第6話 スペースワールドが夢の跡

早朝の小倉駅。建物が高く十年前に比べて都会らしくなったように見える。

 ほとんど仮眠に近い睡眠から目を覚ました私は外に降りて次に行く場所に思いをはせていると、液晶画面に漫画家松本零士の追悼コマーシャルが流れていた。

 そう今年は彼が亡くなったのだ。そのために私は新しくできたスペースLABOと言う科学館で上映される番組を見に来たのだ。

 しかし、番組が始まるのは夕方ぐらいになる。その間にどこかで暇を潰さなくてはいけない。私が最初に思いついたのはここからすぐ近くの門司港駅。つい最近修復改修の工事が終わった事を思い出し電車に乗って向かうことにした。

 九州の門司港駅は関門トンネルや関門橋ができるまで九州と本州の玄関口となっていた場所で門司港駅にも当時の連絡通路が残ってる。高松とは全く大違いの力の入れようだ。

 しかし、朝も早くすぐ近くのスターバックスも開店前だったためスマホゲームをやりながら暇を潰した。

 午前九時にようやく扉が開き、イの一番で中に入った。そしてベンティサイズのアイスコーヒーを頼み、すぐ隣にある九州鉄道博物館が開館するまで小説の執筆と推敲を始める。

 やがて時間になり息抜きも兼ねて鉄道博物館に向かう。最初、私はとある手段でタダで入ろうと試みるものの、北九州市内に住んでいる人ではないと割引がきかないことを知りやむを得ず別の手で入ることになった。

 建物に入り最初に出迎えたのは9600型蒸気機関車が黒光りして出迎えてくれた。来年に引退するSL人吉の8620型蒸気機関車と同時代に活躍した車両を背に別の車両に向かうとC59型蒸気機関車のヘッドマークが999(スリーナイン)のものになっていた。ほんとはC62なのだが九州にC62がないためこのようになったのだと推測する。次にL特急の583系電車を見に行った。見た目は青とクリームの美しい寝台電車だが、中を見ると食パン電車と揶揄されていた通勤電車時代の名残が残っていた。

 九州鉄道時代だった頃の建物に入るとやはりここでも松本零士の追悼コーナーが組まれていた。

 あらかたの展示物を見て今度は門司港の建物を一枚一枚スマホで撮影してようやく目的の場所に向かうことにした。

 実は目的のプラネタリウムのある場所はかつてのスペースワールドの跡地にある。私も昔ちらっとだけ見たことはあるが、ほとんど記憶に残っていない。

 一体、今はどうなっているのか。はやる気持ちを押さえて跡地に向かう。途中四国でお目に掛かることができない入れ替え用のハイブリット機関車や既存の交流電気機関車が私の目を輝かせ、電車はいよいよスペースワールド跡地にたどり着く。

 駅から出た私はその変わり果てた光景に開いた口が塞がらない。

 かつての製鉄所を潰して作られた遊園地は何も残っていない。あのジェットコースターもスペースシャトルの実物大レプリカも何もかもである。

 唯一ここがスペースワールドだったと伝えていたのは保存されている白塗りの製鉄所の建物のみで遊園地はアウトレットと博物館に変わり果てていたのだ。

 そんなショックよりついて最初に目指したのは昼食だ。ここにはコンビニがないためアウトレットで食べなくてはいけない。

 しかし、金遣いの荒さと給料日を控えていたせいもあって節約したいところだが、カロリーも値段も高いものばかり。

 ようやくゲームコーナーの場所でポテトを食べたのちに、スペースLABOに時間内に向かった。

 福岡のプラネタリウムは他と違ってコロナの影響で事前予約が必要なようで、私も出発前に予約しておいている。三つのプラネタリウウムと科学展示室を時間で予約しておいていたため、私は中に入った。

 まず最初に去年倉敷で上映された「ボイジャー・終わりなき旅」を見た。ウクライナで作られたこの番組は折しもウクライナ情勢もあり人々から好評でありその大迫力に圧巻の一言だった。

 本当にこの太陽系に存在するのかと思えるほどの作り込みで木星の大赤斑と呼ばれる巨大な台風の目の中の様子、エンケラドスから見た土星、海王星から見たオリオン座や逆転軌道を描く衛星など様々だ。

 私は思わずボイジャーが早く宇宙人に拾ってもらってほしいと願いたくなった。

 上映を見終えた私は科学館や次のプラネタリウウムまでの間、新しくできた博物館に向かうことにした。

 その博物館は私の想像を遙かに超える規模で骨格標本や動物の剥製がまるで大英博物館にでも来たかのようにたくさん展示されていた。

 勿論その多くは模型であるのだろうがその数の多さに目が回るほどだった。

 でも不満はないわけではない。九州の歴史を伝えるコーナーでは自然の方にスペースを取られていたせいか、規模がいささかみすぼらしく思えた。

 そんな博物館の展示を見終えて科学館に戻りサイエンス・コ―ナーに向かう。そこは主に竜巻研究の第一人者で「フジタスケール」の発案者藤田博士のヒストリーが展示されていたのを覚えている。

 特別展で少し時間を潰し次の鑑賞に向かう。今度はベテルギウスの説明を行っていたようだが眠気に襲われて目が覚めた頃には番組が終わっていた。

 悔しい思いをしながら休憩の場所で朝の続きを始めてながら外を眺める。夕日に染まりつつある春の北九州は妙にむなしく感じてしまう。

 私がそんな感傷に浸っていると時間になりいよいよスペースLABO最後の番組「銀河鉄道999赤い星ベテルギウス いのちの輝き」の鑑賞に向かう。

 ついてみると追悼番組のせいか人だかりで一杯だった。その並んでいる中で私はゆっくりと展示物を鑑賞することができた。

 アポロ司令船やスプートニクなどの模型が並んでいる展示物を彩っていたのがわかる。

 そして入場開始時間になり次々に中に入ると人でゴッタ返しており、松本零士に対する敬意と銀河鉄道999に対する熱烈なファンがいることがわかった。

 私が席に座っていると隣のおじいさんのスマホが何度もなっているのを聞いた。勿論おじいさんも何度も切ったがそのたびに鳴り続けてやむを得ず外に出ることになった。

 正直かわいそうだなと心の中で哀れみながら銀河鉄道999の鑑賞を始める。私は何度もこの番組を見ている為内容を知っていたが、銀河鉄道999のストーリーと世界観にベテルギウスの描写がわかりやすく流されているのが見て取れた。

 トチローやメーテル、車掌が懸命に999を再起動させようとする懸命さに松本零士の思想が強く色濃く出ており良い意味で硬派で頑固かつ信念を持った作品だと感じた。

 最後に流されたゴダイゴの主題歌が作者の追悼がこもっているように思いながらこの日の鑑賞を終えた。

 電車に乗り松山観光港行きのフェリーが乗船できるまでの間どこかで暇を潰そうと考えたがどこも込んでいたためフェリー乗り場で待つことになった。

 私はいつかC62のレプリカを作ったあかつきには愛称に「松本零士」もしくは「999」でも名付けようかなと妄想を膨らませた。

 そして私は食事も睡眠もロクにとっていない重い体を引きずりながら松山行きのフェリーの寝室で眠りにつくのであった。

 これが旅のあらまし、次はしばらくないだろうと思っていたが今度はコロナ禍で倉敷では見損ねた「HORIZON・宇宙の果てにあるもの」という番組が十二月の頭から上映されるらしい。

 これは前途の銀河鉄道999を作った監督が作った番組で宇宙物理学の歴史をわかりやすく、そしてその中の感動を込めた作品である。

 今度はゆっくり寝ながら見に行きたいなと思いながら新たなフェリーの予約をするのであった。

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プラネタリウム番組紀行 @bigboss3

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