回食のエルフ

IS

春の魔草の雷鳥あえ


「ん……」


 僅かに光の差す苔むした洞窟で、一人の女性が目を覚ました。童顔で、両耳が鋭く長い。エルフの特徴である。


「随分と……今回も……寝たな。ええと、どこにあったっけ」


 服を着替えながら、エルフはもそもそと近くを探り始める。やがて、岩の隙間に挟まれていた、1冊の古ぼけたノートを彼女は発見した。表紙には拙い古エルフ語で『食べるものリスト』と書かれている。


「ウォータードラゴン……火炎獅子……ツチノコ……うん、最後に食べたのがこれだ」


 彼女が開いたページには、複数の魔物の名前が列挙されている。そのうち、先頭から十何匹までは打ち消し線が書かれていた。打ち消し線の入っていない、最も先頭の魔物の名は、サンダーバードと言った。


「……決まりだね」


 涎を袖で拭い、エルフが言った。その眼付は、獰猛なハンターのような執念で燃えていた。




 ◇




「だからよ。1年に1回起きては俺を頼ってくるのをやめろよな」


 大柄な男が言った。たいらな鼻と、それに不相応な精強な瞳をしている。手に持つ武器はちゃんと見れば精密な歯車式で動く武具であったが、一見すると棍棒のようであった。彼のような種族をオークという。


「もうそんなに経つのか。相変わらず……時の流れは早いね」


「お前の体内時計がどうかしてんだよ、ババァ」


 オークの悪態を、エルフは笑って流した。


「そういう割に、いつも準備してくれてるじゃないか。口ではなんだかんだ言って、ちゃんと信頼してくれてるんだな。私は嬉しいよ」


「いや、お前を放っといたら世界がどうなるか分からんからだからな?」


 オークはわざとらしくため息をついた。


「……そんで、サンダーバードの話だが」


 彼が棍棒のパネルをがちゃがちゃと操作する。すると半透明の板が空中に現れ、大型の鳥の容姿が映し出された。投影の魔法である。


「電気を使うんだろ? 名前からして」


「そうだ。正確には雷の魔法な。周囲に雷のバリアを放ち、それを一瞬で槍のように放つ。攻防一体の強力な魔法だ。……これだけならいいんだが、厄介な点が別にある」


 更に操作盤を弄ると、鳥の横に二つの古オーク語が表示された。書かれているのはそれぞれ、『雷の魔法』、『消える魔法』であった。


「消える魔法……ってなんだっけ」


「まあ、忘れてるか……そりゃ忘れてるよな。消える魔法ってのは、唱えてから数秒間、文字通り世界からフワっといなくなる魔法だ。消えてる間自分も何もできないそうだが、代わりにその間何をされても無敵なんだ。剣を振るわれようと、魔法を唱えられようとな」


「文字通り消えるのか……便利な魔法だね」


 エルフが手をふりふりと動かした。自分が使っている妄想をしているようだった。


「サンダーバードの厄介な点は、普段は雷のバリアで身を守っていて、いざ攻撃を放ったら瞬時に消える魔法を使ってくるところだ。消える魔法が解けた頃には、また雷のバリアを展開してくる」


 オークが眉間を険しくして言った。


「厄介な敵だ」


 対して、エルフが笑った。


「……面白そうな子だね」




 ◇




 数刻後。二人は地上に足をついていなかった。エルフが唱えた浮遊の魔法で、空を飛んでいたのである。サンダーバードの住まいは高所にあったのだ。


「……思ったんだけどよ」


 オークが呟きはじめた。


「真正面から飛んでいかなくても、気付かれずに迫って、こう、バリアを張られないうちに倒すとか、そういう方法もあるんじゃねえか?」


 ぼやきを聞いて、エルフが苦笑した。


「気づかれずになんて、そんな破落戸ローグみたいなこと私には無理だよ。私はさ――」


 エルフの言葉を遮るように雷が発生した。既に二人は、相当な高度に来ている。サンダーバードが近い……二人は雑談を中断し、先を急いだ。




 進むにつれ、雷が酷くなった。轟音の中を進むこと数刻。その中心にそれはいた。全長5メートルを超える怪鳥であった。墨に浸したような漆黒の羽毛が、周囲を覆う雷の幕を仄かに反射している。雷鳥サンダーバード。それは人間の尺度で測れば上から三番目、災厄級に位置する凶悪な魔物であった。


『クケェェェェッ!』


 雷鳥の叫びが響き渡る。その声に慄き、オークがエルフの後ろに回り込もうとしたが、エルフは手ぶりでそれを制した。一瞬の後、その間を雷の尾が通過していった。サンダーバードが突進してきていたのだ。


「そのままじっとしてて」


 抗議するオークを横目に、エルフが手をかざす。するとそこから複数の魔法が雷鳥目掛けて発射された。氷の魔法。炎の魔法。ツチノコの砂弾の魔法。直線状に放たれるそれらの魔法を、サンダーバードは最低限の回避すらしない。雷のバリアが弾いているのだ。


「力押しは難しそうだな。なら……」


 エルフはサンダーバードから距離を取った。突進を余裕で回避できる距離、つまり雷の放射を誘っている。一般的に、魔物の思考はそこまで賢くない。状況によって、ほぼ最適解を取るのが定石である。よって、サンダーバードが雷のバリアを解いたのは必然的な流れだった。


「なっ……おい!」


 よって、オークの困惑はサンダーバードでなく、エルフに対してのものだった。エルフは防御姿勢を取らず、むしろ攻撃用の魔法を準備していた。連なる岩石の魔法。


「試してみよう」


 円状に召喚された岩石が、時計回りに次々と発射された。応答するように、サンダーバードのバリアが収束し、バチバチと音をたてながら球状になり……放たれた。反射的に首を右に傾げたエルフの、ちょうど反対側を雷の一閃が通り抜けていった。


「おい、無事か!?」


「大丈夫、掠っただけ」


 エルフの左耳が焼けただれていた。だが、彼女がさすると、何事もなかったかのように耳は元通りになっていた。回復の魔法を使ったのだ。一方で、岩石が放たれた先、サンダーバードの姿が消えている。


「やっぱり、槍を放った後は消える魔法で姿を晦ましたな。なあ、さっきの攻撃は必要だったのか?」


「うん。弱点が分かった」


 オークの問いに、間を置かずエルフが頷いた。彼女の視線の先には、宙に浮く岩石群があった。魔法で放たれた弾であったが、放った数と、今浮いている数が違っている。今浮いている岩とはすなわち、バリアで弾かれた岩と、消えている間に通過した岩の二種類だ……そうでない岩が存在する。


 それらの岩々を吹き飛ばしながら、サンダーバードが顕現した。既に雷のバリアを展開しており、一見隙はなさそうに見える。だが、半透明のバリアの合間に、黒い羽毛で覆われた腹部の中に1点、赤にまみれた箇所が存在した。先ほどまではなかった負傷の痕である。


「やっぱり……ね!」


 エルフが再び距離を取る。今度は、オークにもその意図が分かった。サンダーバードが槍を放ってから、消える魔法を唱えるまでに僅かな時間の隙があったのだ。事実、先ほどの岩石連撃のうち、丁度その間に放たれた岩のみが、サンダーバードに命中している。



「さっきのでタイミングは掴んだ。次は一撃でやる」


 エルフの掌に、色彩を失った光が集まる。破滅と貫きの魔法。サンダーバードの雷が槍の姿を取る。雷の槍の魔法。ほぼ同時に互いの魔法が放たれ――二つの光閃が交差した。オークの目線では、どちらも互いに命中したように思えた。


 数秒が経過する。サンダーバードの姿は今度は消えなかった。やがて飛行する意思も失ったように、黒い怪鳥は身を崩し、地上へと落下を始めた。その様子を、身体に穴を開けたエルフが見下ろし眺めていた。


「ふう……やっぱり、回復の魔法を先に思い出しておいてよかったな」


 サンダーバードとの戦いは終わった。




 ◇




 オークの棍棒には複数の機能が搭載されていた。先ほどは投射機になった。今度は、粉砕機だ。毛と骨を削ぎ落されたサンダーバードの肉が、今まさにすり潰されようとしていた。


「もったいねぇな。こんなでっけぇ肉、齧りついた方が美味ぇのに」


 オークのぼやきを、エルフは石に座りながら聞いていた。先ほどあけられた穴は既に塞がっていた。


「しょうがないでしょ。食べられない身体にされたんだから」


「ま、それもそうなんだがな」


 粉砕機の下には、大皿に盛られたサラダがあった。辺りで取れた魔草を携帯鍋で煮たものだ。こういう調理が、オークの役回りであった。


「そんじゃ、いくぞ」


 耳を劈くような轟音と共に、サンダーバード肉が潰されていく。人間が行うという、繊細な料理とは大違いだ。だが、豪快な音とは対照的に、肉片が辺りに散らばるようなことはなかった。棍棒粉砕機によって砕かれた肉は、そぼろよりも小さい、粉末のように魔草サラダに降りかかっていく。騒音と調理法さえ除けば、その様子は特殊なスパイスや調味料を振りかけているようにも見えただろう。


 サンダーバードとの戦闘時間よりも、さらに長い時間が経った。オークに肩を揺すられて、エルフが起きた。目をこすりながら、大皿のサラダを見る。


「できたぞ。春の魔草のサンダーバードあえ、完成だ」


 そこそこの量のサラダがあった筈の大皿が、なんとサンダーバード粉の山で満たされていた。それは極小の砂漠といっても差し支えなかった。流石の見た目に、エルフは目を細めた。


「いや、これ。和えてないよね。サンダーバードあえ、じゃないでしょ。なんでこうなったのさ」


「仕方ねえだろ。今までで一番巨大な魔物だったんだ。俺は料理のプロじゃねぇし、これ以外の方法を知らん」


「……まあ、作ってもらっておいて文句は言えないな」


 渋々と彼女は食べ始めた。魔物がどれほどの大きさだろうと、すべて食べきる必要があったのだ。数日に分けるとか、そういう思想を彼女は持てなかった。だから、サンダーバードの粉の山をかき込むように食べ続けた。サンダーバードとの戦闘時間と、その調理時間の中間くらいの時間が経った。途中休憩を挟みながらも、なんとかエルフは完食に成功した。


「調子はどうだ……?」


 オークが訪ねた。先ほどまでのぶっきらぼうな様子とは異なり、恭しい声色だった。エルフは何も答えず、手を宙へと翳した。瞬間。何本もの雷が降り注ぎ、辺りの荒野を焼いた。それは槍というより、最早矢の雨のようであった。


「……うん。思い出した。雷の魔法と消える魔法。どっちも主戦力だったと思う。取り戻せてよかった」


「他に、思い出したことは?」


「うーん……」


 エルフは集中した。すると、今までまるで思い出せなかった光景の一つが、すんなりと脳裏に浮かんだ。鷹の意匠が施された兜をした男が剣を突き立てている。自分の記憶なのだから、貫かれたのも自分なのだろう。直後……直後の記憶もある。傷口からたくさんの魔物が現れ、洪水や雪崩のように外へと逃げて行った。その中にサンダーバードの姿もあった。


「そっか……今のが、私が負けたときの瞬間」


 エルフが自分の腹部をさする。かつてそこは鷹の男ゆうしゃに突き立てられた場所であり、先ほど雷鳥の槍で貫かれた場所でもあった。


「私、だいぶ強さを取り戻してきたと思うけど、いま彼とやったら勝てるかな?」


「まだまだ、全盛期のアンタはそんなもんじゃねえよ。魔王様アーチフィンド


 オークは皿を片付けながら言った。


「アンタの中から出て行った魔物は256体。そんで、食べたのはせいぜい100がいいところだろ。半分以下だ、今のアンタは」


 かつて、魔王と呼ばれた女がいた。魔の軍勢と無数の魔法で世界の半分を支配した彼女だったが、勇者に敗れ、その魔法と記憶は魔物となって各地に霧散した。そして今、その抜け殻は人知れずそれらの魔物を食べ続け、かつての力を取り戻そうとしている。


(とはいえ、本気で魔王に戻りたいのかどうかは分かんねぇがな……)


 オークはエルフを見た。かつて、彼女は暴虐が意思を持つような存在だった。だが、今の彼女は天真爛漫な少女のようだとオークは思った。無邪気に力をつけ、無邪気に力を振るっている。意図的に人間に危害を加えようとはしていない。今のところは。


 彼は棍棒を握りしめた。複数の用途を持つ多機能棍棒マルチプル・クラブは戦闘でこそ本懐を達成する。一方で、今の彼は残虐な魔王軍の配下ではない。妻と子を持つ、一人のオークだった。人間との暮らしに迎合し、町の鍛冶屋としてそれなりにやってきている。


(この世界を守るためなら……こいつが危険な存在になるなら、俺が――)


 オークの視線に気づいたのか、エルフがにこやかな笑みを返した。先ほどまでと変わらない笑顔に見える。まだコントロールできる。今のうちなら。


 食事を終えた以上、彼女は再び眠りにつくだろう。そういう身体になったと初日に聞いた。あるいは、種族柄もともとはそういう性質だったのかもしれない。そしてそうなった彼女には手出しができない。絶対の防御の魔法が、睡眠中のエルフを守っている。


「またつぎもよろしくね。戦士長ウォーロード


 エルフが言った。その言葉に、オークはざわつきを覚えた。尽くすのか、諭すのか、それとも……その判断をするのは、幸か不幸か、やはり来年つぎの話であった。




【春の魔草の雷鳥あえ】完



 



 

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回食のエルフ IS @is926

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