カフェ・クラムジイ6~「とりあえず」は禁句?~
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「とりあえず」は禁句?
五月の午後、冬樹はいつものように営業用のチラシ片手に住宅街をさまよい続けていた。相も変わらず断られてばかりで、まともに話を聞いてくれる人に出会えても、内覧や契約には話が進まなかった。
以前ならここでもう少し粘ろうと奮起していたが、緋色が実家に帰ってからは、冬樹は普段の生活に楽しみや張り合いを感じなくなり、胸にぽっかり穴があいたような空虚感に覆われていた。冬樹はやつれた顔で、肩を落として会社に戻った。
「おう、曽我部君、お帰り。どうした、今日もダメか? ん?」
上司の西田が冬樹の顔を見るや否や、上目遣いで厭味ったらしい言葉を掛けてきた。
「よくお分かりですね」
「君は営業から帰るといつもそういう顔をしてるからな」
「まあ、おっしゃる通りです。誰も僕の話なんてまともに聞いちゃくれなくて」
「君はいまいち自信なさそうな顔をしてるもんな。俺が客だったら、そんな頼りないヤツに大切な住処の相談を任せられるかって思うよ」
「そうですよね……でも、なんというか、いざ説明しようとするとなるといまいち自信を持てないんですよね」
「どうしてだ? うちの会社の持っている物件に自信がないということか?」
「違います。何というか……その……」
「お、長谷部君が帰ってきたな」
その時、後輩の長谷部がかばんを片手ににこやかな表情で戻ってきた。
「どうした? 今日は何件獲得した?」
「今日は三件です。 試しに駅前のタワーマンションに売り込みをかけたら、やっぱり一軒家の方が落ち着くっていう人が一定数いるんですよね。その方々を重点的に攻めてきたつもりです。アハハハ」
「さ、さすがだ。戦略もしっかりしているし、声にも自信がみなぎってる。どこかの誰かさんとは大違いだよな」
西田は長谷部の背中を叩きながら豪快に笑いだした。長谷部は苦笑いを見せていたが、西田に褒められるのはまんざらでもない様子だった。
「ところで長谷部君、そこにいる曽我部君は今日もゼロだってさ。君よりずーっと年上なのに恥ずかしいよな。疲れてるところ悪いが、少しだけ慰めてやれや、ガハハハ」
西田は嘲笑しながら帰り支度を済ませ、冬樹と長谷部を残して先に帰ってしまった。冬樹は額に手を当てながら思わず大きなため息をついてしまった。
「どうしたんですか」
「べ、別に、何でもないよ。気にしないで自分の仕事してろよ」
すると長谷部は鞄を自席に置き、頬杖をついてうつむいていた冬樹の隣に立った。
「曽我部さん」
「何だい?」
「最近、何だか元気ないですよ」
「だから何でもないって。僕のことなんて気にしないでいいから」
「営業成績のことで悩んでるんですか?」
「まあ、それもあるけれど……その他にも色々あってな」
「じゃあ、今日は早めに切り上げて、飲みに行きませんか?」
「の、飲みにだと?」
「はい。駅前に行きつけの美味しい焼き鳥屋さんがあるんです。仕事でストレス抱えた時は、そこで一杯ひっかけてから帰ってるんですよ。さ、行きましょうよ!」
長谷部は部屋全体に響き渡るほどの張りのある強い声で、冬樹を飲みに誘った。あまりにも声に迫力があるせいか、まるで長谷部に胸倉を掴まれて「飲みに行くぞ!」と凄まれたような気分になった。
「わ、わかったよ。行くよ」
「そうと決まれば、早速行きましょう! ここから歩いて五分程度なんですよ!」
長谷部はまるで冬樹を先導するかのように、颯爽と事務室を出て行った。
冬樹は「ちょっと待てよ!」と大声で叫んで慌ててその背中を追いかけた。
二人は立川駅北口近くの繁華街に足を踏み入れると、長谷部は大きな赤ちょうちんが灯る「居酒屋あかね」と書かれた看板の店の前で足を止めた。
長谷部がドアを開けると、八畳程度しか広さの無い狭い店内には焼き鳥を焼く煙とにおいが立ち込め、たくさんの客がジョッキ片手に談笑していた。
「いらっしゃいませ~」
「大将、久し振りだね」
「お、長谷部さんじゃないですか? 久しぶりですねえ」
「店長、今日は二人で来たんだけど、大丈夫?」
「お二人様分の席、空いてますよ、こちらへどうぞ」
角刈りの髪型に鉢巻きを巻いたちょっとガラの悪そうな店主が二人をカウンターの奥に案内した。二人が腰掛けるやいなや、店主はポケットからオーダー票を取り出した。
「長谷部さん、今日は何を注文しますか?」
「中ジョッキの生二つと、焼き鳥盛り合わせ一皿で」
店主はにこやかな表情で「まいど!」と大声を上げると、そそくさと調理場へと走っていった。
「店主さん、忙しそうだな。こんなに狭いのにひっきりなしに客がくるもんな」
「狭いけど、あの店主が好きでここに来る人が多いんですよ。ちなみに大将のお家は、私が営業して斡旋したんです」
「すごいよな。さすがだよ、長谷部君は」
「そんなことないッスよ。あ、ビールと焼き鳥が来ましたよ。乾杯しましょうか」
二人は乾杯を交わすと、しばらくの間、お互いにジョッキのビールを黙々と飲み干していたが、やがて長谷部がジョッキを片手に冬樹の方を振り向き、声を掛けた。
「仕事、大変じゃないですか? 私も曽我部さん位の歳になったら、たぶん営業の仕事はキツいと思いますよ」
「まあな。若い時みたいに勢いで押し切ることはむずかしいよ」
冬樹は焼き鳥を手にしながらそう言うと、長谷部は首をかしげながら口を開いた。
「あの、生意気だと思われるかもしれないですが……」
「何?」
「曽我部さんがこの仕事をしている理由って、何ですか? 私、ずっと気になってたんですよ。若手中心の会社なのに、ある程度歳を重ねてから飛び込んできてますし」
「理由? 簡単だよ。生活費と借金返済のお金を稼ぐためだよ」
「え、それだけですか?」
「それだけって、この理由じゃダメなのか?」
「それじゃ生活のために『とりあえず』この仕事をやってるようにしか聞こえませんよ。それからもう一つ。曽我部さんの仕事を見ていて気になったのは、いまいち『戦略』がないように見えるんです。仕事で効率的に成果を上げるには、戦略が絶対必要になりますから」
長谷部は、畳みかけるように冬樹に質問をぶつけてきた。
「うーん、なんだろうな……とにかく考えてる暇があるなら足で稼ぐってところかな?」
「はあ……そうですか。要は事前に策も練らずに『とりあえず』手あたり次第に歩いてるってことですね」
長谷部は焼き鳥の串を手にしながら、がっかりした表情を見せた。
「な、何だよ、さっきから『とりあえず』って。『とりあえず』がそんなに悪いことなのかよ?」
「そういうわけじゃないですけど、この仕事で成果を上げたければ、そういう考え方は捨て去るべきでしょうね」
長谷部の説明を聞いた冬樹は、いまいち納得いかなそうな顔で長谷部を見ていた。
「じゃあ、長谷部君がこの仕事を始めた理由って何なの? 僕ばっかりしゃべらせないで、自分のことも話してくれよ」
「私ですか? そうですね……多くの人達に一戸建ての夢を叶えてあげたい……これが私のモチベーションです。私の実家が狭い都営住宅だったので、一戸建てに住んでる友達が羨ましかったんですよ」
長谷部はジョッキのビールを飲み干すと、「大将、おかわりください!」と耳をつんざくような大声で店主を呼びよせた。
「あいよっ」
店主が新しいジョッキをテーブルに置くと、長谷部はあっという間にジョッキの半分程度を飲み干した。そして、ジョッキをテーブルの上に置くと、真っ赤に染まった顔で睨みつけるように冬樹の目を見つめていた。
「曽我部さん!」
「な、何だよ」
「あなたは本当に、この仕事をしたいんですか?」
「したいとか、したくないとか、そんなことにこだわっていられないんだ。この歳になったら仕事なんて選べないんだよ」
「事情はわかります。ただ、もし『したくない』仕事なら、即行辞めた方が良いと思いますよ」
「バカ言うんじゃない。こんな不景気の時代に、路頭に迷えっていうのか? 基本給だけでももらえたら御の字なんだよ」
「そんなこと、僕が許しませんから。この仕事をするからには、ちゃんとプライドを持って取り組んでほしいんです!」
プライド……
冬樹はこの言葉が何よりも胸に突き刺さった。
少なくとも、今の仕事に対しては全く持っていなかった。
借金を返し、生活するためのお金が欲しかった。それ以外の理由なんてなかった。だから仕事が上手くいかなくても創意工夫しようとか、何が何でも契約を獲得するという気概が生まれてこなかった。
長谷部はまだ何か言い足りない様子で、ビールを飲み干すと再び口を開いた。
「私はね、『とりあえず』って言葉が大嫌いなんですよ!」
「……」
「曽我部さんが西田課長に怒られるのは当然ですよ。『とりあえず』からは何も生まれませんから」
「でもな、『とりあえず』生きていかなくちゃならないんだ。理想はわかるが、そんなきれいごとばかりでは……」
「曽我部さん、あなたには本気で、プライドをかけて何かをしたことはあるんですか? そういうものがないから、半端な考え方しかできないんじゃないですか?」
長谷部の挑発するかのような言葉を聞き、冬樹は我慢の限界を超えた。
激しい音を立てて両手をテーブルに叩きつけると、狭い店内の客は一斉に二人の方を振り向いた。
「俺はな、コーヒーが好きなんだ! 好きで好きでたまらなくて、コーヒーマイスターの資格を取って、安定した公務員の身分を捨ててカフェを開いたんだ!……お前なんかに言われなくても、命を懸けたい、プライドを賭けたいと思うものは持ってるんだ!」
冬樹は息を切らしながら、顔じゅうの皺を寄せて大声で叫んだ。
すると長谷部は突然穏やかな表情になり、「なあんだ」と言って何度も頷いていた。
「曽我部さんにもあったんですね、『とりあえず』じゃないものが」
「ま、まあな。でも、カフェが失敗しちゃったから、堂々と人前で言えなくてな」
「それは仕方ないですよ、飲食店の経営は一筋縄じゃいきませんから。それよりも、答えが出ているじゃないですか、曽我部さん」
「へ?」
「そんなにコーヒーが好きなら、カフェにもう一度挑んでみたらどうですか? せっかくプライドを賭けられるものがあるのに、もったいないですよ」
「お前……」
「曽我部さん。私、あなたが挑戦するなら、全力で支援しますよ」
長谷部の答えにあっけにとられた冬樹は、その場でしばらく呆然と立ち尽くしていた。
「とりあえず、焼き鳥でも食べましょうか。まだたくさん残っていますよ」
「あ、ああ。というか今、『とりあえず』って言わなかった? 嫌いな言葉のはずなのに」
「あ、聞こえちゃいましたか。まあ、こっちは『トリ』あえずってことで、一応セーフかと思いまして。アハハハ」
長谷部は焼き鳥を手にしながら、苦笑いを浮かべていた。
「そんなしょーもないギャグ言うなよ。折角カッコいいこと言ってたのに」
冬樹は笑いながら顔をしかめると、皿に残っていた焼き鳥を手に取り、思い切りかぶりついた。
(了)
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