第21話 マリアの正体

 夕方に配給を受け取って食べて広場に戻すころには夜になっていた。元々フィールド型のダンジョンだから早くに帰れないと思っていたけど、まさか一泊することになるなんて。


 満里奈さんは無事だろうか。助けに行きたいが、オルガに目をつけられている状態で外に出ようとすれば僕は殺されるだろう。満里奈さん、無事でいてください。僕は清掃されて、必要最低限のものが置かれた部屋で日記をつけることにした。


 簡素なもので、今日の二人の話は見つかったときに見られたら困るから書かずに配給とオルガとの出会いを羽ペンとインクで書く。最初はコツが掴めなくてうまく書けなかったけど、書いているうちにさらさらと書けるようになった。


 日記を書き終えたとき、ドアがノックされる。誰だろう、こんな時間に。そう思って椅子から立ち上がりドアを開けると、そこにはリンゴの入ったバスケットを持ったオルガがいた。


「オルガ、どうしたの?」


「差し入れよ。魔女はあの量の配給で十分だけど、人間は燃費が悪いんでしょう? だから、これを食べてお腹を満たして」


「わあ、ちょうど小腹が空いてたから助かる……! ありがとう!」


 僕が喜ぶと、オルガはまた頬を赤くして僕の横を通って家の中に入り、テーブルの椅子に座った。そして僕が書いた日記を読む。


「マメなのね」


「こうして書いていれば、マリアを止める糸口になるかと思って」


「そう。……そういえば、名前を聞いてなかったわね」


 僕は理央、と答えかけて、マリアにすでに理央と名乗っていたことを思い出す。同じ名前で呼ばれればバレるのは必至だ。僕はとっさに妹の名前を使うことにする。


「里奈だよ」


「リナ、ね。覚えたわ。……私のこと、怖くないの?」


「どうして?」


 不思議に思って聞くと、オルガは顔を逸らした。また頬が赤い。どうしたんだろう。


 オルガはリンゴを投げてよこす。僕はびっくりしながらもキャッチして、リンゴをかじった。甘酸っぱくておいしい。森にあったリンゴかな?


 少しの間お互い無言でいると、オルガが僕を見上げる。金色の髪がさら、とマントを滑った。


「だって、私は魔女よ? 本来なら人間を攻撃しなきゃいけないし、長の命令で何人も殺してきたわ。そんな魔女が怖くないの?」


「それは、怖くないって言ったら嘘になるけど……。オルガは、助けてくれたよ。長に殺されないようにって匿ってくれた。人間を殺した罪は償えないんだろうけど、僕のことはまだ殺してないよ」


 オルガの目が見開かれる。そしてかすかに頷きながらバスケットの持ち手を握った。


「優しいのね、リナは」


「そんなことないよ。ここで襲いかかられたら、って思うくらいには怖い。でも僕に優しくしてくれたのまでは嘘じゃないと思うから」


「……リナは」


「長が帰ってきたわよー!」


 オルガが弾かれたように声がしたほうを向く。僕にも緊張が走った。いくら魔女の服に着替えて変装しているといっても、顔を見られたらおしまいだ。


「長が返ってきたからには一人残らず広場に集まらなきゃならない。……うかつに行動しないでよ」


「わかってる」


 僕たちは家を出て広場へ走っていった。そしてすでに大勢集まっている最後尾に立つ。そこには出会ったときとは目つきも魔力も桁違いのマリアがいて、みんなの顔を見上げる。


「帰ったよ。なにか異変はなかった?」


「いえ、なにも。今日も町は平和です」


「そう。もう一人人間がいたと思ったけど、座標を定めきれなくてどこに飛ばしたかわからないの。特別な力を持っていたようだから、さぞ上質な魔力が抽出できると思ったんだけど」


 その立ち振る舞いに僕は思わず震える。出会ったときの、弱々しい子供じゃない。魔女たちを統べる長として君臨しているのがよくわかる。先々週産まれたとは思えない威圧感だ。


「それは、おいたわしゅうございます」


「ご機嫌取りはいい。見つけたらうちに報告するように。いたぶって、遊んで、さっきの人間みたいに無惨に殺してやるんだから」


 さっきの、人間。満里奈さんのことか。僕はかっと頭に血が上るのを感じた。人ごみをかき分けようとして、その手首をオルガに捕まれる。


「やめなさい」


「でも……!」


「死にたいなら止めはしないけど」


 冷ややかな言葉に、僕は冷静になる。そうだ、殺されたということはダンジョンの入り口に戻ったということ。誰か助けを呼べる状態になっているということだ。今の満里奈さんにそんな気力があるかはわからないが、誰かが保護してくれているのを願うしかない。


 途中まで配信をしてたから、配信が止まったことを不思議がって美海ちゃんや尚也さんに連絡してくれている人もいるかもしれない。今は、まだ動くべきじゃない。


 僕が手を下げたのを見て、オルガは「いい子ね」と小さく呟く。マリアは周囲を見渡して、そしてオルガを見た。


「オルガ、うちの娘。こっちへきて」


「はい、お母様」


 オルガは僕の手をそっと離すと自然と開かれた道を通ってマリアの前に出た。オルガが、マリアの娘。そんなこと信じられない。だってオルガは……。


 そして、昼間のことを思い出す。誰もオルガの言うことに反対しない、道を譲る、オルガが言ったことに従ったようにマリアに僕の存在を知らせない。オルガがマリアの娘だとしたら、権力者として納得がいく。


 オルガがマリアの前に立ってひざまずくと、マリアはその頬を小さい両手でそっと触れた。


「今日も一日いい子でいた?」


「はい。何事もなく、一日平和でした」


「それはよかった。明日もあの小屋で人間が来ないか遊んでるけど、心配しないでね。お母さんはオルガのためだったらなんでもしちゃうんだから」


「ありがたき幸せです」


 マリアはオルガの返答に満足したように微笑むと、魔女たちに視線を向ける。


「みんなもオルガを見習って、人間を殺して殺して殺しつくすこと。今この森に二人人間がいるけど、心配いらないよ。【対魔力】を持っていてすぐにバレちゃったけど、必ず殺してみせるから」


 【対魔力】を持った人間二人……。美海ちゃんと尚也さんか! 助けにきてくれたんだ!


「この町はうち特製の結界が張ってあるから、見つけるのは無理だろうけどね。せいぜいさまよって飢え死にすればいいの。じゃあ、逃げられた人間を遊びながら追いかけるから。町の平和は頼んだよ」


「はっ!」


 魔女は左腕を肩まで持ち上げて拳を胸に当てる。僕も見よう見まねでやると、マリアは満足したように微笑んだ。


「報告はそれだけ。それじゃ、また明日の夜にね」


 そう言うと、マリアは一瞬で消えた。魔女たちの緊張が一気にほぐれ、それぞれの家に帰っていく。


 オルガも立ち上がった。右の拳を握って、わずかに震えている。怒っているの?


 広場に二人きりになったところで、オルガが振り返って僕に近寄ってくる。そして肩に頭を乗せてきた。どうしたんだろう。


「……今日、あなたの家に泊めてくれる? ……長の家に帰りたくない」


 僕は嫌とは言えなかった。僕を庇ってくれたオルガを突き放すなんて、できるわけがない。二人で家に帰ると、小さなベッドにとんがり帽子とマントを脱いで二人で寝た。僕は先に寝てしまったけど、頭を撫でる優しい手の感触を途切れる意識の中で感じていた。

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