(4)

「……」

「……」

 薄暗い部屋の中、蒼玉様と二人きり。とても眠れそうにないから、少しだけお話しませんかと言って彼の元を訪ねたら、快く部屋に入れて下さった。そして、いつぞやに彼を膝枕した、かの椅子に並んで座り並んでお茶を啜っている。

「……マリガーネット」

「うん」

「俺は、どうしたら良いんだろうな」

 ぽつりと呟かれた言葉には、敢えて返事をしなかった。多分、彼の中では、もう答えは決まっている。

『祖父さまは、小さい頃から野心家だったらしい。だから、三男だったけれど兄二人を追い落として自分が当主になり、沢山の娘を設けて後宮に送り込んで皇太子を産ませ、自分が外祖父として更に実権を握ろうとしたんだそうだ』

『だから、正妻以外の女性にも片っ端から手を出した。そのうちの一人が、母上を産んだ女性だ。手を付けられて、順当に祖父さまの子を身籠り……祖父さまの望み通り女児を産んだ』

『しかし、産まれて来た女児は赤い髪に赤い瞳をしていた。忌まれる色ではないが、珍しい色である事に違いはない。珍しい容姿は、気に入られるか疎まれるかの二択。だから、祖父さまはその母娘を見捨てたんだ……手を出した女性で、まだ身籠った子を産んでいない女性は数多くいたし、その中には結構な身分の女性もいたらしい。その内の誰かが女児を産むだろうと、そう踏んで』

 しかし、楊家当主の思惑は外れ残りの子供は全て男の子だったらしい。正妻も含め二十人近くに手を出して十人以上は子供が出来たらしいが、それでも、産まれた女の子は珊瑚様只一人だったとか。

『一方、捨てられた……俺の実の祖母と母上は、その日暮らしをしながら生きていたそうだ。祖母は舞や歌が得意だったから、酒屋で歌ったり踊ったりして日銭を稼いでいたらしい。そんな祖母を、母上が支えて……二人は、互いに助け合いながら生きていた』

『母上が八つになる頃に、祖母が病に倒れたそうだ。母上は、何とか薬を手に入れようとして身を粉にして働いたそうだが、到底足りず……もう諦めるしかないのかと思ったところを、たまたま通りかかった藍玉様……当時十一歳だった後の皇后が、助けてくれた』

『綺麗な服や温かい食事、清潔な寝台を用意してくれて、祖母が完治するまで治療を続けてくれた。二人の身の上に同情して、ここで働くと良いと言って雇ってくれた。祖母は、母上の父親の事があるから出て行こうとしたらしいが、向こうから縁を切ると言われたのでしょう? それなら、貴女達がどこでどう生きようと文句を言う筋合いは無い、いざとなれば私が貴女達を守ると言われて……母娘共々、深く感謝して一生の忠誠を誓ったと』

 それから数年間は平和だったそうだ。生真面目に働く母娘は重宝され、年が近くて良い話し相手になった珊瑚様は、お義母さまに気に入られて侍女に昇格したらしい。珊瑚様はますますお義母さまのために尽くしたし、お義母さまもそんな珊瑚様を目に掛け褒美を渡したり連れ立って出かけたりと、楽しく過ごしていたそうだ。

『しかし、転機が訪れた。藍玉様が皇太子妃に内定したんだ。だから、当初母上は藍玉様と一緒に後宮へ行くつもりだったそうだ……藍玉皇太子妃の侍女として』

『でも、それは叶わなかった。捨てた娘を執念で捜し当てた祖父さまが、藍玉様を人質に取って母上を脅したんだ。このまま大人しく付いてきて側妃として後宮に入れば、藍玉は解放し命も保証しよう。だが、抵抗すると言うのならば、今ここでこの女の命を絶つ……そんな事を言われてしまえば、母上に逆らえる筈なかった』

 敬愛する主を守るために、その主君と袂を分かつ事にした珊瑚様は言われるまま楊家に向かったらしい。そこでお妃教育を受け、同時に選ばれた他の妃達と共に三人で後宮に入る事となる。しかし、ここでも運命は珊瑚様を翻弄した。

『後宮に入る前は、三人も居れば、藍玉様も合わせて四人も居れば、自分が目立つ事は無いだろうと。重用される事もないだろう、陛下と藍玉様の間には既に皇子が産まれているし、後は、自分が下手を打たなければ……かつて望んだ形とは違えども、また藍玉様と一緒にいられると、そう、思っていたそうだ』

 それならば、現実はあまりにも珊瑚様にとって酷だっただろう。自分が陛下に気に入られただけならまだしも、そのせいでかつての主君が窮地に立たされるかもしれない……この二十数年、珊瑚様の心労は如何程だったのか。考えるだけで、身が切られそうだ。

「蒼玉様は、どうしたい?」

 茶碗に残ったお茶を飲み干した後で、今度はこちらから尋ねてみた。俺は……と呟く声が、薄闇の中に溶けていく。

「父上を許す事は出来ない。楊家当主も、これ以上野放しには出来ない」

「そうね。でも、このままじゃ二人とも失脚させるどころか、罪を認めさせる事すら難しいんじゃない?」

「そうだろうな……明確な、証拠が無いのだから」

「結局、今あるのは紅玉様の証言のみだものね。それも十分な証拠だけど、あの狸達を言いくるめられるかは微妙だわ」

「あの手この手で言い訳して、逃れようとするのは明白だな。父上に至っては、皇帝を疑うのか、皇帝に逆らうのかと言って立場で押し通してきそうだし」

「……となると、もう、道は一つしかないんじゃないの?」

 隣に座っている蒼玉様の方を向いて、その瞳へと問いかける。貴方も分かっているのでしょう、という思いを視線に込めて。

「……俺がその選択をしたら、苦労するのは君だ」

「どの道そうなる予定だったでしょうし、時期が早くなっただけだわ」

「マロン号にも寂しい思いをさせるだろう。今まで以上に、時間は無くなるぞ」

「承知の上よ。繰り返し説いていけば、あの仔はきっと分かってくれる」

「……だが」

「正直に言えばね? 私にきちんと務まるのかって、まだまだ力不足じゃないかって、不安な気持ちはあるわ。当たり前よね、私、まだここに来て一年も経っていないのだもの」

「……」

「でも、私も、その方が良いと思うわ。これ以上、お義母さまや珊瑚様、紅玉様を苦しめるのは間違っているでしょう。だから、覚悟は決まってる」

 ぼんやりとしたものならば、エスメラルダにいた時から決めていた。貴方が他ならぬ私を望んでくれたから、新天地で貴方と共に、貴方の隣で一緒に生きていくんだと、そう決めた。

 そして、実際に結婚して、一緒に過ごしていくうちに、覚悟は決意になった。貴方の力になりたいと、貴方と二人助け合いながら生きていきたいと……そして、貴方の一番は私が良いと。私が貴方の唯一になりたいって、そう、強く強く願った。その根底にあるこの想いにも、もう名前は付いている。

「だから、貴方がそれを望むなら。私はその望み通り、貴方を隣で支え続けるだけよ」

 何も恐れないで。いつだってどんな時だって、私は貴方の味方だから。私は……貴方の事、蒼玉様の事、愛しているから。

「……マリガーネット」

 名前を呼ばれたので、返事をする。蒼玉様は椅子から降りて、私の前に跪いた。左手を自身の胸元に当てて、右手の手の平が私の前へと差し出される。

 それを眺めている私の心は、凪いだように静かだった。

「……どうか、俺の皇后となってくれないか」

 静かに紡がれた言葉が耳に入ってきた瞬間、ゆっくりと頷いた。真っ直ぐに彼の紺碧を見つめて、彼の手の平の上にそっと右手を重ねる。

「まだまだふつつか者だけど。努力するから、宜しくね」

 彼の手を握った後で、私も椅子から降りて蒼玉様の真正面に膝を付く。互いに視線を逸らさず、じっと見つめ合ったまま……近づいてきた吐息を、少しだけ跳ねている鼓動を聞きながら受け止めた。


  ***


 一週間後、朝議にて。大勢の臣下が見守る中で、蒼玉様は皇后毒殺未遂事件の真相を語り、皇帝と楊家当主の罪を追及した。皇帝の眉が吊り上がって顔が怒りで歪み、楊家当主は恨めしそうに舌打ちする。

「馬鹿馬鹿しい作り話だ! 蒼玉、皇太子といえども、こんな事をしてただで済むと思うなよ!」

 怒号が響き、皇帝はその勢いのまま蒼玉様に掴み掛ろうとした。蒼玉様はそれを難なく避け、控えていた菫青が皇帝の両腕を後ろ手に縛り上げる。

「何をしている! この無礼者どもを、さっさと捕らえよ!」

 そう喚く皇帝を、冷めた目で眺めていた。悪い人ではないと思っていたけれど、少しだけ、愛情の向け方が間違っているだけの人だと思っていたけれど。どうやら、私の人を見る目はまだまだ鍛えないといけないらしい。

「もう誰も、貴方の命令は聞きませんよ」

「何だと!?」

「貴方はもう罪人だ。罪人の言葉など……誰も耳を貸すまいよ」

「何を言っている! 俺が皇帝で、珊瑚が、珊瑚を皇后に」

「往生際が悪いのね。いい加減、罪を認めなさいな」

 大きくはない、しかし、凛としてよく通る声が扉の方から聞こえてきた。そこに立っていらっしゃったのは、お義母さま……皇后陛下、張藍玉。

「藍、玉……! お前も俺を謀ったのだな!」

「わたくしに毒を盛った貴方に、言われたくはありませんわね」

「うるさいうるさいうるさい! そもそも、役目を果たさずにのうのうと後宮にしがみついていた、お前が元凶だろう!」

「責任転嫁も良いとこ。少しくらい、自分の短気さを反省したらどうなのかしら」

 優雅に扇で自身を仰ぎながら、お義母さまが言葉でちくちく攻撃なさる。なおも皇帝が口を開こうとしたその時……女官に支えられながら、珊瑚妃も現れた。

「大事な話があるから来てほしいと、皇太子殿下に言われてやってきたのですけれど……あの、これは一体」

「珊瑚! お前だけでも逃げるんだ! ここにいたら、お前まで捕まってしまう!」

「失礼ね。身柄そのものは一旦軍部の預かりになるだろうけれど、少なくとも貴方よりはもっとずっと良い待遇になるわ……珊瑚は何も悪くないのだもの」

 お義母さまの口が珊瑚と紡いだ瞬間、珊瑚様は息を飲んだ。床に転がっている皇帝には目もくれず、お義母さまの方を見つめている。

「……皇后陛下もいらっしゃったのですね。出来得る限り身だしなみは整えて参りましたが、お見苦しい所がございましたら申し訳ありません」

「貴女が見苦しい事なんて、一回もなかったわ。貴女の趣味じゃない下賜品を着ていた時は、似合わないなと思っていたけれど」

「何を言うか! 俺が、珊瑚を思って、珊瑚のために、古今東西から集めて来た品の数々だ……」

「ちょっと黙っていて下さる? 話が進まないから」

 そう言い放ったお義母さまは、これまた遠慮なく皇帝の口に手に持っていた扇を突っ込んだ。いつも朗らかな方を怒らせると怖いと言うのも、古今東西共通らしい。

「珊瑚、もう大丈夫よ」

「え……」

「蒼玉がね、皇帝になってくれるのですって。だから、後宮はマリガーネットのものになるわ。私達は、お役御免」

「……あ」

「私は皇后じゃなくなるし、珊瑚は側妃じゃなくなるの。ただの藍玉と珊瑚に……あの時と同じに戻れるわ……今まで二十年以上、よく頑張ったわね」

 お義母さまの手の平が、珊瑚様の頬を撫でる。珊瑚様の赤い瞳からは、みるみる大粒の涙が溢れてきた。

「……あい、ぎょく、さま」

「ええ、貴女の主だった藍玉よ」

「いいえ、いいえ……! 私にとっては、今だっていつだって、貴女がただ一人の敬愛する主君です!」

「それは、主冥利に尽きるわね」

「もう……もう、二度と、お名前をお呼びする事は……名前を呼んで頂くのは……叶わないのだと……!!」

 嗚咽を堪えられなくなった珊瑚様が、ぺたりと床に座り込んだ。お義母さまも躊躇うことなく、珊瑚様の前に膝を付く。

 そして、泣きじゃくる珊瑚様の事を、ずっとずっと抱き締めていた。

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