トリあえず

etc

第1話

 小さな鳥の子どものトリは、森の外の世界に全く興味がありませんでした。

 トリはほかの子どもたちと大樹の飛び込み台に並びます。

 ここから空を飛ぶのです。


 しかし、トリは他の子どもたちと比べて体が小さく、茶色い羽毛も小さかったのです。

 すでに空を飛んだことがある子どもの一人が「今日は街に飛びに行こうぜ」と言いました。

 自慢気に語る他の子どもたちの言葉は、飛ぶのが怖いトリにとって苦痛でしかありませんでした。


「とりあえずやってみようよ!」


 そんな励ましの言葉も、トリの耳には届きません。

 大樹の飛び込み台から逃げて、いつもの森を散歩していると、トリは老鳥と出会いました。

 老鳥は朱の羽を持ち、大きく体格なのに痩せ細っているように見えます。


「助けて……助けてくれ……」


 苦しむ老鳥を見て、トリは放っておくことができませんでした。


「僕に何か出来ることはありますか?」


「ならば痛みが癒えるまで物語を聞かせてほしい」


 たしかに老鳥の体には傷こそ無いものの、彼はひどく痛そうな表情をしていました。

 しかし、空を飛んだことのないトリは、森のこと以外は何も知りません。


「ごめんなさい、何も知らないんだ。他に話せる人を連れてくるよ」


 落ち込んで踵を返そうとするトリに、老鳥は優しく微笑みました。


「お待ちなさい。ならば私の話を聞いておくれ」


「あなたを話をですか?」


「ああ、世界を旅した私・カドの話さ」


 トリはなぜ老鳥のカドが痛みを抱えながら話をしようと思うのか分かりませんでした。

 でも、大仰な彼の口ぶりに、黙って話を聞くことにします。

 カドを介抱しながら、森の外で起こる様々な出来事を聞きました。


 ――たとえばそれはショッキングな事件でした。

 ――湖に足だけを出した遺体が見つかるというミステリーであったり。


 ――たとえばそれは不思議な力を持った恋する少女でした。

 ――理科室で転んだ拍子にタイムリープできるようになった女子高生が居たり。


 ――たとえばそれは異世界に転移した少年の笑い話でした。

 ――選ばれし者の特別な才能として女神本人を連れて行ってしまったり。


 森の外にはトリが想像もつかないあらゆる物語が待っているようでした。

 カドの言葉に耳を傾け、目を輝かせます。

 そしてカドの言葉が尽きる頃、トリは森の外に興味を持ち始めていました。


「……あなたが初めて空を飛ぼうと思ったのは、どういう時だったのですか?」


 トリの質問に、カドは老いた自分を忘れたように静かに答えました。


「それは……、とりあえずだった」


「え?」


 耳を疑いました。

 しかし、案外そういうものなのかもしれません。

 森の子どもたちも、『とりあえず』と言っていたのを思い出します。


「森の外をひと目みてみたいのだろう?」


 老鳥の言葉は的を射ており、トリは静かに頷きました。

 それだけでなく、トリにはある想いがあったのです。


「はい。僕も森の外を知って、早くあなたに物語を聞いて貰いたいです」


「そうすると良い。私はここで待っているから」


 トリは決心し、大樹の飛び込み台へ上りました。

 あの時は落ちても怪我しないように落ち葉が敷き詰められていましたが、今は違います。

 足がすくんで、風切羽が冷えていましたが、勇気を振り絞ります。


「ええい、とりあえず、だ!」


 老鳥を元気付かせるような物語を求めて、トリは初めて空に飛びました。

 しかし、地面が近づいてきます。

 一生懸命に羽ばたいても体が浮くことはありません。


 ……ぶつかる!


 その時でした。

 トリの茶色い羽が風を捕まえ、体が浮き上がります。

 木々の間を抜け、あっという間に空を飛んでいたのです。


「わあ!」


 地面が遠くなります。

 見慣れた森は、小さな林にしか過ぎませんでした。

 遠くには、広い海や大きな街が広がっていました。


「これが、空なんだ……!」


 その瞬間、トリは全てを理解しました。

 他の子どもたちが森の外へ飛びたかった理由は、たくさんのまだ見ぬ景色を見ることが楽しいからだったのです。


「そうだ。彼にこの気持ちを聞いてもらおう」


 カドにこの体験を話そうと森に戻ってきたトリでしたが、老鳥の姿はどこにもありませんでした。

 残っていたのは、灰だけでした。


「カド!」


 悲しみに暮れながら、トリはこれまでの自分の体験を語り始めました。

 飛べない鳥が森の外の物語を知り、空の広さを知ったお話です。

 すると、灰の中から埋火が吹き上がり、炎を纏った美しい鳥が現れました。


「素敵な物語をありがとう。おかげで傷が癒えたぞ」


 美しい鳥は、トリに感謝の言葉を述べました。

 トリは首をかしげます。


「私だ。カドだよ」


 なんと、この美しい火の鳥こそが、傷付いた老鳥だったのです。


「すごいよ、カド!」


 トリは美しい鳳凰の姿になったカドを賞賛しました。

 そしていつか自分もこうなりたいと思うのです。

 火の鳥になったカドは羽ばたくとつむじ風が出来、トリも羽を広げるだけで空に浮き上がりました。


「トリ! 私は海へ向かおうと思う。トリはどうする?」


「僕は……、街へ行こうと思うんだ」


 トリの言葉に、火の鳥は金色の目を輝かせました。


「ほう。それはどうして?」


「とりあえずです」


 カドは笑いました。

 いつかどこかでまた会えると信じて、カドとトリは別々の方角へ飛び立ちました。

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