杓子定規な自由

天川

杓子定規な自由

 杓子定規にとらわれず、自由な発想で───。


 上司の言う、その言葉の意味する自由とは、きっとその上司の物差しで計られた自由なのだろう。その事に、改めて気づいて……私は会社をやめることにした。


 実際、本当の意味で私が自由な発想をすると、荒唐無稽か悪ふざけとしか受け取られなかった。

「人並みに、遊んでこなかったでしょ?」

 そう言われれば、そのとおりだ。


 あなたの言うところの、「杓子定規な」遊び方が、私は好きではなかったからだ。

 大学サークルの延長みたいな、趣味という名のグループ活動、同調圧力。そう言うものには常々疑問を持っていたから。

 といって、本当に自分の好きなことに没頭していると、趣味ではなく時間の無駄と言われてしまうことが殆どだった。


 趣味や遊びというのは、私の中では既に死んだ言葉だ。……いや、殺されてしまった言葉とも言える。


 けれどもそんな、彼らの言うところのな発想のもとで生まれた企画の集合体で、この社会は出来ているのだろう。

 なるほど、そう考えれば私のようなものに頭を捻られてアイデアを出されたら、それは迷惑以外の何物でもないだろう。


 上司の物差しに合わなければ、成果とは認められない。そこを、否定するつもりはない。前述の通り、まがりなりにもそんな成果の集合体でこの社会は動いてきたのだから。……そして、私はそんな社会に対して貢献どころか、邪魔でしか無かったのだろう。

 そう考えたら、むしろスッキリした。

 邪魔になるくらいなら、ここから去ることが私ができる最大の貢献だ。

 

 負け惜しみではないが……。

 その物差しにすんなり順応できる人間と、無理して一生懸命順応しようとしている人間とでは、出てきた成果のクオリティに差があるのは間違いない。よしんば、同じ品質のものを提示できたとして、そこにかかったリソース、労力は……やはり順応しやすい人のほうが少なくて済むはずだ。私は、社会インフラに掛かるリソースの負担が大きい……いわばということなのだろうから。


 折よく、世間はコロナ禍に突入した。

 会社の業績が悪化し、そこに人員削減の動きがあることは必然だ。

 政府は、首を切らないように雇用に対して補助金を出すらしいが……、それが具体的に社員の維持につながっているかはいささか疑問だ。事実、うちの部署にも退職希望者を募る通知がきたからだ。


 だが、こんな私にとっては、渡りに船である。

 一も二もなく、私はそれに名乗りを上げた。

 年配の同僚が、「多分、俺に辞めろ、……っていうことなんだろうな」と沈んだ顔をしていたのを思い出す。彼にとっても、私の退職が朗報であればと、少しだけ願った。


 ただ辞める場合よりも、ずいぶん待遇の良い退社ができそうだ。

 そう考えると、……いい選択だったようにも思える。


 思えば、この会社を選んだ理由も……自分にしてみればずいぶん主体性のないものだったと思う。それこそ、いい会社、事務採用、正社員……。テンプレのオンパレードだ。そこに、具体的な仕事内容とか、自分に向いているとかいう本質的な要素は一つも入っていないような気さえした。


 自分に向いてる仕事……。


 久しく考えたことがなかった。

 会社に入ってしまえば、あとは歯車の一部だ。歯車は考えることをしてはいけない。それこそ、上司の物差しに従うことが歯車の役目だ。

 だが、そんな上司たちも、この会社に入った理由は大したものじゃないだろう。そこだけは、私と共通であって然るべきだ。……要は、声の大きい人間の意見に釣られて生きてきた、ということに尽きる。


 そもそも……だ。

「いい仕事って……なによ」


 それは、誰にとってのいい仕事なのだろうか?

 他人から見てのいい仕事なんて、本人にとってもいい仕事であるとは限らない。

 それこそ、芸能人やスポーツ選手くらい……名声を得る一握りの人間以外は、何かの不満を抱えてその仕事しているだろう。おまけに……そんな芸能人だって、自ら命を絶つひともいる。華やかで注目を浴びることが、その人にとっての幸せであるとは限らないのだ。



 ………………



 さりとて……。

 いっぱしの事を宣ってみても、人間……働かざる者食うべからずである。


 ───私は、田舎に戻ってスーパーのパートタイマーになった。

 絵に描いたような、「都会に負けて帰ってきた田舎者」。

 有名企業の会社員時代の私を知るものがいたら、間違いなくそう呼ぶだろう。

 実際、その通りだから田舎に来たのだ。ここなら私を知るものは、ずっと昔の私しか知らない。……いや、それさえ覚えている者はいないだろう。


 だが周りの目が、それほど自分に向いていないことがわかると、意外とここは快適だ。

 主張さえしなければ、それほど過剰に立ち入ってこない。田舎の空気も以前とは、だいぶ変わってきているのを感じた。


 ……我がふるさとにも、私と同じように都会から田舎に戻ってきている者がいることにも気づいたが、……彼らはむしろ大変だろう。私と違って、過去の栄光をわざわざ自分で提示して、未だに都会と同じ価値観で生きようとしているからだ。


 わざわざ茨の道を選ぶ……か。


 いや、彼らにとってはそれが王道なのだろうから、そこは否定すべきではない。どのみち私は、には………もう関わるつもりも無いし。




 お昼休み──。

 スーパーのお惣菜売場のお弁当を買って、休憩室で遅めの昼食を取る。


 女の職場なんて、どこも同じ……。噂と作為の渦巻く、仁義なき…食うか食われるかの腹の探り合い。そう思っていたのだが、意外にもこの職場は……のどかだった。

 過剰に干渉もしてこないし、疎外感も感じない。

 理想的とも言える平和な毎日。あまりに平和すぎて、また良からぬ虫が騒ぎ出してしまいそうにもなる。


 だが、所詮は私も臨時雇いのパートタイマー。

 人員が余分になれば、雇用は打ち切りとなるものだ。

 田舎の欠点は、雇用が少ないという点に尽きる。だからこそ、人はこぞって都会を目指すのだ。かつての自分もそうだったように……。


「ここ終わっちゃったら、どうしようかな……」


 あまりの平和な環境で、油断しすぎていたのだろう。

 そんな本音が口から漏れ出ていたことに気づいて、慌てて口を抑えた。


「……次の仕事、決まってないんですか?」

 後ろから、声をかけられた。


 ……遅かったようだ。誰かに聞かれていた。

 こういう事があるから、油断してはいけないと自分に言い聞かせていたのに……田舎のゆるい空気にてられて、危機意識までも失われていたのだろう。


 私は、恐る恐る振り返る……なるべく平静を装い、作り笑いのようなものまで浮かべて。

「え、ええ……。たぶん連休終わったら、また打ち切りだと思うんで……。今度は、私が身を引く番かなぁって……」


 なんとか、破綻のない答えが返せた。


 この職場が平和であるのには、それなりに理由がある。

 パートの雇用期間が打ち切りになった場合、ここのパートタイマーたちには暗黙の了解があるのだ。すなわち、雇用の早かった……勤続期間の長い者から順番に身を引いていく、という掟。

 ある意味、無慈悲なしきたりではあるが、それが守られていたからこそ、死活問題を理由にした職場の険悪さを招かずに済んでいたということでもあるからだ。

 そして、また募集がかかったらこのパート雇用の順番の列に並ぶ……という具合だ。


 だが、私に声をかけてきたその人は、そんなしきたりからもある意味……超越した存在、と言えるであろう。パートの中でも、ちょっとした有名人だったからだ。


「そうなんですか……。あの……」

 その女性は、少し思案してから、こう言った。

「望月さん……でしたよね? もしよかったら……今日の仕事終わった後、少し話せませんか? お仕事のことで───」


 え……!?


 意外な言葉だった。一時期流行った、想定外というやつかな、これ。

 だが、こんな想定外ならいくらでも来てほしいくらいだ。



 ………………………



 夕方のシフトが終わって退勤時間となったが、店の方はまだ一時間ほど営業時間が残っている。

 お客様用の休憩スペースにて、お昼に声をかけてきた女性と向かい合って話している。私は、もちろん私服に着替え終わっている。制服のままで店内施設を使うのは厳禁だからだ。


 彼女は、パートタイマーの中でも結構な変わり者であった。人柄もさることながら、その勤務体制が、である。

 人柄の方は、ずいぶん朗らかな人、という感じでよく周りとも話している感じであったのだが、その勤務体制はというと……とてもフットワークが軽い。有り体に言って、お店から便利遣いされていると言っていいくらいだった。


 連休中や年末年始、あるいはイベントのある時や急な欠勤が出たときなど。突発的な呼び出しにも応じてくれるので、売り場の方でも重宝がられている存在。


 だが、彼女自身の主観的にはどうだったのだろうとも思う。


 実際、不規則で予定のつかない仕事というのは実生活にも支障を及ぼすだろう。こんな勤務体制では、自分のスケジュールは組めないだろうから。それでも、彼女は結構無茶な要望にも応えてきた。それがあるから、みんなの信頼も厚いのだろう。


 だが、彼女のすごいところは、むしろ……そこではない。


 たいてい、そんな便利遣いされる人というのは、いわゆる「やりがい搾取」と呼ばれるような、利益よりも負担ばかりが多い状況に置かれていることも多いものだ。

 だが、彼女の場合はそれが感じられないのだ。

 彼女は本当に、自分にとっても都合が良くてその勤務体制を選んでいるところがあるようにさえ感じられていたのだ。 


 話す機会は多くはなかったが、密かにそんな彼女に興味を持っていたのも本音であったのだ。いつも明るく、進んで楽しそうに仕事をこなす彼女……。


 彼女の話した内容は、とても興味深かった。


 なんでも、今度新しい事業を始めたそうだが、その仕事に参加してくれる人を集めているというのだ。

 集めている、というのは……いわばこのスーパーの勤務体制と対になる存在とでも言おうか。空き時間があったら参加できる、というような……とても自由で融通の効く勤務体制にするというのである。


 もちろん、それが可能なら働く側にとっては大助かりである。

 しかし、実際そんなにうまくいくのだろうかと、心配にもなった。世の中で、そういう存在が珍しいのは、この発想が無いからではない、現実的に無理だからだ。

 だが、彼女はそれを前提に事業を考えているという。一体どこからそんな発想が出てきたのか……、それも気になったのだが。


 驚いたのは、その仕事内容である。

 一言で言えば、林業そして環境整備事業である。


 最近では、林業女子という言葉も出始めているが、彼女の目指しているのはそういうものとは違うらしい。話題性には目もくれず、ひたすら働く人の利便性と生活を重視した、徹底した「働ける」環境づくり。彼女の目的は、その一点だという。


 その、仕事内容を聞いた時、私は……少々落胆した。


 林業などやったことも、なんなら一度たりとも選択肢として考えたこともなかったからだ。

 そんな、畑違いの分野に私が順応できるとも思えない。去年まで、デスクワークしかやったことのないひ弱な私が、チェンソーを持って木を切り倒すなど想像すらできなかったからだ。


 だが、彼女はなぜか自信有りげに私を誘った。

「他のみなさんも、同じようなものです。なんなら、経験者が入ってくると困るくらいなんです」

 そんな事を言っている。


 聞くところによると、彼女の旦那さんという方が林業に携わっているのだが、その仕事の方向性が既存の林業とは少々違うというのだ。新しい業態を生み出す過程にもあるので、事業として成り立つかどうかも正直怪しいという。しかし、仕事自体はそれなりに豊富で、手が足りないくらいだというのだ。そのため、都度臨時雇いになってしまうが、短期的に働ける人を集めているのだという。

 がっつり、林業に携わった人からしたらお遊びのような仕事内容になってしまうので、そういう人を頼むのは気が引ける。だったらいっそ、未経験者だけでできる内容で仕事を組み立てよう、ということになったそうなのだ。


「なにより……彼が、あ……わたしのおっとの人……なんですけど」


 ……たぶん、最近結婚したばかりなのだろう。パートナーの呼び方がまだ安定していない感じがあって微笑ましかった。


「───お金にこだわらなくても、幸せに暮らせる生き方、というのを模索しているんです。だから、こちらに来てまだ日の浅い方だったら、うちの所有する土地に来てもらって、住んでもらうことも考えてるんですよ。そこで、あたらしい価値観を見つけてもらいたくて」


 ………率直に、心惹かれる言葉だった。


 から、どうしても抜け出せず、自分にいつも問いかけていた。

 何か始めるのなら、早いほうがいい。私はもう31だ……やるなら、今しかないだろう。


 私は、記憶を頼りに事業主であろう彼女の名前を思い出す。

「……え~と、隠岐おきさん……でしたっけ?」


「はい。あ……今は籍を入れたんで、草間くさまですけど……どっちでもいいですよ」


 私は、半ば決断していた。

 私の自由は、ここにあるかもしれない。いや、ここに見つけられそうな気がするのだ。


「私、自分に何ができるか……わかりませんけど。…やってみたいです、その仕事」


 私の言葉に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「私自身も、始めたときはぜんぜん素人だったんです。それでも、毎日やっていれば、それなりにできるようになるものなんですよ。なにも、力仕事だけじゃありませんし、この間は……70過ぎたおばあちゃんとも、一緒に働いてたんですよ。なにより、外に出て体を動かす仕事って、悩まなくていいからすごく心が健康なんです」


 心が健康……。

 何と素晴らしい響きだろう。


「コロナ禍でも、屋外の仕事ならほとんど関係ありませんし───」


 私の求めていたものは、ここにあると思う。

 自分に向いている事、それは……、仕事の内容じゃない。

 どこで、どう生きるか、ということだったのだろうと……

 たった今………ようやく私は、気づいたんだ。

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