第29話

 そろそろ戻った方がいいだろう。落下時に打ち込んだ縄梯子を軽く引いて登れそうだと思った、時だった。

「シキア!」

 声が響く。こんな場所で響くはずのない、声が。聞きたくてたまらなかった、声が。

(そんなはずがない、ここへ来られるはずがない、だってここは瘴気の中心地)

 サコットが来られるわけがない。

「シキア、おいヒアミック、本当にここなのか⁉」

 ヒアミック⁉

(先生まで⁉)

 まさか帰りが遅すぎたのだろうか。まだ日は高いと思っていたのだが。

「あ、の! 大丈夫です、います、もう戻ります!」

「シキア⁉ いまいく!」

 いえ、大丈夫です、というより早く、金の騎士がおちてくる、いや、降りてきた。不意の落下と違って意思を持ったそれはまるでひらりと鳥が舞い降りてくるようだった。こんなときなのに、シキアはその姿にしばらく見惚れてしまった。

 見たかった綺麗な青の目と視線が絡んだと思った瞬間、

「何を考えている!」

 怒鳴られた。こんなに声を荒げて眉を吊り上げて目を細めて語気を荒げているサコットは初めて見た。いや、人生でこんなに叱られたことはない。そして。

「何でこんな所にいるんですか!」

 ここは瘴気の地、ど真ん中だ。サコットがいていい場所じゃない、絶対に来てはいけない場所だなのに、なぜここにいるのだ。どんな苦しみがサコットを襲うのか分からない、下手したら命にだって関わるかもしれない。ここにサコットが来たことに、腹がたった。

「はあ⁉ 君が戻ってこないとヒアミックが言うから探しに来たんだろう!」

「一人で戻れます! サコット様、瘴気の影響は⁉」

「ヒアミックから強力な制御装置を貰って三重につけている」

「それは先生の実験ですっ、先生も何考えているんですか!」

 地上に向かって叫ぶとヒアミックが青い顔で見下ろしてくる。

「いいからそんな場所で痴話げんかするな、早く戻れ」

「お前が言うな! だいたいお前がシキアを一人で行かせて……」

「違います、俺が勝手に」

「いいから早く戻れ」

「お前が言うな!」

 ヒアミックがため息交じりに浮遊の魔法をかけてきて、二人はゆっくりと地上に戻った。とにかくヒアミックには言いたいことが沢山ある。

「先生、夜鳴鳥を見ましたか⁉」

「ああ、明らかにこの地の影響を――分かった、キャンプに戻ろう」

 サコットが睨みつけてきたことに気づいてか、ヒアミックは大人しく歩き始め、シキアもそれに続いた。

 それにしても、だ。

「サコット様、あの、体調は」

「問題ない」

 怒っている。けれど、瘴気の地の青華だけであれほど暴走したのに、こんな魔法力の強いであろう場所で平気などと言うことが本当にあるのだろうか。こっそりヒアミックに問う。

「先生、本当に大丈夫なんでしょうか」

「今のところ問題ないようだな。制御魔法の効果が切れる前に重ね掛けしておくか」

 サコットは始終、静かだった。ずっと怒っている。そもそもなぜサコットがここにいるのだ? サコットは王都在中の騎士だ、国境戦がはじまったといえ、王都を離れるなんてことあるのだろうか。聞きたいけれど、怒っているから聞きづらい。

「あの先生……」

「王の命令だそうだ」

「え」

「王が直々に我々調査隊を迎えにいけとサコットに命じたそうだ」

「王様が直々に?」

 それまで黙っていたサコットがようやく口を開く。

「こんな時に王都を離れるなんてできるわけがないと断ったんだ、それが騎士の役目だからな。それでも王は俺に行けと言った。ヒアミックが心配だったんだろう」

 先頭を歩いていたサコットがくるりと振り返る。その顔に怒りはなかった。笑顔が浮かんでいる。

「よかったな、お前は大事にされている」

 あ、と声になりかけて飲み込んだ。ヒアミックは王の為に生きていると言っても過言ではない。出会ったころからそれが普通だと思っていたから「王」にとって「ヒアミック」がどういう存在なのか考えたことはなかった。当のヒアミック自身がそんなことどうでもいいと思っているのも分かっている。でも。

 ――そうか、そうだよな。

 サコットは友人としてまっすぐに喜んでいる。まぶしいと思った。心が綺麗なんだと、改めておもう。そんな人を、怒らせた。

「あのっ、サコット様、あの、ごめんなさい」

「ん」

「心配、かけてしまった、んですよね」

「うん。すごく心配した。いや、分かってる、君はこの地でも平気なんだって、心配なんてお門違いだって。それでも、心配だった」

 サコットは小さく息を吐いて、らしくなくうなだれた。

「怒鳴ってごめん、こんなの俺の身勝手だよな、勝手に心配して勝手に怒って。感情を乱さないように、そうやって生きてきたのに、最近は乱れてばかりだ。情けないよ」

「まったくだ」

 ヒアミックが煽るように頷くから、シキアはひやりとする。できれば黙っててくれませんか、先生、とは言えないが。それでもサコットは苦笑しながらそれを受け止めている。

 会いたかったです、と言いたいがそんな空気でもない。叱られるほど心配されたことも初めてで、嬉しいと思ってしまうのは駄目なことだろうか。

 キャンプまでの帰り道でサコットは王から命じられて調査隊を迎えにきたこと、帰りの道順などを話してくれる。国境には別の騎士がいるので様子を見ることはないらしい。王の命令であれば、調査隊は速やかに戻らなければならない。国境戦に行かないと聞いたときは、安堵してしまった。 サコットもいつどんな形で戦場にいくことになるかわからない。忘れそうになる。今がどれだけ幸せなのかということ。

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