第2話③「友達観が重すぎる?」

 僕らが飛び込んだ川は、前日来の大雨のせいで増水していた。

 もうかなりの勢いで、流れる泥のせいで濁っていて、オリンピックスイマーでも泳ぐなんて絶対無理という状況だった。

 ましてや運動神経とは縁遠いこの僕だ。

 偶然岸辺にちょうどいい感じの木が生えていて、必死で飛ばした『ねばねばの糸』が上手いこと絡みついてくれなければ、アイリスと一緒に流されて死んでいたと思う。


「ハアッ……、ハアッ……。アイリス、もう少しだからがんばってっ」


「し、死ぬうううぅ~……っ」 


 疲労困憊でぐったりとしたアイリスを支えながら、僕は岸辺に身を引き上げた。


 とはいえ、僕だって体力のある方じゃない。

 一歩、二歩と歩いたところで力尽き、アイリスともども岸辺に倒れ込んだ。


「うう……ひどい目に遭ったわ」


「ごめんね、僕のせいだ」


 僕がごろんと仰向けになると、アイリスも同じように隣で仰向けになった。

 今にもひと雨きそうな曇天に向かって、ブツブツ恨めしそうにボヤいている。


「ホントにそうよね。王国軍にはこれでもかってほど追われるし。かと思えば川に落ちて、荷物も下着もぐっしょりで、最低最悪の気分よ」


「ううううぅっ……?」


「な~んてね、ウソよ。冗談だからそんなヘコまないでよ」


 落ち込む僕に、アイリスは一転、明るく笑いかけてきた。

 僕の肩をデュクシデュクシと突っつくと。


「言ったでしょ。元々あんたは悪くないんだから堂々としてればいいの。襲って来るあいつらの方が悪いのよ。粘液使ったあの乗り物だって、どんだけぬるぬるしててもあたしが抱き着いてられればよかったわけだしさ。つまりは筋肉が足りないのよ筋肉が。ってことで筋トレしてムキムキになって、次こそは落とされないようにしてみせるわ」


 拍子抜けするほどにあっさりと、アイリスは自らの命の危機を水に流してくれた。

 それどころか、『次の機会』に向けてのトレーニングをするとまで約束してくれた。


 え、ホント? ホントにホント?

 ホントにそんなに簡単に許してくれるの?

 これがアメリカだったら本気で訴訟されるレベルの事件だったと思うんだけど?


「……ねえ、アイリスはどうしてそんなに優しいの? ここまでひどい目に遭わされたら、僕のこと恨みに思って当然だと思うんだけど……?」


 僕は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。

 だってそんなの、アイリス=天使じゃなければ到底成り立たない図式だ。


「別に大したことないわよ、冒険者だもの。街から離れ法の手の及ばないところで魔物や盗賊を相手にして、未知のダンジョンに潜って。命をかけるのなんて日常茶飯事の仕事だもの。これぐらいのことでいちいち恨みになんて思ったりしないわ」


 当のアイリスはあっさり答えたかと思うと……。


「それにさ、あたしたちってその……と、とと友達なわけでしょ?」


 ほんのりと、じんわりと、白皙はくせきの頬を赤く染めた。

 恥ずかしがっているのだろう、濡れたツインテールの毛先をせわしなくいじっている。


「友達って、病める時も健やかなる時も一緒にいて、富める時も貧しき時も傍にあって感動と苦労を分かち合うものなわけじゃない? だったらこの程度のことで怒ったりしちゃダメだと思うのよ」


「と、友達ってそこまでの存在だったかなあ……?」


 僕は首を傾げた。

 それじゃあまるで、家族とか夫婦へ向ける愛情みたいだ。


「うっ……ちょ、ちょっと重かった? 引いたっ?」 


 僕のリアクションを見て急に怖くなったのだろう、アイリスはうるうると目を潤ませた。

 唇を噛み、怯えたようなしぐさを見せた。


「ごめんねっ? あたし今までずっとひとりだったからっ、こういうの本気でわかんなくてっ。距離感とかまったく測れなくてっ、全力でガーっとやる以外の発想が出てこないのっ」


「いやいやいや、いいんだよいいんだよっ。だからそんな顔しないでっ。ちょ、ちょっとびっくりはしたけどさっ。基本的には僕も君と同じ境遇で、同じ考えだからっ」


 悲観のあまり死にそうな顔をするアイリスを、僕は慌ててフォローした。


「それにさ、そういう考え方ってすごくいいと思うよっ。お互いを大事に思うからこその発想だもんね、素敵だよっ」


 口先だけじゃなく、僕はホントにそう思っていた。

 アイリスのこれまでの人生がずっと灰色であったのと同じように、僕もまた色のない世界で生きてきたから。

 せっかく得た友達を失いたくないし、もっとずっと仲良くなりたい。

 そのためだったらなんでもできる、なんでもしてあげたい。

 僕らはやっぱり似てるんだ。


「ぼ、僕もアイリスを大事に思ってるっ。友達として大切にして、何かあったら守ろうと思ってるっ」


「そう? ホントにそう思ってくれてるっ? あたしと同じ? よかったああ~……」


 僕の共感を得られたことが嬉しかったのだろう、アイリスはホッと安堵の息を吐いている。


「うん……だけど嫌なこととか辛いことがあったら言ってね? そういうところを本気で指摘し合えるのもまた、友達の良さだと思うから。相手を大事にするあまり自分が犠牲になるのは本末転倒な気もするし」


「う、うんわかった。あたし……がんばるっ。友達だからこそがんばるわっ」


 こくこく激しくうなずいたアイリスは、「がんばるぞいっ」とばかりに可愛らしく拳を握った。


「まずは筋トレして振り落とされないようにして……っ」


「……ん? うんまあ、それもあるかもだけど……」


 あらゆる局面で肉体労働を求められる冒険者だ。

 職業『魔女』のアイリスにだって、筋トレは必要だろう。

 でも、先ほどの事件はそういう次元のものじゃなかった。


「さっきのは主にセ〇ウェイの仕様上の欠陥によるものだからさ、そこをまずは改善するべきだと思うんだ。てことで、こういうのはどうかな? さっきみたいな場合だと、『ねばねば』を糸状にしてアイリスに巻き付けてさ……」  


「ああなるほど、あたしたちが離れないようにキツく縛るのね? いいじゃないいいじゃない。そしたらもっと密着できるから、あの乗り物の速度ももっと上げられるわよね? 今後王国軍に……それこそ騎兵に追われても逃げられるかも?」


 僕らが興奮しながら作戦会議をしていると――


「誰かー! 誰か助けてくれー!」


 どこか遠くから、助けを求める声が聞こえて来た。


「……ヒロ! 今の!」


「うん! 誰かが助けを呼んでる!」


 僕らは目配せすると、声のした方角に向かって走り出した。

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