第26話

 六日目。

 明らかに木々が空を埋め尽くすほど高く伸び、茂っている。日が当たらない森の特徴で足元の草が低い。花は数えるほどになった。幸いなことにここまで魔物とは一度も遭遇していない。魔物にも魔力器官があるので当然とはいえ、まだ油断はできない。リスなどの動物は生息しているが、大型動物の姿はない。森は、静かだった。

 昼を過ぎたころ、隊員たちの様子が変わり始める。次々と頭痛吐き気を訴え、半分ほどがキャンプに戻った。

「先生」

「私の制御装置はかなり強く作っているからまだ保っているが、そろそろ違和感はある」

 シキアがサコット用に作った魔法石を薄く加工して重ねる方法を全員の分作るのが間に合わなかったので、ヒアミックの分しかない。次回までには量産しないといけない。個人差があるので、今回の調査で見極めたかった。

「今残っている者は次回調査にも連れていく」

「……分かりました」

 半分は、多い方だと思う。ウサミが残ってくれているのは本当にありがたい。細かく立ち回って隊員たちを励ましたり盛り上げたりしてくれている。ここまでくるとヒアミックは植物の採取を指示しなくなったので、ひたすらに道を作り前に進んだ。森は静かだった。森で育ったシキアは森の喧噪を知っている。木々のざわめき、動物の生活、魔物の存在感、森はいつだってにぎやかだった。こんなに静かな森を、シキアは知らない。

「先生」

「なんだ」

「オレ、なんか」

 怖いです、と言いかけて、こんな抽象的なことをヒアミックに言っても仕方がないと首を横にふる。ヒアミックは続きを促したが、どう話せばいいか迷っているときだった。具合の悪くなった者たちに付き添わせていた一人が血相を変えて駆け込んでくる。

「ヒアミック様!」

「どうした」

「あの、さっき、中間点の、兵士が、教えに来てくれたんですけど、あの、隣国が、国境攻めを始めたって」

 ヒアミックの顔色が変わる。シキアも思わず息を飲んだ。国境は常に緊張状態にあるが、ここ数年は静かだった。昨年、瘴気増大期を迎えたので各国ともにその対応に追われ、国力は落ちているはずで、しばらくは戦争無しだろうというのが通説だったのに。

「国境戦が、始まったって!」

「なに⁉ こんな時にか……キャンプに戻って私は国境線の状況を確認してくる。ウサミ、念のため帰還路を何案か確保しておけ。シキア、君は――」

 ここからが本来調査の核のようなものだ。ここまできてヒアミックがすぐに諦めるわけがない。ただ、隊員たちの前でそれを「命じる」ことはできないだろう。だったら。

「一人で続けます」

「駄目だよ、シキア、隊長は不安になった皆の気持ちをまとめる仕事もあるでしょ」

 ウサミはヒアミックの性格も分かっているので、半ばあきらめたように一応止めるポーズをとった。とはいえ、言われていることの正当性はわかる。シキアはただの調査員ではない、隊長なのだ。

 ――サコット様ならどうするかな。

 いやちがう。自分とサコットは違うんだから、自分で判断しないと。

 ヒアミックは何も言わない。命令はない。ただ何を考えているかはわかる。自分はヒアミックの為に調査隊にいる。

 ウサミの言う通り自分には立場がある。こんなときに隊員に一声もかけず単独行動をするリーダーは信頼に足りえるのか。

「……キャンプに戻ります」

「そうだな。シキアはキャンプを頼む」

 ヒアミックに頼まれた。たぶん、この選択は正しかった、そう自分に言い聞かせた。

 キャンプに残っていた隊員たちは顔色が悪く具合も悪そうだった。もとから瘴気のせいで具合が悪いのに国境戦が始まったなんて聞いたら具合も悪くなるだろう。シキアだって不安だ。

 それを、いま、こんな危険な場所にいる。気休めに熱さましと香りのよいハーブ茶などで対応するが、効き目を期待できそうもなかった。

 そんな中で瘴気の影響を受けていないシキアには羨望のまなざしが集められて、苦笑した。普段なら絶対にありえないことだ。魔法器官がない、なんて、生きていけない、などと陰口をたたかれることも、面と向かって同情されることも当たり前なのに「なくてよかった」なんて。

 でも、だからシキアは今ここに居る。

 ヒアミックの為に、国の為に。皆を頼むと言われた、しっかり守らなければ。

 半日は介抱に追われていただろうか。夕刻になってヒアミックが戻ってきた。付き添いに行かせていた隊員はもう限界といわんばかりにキャンプにつくなり倒れた。ヒアミックも青い顔はしているがまだ自力で動けるようだった。

「国境はどうでしたか」

「だめだな、まだ続いている。まったくいつまでもちまちまと国境を押し上げることになんの意味があるのか、隣国の判断はおろかすぎる。やはり我王以外は救えぬ無能だ」

 強い口調に珍しく余裕のない怒りが含まれている。政治はわからないが、ヒアミックが何のために瘴気の地を懸命に調査するのかは聞いている。だからヒアミックの怒りは分かる。

「国境戦は長引きそうですか」

「彼らは王の命令がないと引くこともできないからな。まあいい、政治も戦争も私たちの意見することじゃない。調査は中止だ、だが帰還路がまだ確保できない。街道は国境近くを通るから使用不可だ。山道を案内できる人材をいま募っているから、しばらくはここで待機だ」

 なにせ大荷物なので道なき道を手探りで帰ることはできない。とはいえ、ここに居る限りミナノ体調が劇的に治ることはない。それも踏まえてヒアミックは瘴気の地調査に乗り出したのだが、国境戦は計算外だった。

 食料物資においては数日分予備があるし、水は現地調達できる。問題なのは隊員の体力だ。魔力中毒で死者はでたことがない。ただ衰弱は避けようがない。シキアにはその苦しみを分かってあげることができず、苦しかった。

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