(3)
「ありがとう。損な役周りをさせてしまって済まなかったな」
お義母さまを訪ねてから数日後。時間が取れたからという事で蒼玉様に誘われ、二人でお茶をしていた。
「あのくらい、別にどうって事無いわ。大変だったのは、色々手配なさった蒼玉様の方でしょう」
「別荘自体は、早めに整えておく予定だったんだ。俺自身が使う可能性もあったし、君が使う可能性もあったし」
「そうなのね。それなら、公務がひと段落した後に避暑を兼ねて行ってみる?」
「それも良いな。まだ先になるだろうが」
呟いた蒼玉様が、ゆっくりと茶碗の中身を飲み干した。机の上の月餅に手を伸ばして口に入れたのを確認したので、そわそわしながら見守る。
「美味しい?」
「美味しい。今回は……棗の餡と胡麻か?」
「ご名答」
喜んでいるのを隠さずに、正解だと告げる。部屋にいらっしゃったばかりのタイミングでは少しだけ固かった表情が、今は柔らかく解れていた。
「食べた事無い組み合わせだが、美味しいな」
「ベリルが休みの日に色々見つけて来てくれたの。また別の組み合わせで作ってみるから、楽しみにしていてね」
「わざわざ休みの日に? 勤勉な事だな」
「ベリルはお菓子が三度のご飯よりも好きだから……趣味と実益を兼ねてってやつね」
「ああ、なるほど」
そう返事をしてくれた蒼玉様の右手が、私の方へと伸びてくる。その後の展開が読めたので、少しだけ前のめりの姿勢を取った。予想通り手の平が私の頭を撫でてくれて、胸の奥辺りがじんわりと温かくなってくる。綺麗な指が髪の毛の中を滑って行き、名残惜し気に離れていった。
「……君と話していると安心する」
「そうなの?」
「いや、安心というか、ほっとすると言うか……救われると言った方が近いのか」
「随分大層な言い回しだわね」
嬉しさ半分照れくささ半分で、視線を茶碗に向けながら答えた。しかし、マリガーネットと名前を呼ばれたので、いつまでも下を向いている訳にも行かず彼の紺碧へと視線を戻す。
「そんな事ないさ。言葉通りに捉えてくれていい」
「別に、蒼玉様が嘘つきとは思ってないわよ。でも、そんな大層な事をしている自覚も自信も無いもの」
「君が自然体で接してくれているからこそなんだろう。これからも、思うまま真っ直ぐに生きてくれたら良い」
「……」
それ以上どう言ったら良いか分からなくて、やっぱり下を向いてしまった。耳まで熱くなっているのが分かるから、きっと私の顔は真っ赤なのだろう。
『どこへ行ったとしても、貴女らしさを失わないで』
エスメラルダで、最後にお姉さまと外乗した時の事を思い出す。私の方が、いつもいつもお姉さまに甘えてばかりで、助けてもらってばかりで、力になれたなんて己惚れるつもりはないけれど。それでも、支えだったと言ってもらえて嬉しかった。
(蒼玉様も、同じって事なのかしら)
彼の力になりたいとは思っているし、助けになりたいとも思っている。そして、私自身の行動が見合ったものなのかは分からないが、少なくとも彼はそう思って下さっているらしいと言うのも同じだ。
(願う気持ちは同じ……筈だけど)
それは違いない。違いないが、どうも全く同じでは無さそうな気もする。お姉さまの傍は、ただただほっとして、安心して、何があっても大丈夫だと思えた。けれど、蒼玉様の傍は……安心するし、一緒に居たら心強いと思うけれど、時折それだけじゃなくなる。触れられたらどきどきするし、あの紺碧の瞳に見つめられたら、どこまでも吸い込まれていきそうで、それでも目が離せなくて……落ち着かないのに、離れ難い。そんな、不思議な感情。
「そ……う、言えば、お義母さまの体調は如何かしら」
考え込んでいたら気恥ずかしくなってきたので、別の話題を振ってみる事にした。母上かと呟いた蒼玉様は、先程の温かな表情が一転し難しそうなお顔になる。
「体調自体は平行線だな。週に一、二度は体調が回復するんだが、悪い時はとことん悪いようで」
「正直、単なる疲労から来るものとは思えないわ。宮廷医以外の医者にも診てもらった方が良いんじゃない?」
「俺もそう思って何人かに診せたんだが、はっきりしないんだ。嫁がれる前の主治医にも声を掛けたが、彼が来られるのは来月以降という話だし」
「……お義母さまの既往歴とか体質、症状を全部纏めてエスメラルダの宮廷医やランウェイ家が世話になっている医者にも聞いてみましょうか。先入観がない分違った意見が得られるかもしれないわ。早くても返事が届くのは一か月後になるから、それまでに解決している可能性もあるけど」
通常の速度で月晶帝国からエスメラルダに向かえば片道一か月掛かるが、早馬だとその半分で済む。現状一か月以上膠着状態というのを考えれば、尋ねてみる価値はあるだろう。
「何もしないよりは建設的だな。頼めるだろうか」
「任せて」
胸元に手を当てて、真っ直ぐに彼を見つめた。助かると彼の口から零れた言葉は、切なくなる程に掠れている。
「……見舞えとまでは言わないが、こうまで何もしないというのはどうなんだろうな」
続いた言葉には閉口した。誰に対しての言葉なのかは、聞かなくても分かる。
「寵愛の程度はあれど、どちらも正式な后妃で自分の妻である事に違いはない筈よね。珊瑚様がいらっしゃるまでは普通の仲だったと聞くし、家族としての情くらいは見せても良い気がするのに」
それも本音ではあるが、正直難しいとも思う。立ち聞きした内容が全て真実の本音ならば、きっと、もう、陛下の目には珊瑚様しか映っていない。
(……ある意味、陛下にとっては今が一番チャンスなんじゃないのかしら)
珊瑚様を唯一の皇后にしたい陛下にとっては、今のお義母さまの体調不良は絶好の機会だろう。正直、それを理由に交代を言い出すのではないかと、お義母さまを皇后から降ろすと言い出すんじゃないかと、思っていたのだ。
しかし、実際は完全に我関せずを貫いている。流石に、医者の手配とか直轄地での療養の提案とか、そのくらいはされるだろうかと思っていたのだが……それすら何もなさらないから、蒼玉様が自主的に全て取り仕切っているのが現状だ。取り仕切っている彼に対しても、特に何も言っていなかったらしい。
「蒼玉様も無理はしないでね。貴方が倒れたら元も子もないし、心配でお義母さまが余計に体調悪くされるかもしれないから」
「……ああ」
「私に何か出来る事があったら言ってね。簡単な帳簿付けとか資料纏めとか代筆とかなら出来るし、それ以外でも頑張るわ」
皇太子妃としてやるべき事もあるにはあるが、彼の負担には遠く及ばない。少しだけでも肩代わり出来れば、彼の休息時間がもう少し増えるかもしれない。
「……ありがとう、マリガーネット。気持ちだけ」
「それは無しよ。私達夫婦でしょう」
「でも、君にも公務があるだろう」
「蒼玉様程じゃないわ……貴方に倒れられてしまったら、妻である私も困るのは自明の理でしょう?」
実際はどうとでもなるだろうが、少し狡い言い方をしてみた。何でも背負い込むタイプの心優しい人には、こういう言い方の方が響く事もある。
「……そうだな、君を困らせたり路頭に迷わせたりする訳にはいかない」
「そうよ。お義母さまの為にも私の為にも、必要な休息はしっかりと取ってね」
無責任な事を言っているなとは思うが、彼が心配なのも本当なのだ。今度はこちらから手を伸ばして彼の両手をぎゅっと握ると、蒼玉様は少しだけ微笑んでくれた。
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