トリカゴの守り人

鬼灯 かれん

トリカゴの守り人

『二十番、そちらにトリが向かっている。準備しろ』


 身を潜めていた男にそんな無線連絡が入り、すぐさま銃を構える。

 終身刑が言い渡された囚人が収容された牢獄から、自由を求めて外へ飛び出そうとする者――“トリ”が塀をよじ登るのが見えた。


 頭部が見えた途端、男は引き金を引く。高らかに銃声が響き、撃たれたトリは、外堀へと落ちていった。


『よくやった。さすがの正確さだ。この調子なら昇進も、もうすぐだな』


 そんな賞賛にも動じることなく、見張りを続けると告げ、また身を潜めた。


 自らの最期は、灰色の狭い天井よりも、広い空の下であってほしい。そして、最期が来る前に、お気に入りの酒をゆっくりと飲みたいものだ。


 男はそんなことを考えながら、監獄の塀の見張りを続ける。

 監獄から飛び立とうとするトリは、日々後を絶たない。厳しい監視、監獄を囲う塀と深い外堀が、脱獄を困難にさせている要素の一つではあるものの、それだけでは決定的なものが欠けている。


 絶対的な死。


 これが、この監獄が脱獄不可能と言われる所以だ。その偉大な功績に大きく貢献しているが、“トリカゴの守り人”と呼ばれる役職の者たちである。もちろん男も、その一人だ。


 男が監視を続けていると、一人の少女が監獄に近づいてくるのが見えた。


 迷い込んだのだろうか。しかし、こんな夜更けに、あんな弱々しそうな少女が一人で出歩くのは考えにくかった。


 まさか――と思ったその時、少女は深い外堀を軽々と飛び越え、塀をよじ登り始めた。

 男の目の前に現れたのは初めてだが、少女は守り人の間で話題になっていた、トリ逃がしの少女だった。

 か弱い見た目で騙し、トリ逃がしの手助けを行う。上から少女の射殺命令がでているにもかかわらず、誰もあの少女を撃つことはできていない。皆、トリ逃がしを食い止めるだけで精一杯なのだ。


 とりあえず殺す。


 それが男の仕事で、役目だ。


 銃を構える。少女が塀を登り切り、中へ侵入する前に撃たなくてはいけない。男は震える指を必死に止めながら、自らに言い聞かせる。


 とりあえず殺す。とりあえず殺す。とりあえず、殺す。


 高らかに、銃声が響いた。弾は見事に少女の頭を命中し、外堀へと落ちていった。


『二十番。銃声が聞こえたが、もしかして、あの少女をやったのか?』


 男は無線連絡に答えることができないまま、しばらく呆然としていた。



 それから間もなく、男はトリカゴの守り人のトップにあたる役職――“トリカゴの主人”の座に就いた。少女殺しが高く評価されたのだ。

 男の仕事は大きく変わった。執務室が与えられ、守り人への指示権限、教育指導の担当を持ち、銃を持つことはなくなった。


 しかし、執務室のイスに座る男の顔色は、決して良いものではなかった。むしろ、守り人として一晩中監視をしていた頃よりも、ますます悪くなっていた。


『百五十番、そちらにトリが向かっている。準備しろ』

『了解』


 今夜も飛び交う無線連絡を聞きながら、男は深々とイスに腰掛けている。


 まだ銃を持っていれば、あの忌々しい夢を吹き飛ばせていたのかもしれない。


 男は眠気を吹き飛ばしながら、そう考えた。あの少女を殺して以来、男は毎晩、ある夢を見るようになったのだ。


 トリカゴの守り人として役目を全うしている最中に、あの少女がやってくる。

 華奢な見た目は変わらないものの、あのときと違ってトリ逃がしを行おうとしているのではなく、花畑で無邪気に花輪を作っているのだ。

 男はその度に、引き金を引くか迷う。しかしどちらを選んでも、いつも同じ結末を迎えた。

 少女を殺せば、花畑は赤々と染まり、それを見た人々は男に非難を浴びせる。

 逆に殺すのをやめると、少女が自分のもとへやってきて、頭に花輪をかぶせる。その頭は、体から引き離されているのだ。


 結末まで見て目が覚め、背中にびっしょりとかいた冷や汗を感じながら、男は仮眠室のベッドで横になって考え事をするばかりだった。



『トリの射殺、完了しました。監視を続けます』


 その無線連絡が来てから、ひっきりなしだった声がプツリと止んだ。

 一段と濃くなったクマの部分を指で揉みながら、男は考える。


 あの少女がトリ逃がしを行っていたのは、どうしてだろう。この監獄に助けたいものでもいたのだろうか。理由は分からない。

 だが、どんな人間がトリを求めていても、それを見逃すわけにはいかない。自分たちはただ、この世界を守るために、正しいことを行っただけなのだ。


 そう考え直し、頬を叩こうとしたとき、耳元でカチャリと音が鳴った。

 男が聞き慣れた音だった。

 視線だけ音のした方向へ動かすと、そこには

 男の首筋を、冷たい汗がつたう。


「この状況、あなたならどうする?」


 少女は、冷たい視線を男に向けた。


「とりあえず、殺す?」


 それからのことを、男はあまり覚えていない。

 気がついたら少女はいなくなっており、脱獄不可能と言われていた監獄から、トリが一人、逃げ出してしまったと大騒ぎになった。

 男はトリカゴの主人としての責任を全うし、辞表を出した。


 そうして職を失った男は今、青い空の下で、一杯の酒を飲んでいる。


 自らの最期は、灰色の狭い天井よりも、広い空の下であってほしい。そして、最期が来る前に、お気に入りの酒をゆっくりと飲みたいものだ。


 男はそう、呟いた。

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