、これはわるいことなんだ。

 じゃあ、を受けて許してもらわなくっちゃ。


「うん、わかった。ごめんね」


 へらりと笑った私に、友達は「いいよ」と笑ってくれた。



 そんな風に、小学校の生活は順調だった。

 友達はたくさんできたし、遊んでくれるし。給食のおかずも交換してくれる。勉強は苦手だけど、先生ができない子用だって特別に宿題をたくさん出してくれる。体育も苦手で、みんなが走り終わってもまだ走っていた私に、先生が最後まで付き合ってくれて。終わってから、みんなには内緒だよって足が痛くならないマッサージをしてくれた。週に一回だけある放課後のクラブ活動は、美術クラブにした。結構上手に描けた絵を美術の先生に見せたら、「これじゃ駄目よ」って全部上から塗りつぶして、もっと上手にしてくれた。持って帰ってお母さんに見せたら、「素敵な絵ね」って褒めてくれた。

 お母さんが「学校は楽しい?」って聞くから、「楽しいよ」って答えた。

 楽しい。でも。


「みゃーちゃんに、あいたいなぁ……」


 そういえば、もうあの公園にも随分長いこと行っていない。

 友達と遊ぶのは別の公園だから。

 ずっと会えていないのだし、約束をしているわけでもないし、行ってもみゃーちゃんには会えないだろう。

 そうわかってはいたものの、一度考えだしたらどうしてもみゃーちゃんに会いたくなって、私は学校が終わってからこっそりあの公園に行った。


 夕日が差し込む公園には、もう誰もいなかった。そういえば、さっき夕方のチャイムが鳴ったっけ。あれでみんな帰ってしまったのだろう。

 公園はあの頃となんにも変わっていなかった。周りをぐるっと囲むように生えた木。塗装のはげたベンチ。ちょっとしかない遊具。小さな砂場。入口に置かれた花束。


「なつかしいなぁ」


 一歩公園に踏み込むと、ぶわっとあの頃の思い出が蘇ってきた。

 あの頃は、あんなに楽しかったのに。


「あれ……?」


 違う。今だって楽しいはずだ。毎日楽しいって、思ってる。

 だって、お母さんはみゃーちゃんと遊ぶのをあんまりよく思ってなかった。私だってそのくらい気づいてた。

 今は違う。お母さんが望む私になれている。友達もいる。うまくできてる。なのに、なんで。

 じわりと涙が滲んだその時、誰もいないはずの公園に、ふっと影が落ちた。


「……みゃーちゃん?」


 涙声で名前を呼ぶ。辺りは暗くなりはじめて、少しだけ顔が見えづらい。

 でも、そうだ。わかる。みゃーちゃんだ。みゃーちゃんだ!


「みゃーちゃん!」


 私は大声で叫んで、みゃーちゃんに飛びついた。

 わんわん泣く私を、みゃーちゃんは黙って慰めてくれた。

 ずっと会いにこれなかったのに。こんな私を、みゃーちゃんは許してくれる。

 会えなかった時間を埋めるように、私はみゃーちゃんにたくさんのことを話した。

 たくさん、たくさん。話している内に、すっかり日は暮れてしまった。


「ごめんね、みゃーちゃん。私もうかえらなくちゃ」


 私は慌てて公園の入り口まで駆けた。

 けれど外に出る一歩手前で、ぴたりと止まる。

 帰ったら、怒られるかな。みゃーちゃんとのこと、話さなきゃダメかな。


「でも、またあいたいな。……ううん、できたら、みゃーちゃんと。ずっといっしょにいたい」


 ずっと一緒にいられたら。寂しくなんてないのに。

 もう前みたいに会えなくなることもないのに。

 学校であったこと、全部聞いてほしいな。

 お母さんには言えないことも、全部。全部。本当の気持ち。


『いいよ』


 聞こえた声に、私は大きく目を見開いた。

 これは、誰の声だろう。あれ、そういえば、みゃーちゃんの声って、聞いたことあったっけ。

 でもこれ、人の声じゃ。



 ・

 ・

 ・ 

 闇に包まれた公園は、しんと静かだった。

 そこには何の音もなく、姿もなく。

 暗闇の中、入口に置かれた花束だけが、鮮やかな色をしていた。

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