第27話「黒熊侯爵領の将軍、主君を見限る」
──数時間前、
「ゼネルスさま!
将軍カナールは、
カナールは床に
戦場から、大急ぎで馬を走らせてきたからだ。
「敵は大軍です。兵士たちが苦戦しております!」
主君に一礼しながら、カナールは声をあげる。
「ゼネルスさま! どうかご
「…………」
「ゼネルスさま!?」
「うるさい!! どうして私がそんなことに関わらねばならぬ!?」
器がカナール将軍の肩に当たり、カーペットに
「魔物の討伐は
「なにをおっしゃるのですか!? ゼネルスさま!!」
顔にかかったワインを
2度目までは使者を立てた。
だが、黒熊候は部屋にこもったまま、使者に会うのを拒否した。
だから将軍であるカナールがここまで来たのだ。魔物との戦いを、部下に任せて。
なのに、ゼネルスはカナールの方を見ようともしない。
壁にかかった歴代
状況は伝わっているはずだ。
南の山岳地帯に魔物の大軍が出現している。兵士たちは押されている、と。
兵士たちが苦戦するのも無理はない。
これまで黒熊領の兵士が戦ってきたのは、弱い魔物ばかりだった。
その理由はわからない。
黒熊候にたずねても、彼はただ笑うだけ。
だが、黒熊領の兵士たちは、大型の魔物との戦闘経験が足りない。
そのせいで苦戦している。
さらに、兵士たちの士気も下がっている。このままでは戦線が
そうなれば魔物の大軍は、一気に町へとなだれこむだろう。
今は、兵士たちの士気を上げるのが最優先だ。
そのためには黒熊候ゼネルスが戦場に出向き、兵士たちを
「兵士たちは
「
「ゼネルスさま!?」
「悪いのは
「良い悪いの話ではありません!!
「私は悪くないと言っている!!」
ゼネルスは目をつり上げ、両手で机を
「山岳地帯の魔物を
「ですから兵士たちの士気を。魔物と戦うために──」
「悪いのは仕事を放棄した
「ならば、灰狼領に使者を送られよ!」
カナールは
「ゼネルスさまの名前で、
「できぬとわかっていて言うか! 貴様は!!」
「ならば!!」
カナールは主君を
強い眼光に押されたように、ゼネルスがのけぞる。
カナールは
「対等の立場で、灰狼に
「悪いのは灰狼だ。なぜ私が奴らを対等にあつかわねばならぬ!!」
「ならば王都に救援を
限界だった。
主君への
「こうなった事情を説明し、兵を借りるのです。場合によっては『
「貴様はなにもわかっていない!!」
「なにがですか!?」
「灰狼に助けを求めろだと!? そんなことをしたら、他の侯爵家のいい笑いものだ。灰狼に
ひきつった声で、ゼネルスは
「まして王都に助けを求めるなどありえぬ!! 黒熊候は、灰狼の管理を任されているのだ!! 灰狼が勝手なことをして状況が変化したとなれば……私が管理責任を問われることになるだろうが!! 貴様は私に
「いい加減にしてください!!」
カナールは思わず立ち上がり、
「兵士たちは今も戦っているのですよ!! 彼らが
「
ゼネルスは
そのままカナールに向かって歩き出し──振り下ろしかけた手を、止める。
カナールが、これから前線に戻ることを思い出したのだろう。
将軍であるカナールが傷つけば、兵の指揮を取るものがいなくなる。
それがわかったのだろう。
怒りの行き場をなくしたゼネルスは、椅子を
「無礼を罰するのは後回しだ。前線に戻れ! 魔物をすべて討伐するまで、目通りは許さぬ!!」
「どうしても、他領に支援を求めることはできぬと……?」
「くどい!!」
「…………
カナールは頭を下げたまま、答えた。
(──この人は、駄目だ)
カナールにとってゼネルスは、尊敬できる主君だった。
部下の失敗にも
黒熊領は豊かな土地だ。
海は──季節によっては荒れるが、豊かな実りをもたらしてくれる。
領地には広い平野があり、農作物の
そんな領地を治めるゼネルスは、
(……それが、たったひとつの手違いで、こうなってしまうのか)
黒熊候領が豊かだったのは、魔物が少なかったからだ。
その理由は──ゼネルスがひたすらに
カナールは、ゼネルスと共に灰狼領に行った兵士から話を聞いた。
灰狼領に巨大な防壁が作られたことも、『
魔物たちにも知恵はある。守りの堅くなった灰狼領を避けるのは当然だ。
魔物が黒熊領に現れるようになったのは、そのためだろう。
状況はすでに変化している。
ならばゼネルスは、新たな対策を立てるべきだったのだ。
民に呼びかけて兵を増やし、南の山岳地帯に
簡単な
それらがあれば、魔物を足止めすることができただろう。
魔物との戦いも、楽になったはずだ。
なのに、ゼネルスはなにもしなかった。
カナールや、他の将軍たちの進言さえも無視しつづけた。
それが今日の事態を招いたのだ。
(あの方は、過去のやり方を繰り返すことしか知らない。状況が少し変わっただけで、手も足も出なくなっている。我が主君とは……こんな人だったのか)
侯爵は責任を取らない。状況が変わっても動かない。
そして、配下はそんな侯爵に慣れてしまっている。
事実、カナール以外の将軍は報告に来ていない。
現状報告をして、ゼネルスの
そんな組織が、よくも今まで続いてきたものだと思う。
「ひとつだけ教えてください。ゼネルスさま」
主君への
「ゼネルスさまは、これからどうされるおつもりなのですか」
「貴様の知ったことか!」
「さようでございますか」
「命令だ。持ち場に戻り、魔物を
「承知いたしました。ゼネルス候」
一礼して、カナール将軍は退出した。
彼が主君に言わなかったことがある。
それは、
おそらくレイソンは、王家に状況を説明するつもりなのだろう。
黒熊候ゼネルスが変な報告をする前に、正しい情報を伝えようとしているのだ。
灰狼候レイソンがみずから使者となり、王都に向かうこと。それは灰狼に、王家への敵対の意図がないことを意味している。
「……ゼネルス候がレイソン候に
ゼネルスにレイソンのことを伝えなかったのは、カナールの判断だ。
事態を悪化させないためだった。
ゼネルスがレイソンのことを知ったら、間違いなく兵を差し向けるだろう。
そして灰狼候レイソンを捕らえ、アリシア=グレイウルフに告げるのだ。『父の命が
「そのようなこと、不可能なのだがな」
カナールは兵から報告を受けている。
レイソンの馬車は、魔法の防壁に守られている、と。
黒熊領の兵士たちは事情を聞くためにレイソンの馬車に近づいた。
だが、弾き飛ばされた。
馬車の周囲には、魔法の防壁があったのだ。
「──ぶれいものー」
「──ぶきをすてろー」
「──王さまの友だちに近づくなー」
馬車からは、そんな声が
レイソンの声ではなかった。
おそらくは、強力な魔術師が同乗しているのだろう。
やがて馬車が停まり、灰狼候レイソンが姿を見せた。
彼はおだやかな表情で言ったのだ。『
黒熊領の者に、それを止める権利はない。
王都に献上品を届けるのは、
──王都や他の4侯爵は灰狼を
──彼らが自主的に灰狼領に留まっているだけ。
それが、王家と4侯爵の
誰だって自分が加害者だとは思いたくない。
だから灰狼にマジックアイテムを仕掛けて、放置してきたのだ。
灰狼を
王家も、4侯爵も、その状態が永久に続くと思っていた。
だが、すでに灰狼の封印は解かれてしまった。
その事実にカナール将軍は青ざめる。
黒熊領の者に、灰狼候を止める理由はない。
彼はこのまま王都に向かい、自分たちが解放されたことを報告するだろう。
それだけではない。王都には4領主の領事館もある。
レイソンが彼らを訪ねて、協力関係を申し出たらどうなる?
灰狼領の者は、初代大王のマジックアイテムをあつかうことができる。
彼らを味方にした侯爵家は、他侯爵家をしのぐ力を持つことになる。
おそらく、4侯爵の序列は大きく変わるだろう。
黒熊候は
歴代の黒熊候が灰狼にしてきたことを思えば当然だろう。
それゆえに、これから黒熊領の力は大きく
そんな未来が、はっきりと見えてしまっているのだ。
(……われわれは、なんとおろかなことを)
黒熊領が灰狼領に対して優位に立っていたのは、初代大王のマジックアイテムがあったからだ。黒熊候はそれをあやつる力を、王家から託されていた。
だから灰狼を見下し、魔物を押しつけてきた。
そして、その優位性が崩れたとき、最悪の状況におちいった。
それを解決する方法はない。
できるのはただ、
「……許しを請う……それしかないか」
カナール将軍は心を決めた。
灰狼候レイソンに会う。これまでのことを謝罪し、助けを求めるのだ。
レイソンは黒熊領の街道を進んでいる。
彼に一筆書いてもらい、それを灰狼まで運べば、兵を出してもらえるかもしれない。
借りるのは『
それだけで魔物との戦いは楽になる。黒熊領の民を救える。
もちろん、黒熊候ゼネルスの怒りを買うだろう。
だが、領内が魔物に踏み荒らされるよりはいい。
自分ひとりが
「馬を引け! 将軍カナールは街道に向かい、灰狼候に面会を願い出る!」
そうしてカナール将軍は、海沿いの街道へと馬を走らせるのだった。
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次回、第28話は、明日の夕方くらいに更新します。
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