(4)

 婚礼から三か月程が経ち、月晶帝国は新年を迎えた。新年と言えば、エスメラルダでは当たりが入ったケーキを食べるのが習わしだが月晶帝国では花火を打ち上げるらしい。花火を見るのは初めてだったが、夜空に輝く色とりどりの花火達はとても美しくて見応えがあった……楽しいばかりではなく、年末年始ならではの儀式や業務もかなり多かったが。

 そんな賑やかな状況が落ち着いてきた月中、蒼玉様に皇都郊外視察の予定が入った。数年前から建設中だった水路が無事に完成したので確認に行くらしい。興味があったので一緒に行っても良いか聞いてみたところ、快諾を貰えたので早速向かっている最中……なのだが。

「マロンも連れていくなら、乗っていきたかったわ」

 面白くない気持ちを前面に押し出し、正面にいる蒼玉様へそう零す。マロンは琥珀に引かれて、蒼玉様の側近である菫青と共に馬車の後ろをついてきているそうだ。

 何でも、私が乗れていなかったから、マロンの元気が有り余っていて馬房の中でも寝転んだり歩き回ったりと落ち着かないらしい。そこで、郊外視察に行くなら同行したいと言われたそうだ。郊外まで引いて歩けば運動になるし、万一行き先で何かあっても私がいるからどうにかなるだろうし……やはりもっと乗る時間を取らないと。マロンの為にも。

「蒼玉様も一人で馬に乗れると聞いたし、わざわざ馬車を出さなくても良かったんじゃないの? 馬車が嫌いという訳では勿論ないし寧ろ好きだけど、マロンがいるのに乗れずに離れ離れなんて」

「君の気持ちも分からなくはないし、マロン号も馬車に乗り込む君を悲し気に見つめた後で続いて乗った俺に対して唸っていたが、こればかりはな。貴族の高官や皇族となると、安全の為に近場移動でも馬車を使うものという考えが浸透している。そう簡単には変えられないだろう」

「それはそうかもしれないけれど……でも、馬車の中にいるよりは直接馬に乗っていた方が、仮に襲撃に遭ったとしても直ぐに逃げられると思うのに……」

「……それは君だけだろうな。俺だって、乗れるとは言え速歩が精一杯だ」

 溜め息交じりに告げられ、遠慮なく頬を膨らませてそっぽを向いた。エスメラルダでは乗馬がステータスになるので高位の貴族も王族も乗馬や馬術を嗜んでいる事が多いし、専用の大会等も存在する。しかし、月晶帝国はそうでないらしい。

 以前琥珀も言っていたが、月晶帝国で馬と言えば専ら農耕補佐用か馬車引き用なのだそうだ。馬術に使うような特殊な歩法は勿論通常歩法すらあまり知られていないらしく、出来る人間もかなり限られるらしい。貴族出身ではない琥珀が皇宮の厩務員に抜擢されたのは、全速力で駆ける歩法である襲歩まで可能な数少ない乗り手だからだそうだ。そんな彼女でも特殊歩法は知識としてしか知らないと言っていたので、乗馬文化や馬術文化にはかなりの差があるのが現実である。

 それでも……勿論、得手不得手や馬の具合等もあるから一概には言えないが、乗馬というのは素晴らしいものだ。馬の上から見る景色は綺麗だし、結構運動になるし、馬は個性的で可愛いし、人馬一体となって障害物を飛び越えたり駆けていったりするのは実に爽快な体験である。頃合いを見て、この国に乗馬を普及させていきたい……手始めに、琥珀に特殊歩法を教える約束は取り付け済みだ。

「……だが、君には悪いが俺は馬車移動で良かったと思っている」

「どうして?」

 話かけられたのにそっぽを向いたまま、というのは流石に失礼かと思って顔だけ彼の方を向けた。蒼玉様は、紺碧の瞳を細めて穏やかそうに笑っていらっしゃる。

「誰の目も気にせずに、こうやって二人きりでいられるから」

 そんな言葉と共に、彼の左手が伸びてきて私の頭に触れた。数回撫でられた後で慈しむように髪を梳かれ、羞恥で顔が一気に熱くなる。

 勢いよく鳴り出した心臓を抑えるように胸元に手を当てていると、ふとある言葉を思い出した。もし、本当にそうならば……そう思って、軽く息を整えた後ちらりと蒼玉様のお顔を確認する。

(……顔色は変わらない、けれど)

 蒼玉様のお顔は相変わらず綺麗だった。長い睫毛が、切れ長の瞳が、整った顔つきが、肌が、この人のやんごとなさを遺憾なく発揮している。けれど、よくよく見たら、彼の耳は赤く染まっていた。恥ずかしいのか、照れているのかは分からないが……落ち着かない心地なのは間違いないだろう。

(何だ、私と一緒だったのね)

 今まで気づかなかっただけで、彼も私と同じだったのだ。そう思うと、少しだけほっとしたような、溜飲が下がったような。そんな心地だった。


  ***


「以上が、水路の概要でございます」

「分かった。これなら、先日の大雨の影響も最小限に抑えられたか?」

「はい。以前は村の大半の家が浸水していましたが、今回は川沿いの数軒のみで」

「……それでも、川沿いの家には被害が出たのか」

「増水して勢いが増し、堤防を越えたと聞いております」

「成程、その堤防も見せてもらえるだろうか」

「かしこまりました」

 蒼玉様と担当役人のやり取りを聞きつつ、作られたという水路を確認する。作った目的は、川の流れを分岐させる事で氾濫を防ぐためらしい。一部細い水路が枝分かれして伸びているのは、農業用としても使えるようにするのが理由なのだとか。

「月晶帝国は水害が多いのですか?」

 堤防を見に行く途中で、隣を歩く蒼玉様に尋ねてみた。一瞬だけ彼の眉が寄ったが、すぐに元通りの表情になって口を開く。

「雨も多いし、川も多いからな。おまけに、主流の川の一つは土砂を含んで流れているから猶更氾濫を起こしやすい」

「それで水路を?」

「ああ。ある程度の大きさにすれば船での運搬にも使えるし、農業にも使える。そんな訳で、この国では水路作りや川の整備が盛んだ」

「なるほど……」

「エスメラルダでは違うか?」

「そうですね。川はありますし雨も降りますけれども、洪水になる事は少ないので。気候も温暖ですし……ランウェイ家の屋敷は山沿いにあったので、冬は雪に悩まされていましたが」

「そうなんだな。雪は雪で大変だろう」

 そんな会話を続けながら、堤防を確認したり役人と話したり。一通りの確認が終わった所で、馬車達を待機させている最寄りの役所に戻ってきた。

「俺はこれから別の仕事があるから、マリガーネットは周辺の散策をしてきて良いぞ」

「良いのですか?」

「一人と一頭にはならないように」

「分かりました。琥珀についてきてもらいます……マロンに乗っても?」

「帰りの馬車に乗るまでなら。琥珀だけだと心配だから、菫青も連れて行ってくれ」

「蒼玉様のお仕事に障りありませんか?」

「大丈夫だ。手練れだから護衛にもなるだろう」

「それならば、来てもらえるようにお願いしますね。ああ、そうです、帰りくらいはマロンに乗って帰っても問題ないのでは?」

「馬車に一人で乗るのも味気ないから同乗してくれ」

「……仕方ないですね」

 眉間に皺を寄せつつ返答した。そんな風に言うなんてずるい。正直こちらもダメ元ではあったが、あしらい方が秀逸過ぎる……お姉さまと話しているみたいだ。

 まぁ、乗馬の許可自体は出た。少しの間だけでも乗れるのはありがたい。挨拶もそそくさに役所を出て、マロンと琥珀の元へ駆けていった。

「皇太子さまは何と?」

「馬車に乗るまでなら乗っても良いって! 菫青にも付いてきてもらう事になったから呼んでくるわね」

「かしこまりました。マロン号の準備をしておきますね」

 返事を確認してから、菫青を呼びに行った。快諾してくれたので、琥珀の元へ一緒に向かう。彼の身長は蒼玉様と同じくらいだが、鍛えているからなのか体格が良い……エメ兄さまと並んでいるみたいだ。

 琥珀の元へ戻り、マロンの具合を確認する。大丈夫そうなので、勢いをつけてマロンの上に飛び乗った。服の裾を整えつつ、鐙に足をかけて準備を終える。すると、何故か……琥珀が行きと同じように、マロンの無口に引き綱を付けた。

「どうしたの?」

「我々は皇太子妃さまとマロン号の技量を存じ上げておりますけれど、国民の大半は知りません。そして、残念ながら乗馬の文化もまだまだ根付いておりません」

「そうだったわね」

「その状態、要は周りに正しい知識が無い状態で、貴女を乗せたマロン号を私が引かずにいたら……いきなり走り出すのではとか暴れ出すのではと心配されたり、恐怖心を抱かせたりする可能性もございます」

「なるほど。周りへの配慮って事ね」

「はい。こちらとしても心苦しいですが、揉め事を起こすよりは宜しいかと……」

「大丈夫よ。世間の認識を変える事程、時間が掛かって難しい事はないもの」

 その辺りはどこの国でも変わらないだろう。新しい事、珍しい事、見慣れぬ事に対して警戒したり恐怖を覚えたり、拒絶したりするなんて当たり前だ。だからこそ、知ってほしいなら時間を掛けて地道にやっていかないといけない。

「私とマロンはまだこの辺の地理も分からないし、そういう意味でも引いてもらった方が利点はあるわよね。せっかくだから案内してくれる?」

「ええ、お任せ下さい」

「それじゃあ行きましょうか」

 私の言葉を合図に、琥珀が先導を始めてくれた。

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