「必ず、守ります」

 ぎゅるるるるるぅ。

 あたしのお腹から魔物の鳴き声みたいな音がした。やだ、めちゃくちゃ恥ずかしい! そういえばあたし、寮の晩ごはんをすっぽかしたんだったわ。

 レインは不思議なものを見るような目でキョトンとしていたけれど、くすくす笑い始めた。ますます恥ずかしくなっちゃって、顔に熱が集まっていく。


「そういえば、人族はお腹がすくんでしたね。もう夕方ですし、食事にしましょうか」

「え? あなた、ごはん食べるの?」

「僕は光竜なので基本的に竜石しか食べませんけど、アイリスはお腹がすいたでしょう? 魚でも焼きましょうかね」

「おさかな!?」


 お魚はあたしの好物だ。わくわくして長い尻尾がゆらゆらと動く。そんなあたしを見て、レインはにこにこ笑っていた。

 いにしえの竜って、石しか食べないんだ。なのに彼はあたしに合わせようとしてくれている。その気遣いが、素直に嬉しかった。


「……あ、でも。レイン、魚の焼き方ってわかるの?」

「これでも僕は人族の文化や歴史が好きで研究しているんです。もちろん食事の文化も調査済みです。これでも、少しはきみたちのことを理解しているつもりですよ」


 そういえば、彼の手には今も大きな赤い表紙の分厚い本がおさまっている。よく見れば、それは先日本屋さんで発売されたばかりの世界史の本だ。あたしもまだ買ってないやつ。

 このひと、竜なのに。しかもこんな洞窟に棲んでいる……んだよね? どうやって本を購入したのかしら。


「よう、邪魔するぜ」


 不意に、あたしでもレインでもない、野太い声がした。その声を合図に騒がしい足音が聞こえてきた。

 尻尾を太くして警戒していたら、ガタイのいいおじさんたちが入ってくる。五人……ううん、六人くらいかな。レインの家である洞窟に遠慮なく入ってくると、おじさんたちはあたしたちを取り囲んだ。どの人も目がぎらついていて嫌な笑みを浮かべている。どう見ても、仲良くしましょうって感じの顔じゃない。


「ちょっと、なんですか。きみたちは」


 美しい部屋を土足で踏みにじられてさすがのレインもムッとしていた。銀縁眼鏡の奥でおじさんたちを睨みつける。

 この人たち、何しにきたんだろう。ここはレインの巣なのに。

 おじさんたちはみんな初めて見る顔だったけれど、そのうちの一人は見たことがある顔だった。一見、強面で怖そうだけど、話してみると気さくで優しい。そうだ、あの人、あたしにきんいろの羽根をくれた冒険者のお兄さんだ。


「え? お兄さん、なんで?」

「嬢ちゃんには礼を言わねえとな。助かったぜ。結界を壊してくれてよ。おかげで、ようやくいにしえの竜の巣穴を暴くことができたんだからな」


 くつくつと冒険者のお兄さんは悪い人みたいに笑っている。

 どういうことなの。たしかに結界を壊したのはあたしだけど! 

いにしえの竜の巣穴? お兄さんはこの洞窟が初めからレインの巣穴だって知ってたってこと!?


「どういうことよ。あなた、ここがトリの巣だって言ってたじゃない。ほら、このきんいろの羽根だって、あたしまだ持ってるのよ!」


 制服の胸ポケットからきらびやかな羽根を取り出して、それをお兄さんに突き出した。

 思いっきり睨みつけるあたしを見るなり、おじさんたちは下品な声で大笑いし始める。


「なにがおかしいのよ!」

「まだ騙されてることに気付かねえのかよ。バカな子猫だな! その金色に輝く羽根こそがいにしえの光竜のもの! こいつらは肉体すべてが高く売れる素材、生けるお宝なんだぜ。羽根が落ちていた近くのどこかに竜の巣があるのは確かだったが、どうしても見つけられない。だからお前に情報を渡して泳がせてたんだ」


 え、これって竜の——レインの羽根なの? これ、完全に鳥の羽根じゃない! 竜って皮膜の翼じゃなかったの。

 嘘をつかれていたのはショックなはずなのに、不思議と悲しくはなかった。それ以上に、レインのことを素材だと侮辱したのに腹が立った。胃のあたりがむかむかしてくるし、握った拳も尻尾も震えてくる。許せない。


「つまり、きみたちが結界で隠した我が家を暴き、侵入しようと画策したのは、僕を捕えるためなんですね。そんな目的のために、アイリスを騙したと」


 真っ白な背中があたしの前に立つ。

 のんびりと穏やかだったレインの声が固く、低くなる。


「きみたちは勘違いしているようだ」


 ふいに、レインの身体がきんいろの光に包まれる。これは魔力の光、なのかしら。白衣に似た上着の裾が魔力の風でひるがえる。

 淡いきんいろの光がのびてふくらんでいく。わずかな時間のあと、きんいろの光が弾けて、長い金毛の竜があらわれた。

 時々小さくうごく小さな耳の近くには虹色に光るツノが二本。四つ足の爪も七色だった。あたしの尻尾よりも太い長毛の尾。お腹のあたりには透明な鱗が見える。そして背中には鳥に似た大きなきんいろの両翼。あのきらびやかな羽根だ。

 神秘的できれいな竜だった。見開くアーモンド型の目は空を切り取ったかのような鮮やかな青。その目を見てると、不思議とレインだとわかった。


『たしかに我々いにしえの竜はきみたち人族を攻撃することはできない。ただし、ただ一つの例外が存在する。我らの縄張り内——、つまり巣穴の中ならばきみたち人族に何をしようとも咎められることはないんですよ』


 頭の中に、レインの声が直接響いてくる。

 癒しの竜は攻撃型の竜と比べて大きな個体は少ない。——そう聞いていたけれど、たぶんレインもそんなに大きな方じゃないのかも。すごく背が高い熊の獣人さんくらいの大きさだ。洞窟の天井に届くほどじゃない。

 それでも突然姿を現したドラゴンにおじさんたちは怯んでいるようだった。


 うわあ、これがいにしえの竜なんだ。初めて見た。レインって、本当に竜だったのね。


『アイリス、下がっていてください。僕はきみのことが気に入っているんです。必ず、守ります』


 きんいろの尻尾がぱたりと動く。ほぼ同時に、あたしの胸もとくんと高鳴った。


 竜の姿でそんなこと言われたら、頼もしく見えちゃうよ。でも、自分の特性は癒しと真実の探究だとレインは言っていた。それが本当なら、攻撃手段を持たない竜だってことだよね。どうするつもりなんだろう。


「まさか、竜が俺たちに攻撃するのか!?」

「ただのハッタリだ。騙されるな!」


 おじさんたちに動揺が走る。まさか反撃されるって思わなかったんだろうね。無抵抗な相手を複数人で囲むとか卑怯すぎる。しかもおじさんたちは武器を持っていたらしい。鞘から剣を抜くとレインに突っ込んでいった。


「レイン、危ない!」


 うそ。

 胸の前で両手を握っていたら、おじさんが振り上げた剣が突然砕けてしまった。ううん、違うわ。たくさんの石がバラバラと地面に落ちていく。よく見たら、虹色に光る、この部屋に貼り付いているのと同じ竜石だ。


「……ひっ!」

『今度はきみのことも石に変えて食べてあげましょうか』


 レインはこれ見よがしに大きな顎を開ける。そうっと後ろからのぞくと、その口には隙間なく鋭い牙がびっしりと並んでいた。あれ、なんかレインのからだがまた光り始めた!?

 小さなきんいろの光がレインの口へ集まっていってる。これは、魔力のかけらなのかしら。まるで教科書のイラストで見た、竜の息ブレス攻撃をする構えに似ていて、あたしは肝を冷やした。レイン、ほんとうに攻撃するつもりだ。


「レイン、だめ——、」

「うわぁぁあああああっ、逃げろぉぉぉぉ!」


 あたしが止めるより先に、おじさんたちは叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。野太い悲鳴が洞窟内に反響していって、最後には静かになった。

 レインは何も言わなかったけど、彼とあたし以外の人がいなくなると光と消して口を閉じてしまった。


『癒しの竜である僕がブレス攻撃なんてできるわけないのに。あっさり騙されてくれましたね。てへ』


 そう言って、レインは舌をちょろっと出してお茶目に笑った。ほんとうに、ハッタリだったみたい。




 ◇◆◇




 冗談みたいに笑っていたけど、きっとレインが言ったことは嘘じゃない。自分の特性を真実の探究だと口にしていた彼が嘘をつくわけがないもの。

 ——ということは、いにしえの竜たちは巣の中であれば人に反撃することを許されているんだわ。剣を竜石に変えて脅したように、人を石に変えて食べてしまうのかも。


 レインは人の姿に戻っていた。ううん、この場合、変身していると言った方が正しいのかしら。どちらかと言えば、竜の姿が彼の本来の姿だもんね。


 今回は逃げてしまったからよかったけれど、もし向こうがあのまま引き下がらなかったらどうするつもりだったのかしら。


「レインは本当にあの人たちを食べるつもりだったの?」

「え? まさか、そんなことしないですよ」


 あたしたちは虹色の部屋を出て、岩肌だけの場所に移動していた。レインは木の枝を集めて火を炊いている。近くの川で釣ってきた魚を三匹並べて、塩を振っている。その手を止めて、彼は目をぱちぱちと瞬かせた。


「僕はきみたち人族のことが大好きなんです。たとえ相手が悪い人でも殺すような真似はしません」


 そう言って、レインはにこにこと笑った。人のことを好きだと言ってもらって嬉しい反面、心のどこかでがっかりした。レインがあたしのことを気に入っていると言ってくれたから期待したのに。もしかすると深い意味はなかったのかもしれない。

 そんなあたしの心を知らないであろうレインは笑いかけてくれた。


「僕はずっと旅に出たいと思っていました。人族が作り上げた遺跡や過去の軌跡をめぐって、歴史の裏に隠された真実を探したいと。ですが、僕がどれだけ完璧に人の姿になろうと、いにしえの竜には制約があるせいで一人で旅なんてできません」


 なんとなく、そんな気はしていた。レインは外の世界に出たいんじゃないかって。じゃなきゃ、自分の巣穴で人の姿に変身したりしないよね。


「でもねアイリス、きみと出会って、縁はつながりました。きっかけがあの魔竜の爪っていうのが気に入りませんが」


 レインって、よほど魔竜のことが好きじゃないみたい。仲が悪いのかしら。

 彼は手を止めて、あたしに向きなおった。空色のまっすぐな目を向けてくる。そうして見つめ合ってると、彼は手を差し伸べてきた。


「アイリス、僕と一緒に旅をしてくれませんか。世界の遺跡をめぐる旅をしましょう。僕はきみの優しいところも勇気があるところも大好きです。きみとなら、どこまでも行ける気がするんです」


 純粋で屈託のない笑顔と言葉だった。だからこそ、顔が熱くなっちゃう。すごく照れるんだけど!

 けれどレインの言葉にはきっと他意はない。十五歳のあたしに何千年も生きている竜が恋愛感情を持つわけがないもの。それがわかるだけに、がっかりしてしまう自分もいて……。

 それでもレインはあたしが特別だと言ってくれた。なにより旅の仲間として指名してくれたことがうれしい。


「喜んで! 学院を卒業したら、あたし冒険者になるつもりだったの。一緒に遺跡めぐりの旅をしようね」


 断る理由なんてなかった。彼の手を取って、あたしは笑顔で頷いてみせる。するとレインはとろけるような笑顔で笑った。

 いつか冒険者ギルドに登録してトレジャーハンターになるのがあたしの夢だ。遺跡めぐりをするのはあたしのやりたかったことの一つなの。レインが世界をめぐる旅に出るなら、あたしもついていきたい。

 好奇心豊かで、何をされようとどこまでも人に優しくできる。レインのそんなところがあたしは好きなの。相手がいにしえの竜だからとか関係ない。


「もちろんです。それまで待ちますよ。……さて、魚が焼けました。アイリス、どうぞ」


 炎のあたたかさと香ばしいにおいがあたしのお腹を刺激する。またぐうって鳴っちゃった。

 レインは長い指で枝をつまんであたしに差し出してくれた。けれど期待は絶望に変わる。

 魚を受け取ろうと手を伸ばしたその瞬間、ぼとりと地面に落ちてしまった。うそ。なんで落ち……。

 ああ、わかったわ。よく見たら、魚は口からではなく、側面からど真ん中にぐさりと木の枝で突き刺されていたようだった。そりゃ落ちるわよ!


「あれ、おかしいですね?」

「…………レイン、魚の焼き方から教えよっか」


 えっと、歴史と文化を研究している考古学者じゃなかったんだっけ。これはなかなかに教えがいがありそうね。

 トリには会えずだったけれど、素敵な縁に恵まれた。これから楽しみだわ。


end.

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【KAC20246トリあえず】まぼろしのトリを求めて 依月さかな @kuala

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