本日、愛犬没する。

たけすみ

いつか懐かしい恥となることを願って。

 本日2024年3月18日、夜10時半頃、シロ(保護犬出身、推定15歳、中型犬の雑種)没する。


 昼2時半ごろ、昼食を食わせるも5時間前に食べ終えて消化しているはずの朝食分まですべて吐き戻し、午後に病院に連れてゆくことに。

 一昨日の時点で咀嚼に消極的で口に餌をねじこんで無理矢理飲ませていた。

 昨日は満足に嚥下ができず、一口のどの奥に押し込むごとに水を舐めさせて飲み込ませていた。

 普通の水飲みも以前ほど勢いがなかった。舌先を湿らせる程度だ。

 朝食はどちらも2時間がかりだった。(消化の関係で朝昼晩と3度に餌をわけて与えていた。一昨年の11月27日に強いてんかん発作を起こして立てなくなり、半ば寝たきりの生活になってから自家製フードなどを試しつつ体重が毎月数キロ単位で減る中で、どうにか見い出し、1年以上この給餌を続けて体重20キロを維持し続けてきた)


 夕方4時頃、動物病院の受診受付が始まり、母の運転で兄が同伴して行ってくれた。

 私は自宅で待機しつつ、母とラインで連絡をとりながら待つも、手持ち無沙汰から先日録画した『テネット』を見はじめた。

 病院は混み合っており、普段の担当医は休み、院長先生も手術中ということで若い医者が担当になったという。(それでも説明は丁寧なものだったと付き添った家族は言った。その医者がなにか見落としたとか、そういう疑う考えは私にはない)

 帰宅は午後七時を回った、テネットはまだ1時間近く残った状態で停止し、リビングへシロを移すのを手伝った。

 血液検査の結果「白血球の数値が高い」とのことだったが、これは半月前にずり這いに失敗して自分の前足狼爪でもう一方の自分の腕を深く傷つける怪我をしており、この治療過程のものと判断された。

 またエコー診察の結果「左肺に誤嚥の形跡とおぼしきモヤがある」とのこと。脱水症状を避けるため点滴を受け、抗生物質を処方された。帰宅時点でシロの四肢の肉球は手足は冷え切っていた。寒い車内で長く待たされたからか、点滴で冷えたのか、それとも胃に何も入っていない状態で病院に行ったせいか。帰宅後、疲れたのかシロはすぐに眠ってしまった。

 寝て起きても、普段ならば眠って起きれば温かいはずの肉球は冷え切っていた。


 午後9時半ごろ目を覚ましていたところにシリンジで乳状の餌を投薬しようという話になり、それを任されそうになるも私はストレスから吐き気を催してしまってその場から離れ自室に。

 精神科医に処方されていた向精神薬の頓服を飲む。

 我が家はもう一匹飼っていた。エルマーという名の真っ白の保護犬だ。3年前、悪性リンパ腫で亡くなった。私はエルマーの死に至る病の看病に精神が耐えられず、もともとの希死念慮もあって精神科の世話になっていた。

 最近もシロの看病により集中するために投薬を増やしてもらったばかりでもあった。


 私の調子が落ち着き、再びリビングに戻ると弟と母の二人がかりでシロに普段の投薬と抗生物質の投薬、そして乳状の餌をシリンジで与えていた。

 その後、1時間程度ぜいぜいと痰の絡んだような呼吸をし、弟が体をおこしてやったり背を叩いてやったりして呼吸を整えてやるも、左向きに横にしてしばらくするとやはり痰の絡んだような咳をした。

 右向きに寝返りをうたせたところしゃっくりのような痙攣症状を長い間隔で見せる。

 だがひとまず静まったと見て、弟は翌日の仕事もあるため風呂に入りに行った。


 私は不安で目が離せずにいた。痙攣が止まってしばらくして、寝付いたようにも思えるが呼吸しているか気になってふれてみるも呼吸の形跡はない。かけていた毛布を払って胸に耳を当てるも息遣いの音はない。舌も青白い。

 慌てて家族に声をかける。風呂に入っていた弟、深夜の看護に備えて早く寝ていた兄を起こす。

集う家族、顔を見合わせ、それぞれの方法で半開きの目が起きているのか最後を迎えたのかを確かめる。顔を包んで優しく声をかけてゆさぶったり、抱え込んでどんどんと背を叩いたり、本当にそれぞれの方法で。最後に寝たきり生活になってから腰に巻かせることが習慣化していたマナーバンドをはずしてやると、大量に失禁していた。便は今朝の給餌の前にすませていたせいか、出ていなかった。これが死の確認の決定打となった。(既に脈も呼吸も心臓音もないのはそれぞれ確認していた)

 兄弟三人でシロの亡骸を敷布団ごと仏間に移す。

 その後、元気だった頃よく遊んでいたプープー音のなるオレンジのおもちゃ、穴だらけのクッションボール、倒れてからほとんど与えなくなっていたボーロと煮干し、チュール、一年食わせ続けた13歳以上用のフードなどを集めて枕元に置く。


 仏間は母が焚いた線香の香りがしていた。

 弟はリビングで声をあげて泣いていた。その声が仏間まで聞こえた。兄は私同様精神科の処方薬の影響で精神状態が制御されているせいか、普段通り落ち着いているように見えた。

 私は、なぜかほっとしていた。

 死を看取る少し前に飲んだ精神科の頓服が効いてきたせいもあるが、明日以降の給餌の困難さ(誤嚥を避けるため、ぐにゃぐにゃとまともに座ることもできない犬の上体をまっすぐに起こして、喉の奥に粒餌を置き、シリンジで水を飲ませて流し込むなど、腕が三本あっても足りるか怪しい芸当に思えた。そしてシリンジで液状餌を与えることも経験がなく、またその値段から長期的なコストを考えると経済的に不安だった)を思う気持ちで食欲を失うほどストレスを感じており、それから解放されてしまったせいもあるかもしれない。


 明日には以前世話になったペットの火葬をやっている寺にシロを連れてゆく。

 火葬には庭の水仙の花を、という話になり、私は思い立って懐中電灯を手にローズマリーの花を取りに行った。以前の走り回っていた庭に植わっていたハーブだ。しかし茎が固く手で折れなかったためハサミを取りに戻り、ハサミで切り取って枕元にそなえる。

 その後、しばらく母とシロを挟んで思い出話をする。そして、今日病院にいったことで、「最後に外の空気が吸えた、夕方時とはいえ青空をみせてやれてよかった」と言ったら自分で泣きそうになった。

 シロの赤みがかっていたところは口元の軽い怪我から爪の付け根まで白くなっていた。

 最後に触ったシロの前足は、祖母の臨終の間際を思い出すほどに冷たかった。いや、冷たいままだった。

「お前は解放された、あとは自由に走れ」

 と言い残して部屋に戻る。

 目はいくら閉じてやっても、まるで寝たふりをして起きる隙を伺っているかのようにうっすらと開いてしまった。

 それがこの子の持ち前の頑固さを思わせて、愛おしくなった。死んでもまだここにはシロがいた。

 仏間の明かりは今夜は消さないことにした。


 部屋に戻ってこれを書いている。現在明けて19日の深夜0時を回った。

 この1年4ヶ月、シロは私からあらゆる機会を奪ってきた。

 プロレスラーになれたかもしれない夢(hotシュシュという団体が昨年1月に新人募集をはじめた。それに強く惹かれていた。今振り返ると手を出さなくて正解だったと思う)、秋の中学高校の同窓会(これは悔いがある。特に高校の同窓会は坂本龍一氏に傾倒した女の友がおり、彼女と教授の死を分かち合いたかった。また音楽部の顧問の先生も顔を出していたと知りおそらく最後の再会の機会になったと思うからだ)、介護生活の心の支えであったウルトラマンブレーザーの劇場版。(最後のは立川の劇場なら間に合うかも知れないが、見る気分ではない)

 昔から社会から必要とされていないと強く実感し、ずっとシロが死んだら後を追って自殺する気で居た。今は少し生きたいと思っている自分もいる。

 だが、なんのために?

 やはり家族喧嘩の絶望を見て死にたくなるのだろうか。

 そうならば、その時後を追おうと思う。

 あの子はいつでも逃げ出したとき、十数歩先で止まってこちらを振り向いて追いかけるのを待っていた。今もそういうときなのかも知れない。


 いつの日か、今夜のことが私の懐かしく愛おしい心の傷となるように、この頭の回っていないつたない文章自体が黒歴史となるように、ここに記し残す。


 追記:これを書いていてふと思い出して、スライスチーズを一枚枕元に備えてきた。少し上等なモッツァレラの方を。いつも薬を飲むときに薬をチーズにくるんで与えていたから。もういらないかもしれないけど、食べ物ならよろこぶと思ったから。

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本日、愛犬没する。 たけすみ @takesmithkaku

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