中編

 あの日から1週間が経った。

 村は壊滅状態となり、復興不可とされた。

 頻発する怪獣災害によって、復興にもできる場所とできない場所があり、政府は復興する地域を絞ることした。

 復興不可とされた地域は、瓦礫も何もかもが放置され、消え掛かった命の灯火も、風に晒され消えていく。これにより、怪獣災害にあった数百の集落が日本から消えた。その集落の伝統や文化も。怪獣によって潰された。

 美佳子の住んでいる村も例外ではなかった。美佳子の家族は東京のマンションに引っ越すことになった。

 1LDKのそれなりに良い部屋だ、南向きの窓から差す日は、まるでこれから明るい未来がある様に感じられる。

 だが、美佳子はそんな未来は見えてなかった。

 あの日見た、村の惨状。そして、あの女性の腕。あれが脳裏を離れない。あの腕は今でも瓦礫の下にあるのだろうか。

 今まで自分の住んでいる村が良いとは思えなかった。だが、二度と村に帰れなくなると思うと、胸に大きな空洞が出来上がる。

 自分の体の異常性、今までの思い出の崩壊。一気に押し寄せる不幸の雪崩に、美佳子は何もできないでいた。

 空洞になった自分の心を埋める代わりのものがあるのであれば、美佳子はそれを隙間なく埋めたいだろう。

 自分の部屋に敷いた布団で、昼間になっても美佳子は寝て、天井を見ていた。

 シミ一つない綺麗な天井、何も装飾の施されていないその天井は、自分の心を表している様であった。




「今日から転入してきた、佐原美佳子さんです」


 転入した中学校の若い男の教師が、黒板の前に立つ美佳子を紹介する。

 美佳子にとって教室に綺麗に6列に並べられた机と生徒たちはアニメかドラマでしか見ない光景だった。


三橋羅村みはしらむらからきました。佐原美佳子です」

「それじゃあ、美佳子さんは窓側の列の一番後ろの席に座ってもらおうか」


 美佳子は、淡々と窓側の列の一番後ろの席に座る。

 今の美佳子にとって、学校などどうでもよかった。学校のことまで、頭の中が整理できていない。

 自分の管理すらできていないというのに他人まで接する暇などない。

 前の様に学年関係なく接するような空間ではないし、極力関わらない様にしよう。美佳子はそうすることにした。

 だが、隣の席の人は。


「佐原……さんだよね。僕、菊池啓介きくちけいすけって言うんだ、よろしく」


 隣の男子中学生は、黒い短髪で爽やかな印象を持つ顔つきで、かっこいいと言うよりも、可愛いの方が先に出るような人だった。

 コミュニケーションを積極的に取るような人物であるのか、今の美佳子には相性が悪い。美佳子はあまり良くない事ではあると自覚しつつ、無視を続けた。


「あのさ、もしよかったら連絡先交換しない? ここにきてまだそんなに経ってないでしょ」


 美佳子は窓から見える入道雲をただ見ているだけで、啓介の言葉は右から左へ流し、空へ飛ばした。

 反応がなければ、諦めるだろう。そう思い美佳子は無視を続けた。

 だが、啓介は諦めが悪かった。

 授業のノートを写してくれるどころかちょうどノートが終わったからあげると言われたり、給食の揚げパンをくれたりと人が良すぎて、美佳子は恐怖も感じ始めた。

 あって日の浅い人間に悪態をつくことなど美佳子にできることではないし、彼の優しさが五臓六腑に無理矢理染み込んできて余計対応に困る。

 彼は、あまりにもお人好しだった。

 そんな日々が1週間経った。

 転校初日に比べれば、啓介の発言は少なくなったが、まだも美佳子と関わろうとしている。

 二人の同じ帰り道の途中で、美佳子はこう告げた。


「しつこい」


 啓介は、口を止めてしまった。


 罪悪感はあった。彼だって悪気があったわけではない。なのに、こんな冷たい発言をしてしまう自分が少しだけ怖くも思えた。


「……佐原さん、実はさ」


 啓介は呼吸を整え、こういった。


「僕も、転校生だったんだ」


 美佳子は、その言葉で彼も自分と同じだったことに気づいた。


「2年前に現れて、東京に来たんだ。僕も怖かった。みんな、心から喜んでなかった。そういうの、苦手でさ。明るく振る舞おうって思った。佐原さんも、少しは元気になってくれるかなって……。でも、うざかったよね」


 そういうと、啓介は美佳子より先に自宅へと向かい始めた。

 美佳子は、すぐに啓介を呼び止めた。


「待って」


 啓介は、その場に立ち止まった。


「……私……自分のことでいっぱいで……啓介くんが……優しくしてたのに……してたのに……ごめん」

「……大丈夫ですよ」


 啓介は、再び足を動かした。


 翌日、美佳子は隣の席の啓介を直視できなかった。

 今までの自分の過ちを悔いていて、罪悪感が隣の席からコーヒーがカーペットに染み込むように濃く染み込んでいく。

 啓介くんとどう話せば良いのだろうか、啓介くんはどう思ったのだろうか、小説の行間ならかろうじて読めるのに、人の行間というものは未知の言語を解き明かすよりも難しい。

 そんな気持ちで午前中の授業があっというまに終わり、給食の時間になってしまった。

 味の薄い牛乳を飲みながら、視線を啓介に向けられない。

 都会に来てから、給食の味がどうも薄い。精神が不安定だからだろうか、それとも村の食べ物が美味しすぎたのだろうか。

 今日のABCスープは塩をひとつまみしたお湯にアルファベットに切り抜いた小麦粉の塊をそのまま入れたような感触で、サラダも水気のある紙を食っている感覚で、パンはゴムを食べている様だった。都会ならもっと美味しい給食を食べていると思っていたが、現実は量産に特化した劣悪な飯だと美佳子は実感した。


「あの、佐原さん」


 啓介が声をかけてきた。

 その声はいつもと比べれば少し暗く感じたが、美佳子自身に嫌気は感じていなさそうだった。


「な、なに」

「よかったら、一緒にショッピングモール、いきませんか」



 そして、日曜日。

 美佳子の住んでいるマンションから徒歩5分の駅から電車で2駅先にあるところにある大型ショッピングモール。

 美佳子も幼少期は両親と共に大きなショッピングモールにいったものではあるが、このショッピングモールはそれをゆうに上回るものであった。

 美佳子は山より高く思える建物と、水平線まで見える海に唖然としていた。そして何より驚きなのは今まで2時間くらいかけてついていたショッピングモールに30分足らずでついたということだ。こんなに近いのかと美佳子は唖然とした。


「お待たせ、佐原さん」

「あっ、啓介くん」

「ここ、初めてですよね、地図持ってきたよ」


 啓介は美佳子に地図を渡す。その地図は階層ごとにどこにどの店があるのかがわかるが、美佳子にとっては迷路のように複雑で、一瞬脳が沸騰するかと思えた。


「佐原さん、行きたいところとかある?」

「えっと……じゃあ、服?」


 今の美佳子はなんとか土曜日に買い揃えた、白いワンピースに麦わら帽子といういかにも清楚な印象を与える服装ではあるが、都会の女性はもっと綺麗な服装をしていて自分のファッションセンスのなさを実感した。

 なので、とりあえず、啓介に服を選んでもらおうと思い、こう提案することにした。


「服、でいいの?」

「う、うん……」


 なんとかして都会に染まりたい彼女に啓介は少しだけ可愛さを見つける。

 美佳子との服選びは啓介の想像以上に楽しく感じた。彼女をもっと綺麗にするにはどうすれば良いのだろうか。

 そんなことを考えていく内に、彼女が魅力的になっていく。

 この胸の奥から感じる熱さはなんなのだろうか、ずっとこの時間が続けば良いのに。

 啓介は、美佳子の服選びをしている時に自然とそんなことを願っていた。


「服、いっぱい買っちゃったね」

「そうですね」


 美佳子の財布が減量し、二人はフードコートでランチをとることにした。


「何か、食べたいものとかあります?」

「えっと……じゃあ」


 美佳子は、豚骨ラーメンの店を指差した。

 二人は、豚骨ラーメンを注文し、互いに向き合って、麺を啜る。

 相変わらず、美佳子にはスープが薄く感じた。麺もコシがあるが、味を感じづらい。

 自分なりに味が濃くて美味しそうなものを選んだが、結局おいしくはなかった。


「……おいしくないの?」

「あっいや別に、美味しいよ」


 顔に出てしまっていたらしい、啓介に心配されてしまった。


「それより、午後はどうしよっか?」

「それじゃあ、映画見たいです! みたい映画があって」

「じゃあ、それ見ようか。午前中は私の買い物に付き合ってくれたし」






 二人は、5階の映画館にやってきた。

 チケットを販売している機械の前に並び、二人は洋画のチケットを買い、映画館の席につく。

 啓介は意外と洋画を見るのが好きで、確かにスマホの待ち受け画面も、何かの洋画のポスターだった。

 美佳子は住んでいる場所の都合上、映画というものをあまり見ない人間だった為、映画館の空間自体が新鮮な者であった。

 視界を全て覆うようなスクリーンに、自分の体重を全て察せてくれる座席、隣には啓介の姿があった。

 美佳子は最初ポップコーンを買うのかと思っていたのだが、周りの迷惑になるかもしれないと言われ、食べきれないのもあれだと感じて諦めた。

 そして、照明が暗くなり、映画が始まった。

 映画の内容はとある男女の恋愛劇だった。主人公の男が、余命わずかな彼女のために奔走するという内容だ。

 美佳子から見れば、あまり面白いとは思えなかった。ただ、悲しくなった。

 いくら、男が彼女の願いを叶えても、満たされるのは今だけで、死ぬことに変わりはない。彼女を救うべきではないのだろうかと、美佳子は少し思ってしまった。

 だが、啓介はこういうのを見たかったのだろう、彼の好みの作品だったのだろう、啓介は静かに、涙を流していた。

 映画は、最後のシーンに入っていた。最後のデート、男と女の儚い恋の終わりにはいったい何が待ち受けているのだろうか。美佳子はただそれだけが気になった。



 だが、今までの話を台無しにするかのように、館内に警告音がなり響き、スクリーンに大きく映された四字熟語があった。



『怪獣出現』



 観客は直ちに出口や非常口へと逃げた。

 二人もすぐに出口へ向かう。だが、その時、巨大な鋏がスクリーンを突き破り、暗かった映画感を明るくしていく。

 天井が崩れ、鉄骨が座席に落ちていく。


「危ない!」


 逃げる美佳子の背中を啓介が突き飛ばす。美佳子が後ろを振り向くと、そこには鉄骨の山があった。


「啓介くん……?」


 美佳子は、あの日のことを思い出した。

 自分の村だった跡地で、瓦礫に埋まっていた、青白い腕のことを。

 鉄骨の山の隙間から、赤い液体が流れている。


 いやだ。


 もう二度ど。


 失いたくない。


 光刺す方にいた、巨大な蟹の怪獣に殺意がよぎる。


 もう何も、私から奪うな、怪獣ごときが。


 そう思った瞬間、美佳子の体は、風船のように膨れあがった。

 すでに崩壊状態のまちに着地した美佳子は、地面の瓦礫を舞い上がらせ、蟹の怪獣に拳を放つ。

 蟹の怪獣は海に落ち、水飛沫が舞い、海岸に軽く津波が起きる。

 美佳子はすぐに映画館の瓦礫を取り除く。最初は焦って瓦礫をガサツに取り除いていたが、雑に動かしてしまうと下敷きの啓介がひどくなるかもしれない。そう考えて、少し丁寧に、あまり瓦礫を動かさないように徹底した。

 なんとか、啓介の姿を確認すると、美佳子は慎重に、彼を持ち上げようとするが、その時、蟹の怪獣が背中に鋏を突き刺す、背中に包丁を刺されたように体に鋭い痛みが走る。蟹の怪獣が鋏を引き抜くと、温泉が吹き出したかのように大量の血液が背中から吹き出す。

 美佳子は痛みに耐え、尻尾を回して蟹の怪獣にぶつける。蟹の怪獣は吹きとび、隣のビルに倒れ込み、ビルに大きな凹みが生じる。

 美佳子は、起き上がってきた蟹の怪獣に対し、美佳子は尻尾で地面を叩き、飛び上がった両足でドロップキックを放つ。

 蟹の怪獣の腹にドロップキックが食い込むと、蟹の怪獣は泡を吹き出し後ろに倒れ、地面を大きく揺らす。


(蟹なんだから、腹が弱いでしょ……)


 美佳子はその鋭い爪で、蟹の怪獣の腹をこじ開ける。茶色の内臓が剥き出し、周りに飛び散っていく。

 蟹の怪獣は、泡を吹きだし目の光が消える。

 美佳子は、人間の姿になり、瓦礫の上に立ったままになっていた。

 しばらく、美佳子は唖然としてたったままではあったが、すぐに圭介を探した。

 瓦礫だらけの道を進み、探していくと頭から血を流した彼の姿があった。


「圭介くん!」


 美佳子はすぐに圭介の元へ向かう。


「美佳子さ……ん」

「喋らないで」

「怪獣……」


 美佳子は、啓介から手を差し伸ばすのをやめた。

 啓介には、知られたくなかった。

 自分が普通の人間ではないことを、自分が怪獣になる少女だということを。

 普通の人として、接してほしかった。

 でも、もうそうやって関わることはできない。


 美佳子はただ、そこに呆然と立ち尽くしていた。



 その後、美佳子は自衛隊に保護され、啓介は病院へ搬送された。

 奇跡的に、命に別状はないらしい。だが、意識の回復は時間がかかるらしい。

 だが、美佳子は自分は罪を犯したのではないか、啓介に失望されたのではないかと罪悪感に苛まれた。

 薄味の味噌汁、紙粘土のような白飯、湿っぽい紙のようなサラダに乗った濡れティッシュのスクランブルエッグ。

 こんな生ゴミのような朝食なら、まだ深夜に食べた生のもも肉が余程美味しい。

 生きているものを食べている、自分は幸福だ。

 そんな快感を味わうことができた。


 朝食べた朝食をトイレで吐き、精肉店で肉を買い、そのまま貪る。昼食を食べては吐き、また生肉を食う。

 そんな日々が続いた。


 ある日、一人で部屋にいると、玄関のチャイムが鳴った。

 美佳子は、玄関先が見える画面を見ると、スーツの人間が、3人いた。


「佐原美佳子さん、ですね。すこし学校の方でお話が」

「ええ、わかりました」


 美佳子は、学校の名を語る、知らない人にドアを開けてしまった。

 もう彼女はそこまで考えることはできなかった。

 ドアを開けた瞬間、美佳子の首筋に電流が走る。遠のく意識の中、美佳子はスーツの人間の胸についている名札の名前を見た。


『怪獣対策研究所』


 それが、美佳子が見た、最後の文字だった。






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