砂礫にレクイエムを

スギモトトオル

本文

『実は僕、人間じゃないんだ』

 彼のそのノイズ混じりの声は、事実、彼の喉から発せられたものだった。

 傷ついた身体。荒れ狂う砂塵に洗われ、浴びた返り血オイルで黒く汚れた華奢きゃしゃな輪郭。

 胸は穿たれ内部の金属光沢が露わになり、片腕からは関節を動かすシリンダーが突き出ている。首から肩口にかけての傷は皮膚を裂き、喉の奥にあるスピーカーの歪んだ円形が覗いている。

 彼は、そう、人造人間。

 人類を救うべく造られた幾体かのうち、唯一残っている最後の人造人間だった。


 また一体、腕にチェーンソーの付いた機械兵が彼に襲い掛かる。

 彼はひるがえり、振り下ろされる刃をかわしながら相手の腕を掴む。

 大地を蹴り、そのまま一回転。機械の腕関節が捻れる。彼の胴よりも太い機械兵の腕が、無造作にねじ切られた。

 よろける機械兵の巨体。断面からほとばしる黒いオイル。彼はもぎ取った鉄の腕をてると、機械兵の胸へ、その右手を突き込んだ。

 装甲を貫通し、吹き出す血飛沫オイル。残った腕を振り上げていた巨体が痙攣したように震え、赤い光が明滅し、消えた。

『僕は、人間じゃない』

 丘の上に立った彼の声。


 っているよ。


 彼はたった今ほふった機械兵の胸から右手を引き抜き、そのオイルの滴る指先で顔に掛かる黒髪を払う。

 ああ、美しい細面ほそおもて。彼が人間だったときから少しも変わらない。だけど、その体は、もう僕の識ったそれではない。

 砂嵐が吹き荒れて彼との間をへだてる。彼の影すら時折隠してしまう。僕のか細い声など届きようもない。

 かつて交易に栄えていた街は、破壊され砂漠に埋もれてしまっていた。僕は、そんな廃墟の一つに身を寄せて、彼の影を見上げていた。

 彼は砂の丘の上に立ち、辺りを睥睨へいげいしている。わずか数年でこうも荒れ果てた街をいたむように。

 かなしい、そして美しい瞳だった。

 いつか、その瞳で見つめてくれるだろうか。僕がほうむられるそのときにも。


* * * *


 人類は戦いに敗けた。僕や彼が生まれるよりも前の話だ。

 充分に発達した科学技術は魔法に同じだ。ちょっとした知恵と素養さえあれば、誰もが強大な力を得る時代になった。

 平等とは、無秩序カオスが持つもう一つの渾名あだなに過ぎない。技術が、ただの凡人に世界を転覆させる力を与えた。

 どこで誰が始めた事か、正確には分かっていない。気が付けば自律する機械兵たちが世界中で蜂起して、地球上で文明人の住んでいたエリアの半分以上が紛争地帯となった。

 僕と彼とは、そんな荒れ狂う時代に産まれ、共に時を過ごしてきた。世界でただ一人の許しあえる仲だった。

 やがて他の級友たちと同じように、彼も兵士になってった。卒業時期に偶然入院していた僕は残されてしまった。父親が研究者だったため、僕はそのまま戦場から遠い研究所に移って父と暮らし始めた。

 気がついた時には、研究所に彼の死体が運び込まれていた。いや、僕はその事すら知らなかった。僕が、彼に再会したのは、既に人造人間の体になった後だった。

「どうだ、これが私の研究成果だ。驚いただろう」

 痩せこけた父が、頬を引き攣らせてそう笑った。

 彼の肩には8の印が入っていた。戦死体をもとに人造人間が何体造られたのか、僕は知らない。


「随分、久しぶりの気分だね」

 よく知った彼の声だった。スピーカーからの合成音声だと分かっていても、喜びが湧き上がった。彼の本来の声帯は火傷で失われてしまっていた。

「また少し痩せたんじゃないか」

 彼の指が僕の頬をなぞった。まだ力加減が少しぎこちないけれど、その触り方は紛れもない彼のものだった。たとえ工業製品で構成されていようとも、そこに確かに彼がいた。

 僕は、涙が込み上げてくるのを堪えて、無数に感情の言葉が溢れるのを飲み込んで、ただ一言返した。

「君は、変わらないな」

「何を言うんだ。随分体が重くなったさ。それに、象くらいなら片手で持ち上げられる様にもなってしまった」

 困ったような、さらりとした微笑み。僕の胸に針が刺さる痛み。

「僕は卑怯者だ。一人で戦場から逃れ、のうのうとこんな場所で真っ白なシャツを着て暮らしている」

「よせよ。僕らは時代や運命というやつに押し流されただけだ。他の奴らだって変わらないさ」

 そこで彼は初めて顔を曇らせた。その鳶色とびいろの瞳で何をてきたのだろう。

「共に卒業した仲間のうち何人生き残っているのかは知らないが、大抵は何にもならない死に方をしたに違いない」

 僕の様にな、と吐き捨てるように彼は言う。なぜ、数ある死体の中から彼が選ばれたのか、知らされていないのだという。大方おおかた、父が手を回したのだろうけど、戦場で死にきれなかった事をどう思っているのだろう。

「僕はまた、戦いに出る」

 動かし方を確かめるように握った手を見下ろしながら、彼はそう言った。戦闘用の体だ、当然そうだろう。だけど、思いの外、僕は狼狽した。

「何故だ」

「何故って……それが生かされた理由だからさ」

「せっかく生き返ったというのに」

「国の金と世界の都合さ。地獄から徴兵されるとは思わなかったけどね」

「僕も行く」

 気づけば、そう口走っていた。

 つのる感情からそう言ったに過ぎない。だけどしかし、一度言葉にすると、それは強い力を僕の中に生んだ。僕はその意志を一時いっときのものにはせず、確実に実行に移そうと決心した。

 彼は困ったようにまた笑った。

「君は戦場に向かないよ」

「どうとでもなる。同じくらい華奢だった君が戦っていたんだ」

「僕は死んだ」

「どんな体だろうと、どうせ兵器の前では変わらないさ。僕はどうせ死ぬのなら、君に骨を拾われたい。なあ、戦場と言ったって、戦闘以外の時間もあるんだろう。またチェスをやろう。ここじゃ相手がいないんだ」

「参ったな」

 彼はますます困ったように、だけど、どこか嬉しさを隠せない表情で髪をかき上げた。

「君とのチェスは魅力的だ。確かに戦場はこの上なく退屈なんだ」

「決まりだ」

 僕は右手を差し出した。彼はそれを数秒見つめた後、握り返してくれた。

 それが、四ヶ月ほどは前のことだったろうか。


 人造人間となった彼は、各地の戦場を点々としながら常に戦果を上げた。

 彼が戦線に加わると、その一箇所から戦況が盛り返していく。崩れかけた戦線を立て直し、味方の大歓声に包まれながら、彼はまた次の戦場へ移っていくのだ。

 僕は、そんな彼の体を調整するための専属技師として帯同した。父を説得するのには骨が折れたけど、いずれ父の後を継ぐために現場を知るのだと言えば周囲が味方に付いた。

 人造人間たちは局所的に成果を上げてはいたが、それでも戦略的な影響には結びつかなかった。つまり、人類は虎の子を投入したにも関わらず、じりじりと後退を余儀なくされていた。

 その人造人間たちも、一人また一人と戦場に散り、気がつけば彼ただ一人が戦場に立っていた。

 新たな人造人間は造られなかった。父が所属していた研究所が急襲を受け、研究データもろとも破壊されたのだ。僕はしくもまた生き残った。ともかく、人造人間とその技術は彼と僕にのみ残された。


 人は言う。

 彼は戦士だ。彼は最終兵器だ。彼は救世主だ。

 ちがう。君はそんなものじゃない。

 彼の悲しみをり、彼の孤独をり、世界のむごさを僕はった。

「なぜ戦うんだい」

 彼の整備をしながら、背中越しにそう問うたことがある。

「人類のためさ」

 淡々と、疲れを微塵とも見せない声で彼はそう応えた。僕と二人きりのときでさえ、彼は英雄であろうとしていた。

 それが悲しくて、僕は彼の背中に涙を落とした。


* * * *


 赤い光。砂塵に混じって大地の向こうから迫ってくる無数の赤いライトは、列を成して歩を進めてくる機械兵たちの目だ。

 彼の敵。彼が倒すべき、人類の敵。

 本当だろうか?

 奴らこそが、行き詰った人類の文明に終止符を打つ存在なのではないか? 奴らの足音こそが、我々への滅びのレクイエムなのだとしたら?

『僕は人間じゃない』

 ガサついた音質になった彼の声。離れていても、砂嵐が荒れ狂おうとも、不思議と僕は彼の言葉を聞き分ける事が出来た。

『じゃあ、君は一体何なんだろうな』

 彼は、こちらを見ていた。砂に埋れた文明の跡を踏みしめて、僕のことを見ていた。

『研究所から持ち出した君のお父上の記録を見たんだ。そこには”オリジン”という名前が繰り返し登場していた』

 彼の背後には、赤い目の軍団が迫っている。その地響きが聞こえてくる中、彼はまっすぐに僕を見つめていた。

『人造人間には、基になった始まりの個体がいたんだ。日誌にはこう綴られていた。”それは起源にして頂点。元祖にして究極。習作にして傑作だ”と』

 彼の美しい黒髪が嵐に乱される。鳶色とびいろの瞳だけが僕を見ている。

『博士が、お父上が君を戦場から遠ざけたかったのは何故だと思う? 従軍経験の無い君が、人造人間である僕と同じ日程で行軍しながら少しも体調を崩さないのは何故だと思う?』

 滴るオイル。彼の指先。砂に染み込んで。

『あの日、卒業の日に二人で心中して、僕だけが死に損なったはずなのに、君が今そうして立っているのは何故だと思う?』

 響く大地。世界中で人が死んでいる。彼は僕だけを見ている。

 鳶色とびいろの美しい瞳で。

『続きをしよう。あの日終わらせられなかった僕達の物語を、今ここで』

 彼は歩き出した。機械兵たちに背を向けて、砂の丘を降りて来る。

『最後のチェスは、騎士ナイト同士の一騎打ちだ』

 彼の足が地面を蹴った。起こる砂埃。

 僕の目が彼を追う。上方に跳び越した。

 僕のいる建物のはりを蹴って、真上から彼が鋭く落ちてくるのがえた。オイルに黒く塗れた右手を構えている。

 飛び退って躱した。彼の手が床に突き刺さって砕く。僕は脱いだ白衣で飛び散るコンクリートの塊を防ぐ。

 彼はすぐさま迫って来る。避けられるのを織り込み済みの動きだ。投げてて舞った白衣によって出来た死角を回り込んで、迅速な踏み込みが来る。

 彼のはげしいひと突きを僕は片手で打ち払った。すかさず体を反転させた左手の薙ぎ払いが来る。身を低くしゃがんで躱す。そこに振り下ろされる、本命の手刀。砂煙の尾を引いた右腕がえた。

 強い音が響く。避けられない手刀を、頭部をかばった腕で受け止めていた。拮抗し震える力。

『さすがの身のこなしだな。僕よりもずっと深くその体の動かし方をっているんだろう。あの日再会したときには既に、全く動きに違和感がなかったものな』

 彼は笑っていた。いつもの控えめな笑みではない。鳶色とびいろの瞳は狂喜に踊っていた。そしてそれは、僕の心とも共鳴をしていた。

 ああ、認めなければいけない。僕もまたはげしく高揚しているのだ。

『戦場で独り死ぬのは、果てしなく怖かった。寂しかった。広がる自分の血を眺めながら、その水面に君の面影を映していたよ』

「僕も同じさ。死に場所なんてとうの昔に決めている」

 何度もはげしく打ち合った。互いに傷つこうとも、包囲を始めた機械兵たちからの砲弾が飛び交いながらも、僕らはただ互いのみを見て、戦っていた。

 笑っていた。踊っていた。何度も何度も体同士がぶつかり合い、高く響く音を立てた。

 かろうじて残っていた柱が崩れ、建物が崩壊した。辺りに砂煙が充満する。互いの姿が隠れる。

 神経を研ぎ澄ませた。

『……か』

 微か、彼の声が聞こえた。迷うことなく飛び込み、彼の影を貫いた。

 僕の指先が砕いたのは、コンクリートの塊だった。

 目を見開く。そのコンクリートの上に、歪んだ円形のスピーカーが乗っている。線が伸びていて、その先には、満面の笑みを浮かべた彼が。喉の傷口の奥は空洞。黒く染まった右腕は構えられている。

 鋭く突き出される彼の手。僕の背中を砕き、胴を穿ち、脇腹から突き出ていった。

 吹き出すオイル。上半身と下半身を繋ぐ骨格フレームが砕かれていた。僕の体は彼の腕からずり落ちて、地面に崩れた。

 彼は僕を見下ろしていた。もう何も言わない。喉からぶら下がるスピーカーは完全に壊れたようだ。

「君は、何のために戦うんだい」

 彼は背を向けて歩き出した。迫る赤い目の軍団に向かって。

 僕は血の海オイルに沈む。

 彼は走る。はやく走る。

 やがて僕の視界は霞み、彼の姿は掠れ、砂嵐の音。

 彼は、英雄でいることをやめていた。ただ、二人の死が少しでも静かであるように、そのためだけに戦ってくれている。きっと、最後は僕の隣にそっとてくれるのだろう。

 なあ、僕らは、こんな運命に弄ばれ続けた僕らは、最後くらい美しくれただろうか。

 血液オイルが身体から流れ出るのを感じながら、僕はゆっくりと瞼を閉じた。砂塵の雲間から天使の梯子が下りてくるのがえた気がした。


〈了〉

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