【KAC20246】ヨウムのおーちゃん

池戸葉若

ヨウムのおーちゃん


「バイバイ、またね」


 窓際の座席に身を沈め、つぶやく。

 春からの大学進学を機に地元を離れることになり、乗り込んだ電車の中で、こういったタイミングで誰もが多かれ少なかれ感じるようなごく一般的なノスタルジーに、私は身を委ねていた。

 十八年を過ごした町並みを眺めていると、友人たちの顔が車窓に流れてくる。

 ふいに一羽、鳥が目の前を並び飛んで消えていった。

 同時に、小さな女の子の笑顔が浮かんできて、私はその記憶を引き止めた。

 一生吊り上がることのなさそうな、垂れた眉が特徴的な女の子。

 彼女の名前は『しーちゃん』といった。




 しーちゃんと出会ったのは、小学生のころ。

 お父さんの仕事の都合で引っ越してきた転校生だった。

 慣れない環境で友だちもおらず、不安そうな彼女に一番最初に話しかけたのは、たまたま前の席に座っていた私だった。

 やけにウマが合い、あっというまに私としーちゃんは親友になった。学校が終われば、たがいの家に遊びにいくのが日課になっていた。

 しーちゃんの家は鳥を飼っていた。

 といっても、先ほど飛んでいった鋭い一羽とは似ても似つかない、とぼけた見た目をしたメスのヨウムだったけれど。

 名前は『おーちゃん』

 ヨウムならよーちゃんじゃないの? と当時の私はツッコミを入れた。

 返ってきた答えは、おーちゃんを飼いはじめたしーちゃんのお祖母さんが、オウムと勘違いしていたらしいとのことだった。名前の由来までとぼけていた。

 私としーちゃんは、おーちゃんに言葉を覚えさせて遊んだ。


「おーちゃん? しーちゃん、みーちゃん、なかよしっていってみて?」

「オーチャン、オーチャン」

「ちがうって。しーちゃん、みーちゃん、なかよし」

「シーチャン、ミーチャン、ナカヨシ」

「あははは! そうそう! かしこい!」


「ねえ、みーちゃん。お母さんが、みーちゃんのお母さん心配してないかって」

「え? あっ、もうこんな時間! しーちゃん、バイバイ! またね!」


 しーちゃんとの日々は楽しかった。

 けれど、彼女は一年も経たずに遠い場所へと転校していってしまった。こっちにきたときと同じで、お父さんの仕事の都合が理由だった。

 悲しかった。

 悲しすぎて、情緒が発達途上な年齢もあいまって、会うのはこれで最後という場面にもかかわらず、私の中に込み上げてきたのは、正体不明の理不尽な怒りだった。

 そして、私はしーちゃんに辛く当たってしまった。


「しーちゃんなんかもう知らない」——なんて。


 流すべきなのは、別れの涙のはずだった。

 だけど、あのとき二人の目からこぼれていたのは、きっと別々の色の雫だった。


 ——しかも、そんな一時の感情に操られて新しい連絡先も交換しなかったのだから、バカすぎて笑える。


 ノスタルジーが青みを帯びてきたのを感じた私は、それをむりやり笑い話に丸め込んで、ひと眠りしようと目を閉じた。

 明日から東京の一員になるんだ。

 そんな他人事みたいな覚悟を残して。




 ——率直にいうと、大学が始まる前から、早くも私は疲弊していた。

 目を刺すようなネオン。むせ返るような人いきれ。地元とは違う人々の性質。

 慣れない一人暮らしで友だちもおらず、新生活への期待より、不安が上回っていた。


 それは、入学式の日に大学の門をくぐっても変わらなかった。

 にぎやかな人々と何かで隔絶されているような感覚。

 漠然とした「ヤバい」という焦り。

 桜の花びらが死ぬほど似合わない、この気持ち——。


「みーちゃん?」


 声をかけられ、私は顔を上げた。

 一生吊り上がることのなさそうな、垂れた眉が特徴的な女の子がそこにいた。


「……しーちゃん?」


 私の呆けた顔をよそに、彼女は走ってきていった。


「やっぱりみーちゃんだ! すごい偶然! みーちゃんもこの大学入ってたんだ!」

「う、うん……」

「大人っぽくなったけど、でもなんか変わってないね!」

「そうかな。しーちゃんこそ変わってないよ。っていうか、久しぶりだね」

「ほんと久しぶり! ねえ、ガイダンスまで時間あるし、ちょっと静かなところで話さない? にぎやかなのはいいんだけど、なんだか疲れちゃった」

「うん。いいよ。いこっか」


 私としーちゃんは、メインストリートから外れた場所にあるベンチに座った。

 喧騒から離れ、少し落ち着いた気がしたが、別のうずきが私の胸に生まれていた。

 昔の別れ際に見たしーちゃんの泣き顔が、今の彼女の笑顔に重なって直視できなかった。

 それでも黙っているのが嫌で、私は口を開いた。


「しーちゃん、私だってよくわかったね。十年くらい経ってるのに。忘れてなかったんだ」

「忘れなかったよ」


 はっきりと答えたあとに、しーちゃんはつづけた。


「というより、忘れさせてくれなかったっていったほうが正解かな」

「……誰が?」

「おーちゃん」

「おーちゃんって、あのヨウムの? どういうこと?」


 しーちゃんははにかむように、「ちょっと昔話」といった。


「今思うと暗いなあってなるんだけどね? 私さ、みーちゃんに会うまでずーっとおーちゃんに愚痴ってたんだ。引っ越しばっかりで、友だちできなくて寂しいって」


「……そうなんだ」


「あのころからおーちゃんはおばあちゃんだったから、孫を心配する気持ちみたいなのがあったのかも。だから、友達になってくれたみーちゃんのこと、おーちゃんはすごい気に入ってたよ。みーちゃんが帰ったあとでも、ミーチャン、ミーチャンっていってたの。知らなかったでしょ?」


「おーちゃんが……」


「あれからいろんな言葉を覚えさせて、忘れてしまう言葉もあったけど、おーちゃんは絶対にみーちゃんの名前だけは忘れなかった。だから、私も忘れられなかった。ずっと名前を呼ぶから、忘れなかった」


 私は言葉が出てこなかった。かわりに、胸の奥底にあった後悔という名の繭から、何か新しい思いが羽を広げかけていた。

 

 すると、しーちゃんはぼそりといった。


「でも、もしおーちゃんが……ううん、何でもない」


 はっとして、私はしーちゃんに顔を近づけた。


「何? なんていおうとしたの?」

「何でもないってば! 恥ずかしいから忘れて!」

「教えてよお」


 気がつけば、私は笑っていた。

 思えば、これが東京にきて初めての笑顔だった。



 その後——聞くところによると、おーちゃんは去年亡くなったらしい。

 ヨウムの長い旅路の果ての大往生だったという。

 もう一度会ってありがとうと伝えたかったから、残念でしかたがない。

 だけど。

 恩返しというわけではないけれど。

 もうあのとぼけたトリにはえずとも、彼女が繋ぎ止めておいてくれたえにしの糸を、もう一度編んでいけたらいいと思った。


 そのためにはまず、ごめんなさいから始めなきゃ。



                   ※



 シーチャン、ミーチャン、ナカヨシ。


 バイバイ、マタネ。


 シーチャン。ミーチャン。


 ダイスキ。ダイスキ。




〈おわり〉

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