そいつはトリじゃない!

猫海士ゲル

大恐竜博物館にて

「ええっとぉ……トリ?」

おそらく目玉をぐるぐるしながら戸惑っているだろう僕を、エイミはせせら笑っていた。


エイミは美少女教授だ。僕のいとこであり、幼馴染みであり、妹でもあり、親同士が決めた許嫁であり、世界的天才学者であり、人類史上最年少の大学教授だ。


「あんちゃんには衝撃的だったみたいやね。ニワトリの先祖なんよ、こいつ」

口角をあげながら楽しくて仕方がないという表情だ。

ちなみに、あんちゃんというのはニイちゃんの意味ではなく、安司あんじという僕の名前から連想される渾名だ。


むろん、欺されていると感じた。

知能指数高過ぎの神から選ばれた知識人が一般的多数派平凡人の高校生相手に遊んでいるのだ。僕は目線をやや中空へ投げると逆に笑ってやった。


「そういう冗談に引っかかる歳じゃありませんから」


目の前の巨大な標本を見上げる。

前傾姿勢ながら二本の後ろ足で堂々立つ姿は神々しくもある。躍動的な背骨から尻尾。そして躰の比率を無視するかのような大きな頭。裂けたような口の中には杭のような鋭い牙が並んでいた。逃げ惑う草食獣を追い詰め喰らっていたのだろう。


「こいつは死肉を漁っていたんよ。躰が重すぎてとても狩りなんて出来やしない」


「うそだーッ!」

男の子の憧れティラノサウルス。威風堂々たる化石標本を前に僕は激高する。


エイミはそれでも「体重は7㌧」とせせら笑った。

「こんなデカブツは走れば膝を壊すよ。だから時速5㌔程度でゆっくり徘徊しながら死んだ動物を見つけては、その大顎で破壊して食べていた。まあ、恐竜世界の掃除屋さんってところよね」


ハイエナ扱いかよ。


「ハイエナじゃない。ニワトリだと言ってるでしょう。ハイエナは自分で狩りをする。状況次第では百獣の王ライオンに対しても集団で攻撃を仕掛けるほど戦い慣れした連中だ」


エイミは自分のスマホを取り出すと画面を僕に見せた。そこには黒々した羽毛に覆われた、クチバシのない奇妙なトリが映っていた。


「なんですか、これ」


「ティラノサウルス」


「いやいや、これはないわ。さすがに、これはオカシイ」


「最新の研究成果よ。そして頭蓋骨から解析した鳴き声は……」

ぴぃぃ、ぴぃぃ。

甲高い鳴き声がスマホから流れた。


「ち、ちがうぅぅ。ティラノサウルスは、こうドーンッとデカくて大地を踏みしめながら睨みを効かし、全身がうろこ状の硬い皮膚に覆われた大怪獣なんだッ」


エイミが「ふんっ」と鼻を鳴らす。

「あんちゃん、歳はいくつよ。そんなマンガみたいな生物が存在するわけないよ」


こいつ、昔は可愛かったのに随分と生意気になりやがって──あ、いや待てよ。恐竜なんて人類が誕生する遙か以前に地球を支配していた生き物だ。結局想像の範疇を出ないではないか。

つまり大きなトリだと主張する連中だって所詮は空想上の生き物を語っているだけだ。逆に言えば二本足で闊歩する巨大なワニの可能性だって絶対無いとは言えないはずだ。


「その羽毛は空想されたものです」

エイミに宣戦布告だ。


彼女は「はあ?」と首を傾げたあとでニンマリ笑う。

「科学的な検証の結果よ。それに羽毛が生えていたことは皮膚の化石から明らかなんよ」


「それは本当に羽毛だったのか。エイミ、キミの主張が間違っていないと断言できる根拠はなんだ」


「な、なによ。偉そうに。わたしはきょうじゅ……」


「この博物館の入り口に掲げてあった『イグアノドンの発掘から二百年』だよ。これだけ永きにわたり、世界中の学者が必死に知恵を巡らせ、思考し、想像した。羽毛はそんな妄想の産物なのだよ」


「だから、なによ」


「そもそもエイミ、きみの主張には無理がある。ここに展示してある想像図のどれも羽毛に覆われてなどいない」


「……むかしのポスターよ。最新のじゃないもん」


「ほら、だっていった!」


「揚げ足トリはやめてよ!」


「きみがトリ好きなのは認めよう。ちっちゃい頃にニワトリのピーちゃん可愛がっていたもんね」


ピーちゃんという言葉にエイミの瞳が潤んだ。

「う、うぅ……ヒッく、ひっく。ティラノサウルスはあ、ピーちゃんのご先祖なんだ!」

うえぇぇぇぇん!


エイミが大泣きを始めた。

流れ出る涙を両手で拭い、鼻水をぐちゅぐしゅ鳴らしながら人目も憚らず泣きじゃくる。他の来館者が一斉に注目した。


「おいおい、泣かなくてもいいだろ。っていうか、泣かないでください。博物館は静かにしないと」


「らってぇ、らってぇ、あんちゃんが意地悪なこと言うんだもーん……うわあぁぁぁん!」


ヤバい。博物館のスタッフが駆けてきた。出禁にされるぞ。


「わ、わかったから。エイミの主張は良くわかったから」


「ティラノサウルスはワニじゃないもぉぉぉん」


「そうだ。ワニじゃない」


大きな瞳でエイミが俺を凝視する。

涙と鼻水で顔面ぐちゃぐちゃだ。それでも口だけはキリリと一文字に結んでいた。


「トリあえず、トリでいい」


「はあ?」


「だから……エイミの主張にトリあえず賛同する。ティラノサウルスはトリあえずトリだ」


「トリあえずってなんよ」


「いいんだよ、トリあえずピーちゃんのご先祖さまなんだよ」

目の前に雄々しく脚立する大恐竜を見上げながら俺は心の中だけで密かに思いを巡らせた。

だが、しかし俺の脳内では、やはりこいつはニワトリなんかじゃないのだ。ゴツい皮膚に覆われた大怪獣なのだ。


エイミは先程とは打って変わり和やかな表情に戻っている。きっと彼女の頭の中では羽毛が美しい雪のように降り注いでいるのだろう。ったく先が思いやられるな。

僕のいとこで、幼馴染みで、妹で、親同士が決めた許嫁で、世界的天才学者で、人類史上最年少の教授センセイさま。

そして何よりもトリが大好きな無邪気で可愛い女の子。

それでも、僕たちは恐竜トリには会えない。


いつか、ピーちゃん2世を連れて再来しよう。

エイミの笑顔にそんなことを考えていたら、なぜか僕も微笑み返していた。

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そいつはトリじゃない! 猫海士ゲル @debianman

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