第28話 クスリ

Sideアレックス



「リンダ、マーカス教官を知らないか?」



「さぁ?」



「……教官や特殊科の生徒が殆どいない。……何かおかしいんだ」


「そう? 授業前だし……もう少し待ってみたら?」



 リンダはそういうが何かが起きているのは確か。士官学校内の雰囲気がピリついている。

 

「もしかして……」

「心当たりがあるの?」



「課外授業で使う施設はどうかな。少し遠い貴族街の中だけど」


「そんな場所が……案内してくれるかな。急いで訊き出さなきゃいけないことがあるんだ」



「ええ、いいわ。付いてきて」



 彼女は隠ぺいのスキルを使っているのか、フードを被っていることもあって見失いそうになる。分かりやすく表道を選んでくれるのはいいが、軍服の私の存在は少し目立つようだ。



 彼女は街内に引いている河川を指した。

 橋の横から石の階段を降りて護岸沿いに歩くと、川の水は初夏らしく苔で覆われ、淀んだ箇所は腐った臭いがしていた。


 そのまま川を追うと地下に入る。

 しばらく進むと下水と合流しているのか、鼻が曲がりそうな地下広間にでた。


「本当にこんなところに?」

「ええ」


 滝のように流れる源流の横を潜ると石と石の隙間に小さな鉄扉がみえた。



「私よ、リンダ。教官はいる?」



 私には聞こえないがリンダは頷くと笑顔になった。



「中にいるみたい」



 ギギギィィィと鉄扉が軋みながら開く。



「ようこそ、統合本部へ。二人とも歓迎する。大佐は奥だ」


 現れたのは見たことのない三十代の軍人だった。

 帯剣はしていないが鋭い視線を私に送ってくる。



 彼の後に付いていく。解呪のサークル魔法陣を通り、明るい地下通路へ出た。

 両側に部屋らしきものが並び、何人もの特殊兵士たちが雑談をしたり食事をとっている。

 


「よく来たなアレックス」



 最奥の扉をくぐりぬけた先に、広い軍机が置かれ、両脇に並ぶ椅子の一つに知っている顔がそこに待ち構えていた。



「マ、マーカス教官! 探しました」


「リンダもご苦労。下がってよい」

「はっ」


「リンダ?」


 敬礼した彼女は私を見ずに部屋を出ていく。

 リンダは私を誘導した? ここはただの校外施設じゃない。



「……」

「アレックス、そう怖い顔をするな。きちんと納得いくまで話し合おうじゃないか」



「あの不良のアジトは……なぜ軍が?」



 マーカス教官は変わりなく、人好きのする笑顔に熾烈な意思を湛えた瞳を向けてくる。



「ん? あそこか? 海軍に先を越されてね。まぁ、一か所ぐらいどうということはない」



「教官、そうではなくジルさんが―――」

「ああ、彼女か。どうなったかは知らん。それより君だ」



「私?」


 短髪の黒髪をかき上げ、日に焼けた精悍な顔は笑顔だ。




「知っているか? 君は重大な容疑が掛かっている。国家反逆罪のな」


「私が?!」



「一週間ほど前に王宮内で近衛兵が王を襲うという重大事件があってな。奇跡的に未遂に終わったのだが……」


 悪い予感。これはきっと、そう、裏切りの予感。



「その近衛兵はあるクスリの影響下にあったのだ。それがこれだ」



 彼は懐からクスリを一粒取り出し、私に投げた。



「近衛兵から辿り、このクスリを販売している薬師を拘束した。後は言わずともよかろう」



「只の鎮痛剤です! ちゃんと調べればわかることです!」


「残念だが、このクスリは鎮痛作用だけでなく、ある条件下では一種の恍惚状態を作れる恐ろしいものだと判明している。痛みを感じず凶暴化する狂気のクスリなんだよ」

 

 モルヒネだから恍惚になる。だが凶暴化など嘘だ。……一体何が目的なんだ。


「仮にマーカス教官の言われる通りだとしましょう。ですが私とその近衛兵の罪は全く別のものです。私は痛み止めとして作っただけなんです!」



 彼は目を瞑ると首を横に振った。


「私は君を信じたいんだ。だからこそ問うが……調合者に罪はないと?」



 ―――罪はある。だが反乱など言いがかり。この人もグルなのか?



「気持ちはわかるよアレックス。……寝耳に水だろう。でも私なら君を助けてやることはできる」



 引いた腰に逞しい腕を回され、ぐいっと顎を掴まれる。

 口が近づく。……や、やめて……。



「閣下! 出発しました!」

「ちっ!」



 部屋に喜色の兵士が駆け込んできた。



「総員に伝えろ! これより作戦を開始する。準備を怠るなよ」

「はっ!」



 兵士は出ていくとマーカス教官は中央の椅子に腰を下ろした。



「で、どうするかね?」


「おっしゃる意味が……わかりません」



「私なら助けてやれる、といっているのだ」


 

 混乱している。縋る糸が目の前に垂れてくる。

 助けるも何も私は何もしていない……だろ?



「きょ、教官、しかし……」



「身の潔白を証明するのだ。このクスリは君の作ったものではないと」


  多少ハイになるが強くない、ただの鎮痛薬。



「もし君が完璧なモノを作れればこの中途半端なクスリは未熟な者の手によるものと、強く出れるんだがな」



「鎮痛作用が短いのは副作用を抑えているためです。強く作ると危険です」

「強く作れ、と言っているんではない。完璧に”眠くなる”ように作ってくれればいい。これをみろ」


 投げられた青色のクスリを解析すると睡眠薬と似た分子構造だった。


「これは私が作ったものだが完成にはほど遠い。あの兵士も痛みを和らげ、ぐっすりと深く寝ていれば……あんな事件は起らなかった」


「……鎮痛作用と睡眠効果を合わせればいいのですか?」


「そうだ、安全で完璧なクスリは君にしか作れない。近衛兵が飲んだモノは紛い物として処理できる。君はそれこそ無関係だ」



「私だけのクスリ……」



「そうだよ、簡単なことだ。君もそれしか作ったことがない、と言えばいい。どうかね?」



 首の後ろが痛い。彼の言う通り、私はジャンキー。神の御手を持つ最高の調薬師だ。



「や、やらせてく、ください!」


 

 すべての思考か止まり、裏切りは霧散する。

 ジル、ティナ姉さん、ジュリー、みんな……私はクスリのために生まれたんだよ。



 私は彼の甘言とその甘い顔、迫る手淫にあっさり堕ちた。







◇◇◇




Sideティナ


「と、止まりなさい!」



 我に返ると羽交い絞めにされていた。



「早く、早く公爵様にお取次ぎをお願いします! ブライ伯爵家の使いの者です!」

「お嬢さん、落ち着いてくれ。もう伝令は向かった。……いいな、放すが暴れるなよ?」



「は、はい。すみません、急がないと……」



 覚えていないが、公爵様の屋敷に門番さんを無視して突入したらしい。

 静止されるとイライラが募り、門前を何度もいったりきたり。


「お嬢さん。許可が出た。あ、ちょっと待ちなさい!」



 いち使用人が最高位貴族に謁見するだけでも異例。

 それでも抑えきれず、庭を駆けだす。

 

 下手をするとアダム様にもご迷惑が掛かるぐらいの無礼な振る舞い。でもダメ。絶対に伝えないとダメ。


 両脇からメイドさんに腕を組まれ、そのまま客間に案内された。

 

 すぐに公爵様ではなくお年を召したご婦人が入ってきた。



「ブライ伯爵のメイドが慌ててどうしたの?」

「あっ、あの! 公爵様は?」



「ふふふ。お互い自己紹介がまだでしたね。私はマックス・スレーターの妻、エレナよ。あなたはどなた?」



 白く美しい髪を結い、凛とした佇まい。

 私は慌ててお辞儀をしてブライ家の使用人であることと、辛うじて名前を伝えられた。



「あなたがティナね? 生憎、主人は王宮に詰めています。なにやら慌てた様子ですし、私でよければ話を聞かせてもらえる? どうぞお座りなさい」


 勧められるままソファに着くと、あまりの座り心地に目測を誤り後ろに倒れそうになった。

 

「お、奥様、無礼を承知で参りました! ひっく。私みたいな者にこのような場を設けてくださり、か、感謝いたします! うう」


 どんな顔で挨拶したのだろう。奥様は微笑んだまま、ハンカチを渡してくれた。



「あらまあ、ずっと泣いているの? お茶でも飲んで気を休めて」



 このお方はスレーター公爵様のご夫人、今更私の無礼が怖くなった。



「ジルちゃんのこと?」

「ジル……ちゃん?」



「うふふ。そうよ。私の娘も孫もジルちゃんに首ったけなのよ。もちろん私の夫も」

「は、はぁ」



「それでね、一度彼女とお話をさせてもらったのよ! 二人っきりでね」



 ジル様はいい意味で……いえ、悪い意味で遠慮がない。


「そんなに青い顔をしなくても平気よ。あなたと一緒で最低限の礼節は……なかったわね。うふふふふ!」



 エレナ様はジル様の非常識ぶりに最初は目を丸くしたそうだ。

 ただ話をしていくと気持ちのいいくらい後先考えない……さっぱりとした、と言い換えていたが、その漢っぷりが気に入ったそうだ。


 なにより裏表のない、いえ、裏表を作れない短慮な性格が愉快で、半日も話し込んでしまったため、夕食まで共に……一体あの人は学校をさぼって何をしているのでしょうか。



「それだけじゃないの。三日後くらいだったかしら。騎士団長のクリスと彼女が家に遊びに来たのよ。それも大きな軍馬を連れて! 私が馬に乗りたい、と言ったことを覚えてくれていたみたいで……もうその日はお尻を痛めたけど最高の一日だったわ!」



 ジル様らしい。それが町娘だったとしても同じことをしただろう。

 やっぱりジル様は最高の御主人様だ。


「ごめんなさい、私ひとりで盛り上がってしまって。ティナの心配ごとは彼女が軍に捕まったことでなくて?」

「は、はい! どうしてそれを?」



「それなら心配ないわ。私の夫に任せておけばいい。少し時間は掛ると思いますが……ちゃんと彼女はあなたのもとに帰ってきます」



 彼女の言葉はなぜか信じられた。私は力が抜け、危うくまた後ろに倒れそうだった。


 たった一言、本当に私の心を落ち着かせてくれる。

 それだけじゃない。ジル様には彼女のような味方がたくさんいる!

 

 その後も具体的な話を聞き、聞かれ、共有をいくつかした。

 弟の話題を出したときは一瞬空気が変わったが、彼との連絡や貴族学院との調整も問題なくスレーター家の方がすべてやってくれるそうだ。



「それでね、ティナ」


「はい、なんでしょうか」



「ジルちゃんに頼まれごとを受けているの」


「ジル様から?」



 エレナ様が指を鳴らすと二人のメイドが入ってきた。


「彼女たちはうちの養女にしてメイド。双子のライラとレイラよ」



 薄桃色の髪と濃桃色の髪を綺麗に束ねた立ち姿の美しいメイドさんが頭を同時に下げた。

 ただ異様なのは、一人は右目に茶革の眼帯を、もう一人は左目に黒革の眼帯をしている。



「「お呼びでございますか奥様」」



 二人同時に少し冷たい感じの声だったが、所作も別格で整っており、かえって優しさを感じてしまう。



「彼女がジルちゃんのお付きメイドのティナよ」



「「はじめまして、ティナさん」」


「こ、こちらこそ、はじめまして、ライラさん、レイラさん」




 彼女たちを呼んだのはなぜだろう。ジル様に頼まれた、って言っていたけど……。



「どうライラ。何が見える?」



 茶革の眼帯はいつの間にか外れており、見開いた赤い右眼は私を視ていた。



「残念ですが、これ以上何かを身に付けることは難しいかもしれません。……戦闘能力も期待薄です。ですがここまで弱小の場合、何かしらを秘めている可能性はあるかもしれません」


「ギフトは登攀。激レアですが……非常に限定的で使い勝手はよくありません。……枠はあといくつか空いていますが……彼女の努力次第です」



 レイラさんの黒革の眼帯も赤眼に替わっていた。

 彼女たちは私を正確に見抜いている。



 その二人が私に下した評価は散々だ。ずっと昔から変わっていない。

 いつもジル様の足を引っ張っている。



「ジルちゃんはね。ティナの可能性に賭けているの」

「わ、私のですか?」



「ええ、彼女が生きているのはティナさんのお陰だと。いつもあなたへの感謝を口にしているわ。だからこそあなたに成長の場を作ってやれなかったことを彼女は後悔している。……きっと人に頼むのに慣れていないのね、物凄く緊張しながら言ったのよ」


 ジル様が私に感謝を? そんな……愚鈍な私をいつも傍に置いてくれて……感謝してもしきれないのに。



「『もし自分に何かあったらティナの面倒を見て欲しい』っていわれているわ。それに『ティナに学ぶ気があったら最高の人材を彼女に付けて欲しい。彼女が自立して生きていけるように』っていっていてね、頼まれごとってこの二つよ」



「う、うううジル様……うわわわわわん!」


「よしよし、泣かないの。ジルちゃんが心配するわよ」


 私はジル様のことをなんでも知っていると思っていた。でも違っていた。

 私のことをこんなにも考えてくれていたなんて……。



「うっ、うっ、ひっ、うっ。お、奥様、私、やります、ジル様のお役にもっと立ちたいんです、自立するためじゃなく、彼女の役にたつために、なんでもしますっ! うひっ、ひっく」


「うふふふ。そうこなくっちゃ! ボルドの麒麟児にはあなたのような人が必要よ。彼女が帰ってくるまでうちで面倒をみるわ。ライラ、レイラ、さっそくこの子をデキる女子に仕上げなさい!」



「「はい、奥様」」



「覚悟はいい? ティナ・・・

「は、はい!」



 エレナ様が手を振る。




 私は襟首を双子に掴まれて引き摺られながらその場を後にした。

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