崩れ壊れる。

願油脂

第1話

突然ですがゲシュタルト崩壊ってご存知ですか?


いきなり何ですかって?えぇ、そうですね。すみません。おかしいですよね。

私もそう思います。そう思った上で私の身の上話を聞いて貰えたらと思います。


私は現在中部地方のある地域にて身篭った妻と2人で暮らしています。


地元の大学を卒業後、就職活動に失敗した私は無職が嫌で自身で会社を立ち上げました。といっても小さな事務所で細々経営をしているようなものなんですけども。

当時お金もろくに無いにも関わらず、献身的だった妻は私を拒まずにいてくれました。


世間体など気にする性格なので悩んだ時期もありましたが、つい最近事業が勢いに乗り出し、同時に妻の妊娠が発覚しました。


まさに人生で一番幸せな時期でしょう。


でも結婚生活とは中々思うようには行かず、妻も初めての妊娠で神経質になっていたのかある日些細な事で喧嘩してしまったんです。


会社の事で余裕が無かったせいか、

その時の妻の態度がひどく気に入らなかった私はとある仕返しを試みました。


冒頭にも申し上げましたが、ゲシュタルト崩壊ってご存知ですか?

文字とかずっと見てると段々「あれ?これってこんな字だっけ?」と意味が分からなくなってくるやつです。

その中でもネットとかオカルトに詳しい人からすると有名な海外の心理実験で、鏡に向かって自分自身に



「お前は誰だ」



と毎日問いかけると段々自我が崩壊してくるというのを私は妻に向かって試してみました。


妻と顔を合わせる度に心の中で

「お前は誰だ」と呟くのです。


一見何の意味がと思われるでしょうが、その当時の苛立った私にとっては大袈裟ですが一種の悪口、呪いのような感覚だったんです。


「お前なんかと結婚せずもっと女遊びしておけばよかった」


「誰が養ってやってると思ってるんだ」


そういう普段は決して思わないような感情がふつふつと湧き出た結果の行動だったと思います。


その自分なりの仕返しを一週間ほど試して見たのですが、


もちろん効果はありませんでした。


自分の自我が壊れるわけでも、妻が別人のように美しくなるわけもありません。

何よりそれだけ期間が経てばお互いに怒りも落ち着いてきたのと、私自身も徐々に飽きてきたのです。


「馬鹿な事してないで家族のために仕事に集中しよう」と気持ちを切り替えました。

気の持ちようって不思議で、自然と鏡に映る自分の顔も凛々しく見えました。


その日の夜中

体感的には丑三つ時くらいでしょうか。

目が覚めてしまった私は隣で眠る妻が急に愛おしくなり、色々な感情が溢れてきました。そして申し訳ない気持ちもあって布団の中で妻の手を軽く握りました。


すると奇妙なんですよ。



妻の手じゃないんです。



確かに手の形はしてるんですが、なんというか精巧な手の模型のような、



手の形をした別の何か



のように感じました。


気の所為かと思われるかもしれませんが、もう何年も一緒に居る妻の手を間違えるわけがありません。明らかに感触が違うのです。


不気味に感じた私は咄嗟に妻の方を向きましたが、夜中で暗いせいか数センチ隣にある妻の顔がよく見えないのです。

それよりも、もし今隣で寝ているのが妻じゃなかったらと思うと恐怖が一気に体を巡り、とてもじゃないが確認出来ませんでした。


翌朝の事です。


昨晩、恐怖から私はベッドを抜け出しリビングのソファで一夜を明かしました。

カーテンの隙間からほのかに朝日が差し込み、それで目が覚めた私は昨日の出来事はきっと悪い夢だったんだろうと思い体を起こしました。


ぐぐーーっと体を伸ばしてると後ろから

おはようと声がしました。

妻も起きたんだろうと思い、私は昨日の事も相談しようと振り返りました。



ただ妙に気味の悪い違和感を覚えたんです。



確かに声や佇まいは妻なんですが、


なんというか、


具体的に言うと双子の片割れや


ソックリさんのような、



微妙に顔が違う人間がそこに居たんです。



正直これは私のように身近な人間にしか分からない感覚だと思います。


寝汗で目が覚めるような、暑さと冷たさが混在するような、形容し難い不快感が全身を襲いました。


それから私はスマホの写真や結婚式のアルバム、妻の運転免許証など新しい物から古いものまで見返しましたが、やはり何処か別人のように感じるのです。


声や仕草は変わりないのに。




あれ は一体誰なのでしょうか。




それから三ヶ月ほどが経ちました。

妊娠報告を装って互いの実家に帰省したり、共通の友人を自宅に招いたりしましたが、

みんな あれ に対して全く不信感を抱いてない様子でした。


あれ の私に対する態度も以前と変わりありません。献身的で奥ゆかしい姿のままです。

ただ私だけが あれ を妻として認識出来ずにいるんです。


とにかく気味が悪くて、離婚も頭をよぎりました。

でも「事業が上手くいった途端に身篭った妻を捨てた」とあれば世間体だけでなく、経営者としての社会的地位も怪しくなると思いました。



明日は病院に行こうと思います。


産婦人科じゃないですよ。

精神科、そっちの病院です。


統合失調症だの精神障害と言われたら会社の経営は難しくなるかもしれません。でも背に腹はかえられぬってやつです。



今はただ あれ との生活が怖いのです。



口の中に抜けた髪の毛があるような、


靴下まで雨水が染み込んだ靴で歩くような、


そんな耐え難い気色の悪い不快感で満たされるんです。


あれ が無事出産出来たら赤ん坊をDNA鑑定でもしてみましょうか。なんせ私は妻としか交わってないですからね。



妻はどんな顔だったんでしょうか。


妻はどんな声だったんでしょうか。


仕草は。 匂いは。 好きな食べ物は。




段々分からなくなってくるんです。

でも、いいんです。





殺人犯より精神異常者の方がマシですから。





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