共鳴

まなつ

(お題:空漠、共感覚、宇宙)

 宇宙の広さを思い浮かべると、空漠とした不安に襲われる。なぜなら宇宙という言葉は、ブラックホールのような黒色をしているからだ。底の知れないくらいの闇。どこまでも無限に続く深い黒。私を包む、終わらぬ孤独。

 共感覚というのはやっかいだ。世間一般の人々とは物事が違って見える。ひとくちに共感覚と言っても、味覚、聴覚、視覚と影響はさまざまなのだが、私は視覚に影響が表れるタイプだ。

「山上さん」

 ちなみに山上という文字は水色を含んだ白が見える。振り向くと、神崎さんが立っていた。神崎さん、と発しようとすると、頭に浮かんだ文字が深く高貴な紫色に見える。

「こんにちは、神崎さん」

「ご一緒してもいいですか」

「もちろん」

 昼は、職場近くの公園で弁当を食べることにしている。職場内の休憩室が苦手だからだ。

 私の仕事は司書であり、神崎さんは同僚である。いかにも文学少女といった風貌の神崎さんは、図書館のマドンナだ。

ちなみに司書だとか図書館だとかマドンナという言葉にも色がある。

 二人並んで公園のベンチに座る。ここは、平日の昼間はずいぶんと静かな場所だ。

「山上さんは、詩はお読みになりますか」

「いやぁ、詩は専門外ですね」

 神崎さんは文学、私は自然科学の棚が担当である。図書館の本は分類によって番号がついている。私にはそれが色に見えるので、覚えやすかった。たいていは色というのは文字を覚えるときには邪魔なものだが、時にはまぁ役に立たなくもない。問題は人だ。色で覚えてしまうので、名前を忘れがちだ。

 自己紹介の時に「顔と名前を一致させるのが下手なので、お名前を忘れていたらすみません」と、事前に詫びておいたが、そんなことで人間関係が許されはしない。図書館では珍しい科学好きの司書ということもあいまってか、私は遠巻きにされていた。そんな中、神崎さんだけが違った。折に触れ名前を名乗ってくれ、私に気まずい思いをさせないよう配慮をしてくれた。高貴な紫色は、彼女に合っている。

「実は、山上さんのお話を聞いた時に思い出したことがあって」

「思い出したこと、ですか?」

 彼女とは少々打ち解けたので、共感覚のことをふと話したことがある。それも彼女は覚えていてくれたようだ。

「ええ。アルチュール・ランボーというフランスの詩人なのですが、似たようなことを詩にしていたなと」

「へえ!」

 私は驚いた。同じ境遇の人間を知っている人がいるとは。まぁ、ずいぶんと古い時代の「知人」ではあるが。彼女は鞄から詩集を取り出すと、その詩を読んでくれた。


「母音


Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤、母音たち、

おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。

A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣むなぎは

むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。


E、蒸気や天幕テントのはたゝめき、誇りかに

槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動(さんけいくわせんどう)、

I、緋色の布、飛散とばちつた血、怒りやまた

熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。


U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、

動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が

学者の額に刻み付けた皺の静けさ。


O、至上な喇叭(らつぱ)の異様にも突裂つんざく叫び、

人の世と天使の世界を貫く沈黙。

――その目紫の光を放つ、物の終末!」

(青空文庫:『ランボオ詩集』中原中也訳)


「ああ……」

 なんとなく合点がいって、私はため息を漏らした。目の奥がじんわりと熱くなる。

「ランボーが共感覚だったかは今ではわかりませんが、素敵な詩だなと私は思いました」

 神崎さんのほほえみは、高貴な紫とともに春めいた風を運んでくる。

 空を見、空漠とした宇宙を思い浮かべてみたが、気持ちを抑えることができない。私はうまく、笑顔を返せただろうか。

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