涙色の空を超えて

朽木 堕葉

涙色の空を見上げて

 東山 明登とうやま あきとは公園のブランコに腰掛け、項垂うなだれていた。下校中、たまたま目にまってから、ずっと。

 今日、明登は告白した。同じ美術部員の女の子、聡美さとみに。ショートカットの溌剌はつらつとした可愛い子だった。

 一大決心で想いを伝えた明登とは裏腹に、

「明登とは友達でいたいかなー。それがベストな関係だと思うんだよねえ」

 彼女があまりにも、あっけらかんと笑って言うものだから、振られたのだという実感は、すぐに湧かなかった。明登自身、咄嗟に、別れ際に「また明日な」といつもの調子で返すくらい、それは日常のやり取りに他ならなかった。

 それでも、ときが過ぎるほどに、失恋の痛みはひしひしと強くなる。

 日常以上に成り得なかった告白を、胸中で反芻はんすうすればするほどに、やりきれなくなってくる。

 今になって。なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。

 不意に公園の街灯が点灯した。

 見上げてみれば、夕焼け空はとっくになくなっていた。

 日が沈む間際の深い藍色に染まって、ポツポツと星がまたたいている。空が泣いているようだ――そう、ぼんやりと思った。

 そんなふうに見えたのは、見覚えがあったからだろう。

 美術部の先輩がコンテストで入賞した作品。それとよく似ていた。作品名はたしか、

涙色の空・・・・……」

 明登がつぶやいたのと一緒に、頬にヒヤリとしたものが流れていった。指で拭おうとしたとき、

「覚えていてくれたんだ」

 出し抜けに意外そうな声がした。涼やかな声。聞き覚えがあり、はっとして明登はそちらを振り返った。

 街灯の光に照らされた女子高生がいた。艶めく黒髪も長ければ、スカートの丈も長い。清楚を絵に描いたような人物――

天宮あまみや……先輩?」

 呆然として明登は名前を呼んだ。

 天宮あまみや 麗奈 れな。明登の先輩であり、涙色の空を描いたのも彼女だった。

 そしてなによりも、聡美にどう告白すべきか、親身になって悩みを聞いてくれたのも彼女である。

 天宮先輩は、どこか後ろめたそうに微笑んだ。

「聡美とは、残念だったね……」

「アイツからもう聞いたんですか? 早いですね」

 涙を放置したまま、明登は苦笑いを浮かべた。

「ううん、違うよ」

 天宮先輩は細首を横に振った。痛ましそうに。

「えっ」

「最初からわかっていたんだよ……私には」

「どういうことですか?」

 明登は目を丸く見開いて、尋ねた。その拍子に涙が落ちて、土に吸われていった。

 天宮先輩は、それを目のやり場にしながら、

「あの絵を描いたのはね。聡美と明登くんから相談を受けるようになってからなんだ」

 心苦しそうに打ち明けた。

「俺と聡美? それじゃあ、天宮先輩は……」

「うん。知っていたんだ。聡美の気持ちも、明登くんの想いも」

 明登は裏切られた気分になった。結末がわかっていたのなら、どうして言ってくれなかったのかと。

 目つきが鋭くなる明登に、天宮先輩は少し傷ついたような表情で、空を仰いだ。

「だからね。私の心は、あの絵に込めておくことにしたんだ」

「天宮先輩の心?」

「悲しかったんだ。明登くんが聡美のことを好きなのも、聡美の気持ちが他に向いていることも。そして私の恋心も。全部ひっくるめて」

 明登は眉を寄せた。私の恋心・・・・ってなんだ?

 それってもしかして、という感じに明登は言った。

「……天宮先輩、好きな人がいるんですか?」

 口にしたあとで、少し意地が悪い言い方だと思ったが、天宮先輩は白い頬を微かに赤く染めて、答えてくれた。

「私は――天宮麗奈は、東山 明登くんが大好きです」

 直接的というか古風というべきか……。それはそれで、天宮先輩らしいな、と明登はくすっと笑った。

「ほ、本気で言ったんだからねっ」

 天宮先輩はちょっとだけムキになっていた。

「ははっ。わかってます。俺だって今日、本気で告白して玉砕したばかりの男ですよ?」

 自虐じぎゃくを混ぜて、明登は悪戯いたずらげに笑ってみせた。

「私も玉砕しちゃう女になるのかな……」

 天宮先輩は口元を綻ばせていたが、物憂げな表情をたたえていた。

「ちょっと待ってもらってもいいですか? 今、頭のなかごちゃついてて」

 ややあって、天宮先輩は強く頷いた。

「いつまでも、待ってるよ」

 期待と不安を綯い交ぜにしたその眼差しが、明登の目に焼き付いて離れなかった。



 明登は、小高い丘の上に、朝早くから鞄をげてやって来た。

 告白し、告白されたあの日から、数週間が過ぎていた。

「よし、やっぱりここかな」

 朝焼けに染まる街並みを眺めて、明登は鞄を下ろした。キャンバスなどの画材道具を次々に取り出していく。最後に鉛筆を手にすると、

「この空の色、だよな」

 もう一度、風景に目を向けて言った。疑いようのない調子で。

 描くべき絵の作品名は、すでに決めている。伝えるべき言葉も。

 あとは、作品名に負けないように、取り組むだけでよかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涙色の空を超えて 朽木 堕葉 @koedanohappa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ