お姉さんとのホワイトデー

氷川 晴名

お姉さんとのホワイトデー

 10時をまわったころ。

 東を向いた窓から白い静かな光が照らす板場で、僕はひとりスイーツを作っている。

 今日は3月14日。一ヶ月前のバレンタインデーでお菓子をもらった人だけが頭を抱えないといけない日。

 そういうわで、アルバイト先の料亭でバレンタインのお返しを考えてるわけなんだけど……。

 と——

 厨房の扉を開く重い音がして、

「ん、おまえ、何やってんの?」

 ことん、ことん、と、足音を立てながら、仲居頭の晴香はるかさんが入ってきた。

 小豆色の茶衣着に、紅色の袴の仲居姿で、目がツンとつり上がり気味の、整った顔のお姉さん。

「あ、えっと、私用でスイーツを……」

 晴香さんは僕の手元を見ると、眉をひそめて訊いた。

「スイーツ?」

「大将には許可とってて……、練習がてらホワイトデーのって」

「ホワイトデー? おまえ、渡す人いんの?」

「一応……。あ、タイムカードは押してます!」

「押してなかったら、かかと落としだよ」

「……下駄でならあんまり痛くなさそう」

「痛いと思うよ。やろうか?」

「え、ヤだ……」

 晴香さんは一体何に納得したのか、ふーんと頷きながら換気扇の下にパイプ椅子を広げて、座った。

「タバコいいか?」

「そもそも板場って吸っていいの……?」

「オーナーが吸ってるからいいんだよ。文句はオーナーに言え」

 僕に訊いたはずなのに許可を得ることなく、ぼしゅっ、と音がして、目線を落としタバコを吸った。

 晴香さんは、ふーっと、息を吐くと、

「板場がまだ電気点いてたから何かと思った」

「あはは……。びっくりするよね。あ! まかないは冷蔵庫のタッパーを適当にあっためてって加賀山かがやまさんが」

「はいよ」

 灰皿代わりの古い缶の上で、親指でフィルターをとんとんと、はじいた。

「加賀山は?」

「朝食終わって中抜けです」

「ふーん」

 もう一度、タバコを加える。

「晴香さん、今日は?」

「6時入り。んで、朝食配膳して今1時間休憩」

「じゃあ、15時まで?」

「順調に終わればな」


 晴香さんは板場の窓から身を乗り出して、人差し指と中指でタバコを挟み、紫煙をくゆらせている。

 左の泣きぼくろが特徴の、僕より10歳くらい年上の人。

 朝と昼の中間、暑くも寒くもない風が晴香さんの髪を揺らし、心地よさそうに目を細めた。

 僕は、使い終わった銀ボウルや角バットたちを流し台の上に置いて、スイーツの盛り付けに取りかかっている。

 晴香さんの一服のジャマをしないように、そーっと蛇口をひねって、洗い物を水に浸す。

「ん、そういや、おまえ高校は? 今日平日だろ」

 晴香さんは首の向きだけを買えて僕の方を見ると、

「春休みです」

「ああ、そうか。バカだったわ」

 また、視線を窓の外に戻し、煙をのぼらせた。


 ——最後にミントをのっけて、と。

「できた!」

「お」

 完成した料理に興味を示したのか、晴香さんは、今度は体ごと僕の方を向いて、窓に肘をかけた。

「あ、あの……、晴香さん……?」

 僕がプレートを持って晴香さんの方に近づいていくと、それを一瞥したあとに、じとっと、僕の顔を見た。

「なんだよ」

「じ、実はこれ、晴香さんに……」

「は?」

 晴香さんは鳩が豆鉄砲を食ったように、素っ頓狂な声をあげた。

「なんでだよ。ホワイトデーって言っただろ。あたし何かあげたか?」

「え、うん。ミスタードーナツをもらったよ」

「いや、あれはシフト入ってる社員全員に1個ずつ買ってったやつだろ……」

「じゃあ、いらない……?」

 僕がわざとらしく見上げるようにのぞき込むと、晴香さんは少し目をそらして、

「……いる」

 と言った。


「どうかな?」

 パイプ椅子に座った晴香さんの前に、ナイフとフォーク、スプーン、そして、プレートを置く。

 ホテルのデザートを意識して作ったスイーツ。

 ホワイトデー定番のチョコは使わず、イチゴとバニラアイス、クッキーを一枚のお皿に盛り付けた特製のプレート。

 プレートを時計に例えると、9の数字がある場所にバニラアイスを置いて、それから4時の方へ向かって、生クリームを絞っていく。

 そして、細かく切ったイチゴをクリームの上に、4分の1にカットしたイチゴはアイスの周りに並べ、バニラアイスの上から、生クリームで仕切るようにイチゴソースを、プレートの下半分にかけていく。

 さらに、菱型に焼いたクッキーを三枚ほどと、先のイチゴソースを使って味付けしたタルトを、プレートの上半分に配置する。

 最後に、爽やかな緑を加えて——

 イチゴが主役の、白と赤が映えるようなデザートになったかな……。

 見た目の感想を訊かれた晴香さんは、

「まぁ、いいんじゃない?」

 と応え、ナイフとフォークを取って、プレートに手をつけようとしたとき、あれ、と首を傾いだ。

「チョコは?」

「ポン・デ・リングもチョコじゃないよ」

「ああ、まぁ……、そうか」

 そして、半分に割ったクッキーに、アイスとクリーム、イチゴソースを付けて、いただきますと呟きながら、ぱくっと、口にすると——

 んっと、眉があがった。

「どうかな? 味……」

「うん。まぁ、いいんじゃない?」

「ほんと!? よかったです」

「おまえは食ったの? これ」

 晴香さんがイチゴにフォークを刺しながら、訊く。

「もちろん、味見はしてるよ」

「じゃなくて、ソースとアイスとクッキー、全部からめて食ってないだろ」

 僕が、え、うん、と頷いていると、

 晴香さんはイチゴを口に運び、同じフォークを使って、さっき半分に割ったクッキーに、ソースやアイスを付けていき、

「ほら」

 と、それを僕に差しだした。

「え……」

「ほらって」

「え、えと……、じゃあ——」

 あ、あーん……。

「どう?」

「……、……うん。おいしい……」

 顔から火がでそう……。

「ふふっ、かわいい」

 晴香さんは、フォークの先が小指側になるように指をたたむと、こつん、と、手の甲で僕の頭を小突いた。


「——ごちそうさま」

 食べ終わったお皿の前で晴香さんが手を合わせ、食器をまとめて、流し台に持ってくる。

「あ、洗い物は僕やります」

 スポンジで角バットの汚れを落としながら僕が言うと、

「いや、あたしが食べたんだからあたしが洗うよ」

 かしゃんと、シンクに置いた。

「うんん。もう休憩終わっちゃうんじゃ……。それに、洗い物してほしくて作ったわけじゃないし」

「そうか。じゃあ、ありがとう」

「うん!」

 手洗いが済んだ銀ボウルや角バットをラックに並べ、ドアタイプの食洗機の中にスライドさせて、フタを勢いよく閉めると——

 がしゃこん。

 ……。

「あれ……? 晴香さん、洗剤切れたみたい」

「なんであたしに言うんだよ」

「はーい。とってきます——」


 晴香さんって、イチゴみたいな人……。

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お姉さんとのホワイトデー 氷川 晴名 @Kana_chisa

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