第12話

葬式は、ばあちゃんの指示通り実家で行うことにした。ばあちゃんが自分ですべての準備をしていたので、久志彦は指示された通りに準備を進めていった。ばあちゃんの妹も東京から来てくれることになり、駅まで迎えに行った。


住吉(すみよし)ミホコにも三輪山での試練を中断したこと、ばあちゃんが亡くなったことを連絡すると、葬式の手伝いに来てくれた。葬式の参列者は、ほとんどが近所の人で、ばあちゃんとの思い出を久志彦に話してくれた。


ばあちゃんと仲が良かった人は「二、三日前に会ったとき、いつも以上に丁寧にお礼をいわれたのよ。今、思えば、あれはお別れのあいさつだったのかしらねえ」と不思議そうに話していた。久志彦は「そうですよ」とはいえず、「そうかもしれませんね」と応えておいた。


ばあちゃんの妹はミホコを見て、若い頃の久志彦の母、タケコによく似ていると話していた。久志彦は母の顔を憶えていないので、本当に似ているのか、よくわからない。年寄りには、若い人の顔は誰でも同じように見えるのかもしれない。


葬式が無事に終わり、ミホコは最後まで後片付けを手伝ってくれた。久志彦がミホコに礼をいうと「困ったときは、お互いさまよ」といった後、真剣な顔になって「ちょっと、気になることがあったの」と前置きして話し始めた。


「私の勘違いかもしれないけど、念のために伝えておくわ。お通夜のときに、ご近所の人が、見慣れない男の人がいるけど香典泥棒じゃないかっていうのよ。まさかと思いながら、声をかけようとしたの。その人、私と目が合うと逃げるように居なくなってしまったの。どこかで見たような顔だなと思って、よく思い出してみたら、東京で陶邑君を突き飛ばした人に似ていたのよ。やっぱり気をつけた方がいいと思うわ」


久志彦は、そういわれても何も思い当たることがないので、どう気をつければいいのかわからなかった。


ミホコと近所の人が帰宅して、久志彦は、たった一人になった。ばあちゃんが亡くなり、本当の意味で独りぼっちになったことをようやく実感した。心の準備はできていると思っていたが、じいちゃんもばあちゃんも居なくなった実家に、自分だけが取り残されたようで、たまらなく寂しくなった。


その夜、久志彦は酒を飲んで寂しさをまぎらわせようとした。疲れていたせいもあって、すぐに酔いが回り、そのまま眠ってしまった。


翌朝、目を覚ますと、頭の中を整理しながら洗面所に向かった。じいちゃんの葬儀の翌朝は夢にうなされ、寝汗でびっしょりになって目を覚ました。そして、一文字目のヲシテ文字が、体の前面のみぞおち辺りに現れていた。しかし、今朝は夢を見ることもなく、寝汗もほとんどかいていなかった。


洗面所の鏡の前で、着ていたシャツを脱いだ。体の前面には、モトアケ図がいつもと同じようにある。おそるおそる鏡に背を向けて、背中を映して見ると、そこにヲシテ文字はなかった。現れるのは今日ではなく、明日なのかもしれない。久志彦は拍子抜けしたが、この日もばあちゃんの指示通りにやるべきことを淡々とこなした。


その次の朝も、背中にヲシテ文字は現れなかった。当主に妻がいないから、代わりに当主が受け継ぐだろうと、ばあちゃんは予想したがそうはならなかった。久志彦が結婚すれば、妻になった人に受け継がれるのか、それとも受け継がれることなく、このまま途絶えてしまうのかもしれない。


その日の夜、ミホコから電話があり「今から会って話したい」といわれた。理由を聞いても「とにかく、電話では話せない」というだけで、焦っているような落ち着きのない様子でミホコらしくなかった。


ミホコが久志彦の実家にやってきたのは、日付が変わる少し前だった。ミホコは慌てて家に上がると、久志彦以外に誰もいないことを確認した。


そして、思いつめたような表情で「見てもらいたいものがあるの」といって、久志彦に背を向けて、着ていたシャツを脱ぎ始めた。久志彦はミホコが何を見せたいのかわからず、ただ黙って見守るしかなかった。


上半身裸になったミホコの背中には、ヲシテ文字が四行、きれいに並んでいた。ばあちゃんの背中にあったものと、同じものだった。久志彦は思わず「えっ、どういうこと?」と口走っていた。


「それは、私が聞きたいのよ」ミホコが珍しく声を荒げた。ヲシテ文字が現れた理由がわからず、ミホコはかなり混乱しているようだった。


「近づいて見てもいいですか?」久志彦が遠慮がちにそう聞くと、ミホコは「ちょっと待って」といって、体の前面を着ていたシャツで隠すと「いいわよ」と応じた。


ミホコの背中に現れたヲシテ文字は、間違いなく『アワウタ』だった。焼き印に近い質感も、久志彦の体に現れたヲシテ文字とよく似ている。そして、もう一つ気づいたことがあった。ミホコの右肩に、久志彦の左肩にある火傷の痕と似たような痣(あざ)があった。


久志彦は「服を着てください」といって台所に向かった。お茶を入れながら頭の中を整理したが、当主の妻に現れるはずのヲシテ文字が、ミホコの背中に現れた理由はわからなかった。


久志彦は考えがまとまらないまま居間に戻り、ミホコと向かい合って座った。久志彦は、ばあちゃんから『アワウタ』について受け継いだことを、包み隠さずミホコに説明することにした。


「住吉さんの背中のヲシテ文字は『アワウタ』といって、いろは歌のようなものです。伊藤先生の本にも解説があったと思います。この『アワウタ』は、陶邑家当主の妻が代々受け継いできたものです。当主である僕には妻がいないので『アワウタ』も僕が受け継ぐことになるだろうと、ばあちゃんからいわれて僕も覚悟をしていました。それが、なぜ住吉さんの背中に現れたのか僕には説明できません」


それを聞いたミホコは「私が当主の妻に選ばれた、つまり、陶邑君と結婚するってことなの?」とストレートに聞いてきた。


久志彦もそのことを考えていたが、二人が結婚すると決まってもいないのに、ばあちゃんや陶邑家のご先祖様がミホコを当主の妻に選ぶだろうか。


「住吉さんと結婚できるなら、もちろん嬉しいけど、住吉さんは困りますよね」


「私は父の後継者になる人と結婚するのよ。それが、住吉海運の社長である父との約束なの。陶邑君は父の会社の社員だけど、父の後継者になるつもりはあるの?」


久志彦もその男性版シンデレラストーリーを社内で聞いたことがあった。しかし、都市伝説に近い、ただの噂話としか思っていなかった。それに、久志彦は後継者になるようなエリートではないし、これまで社長を目指したこともなかった。


しかし、父の後継者になるつもりはあるのかと聞いてきたということは、ミホコは結婚してもいいと思っているのだろうか。


「後継者になろうとは思ってなかったけど、もちろん、出世するために頑張って働いています」久志彦は正直に答えた。


「そういうことなら、父と話してみるわ」ミホコは真剣な表情だったが、その真意はわからなかった。


「ところで、私にも試練はあるの?」ミホコは自分が何をすべきなのか、気になっているようだった。


「当主のような試練はないけど、『アワウタ』を覚えることが当主の妻に受け継がれていることです」


「アワウタを覚えれば、背中のヲシテ文字は消えるのね?」

「はい、消えると思います」


久志彦の答えを聞いて、ミホコはホッとしたような表情を見せた。ミホコの背中に『アワウタ』が現れた意味は今のところ明確にはわからないが、少なくとも消えることがわかって安心したようだった。


「一つ、聞いてもいいですか?」久志彦がそういうと、ミホコは黙って頷いた。

「肩にある痣のことです。初めて会ったとき、住吉さんも僕の肩にある火傷の痕のことを聞きましたよね。自分にも似たような痣(あざ)があるから、気になったんですか?」


「そうよ。よく似た痣がある人に初めて会ったから気になったの。私は自分の肩に痣がある理由を、ちゃんと知らないのよ。親には聞いてはいけないような気がして、どうしても遠慮してしまうの。両親とじっくり話す、いい機会かもしれないわね」


ミホコは来たときよりも落ち着いた様子で帰っていった。久志彦はミホコとの結婚を、すぐには現実とは思えなかった。しかし、ばあちゃんや陶邑家のご先祖様が決めたのなら、それに素直にしたがうのが自分の運命なのかもしれないと考えていた。


久志彦は、以前と同じように、昼間は仕事、夜間は大学の講義という生活に戻った。すぐにでも三輪山の試練に挑みたかったが、忌中は神社に参拝してはならぬと、ばあちゃんにいわれたので、忌明けまでは日常生活を送りながら、神様からのメッセージとして受け取った「己(おのれ)を知り、神を知るべし」を実践することにした。


夜間の講義の後は、会社の寮に帰ってホツマツタヱの勉強をした。久志彦は高卒でも一生懸命に働けば、認めてもらえると思っていたが、社長に勧められて夜間大学に入学したのが入社二年目のことだった。そして、この春、ようやく四年生になった。


己を知るために、東京のばあちゃんの妹にも連絡してみたが、自分が嫁いだ後のことはよくわからないと素っ気ない返答だった。陶邑家の「知らん方が幸せなこともある」という秘密主義は徹底されていると痛感した。


ホツマツタヱの勉強は、とても楽しかった。暗記が苦手な久志彦は小学生のときに、すでに歴史の勉強につまずいていた。しかし、歴史を壮大な物語として捉えると、楽しく読み進められることに気づいた。そして、大神神社に祀られている神様についても少しずつ理解していった。


ミホコから連絡があったのは一週間後だった。社長は忙しくて、ゆっくり話す時間がないらしい。『アワウタ』については、ヲシテ文字を憶えてアワウタを順番通りに書けるようになったが、背中のヲシテ文字は消えないらしい。何か大事なことを、ばあちゃんから聞き漏らしたのだろうか。


その週末、ミホコから再び連絡があり、社長が久志彦とも一緒に話をしたいということだった。翌日、社長の家で三人で話すことになった。

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