男はカードを握りしめ

むらたぺー運送(獅堂平)

男はカードを握りしめ

 男は杉山伸太郎すぎやましんたろうを何度も殴打した。

 こんな奴は生きる価値がないとばかりに、憎しみをこめて叩きつける。杉山が虫の息になるまでハンマーを振りかざす。

 犯行中、机からパラパラと何かが落ちた。漢字などが書かれているカードのようだ。

 カードを踏みつけないように気をつけながら、部屋を出て行く。証拠は何もないので、このハンマーを処分すればいいだけだと男は思った。

 だが、男は致命的なミスをする。被害者の杉山は重要なメッセージを残していた。


 *


 **


 ***


 道重小夜みちしげさよが大学の講義を終えて帰る道すがら、

「小夜!」

 彼女を呼び止める男性の声が聞こえた。

 誰だろうと振り返ると、従兄弟の道重大也みちしげだいやだった。彼は警視庁の刑事なのだが、平日の昼間から会いにくるということは事件の相談だろう。小夜は頭脳を認められ、たまに彼の相談役となっていた。

 用件はわかっているが、小夜は惚けてみせる。

「なに? お兄ちゃん」

「実は、相談にのってほしくて」

 従兄弟は申し訳なさそうに言う。

「これから、バイトとかなければ、話を聞いてくれないか?」

「デートの予定があるわ」

「えっ」

 大也は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で驚く。

「冗談よ」

「あ、やっぱり。そりゃそうだよな。小夜に恋人なんて」

 彼の失言に、小夜は苛立つ。

「へー。そんな言い方するんだ。相談にのってあげないよ」

 小夜は八の字を寄せ、むくれた。

「すまんすまん。そこの喫茶店でパフェを奢ってやるから、話を聞いてくれ」


 *


 小夜はフルーツパフェをスプーンですくい、口に入れる。昭和レトロな雰囲気の喫茶店で注文したパフェは、期待を裏切らない美味しさだ。

「それで、どんな事件?」

 あっという間に平らげたのち、彼女は聞いた。

「まずは、これなんだが……」

 大也は二枚の写真をテーブルに置く。そこには言葉が書かれたカードが写っている。

「こっちが『トリ』ね」

 小夜は一枚目の写真を指差す。

「それで、こちらが『あえず』ね」

 次に二枚目の写真を突いた。

「被害者が握っていたカードだ。これはダイイング・メッセージではないかと思う」

「ふうん。『トリあえず』って、どういうことだろう。意味を考える前に、事件の概要を教えて」

「わかった」

 大也は手帳を開く。

「被害者は杉山伸太郎、三十八歳。都内のIT企業で取締役をしている男だ。発見現場は本人の自宅マンションで、被害者の妻が第一発見者だ。マンションのエントランスの防犯カメラを確認したところ、二十時に中に入る被害者が映っていた。妻が発見したのは二十二時なので、その間に殺されたと思われる」

「犯人の姿は防犯カメラに映っていないの?」

「怪しい人物はいたが、帽子とマスクのせいで誰かよくわからない」

 大也はコーヒーを啜った。

「このカードの出処は?」

 小夜は首を傾げた。見たことのないデザインのカードである。

「このカードは杉山がプロデュースした子供向けの知育カードだ。かるたのような感覚で、カタカナで書かれたカードと漢字で書かれたカードを組み合わせるゲームだな。『トリ』なら『鳥』といった組み合わせを作る」

「へえ。漢字を記憶するには使えそうね」

「ああ。書店のバックエンドコーナーに置いてあるくらい売れている」

 大也は煙草を取り出すが、手を止め、スーツのポケットに戻した。この喫茶店は喫煙できない仕様だ。

 ニコチン中毒の従兄弟に苦笑して、小夜は聞く。

「それで、カードは、鳥以外の漢字はあるの?」

「ああ。トリの場合は『取』『撮』『獲』だな」

 指折り数えながら、大也は言う。

「どれも小さく送り仮名が書いてある。『あえず』だと『会えず』かな」

「ちょっと待って」

 小夜の制止に、大也は怪訝な表情をする。

「なんだ?」

「おかしいよね。音読みならわかるけど、訓読みなのに『トリ』って表記するのは」

「それは思い至らなかったな。これだけカタカナだったので、不思議ではあったが……」

 大也は手帳をペラペラと捲る。それらしい情報はなさそうだ。

「関係あるかどうか判然としないけど、調べておいて。ちなみに、『トリ』カードの表面はどうなっているの?」

「カードの表は、黄色い鳥が蛙のような生き物の首を絞めている場面が描かれているな。子供むけのカードにしては、あまりよろしくないな」

 大也は写真を見せた。歪な表情で手の生えた鳥がガマガエルのような生き物の喉に手を伸ばしている。

「たしかに、あまり趣味はよくないね。他のカードもこんな感じなの?」

 小夜の疑問に、大也は首を横に振る。

「いや、実はこの『トリ』カードだけ、絵柄が違うんだ。他はトランプのような絵柄で統一されている」

「もしかしたら、このカードに何か特別な想いがあって、握りしめていたのかも」

「かもな。――それで、現時点で、何か犯人に繋がるものはわかりそうか?」

 従兄弟の問いかけに、小夜は唸る。

「うーん。いくつかアイデアは浮かんだけど……」

「どんな?」

「単純なものだと、名前を直接示している可能性だね。『鳥』や『トリ』が付く名前。あるいは、鳥取出身とか。容疑者に当てはまりそうな人間はいる?」


 大也は手帳を見ながら答える。

「容疑者は三人だ。まずは、妻の杉山早紀すぎやまさきだ。出身は東京都で、名前に『トリ』はない。職業は塾講師。発見当時、妻はジムに出かけていたと言っているが怪しいところだ。また、夫婦仲もそれほどよろしくなかったようだ」

 コーヒーで一呼吸おき、彼は続けて言う。

「二人目の容疑者は長野猛ながのたけし。杉山の学生時代の同級生だな。都内でSEをやっている。なぜ、容疑者候補にあがったかというと、高校生の時に杉山にイジメられていたからだ。杉山早紀と同じく、『トリ』に関連はなさそう。出身は同じく東京」

「お水のおかわり、いかがですか?」

 喫茶店の店員がウォーターポットを携えてきた。小夜は空になったグラスに注いでもらう。

 店員が離れたのを確認し、大也は再び口を開く。

「三人目の容疑者は島谷直哉しまたになおや。杉山の会社の部下だな。普段からパワハラにあっていたようで、ひどく恨んでいる。名前は『島』なので、『鳥』ではないな。出身は香川県だ。――どうだ? なにか、わかりそうか?」

「考えるから黙って、お兄ちゃん」

 せっつく従兄弟を小夜はたしなめた。彼女が思考中、大也は手持無沙汰に指をクルクルと動かしている。煙草を早く吸いたいようだ。

 しばしの沈黙の後、小夜は思いついたことを話す。

「もしかしたら、『トリ』や『あえず』は関係ないのかも」

「どういうことだ?」

 大也は八の字を寄せた。

「カードを二枚持っていたことがメッセージなのかも。たとえば、名前や渾名に数字の二がつくとか……」

 小夜は何かを思い出したようで、目がきらりと光る。

「そういえば、『トリ』って、三を意味するギリシャ語だった。つまり、犯人は数字の二と三に関係があるのでは?」

「じゃあ、『あえず』の意味は?」

「二枚のカードなら、なんでもよかったから、たまたまじゃないのかな。あと、『トリ』の印刷の件、ちゃんと調べておいてね」


 *


 翌日の夕方。

 小夜がアルバイトにでかける準備をしていると、スマートフォンが鳴った。ディスプレイの通知を確認する。大也からの電話だ。

「もしもし」

「おう。悪いな。いま、時間は大丈夫か?」

 大也の申し訳なさそうな声だ。

「いいよ。バイトまで、まだ時間あるし」

「じゃあ、手短に始めるぞ。カードの『トリ』の件だが、どうもあれは作者の杉山が敢えてやったようだ」

「なるほど」

 小夜は相槌を打つ。

「あと、二や三の数字が関連しそうな人間を調べてみたが、空振りだった。島谷が古畑任三郎が好きという事実くらしかない」

「そっか」

 小夜は肩を落とした。今回は力になれなさそうだと悔しがる。

「それで動機の面だが、杉山早紀は不倫していたようだ。ジムに行っていたのは嘘で、男と密会していたようだ」

「うわぁ」

「部下の鳥谷はパワハラでだいぶ悩まされていたみたいだな。先日も杉山に殴られていたという証言がある」

「酷い上司ね」

「ちょうの、じゃなく、長野は、イジメをだいぶ根に持っていたようだ。三年前に、たまたま業界の交流会で知り合って、恨みが再燃したのでは」

「待って」

 小夜が話を遮る。

「いま、なんて言った?」

「恨みが再燃」

「そこじゃなくて、なんで、ちょうのと言い間違えたの?」

「ああ。野球選手に同じ漢字で、『チョウノ』と音読みの選手がいたからだよ。十数年前からプロ野球選手で活躍している」

 大也の発言を聞き、小夜は思案顔になる。

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「もしかしたら、長野さんが犯人かも」

「え、どういうことだ」

「カードの『トリ』という文字だけど、あれは『鳥を音読みで読め』という意味じゃないのかな。『漢字を音読みで読め』という示唆」

「あっ」

 大也も気づいたようだ。

「鳥の音読みは『チョウ』で、長野の長の音読みは『チョウ』だよ。もしかしたら、高校時代の渾名は『チョウ』だったのかもね」

「なるほど」

 大也は唸った。

「となると、『あえず』にもそれなりに意味はありそう。ひらがなだから訓読みね。訓読みで『あえず』になるもの。あえずあえず……」

「とりあえず、『あえず』については調べておくよ」

「お兄ちゃん、親父ギャグ」

 小夜はくすりと笑った。

「ところで、バイトはいいのか? 結構、長話をしているぞ」

「あっ! やばい!」

 小夜は電話を切ると、慌てて家を出た。


 ***


 **


 *


 長野猛は一軒家をリノベーションした店舗に入った。

 看板には『和食レストラン・ながの』と書いてある。彼がオーナーの店だ。

「あら、オーナー。どうしましたか?」

 店員の鈴木女史が不安げに聞いた。一見してわかるほど、長野の顔は青ざめている。杉山を殺害した直後なので精神的に不安定になっていた。

「ちょっと、疲れてしまってね……」

 カウンターの椅子に座った。疲労感と共に達成感がある。彼を苦しめていた杉山はもうこの世にいないのだ。


 杉山と長野が再会したのは、この店の建築に入った三年前のことだった。長野は粘着質に笑いながら「あんなことをしたのに、いまや立派なオーナーだな」と言った。

 どういうことかと問いただすと、杉山はスマートフォンを操作し、画像を見せた。そこには、制服姿の長野が同級生の中山の首を絞めている姿が写っている。当時、中山は蛙という渾名で、長野はチョウという渾名で呼ばれていた。

 長野は「それはお前に命令されてやっただけだ。彼は死んでいないし、一緒にイジメにあっていた被害者だ」と弁明するものの、杉山は一顧だにしない。

 首絞め画像をもとに、杉山は長野を脅迫した。


 長野は鈴木女史にオーダーする。

「なにか、疲れがとれるようなものはない?」

「ああ。それなら、いいものがありますよ」

 彼女は満面の笑みで、小皿を出した。

「これか」

 長野は苦笑した。お腹を満たすには量が少ない。

「当店の人気メニューの『トリ和え酢』です」

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男はカードを握りしめ むらたぺー運送(獅堂平) @murata55

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